第五十四話 天使の結婚式
「うーん、その場の勢いって怖いな~。まさか、この歳で早くも結婚する事に成るなんて……」
古い寺院の礼拝堂で、セディルは長椅子に腰掛け、ぼーっと天井を眺めていた。
ついさっきの事、彼の結婚相手が決まった。
その相手は、ある意味この世界に於ける、彼の唯一の幼馴染。
ジーネボリス帝国貴族、クレイム伯爵家の令嬢エリーエル・クレイムであった。
だがその名は今現在、この国で最も忌まれる名と成り、実質消滅したも同じと見做されている。
敢えて呼ぶなら、元伯爵令嬢と言うべきだろうか。
「お嬢様とアンナさんが、あそこまで腹括っちゃうんだもんね……、僕も、逃げられなく成っちゃったよ」
その少女が、己が身を贄に差し出してまで彼に依頼した仕事とは、『殺人』であった。
彼女の家族を殺し、家名を滅ぼした敵、ウォルドーズ伯爵の抹殺。
セディルは既に一人、人を殺している。
帝都から脱出した後に、彼らを襲撃した刺客、下忍達を束ねていた下忍マスターの男を。
それは正当防衛だったので、セディルも別に気にしていない。
この世界に生まれ変わり、忍者の職に就き、冒険者に成った以上、彼はこれからも目の前に立ち塞がる敵は、全て殺して行くつもりなのだ。
下忍の男は、たまたまその最初の一人だったに過ぎない。
そして、エリーエルの復讐の刃として雇われた以上は、それを無血で成す事はあり得ないのだから。
「彼女には一人だけって言ったけど、それじゃあ済まないよね~」
契約では、殺す相手は彼女が求めた一人だけ。
しかしその一人を殺す為には、おそらく数多の血が流れる事に成るだろう。
今の心理的に余裕の無いエリーエルは、そこまで考えていないだろうが、その標的、ウォルドーズ伯爵の下には多数の配下の者達がいる。
伯爵を殺すという事は、それらの者達との戦いも覚悟しなければ成らないのだ。
「まあ、それは員数外と言うか、必要経費みたいな扱いだけど……。割に合わない仕事だな~」
そう言いつつも、彼の中には、この『冒険』から逃げようとする気持ちは全く湧いて来ない。
何故なら、提示された『報酬』に心を動かされ、納得してしまったからだ。
地位や名誉、金銭や物品、それらには確かに報酬としての価値がある。
だが、セディルを本当の意味で納得させる報酬とは、そうしたものではない。
彼が求める報酬とは、依頼人個人にとって真に価値あるもの。
そして彼が求める究極的な冒険とは、『自分にしか果たせない冒険』であった。
「他に出来る人がいるのなら、その人にやって貰えば良いけど、これは確かに、僕にしか出来ない冒険だ……」
エリーエルが彼に依頼し、提示した仕事と報酬。
忍者としての力を極め、彼女の復讐の刃と成る事。
その報酬として、彼女は彼のものと成る。
それこそは、正にセディルが望んでいたものなのだ。
「ねえ、神様。あなたの愛娘は、復讐の為に『悪魔の子』と契約しちゃったよ。どうしましょうかね、これ?」
セディルは、礼拝堂に置かれたもの言わぬ神像に語り掛けた。
勿論、像は何も答えず、僧侶でないセディルに啓示が下る事も無い。
その答えは、神のみぞ知る。
彼は、契約の代償たる『復讐の花嫁』を娶る為、ただ静かにその時を待っていた。
身を清め、髪を染めた染料を落とす為の沐浴を終えたエリーエルは、部屋で結婚式に臨む為の支度を、アンナに整えて貰っていた。
彼らはシーナに、ホスリード老師に結婚の儀を執り行って貰えないか、と頼んでみた。
すると彼女は、快くそれを引き受けてくれた。
そして今、シーナはエリーエルの為に花嫁衣装も用意してくれたのだった。
「これは昔、私が結婚した時に着た物です。もう四十年以上も昔の物ですが、大事に取って置きました。私の子や孫は、男の子ばかりだったので、着せる機会もありません。お嬢さんが着てくれたなら、嬉しいですね」
そう言って、シーナは大切に保存して来た衣装を、エリーエルに渡した。
それは村娘が結婚の時に着る、素朴なデザインの白い花嫁衣装だった。
この地方では珍しくない、植物の繊維で織った安価な布で仕立てられている。
エリーエルには若干大きかったが、シーナが上手く一般魔法で調節してくれた。
その衣装を身に着け、彼女は金属を磨いた鏡に自分の身を映して見る。
黒い染料を落とされた髪は、元の黄金色の輝きを取り戻している。変装したままの姿で式に臨む事だけは、彼女の自尊心が許さなかったからだ。
顔色は、余り良くない。
食欲が落ちたので、頬も若干こけたように見える。
寝不足で、目の下には隈がある。
着ている物は、借り物の素朴な花嫁衣装。
田舎の村娘が着る物で、本来、彼女の結婚式で着る筈だった衣装とは、値段にして一千倍の開きがある。
これを着て行く結婚式には、参列者も無く、賑わう花一輪も飾られる予定は無い。
次代の皇帝と成る筈の皇子と、国を挙げての盛大な式を行う予定だった筈の少女は、否が応も無く落ちぶれた現実と向き合わなくてはならなくなった。
「……お嬢様、髪を結いますね。お顔にも【化粧】をしましょう」
鏡をじっと見つめ、涙を溢すのを必死に堪える少女に、アンナが優しく声を掛ける。
椅子に座り、アンナに髪を結われて行くエリーエル。
アンナが慣れた手付きで繊細な金の髪を綺麗に結い上げ、一般魔法の【化粧】で顔のやつれを誤魔化すと、やはり元が元だけに、その姿は見違えたように美しくなった。
「……お綺麗ですよ、お嬢様。伯爵様や奥方様も、きっとそう言って下さいます」
「ええ、そうですわね。お父様やお母様、お兄様達、それに……、あのお方にも、見て欲しかったですわ……」
それは、彼女の大事な家族達。
全てもう故人であり、その願いは決して叶わないとしても、そう望まずにはいられなかった。
エリーエルは両目を閉じ、赤みを足された唇をキュッと引き締めた。
幸せだった過去の思い出が、走馬灯のように彼女の胸の中で蘇る。
何気ない日常の風景、失って初めて理解した、二度と取り戻せないそれらの温かい光の記憶。
その全てを封印するかのように、彼女は目を閉じたまま首を横に振った。
これから自分が歩むのは、そうした日々に背を向ける愚かな復讐者としての道。
思い出を忘れてはならないが、浸ってもいけない。
己にそう戒め、エリーエルは目を開いて立ち上がった。
「行きますわよ、アンナ。わたくし達の戦いは、ここから始まるのですわ」
「……はい、お嬢様」
エリーエルの目に、もう涙は見えない。
今の彼女が身に着けるべき戦闘服を纏い、エリーエルは自分の戦場へと向かうのであった。
寺院の礼拝堂に今、老若男女六人が集まっていた。
行なわれるのは、ささやかな結婚式。
新郎新婦と成るのは、共に十二歳の少年と少女。
少年が着ているのは、魔法で血汚れを消し、傷跡を直した下忍装束。いつもは巻いている包帯も、今だけは外し、素顔を晒した完全武装の姿だった。
少女の方は、素朴な白い花嫁衣装を着て、薄化粧を施した顔にベールを付けている。黄金の髪は結い上げられ、形の良い耳朶に、虹色に光る耳飾りが付いていた。
「……お前の衣装は、それで良いのかしら?」
花嫁となるエリーエルの蒼い瞳が、不審げに隣の少年セディルを見つめる。
それは明らかに、結婚式で着る服では無い。
これから、冒険に出掛ける時にする服装だった。
「これが今の僕、冒険者の『正装』です。一張羅の衣装ですから、替えが無いんですよ。それに……、僕達の関係には、相応しいんじゃないかと思いまして」
セディルは肩を竦める動作を見せて、その姿を誇った。
二人の婚姻は、冒険の始まり。
彼は確信犯として、この格好を選んだのだ。
そしてこの場に居るのは、彼らだけではない。
結婚の儀を執り行い、二人に祝福を与えるホスリード老師と、その孫娘シーナ。
立会人となる、ライガとアンナ。
式の参列者は、この四人だけだった。
エリーエルは、礼拝堂に安置された神像の前に立つ、ホスリードに視線を向けた。
彼は昨日と変わらぬ、この世の汚濁から全て解放されたような、優しい笑みを浮かべていた。
ふうっと思わず溜め息が漏れてしまう。
本来であれば、天使である彼女が結婚する際に祝福を授けるべきなのは、帝都の大司教でなければならない。
特に根拠のある話ではないのだが、より高位の僧侶に祝福を賜る事が幸福に繋がる、と世の中では信じられているのだ。
その相手が、偉大なる帝都の大司教から、高位の僧侶とはいえ呆けた田舎の村の老僧に代わってしまった。
この先の彼女の幸せは、余り期待出来ない。
(いいえ、違いますわ。幸せなど、復讐を果たせるのならば、捨てると覚悟したのです。祝福の問題など、些細な事。怯んではいけません、エリーエルっ!)
心の中で自分を叱咤し、弱気を戒める。
頭を上げ、背筋を伸ばし、彼女は真っ直ぐに信仰する天空神の像を見つめた。
「ところで、お二人の名前は何と仰るのかしら? お祖父さんに、教えてあげて下さい」
横に控えるシーナが、そんな二人に名前を訊ねた。
結婚式を行うにあたり、それはどうしても必要なものだからだ。
「な、名前っ!?」
そう訊かれて、エリーエルは少し慌てる。
こんな小さな村でも、皇帝殺害の情報は既に流れて来ているかも知れない。それならば当然、追放者と成った彼女の名前も、知れている可能性があるからだ。
「この子の名前は、『エリー』ですよ。今後は、そういう事にしましょう、ねっ!」
横から、セディルが助け手を入れた。
どっち道、これから彼女は本名を名乗れないのだ。天使を現す『エル』が名前に付いていては、その正体はすぐに人にバレてしまう。
名前を変更するには、結婚する今が、一番タイミングが良いだろう。
「……エリー? 本気でわたくしを、そう呼ぶ気ですの、お前……?」
「勿論だよ、エリー。必要な事だから、エリー。仕方がないんだよ、エリー。だって僕達は、冒険者に成るんだから」
セディルは立て続けに、刷り込むようにその名を連呼した。
もう敬語も使っていない。
結婚する以上、二人の関係は対等に成るからだ。
「エリー……。わたくしは、エリー……」
親から貰った神聖な名から、無理矢理『聖なる韻』を外され、エリーエルは屈辱に震える。
しかしそんな彼女でも、その改名の必要性だけは、否定出来ない。
天使エリーエルから名を改められた、ただの少女エリーは、もう貴族でも皇子の婚約者でも無い。
彼女は、冒険者の妻に成るのだ。
「……お前の名は、『セディル』で良いのかしら?」
「一応、覚えてはいたんだ……」
ずっと平民とだけ呼ばれていたので、彼女からその名で呼ばれるのは、セディルも初めてだった。
そして、セディルとエリー。
二人の少年少女の結婚式は始まった。
礼拝堂に置かれた神像。
それは、正しき統治を司る神、天空神ウル・ゼールの像
大陸でも最大の信徒を抱えているが故に、善性を司る神々の主神とも呼ばれている最高神である。
「天におわす偉大なるお方よ、神々の父よ、今日、あなたの祝福を賜りたし、子供達がおります……」
この結婚式を取り仕切るホスリード老師が、その像の前に立ち、決まり文句を神に捧げる。
耄碌はしていても、この数十年間に、何百何千と繰り返して来た儀式の手順は、全て身体が覚えているのだろう。
老僧の後ろには、セディルとエリーが並んで跪き、神妙に頭を垂れている。
その更に後方には、ライガとアンナが二人の様子を見守っていた。この場では、彼らがこの式の立会人なのだ。
「では、お二人共、立ちなさい」
聖句を唱え終え、ホスリードが二人に言った。
セディルとエリーは立ち上がり、お互いの方を向き合う。
「誓いの言葉を……、はて? 確かセディル殿と言ったかのう?」
「はい、そうです」
早く儀式を進めないと、老僧は彼らの名前も忘れてしまいそうなので、名前を呼ばれたセディルは、手早く誓いの言葉を完成させる為に、花嫁と成る少女をじっと見つめた。
全てを奪われた彼女が、家族の復讐を果たす為に、自分に残された唯一のもの、その栄誉ある天使の乙女の身を彼に捧げようとしている。
その姿を、セディルは純粋に美しいと思っていた。
天上に輝く宝石は、地に墜ちて泥に塗れても、その輝きを失ってはいない。
そう思えたからこそ、彼はこの報酬を受け取る事にしたのだ。
「僕、セディルは、彼女エリーを妻に迎え、生涯の伴侶とする事を、誓います。今は非力なるこの身、いつの日かこの力を極め、彼女と結びし契約を果たす、その本懐を遂げる時まで、精進を怠らず鍛え続けます。そしてこの契約は、お互いの裏切り以外の何ものにも破る事は出来ない。それが果たされし時、僕達の間に、絆が在らん事を願います」
そう誓いの言葉を締め括ったセディルは、真っ直ぐにエリーの瞳を見つめる。
彼女の宝石のような蒼い瞳と、彼の漆黒の闇のような瞳が交差し、重なり合う。
「次は、ふむふむ、エリー殿かな?」
「………………」
老僧に促されたエリーは、あらゆる感情を抑え込み、唇を震わせつつも誓いの言葉を発する。
「わたくし、エリー……は、この者を夫とし、生涯を共にする事を……誓います。この者が、結びし契約を遵守し、その成就に力を尽くす限り、わたくしも彼に寄り添い、いつ如何なる時も彼を支える為に力を尽くします。そしていつの日か、契約が果たされし時には、我ら二人に、お子をお授け下さい……。この誓いは、わたくしの生涯、彼の生涯が終わりし後も守られます。この者が、契約を遵守する限り、決して揺らぐ事無きわたくしの誓いです……」
彼女の口から出たのは、天使の言霊。
神に誓うその言葉は、決して破る事の出来ない、神聖な誓約なのだ。
セディルがエリーとの契約を守る限り、死が二人を別とうとも、この誓約は神によって有効と見做される。
重い誓いの言葉を言い終え、エリーはどっと疲れたように肩を落とした。
真面目で責任感の強い彼女にとって、その言葉は、全身全霊を掛けて捧げる祈りに等しかったのだ。
しかしそれでも、エリーは夫と成る少年の瞳から目を逸らす事だけはしない。
彼ら二人、その誓いの言葉には、愛の一言は無かった。
互いに、愛無き誓いの言葉。
何故なら、これは復讐と報酬の契約。
愛ではなく、利害によって成された誓約だから。
どちらかの裏切りでしか、この契約の破棄は許されない。
「誓いの後は、指輪の交換ですなあ」
二人の誓いの言葉を聞き終えて、ホスリードがそう彼らに促した。
「指輪も、贈り物も、無いんです。僕達貧乏だから、用意出来ていないんですよ」
結婚が決まったのは、つい二時間程前。
用意出来た物など、本当に最小限。
どんな貧しい夫婦でも、今の彼らよりはマシだろうか。
「指輪は……、無しですわね」
「いいや、冒険で手に入れるんだよ。君も今から、冒険者に成るんだから。きっとどこかで、僕達に相応しい指輪が手に入るんじゃないかな?」
今はその手に無くとも、欲しいのなら見つければ良い。
それが冒険者だと、セディルはエリーの白い左手を右手で取り、その細い薬指に指先を当てて予約をした。
「お気楽な男ですわ、お前は」
不満そうに唇を尖らせる少女の顔から、セディルはベールを剥ぎ取り、その身を抱き寄せた。
彼女のほっそりした腰に左腕を回し、二人の顔が近付く。
「これは、契約。同時に、新しい家族を得る儀式でもあるんだよ」
家族を全て失った少女が、今日再び新たな家族を迎える。
「わたくしの家族は、お前とは比べ物にならないくらい紳士ですわ……」
そんな憎まれ口を叩くエリーの唇に、セディルは自分の唇を重ねた。
誓いの口付け。
或いは、復讐者と凶器が交わす、死の接吻。
全てを見届けた立会人の二人、ライガとアンナからは、拍手も祝福の言葉も無い。事情を知る大人二人は、祝福出来ぬ結婚を、ただ見ているしかなかった。
「これで今から、君は僕の花嫁だ、エリー」
「……報酬は支払われましたわ、セディル。お前は、わたくしの刃です……。心など、要りません」
天使と悪魔の復讐の契約は、今ここで正式に結ばれた。
その契約が果たされるか、否か。
その答えは、神のみぞ知る。




