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転生忍者少年はダンジョンに挑む  作者: 田舎暮らし
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第五十二話 凶器の報酬

 古い寺院の礼拝堂で、エリーエルは『天空神』の神像の前に跪き、神の前で自問自答していた。

 それは、神への啓示を求める祈りではない。

 答えも決断も、誰かに与えられるものではなく、彼女自身の中にあるものだからだ。


 (わたくしの『この選択』は……、賢明とは言えませんわね……)


 賢き者となる為に己を磨き、研鑽を積んで来た彼女としては、こんな愚かな事をしようとする自分は否定したいところだった。

 しかし今、彼女の前に二つの道が示されていた。


 一つは、自分の幸せを求めて生きる、賢き者の道。

 もう一つは、失った家族の復讐の為に我が身を削る、愚か者の辿る道。


 示された選択肢は、相反するものが二つ。

 彼女の身が一つである以上、選べるのは一つだけ。


 「ならば、わたくしは迷わず『愚者の道』を選びましょう。この身に与えられた、家族皆の祝福、それを忘れて生きる事など出来ませんわ。わたくしはクレイム家の、そして帝国の守護天使。それは成さねば成りませんの、わたくし自身の為にも……」


 エリーエルは、閉じていた目を開いた。

 その蒼い瞳に輝くのは、彼女を特徴付ける強い光。

 同時に燃え上がるのは、復讐者が燃やす黒き炎。

 その二つの光と闇を、彼女はその瞳に宿した。

 立ち上がり、礼拝堂の入り口に向かう。


 「わたくしに、覚悟が足りないと言いましたわね、平民……」


 その声には、どこか吹っ切れた、挑戦的な意味が込められていた。

 少女の顔に、決然とした意志が示される。


 「覚悟するのは、お前の方ですわ。この『報酬』を支払う以上は……、お前に、わたくしの仕事を、必ず果たさせて見せますわ」


 それは、『彼女の覚悟』。

 エリーエルは、復讐を果たす代価として、いつの日か最強と成る筈の忍者の少年に支払う報酬を、今ここに用意した。




 寺院に一泊させて貰った日の午後。

 穏やかな日差しの中、昼食を取った後のセディル、ライガ、アンナは、エリーエルの前に集められていた。

 彼女は朝の遣り取りの後、朝食も食べずに、ずっと礼拝堂にこもっていた。

 その彼女が、さっき皆の所にやって来て、話があると彼らを庭に集めたのだった。


 エリーエルの様子は、朝とは少し変わっていた。

 変装の為に黒く染めた髪はしんなりし、服装も安い古着を着ただけ。

 顔色は最悪、目の下に隈も見える。


 それでも、彼女にはかつての精気が戻りつつあった。

 それを印象付けるのが、その瞳。

 今朝までは、どんよりと曇りがちだったその瞳に、今は強い光が宿っている。

 勝気で、奔放で、高飛車で、我が儘で、傲慢で、それでも気高い、いつものエリーエル。

 その片鱗が、三人には、確かに感じ取れたのであった。


 「わたくしは、決めましたわ」


 毅然とした声で、彼女は彼らに宣言する。

 この数時間の間に、思い悩み、それでも決めた決断なのだろう。


 「ウォルドーズ伯爵への復讐を、果たします。わたくしから家族を奪い、皇帝陛下を殺め、クレイム家の名誉を汚泥に沈めた者を、わたくしは許しません」


 クレイム伯爵家令嬢エリーエル・クレイムは、不退転の決意を込めて、皆の前でそう言った。

 それを聞き、大木のように動かないライガは目を瞑り、彼女の世話をして来たアンナは哀しそうな顔をする。

 そして、セディル。

 彼は、包帯の下で難しい顔をすると、腕を組み小首を傾げる。


 「そんなに、水槽に浮かびたいんですか?」

 「浮かびませんわっ!」


 脳裏に浮かんだ、敵に敗北した場合の恐怖の光景を振り払い、エリーエルは、セディルの言葉を即座に否定した。

 そんな敗北を避ける為に、彼女は覚悟を持って秘策を考え出したのだ。


 「ライガ、お前はわたくしの復讐に力を貸す気は、全くありませんのね?」

 「ええ、ありません」


 最強の忍者ハイマスターは、一瞬の躊躇いも無しに、彼女の求めを拒絶した。

 彼さえ協力してくれれば、彼女の復讐は、これから直ぐにでも果たせるだろう。

 しかしその最強の復讐代理人たる殺し屋は、彼女の命令にも懇願にも、決して応じようとはしなかった。


 「……判りましたわ。これ以上、お前に復讐の協力は求めません」


 意外な事に、エリーエルはあっさりとライガの力を諦めた。

 今の彼女では、何をどうしようと、彼の心を変えさせる事は出来ない、と悟ったのだろう。


 「ですが平民、お前は言いましたわね? お前が納得する『報酬』さえ用意すれば、わたくしの仕事を請けると」

 「はい、言いました」


 セディルは冒険者であり、報酬を受け取れば、仕事は請け負う。

 問題は、仕事の内容と報酬の中身。

 それらは、彼の心の中で『納得』という形を取って、吊り合っていなければならない。

 そのバランスが崩れていては、良い仕事など出来ないのだ。


 「では、報酬を支払います。まずは『前金』を。それで忍者のお前には、わたくしが復讐を果たすまで、わたくしの武器に成って貰いますわ」


 復讐を果たす武器として、忍者セディルを買う、と彼女は言った。

 彼は、まだレベル2の冒険者。

 エリーエルが求める断罪の刃と成るには、まだまだ役者不足。

 それも承知の上で、少女は少年を欲したのだ。


 「報酬ですか? でも、お嬢様は今、銅貨一枚も持っていませんよね?」


 彼女が持っている金目の物は、着ていた部屋着のドレスと魔法の耳飾りくらいのもの。

 現金は、それこそ全く持っていない筈だ。

 前金とはいえ、纏まった大金でも目の前に積み上げて見せなければ、復讐への協力という仕事の報酬として、セディルの納得を得る事は出来ないだろう。


 「報酬は……、わたくしですわ」


 覚悟の光を宿す瞳で、真っ直ぐにセディルを見つめるエリーエルが、そう言って自らの胸に右手の平を当てた。


 「わたくし自身を、お前への報酬とするのですっ!」


 その衝撃的な言葉に、ライガも太い眉を上げ、アンナは激しく動揺した。


 「お、お嬢様、何を言い出されるのですか? そ、それは……」


 彼女の言葉の意味を、アンナは理解した。

 理解し、止めようとするも、そんな彼女をエリーエルが目で制する。

 邪魔をしないで欲しい、と。

 そんな目で見られては、アンナも何も言う事は出来なかった。


 そして、セディル。

 彼は、再び腕を組み小首を傾げる。


 「僕の奴隷に成ると?」

 「成りませんわっ!」


 セディルの適当な解釈を、顔を真っ赤にして即座に否定するエリーエル。


 「違いますわ、下郎っ! わたくしが、奴隷などに成る筈がありませんわっ! お前の、つ、つ、妻に成る、と言っているのですっ!!」


 どもりながらも、思いっきり彼の認識を訂正する少女は、自分が口にした一言に、さらに顔を紅潮させた。

 成り行きはどうあれ、エリーエルはセディルに、『結婚』を申し込んだのである。


 「まあまあ、落ち着いて下さいよ、お嬢様。報酬って、つまりお嬢様が僕と結婚するって事ですよね? その意味、本当に解っているんですか?」


 彼女が興奮するので、セディルの方は冷静に成れた。

 一般的に、この世界では十五歳くらいで成人と見做され、結婚する事が出来る。アンナも十五歳の時に、今は亡き夫と結婚していた。


 しかしそれはあくまで目安に過ぎず、田舎の寒村や北方の部族の間では、もっと早く、それこそ男女とも十二、三歳で成人として扱い、正業に就けたり結婚させたりといった事も普通に行われる。

 貴族社会でも、親の都合で子供の頃に婚約者を決められ、エリーエルの歳でも正式に結婚する事例は無い訳ではない。

 年齢だけ見れば、セディルとエリーエルの結婚も、あり得なくはないだろう。


 「僕、何も持っていませんよ。地位も、名誉も、財産も。師匠のお情けで、養って貰っていた身の上ですから」


 職に就き、冒険者には成っても、彼はまだ何も成し遂げてはおらず、お金も無い。


 「それは、今のわたくしも同じです。身分を失ったので、お前と同じ平民に成り、財産も無くなったので『持参金』も用意出来ませんわ」


 今やお互いに根無し草の流れ者。

 天下無敵の無一物。

 だが逆に言うと、基本的に結婚は同じ身分同士の者で行われるものなので、今の立場だからこそ可能とも言える。


 「結婚って、神様への誓いですよね? その辺、天使って、一般人と何か違うんですか?」

 「……違いますわ。天使の結婚は、神への誓約。一般人よりも、それは強く働きます。決して、破る事は許されませんわ……」


 息苦しそうに、天使の立場とその誓約と制約を話すエリーエル。

 その意味するところは、即ち、彼女からの離婚の申し出と再婚の不可。


 「僕と結婚したら最後、僕の承認が無ければ離婚は出来ず、最悪僕が死んでも、お嬢様は誰とも再婚出来ない、という事ですか。じゃあ婚約者だった皇子様の事は、良いんですか?」


 彼女には、婚約者がいた。

 ついこの前に決まったばかりだが、その相手はジーネボリス帝国の皇子にして皇帝の孫。順当に行けば、いずれは皇帝に成る筈の少年だ。


 「……アレイファス様との婚約は、破棄されたのです。もう、関係ありませんわ……」


 友人である彼には悪いとは思いつつも、エリーエルはハッキリとそう言う。

 彼女とアレイファス皇子との婚約は、帝国政府により正式に認められ、そして正式に破棄された。

 帝国での身分を失い、国から追放された彼女が誰と結婚しようと、最早帝国は何の関係も無いのだ。


 (自分の婚約者は父親が決めるって、散々言っていたけど、今勝手に自分で決めて良いのかな? それに、あの皇子様。あんなに喜んでいたのに、気の毒に……)


 やはりエリーエルに恋する者はいても、彼女が恋する相手はいないらしい。

 セディルは、少しだけ婚約破棄された少年を哀れんだ。

 彼女は『皇帝』に成る筈の少年よりも、『殺し屋』に成る少年を選んだのだ。


 「ライガ、この平民は、いつかお前よりも強い忍者に成りますのね?」

 「……そうですな、こいつは『悪魔』みたいなものですから」


 エリーエルの確認に、ライガはそう答えた。

 彼はもう知っているのだ。

 セディルの異常性の正体、『悪魔の子』である為の力の根源を。


 「良いですわ、復讐を果たせるのならば、わたくしは悪魔でも使いこなして見せましょう」


 その言を、暴虐な可能性の比喩と理解し、エリーエルは強気に言った。

 それくらいの者でなければ、彼女の目的は果たせないのだから。


 「うーん、でもやっぱりお嬢様が復讐を果たす為に自分を犠牲にする事なんて、伯爵様達は喜ばないと思うんですけど、それでもやるんですか?」

 「ええ、やりますわ。これは、家族の為であり、同時にわたくし自身の為の戦いなのです。決して、泣いて寝て終わりには、しませんわっ!」


 彼女の復讐は、家族の敵を討つ為だけのものではなかった。

 それは彼女がこれまで生きて来た中で培って来た、自分自身の根源、魂の形とも言えるものに直結していた。

 エリーエルという少女は、決して他者に屈する事を良しとしない、高貴なる誇りを己に課した、貴族令嬢なのだ。


 「でも僕と結婚するって事は、僕と一緒に冒険者に成るって事ですよ。僕の冒険に付き合って、世界中を旅するんです。それでも、良いんですか?」


 そして彼女にその誇りがあるのなら、セディルにも譲れない夢と浪漫がある。

 彼の伴侶と成るのなら、同時に冒険者に成る事も意味しているのだ。


 「構いませんわ。お前がわたくしの復讐に力を貸すのならば、わたくしもお前の冒険とやらに力を貸しましょう」


 それは、彼女も承知の上。

 セディルがそれを譲らない事は、これまでの付き合いで理解しているのだ。


 「さっき、結婚は『前金』だって言っていましたけど、それじゃあ、復讐を果たした後に、何か『後金』を貰えるんですか?」

 「ええ、『前金』として、わたくしとの結婚という栄誉をお前に与えます。ですが、その先は、事を成就し終えた後にしますわ」

 「その先? もしかして、子作りの事?」


 結婚に於ける、ある意味最も重要な儀式について、エリーエルはそれを先延ばしにすると言った。

 ウォルドーズ伯爵の首を取って来るまで、セディルはお預けを食らう訳である。


 「そうですわ、お前がウォルドーズ伯爵の首を、わたくしの前に持って来たならば、最後の報酬を支払いましょう。お前と子を作って上げますわ」


 意外と平静な言葉で、エリーエルはその『後金』を約束する。

 しかし、その発言に若干ニュアンスの違いを感じ取ったセディルは、彼女に訊ねてみた。


 「……ちなみに、お嬢様は子供の作り方って、知っているんですか?」

 「それくらい、知っていますわ。わたくしは、天使ですのよ」


 彼女は、自信ありげに言い切った。


 「結婚している男女が二人で、神に祈ると、大天使様が降臨し、二人の精気を合わせた赤子をお授け下さるのですわ。その時、精気を抜かれるので、二人共疲弊するとも聞きましたわ。お母様はお身体の弱い方でしたから、それで命を縮めてしまったのかも知れません。ですが、わたくしは健康なので、問題はありませんわ」

 「………………」


 それは子供向けの方便なのだが、エリーエルは固くそれを信じているらしい。

 なまじ自分が天使なので、疑いようが無いのかも知れない。


 「何ですの、その目は?」

 「えーと、まあ、詳しい話はその内にアンナさんに訊いて下さい。アンナさんは、未亡人だから本当の事も知っていますよ、うん」


 セディルは、生温かい目でアンナを見つめる。

 そんな目で見られて、アンナも困った顔をしている。

 だが、エリーエルに本当の事を教えるとしたら、彼女しか適任者がいないのだ。

 普通、貴族の子なら乳母が付くのだが、エリーエルは珍しく母親の手で直に育てられた。

 その母も、彼女が十歳の時に亡くなっており、彼女は男親と兄達に囲まれて暮らして来た。


 故に、誰も彼女に性教育をしなかったのだ。

 それはおそらく、彼女に婚約者が決まった後、皇妃と成る教育と同時に少しずつ行って行く予定だったのだろう。


 「さあ、返事はどうしたのです、平民? 迷う必要など無い筈ですわ。わたくしと結婚しなければ、悪魔顔のお前など、一生誰とも結婚出来ませんのよ」

 「酷い事言われた」


 そこまでハッキリと結婚の可能性を否定されるとは、彼女の中で自分の評価はどうなっているのか、セディルは少々気になった。

 しかし彼女のその自信には、確かな根拠がある。

 幼い頃から求婚者が絶えず、誰からも是非にと求められて来たものが、彼女との結婚だったのだ。


 天使の乙女との結婚は、貴族社会では至上の名誉。


 幼少時からそう刷り込まれているエリーエルにしてみれば、これこそが、何物にも勝る究極の報酬だと思っていても不思議は無い。

 身分や財産を失くしたとしても、自分には、上位職の賢者にして天使の美少女という、『自身の価値』が残っている。

 彼女は、その自分の価値に絶対の自信を持っているのだ。


 自分と結婚出来るという幸運に、手を伸ばさない男など、この世に居る筈が無いと。


 しかし、セディル。

 彼は包帯の下で、またまた何とも言えない微妙な顔をして、腕を組み、困ったように小首を傾げた。


 「どうしたのです? 返事をなさい」


 その反応の鈍さに、エリーエルの柳眉がピクピクと動く。

 それを見てセディルは目を閉じ、ハァと軽く溜め息を吐いてから口を開いた。


 「あのね、お嬢様。僕が大好きなのは、お胸の大きい綺麗なお姉さんなんです。具体的に言うと、僕が結婚したい人って、アンナさんなんですよ。だから、子供のお嬢様は、興味の対象外になるんです。ですから……、その報酬はちょっと……、ご遠慮します」


 セディルは、率直に自分の好みを説明した。

 結婚するなら、相手はアンナが良いのだと。


 「……なん、です、って??」


 彼が、何を言っているのか判らない。

 エリーエルは混乱した。

 動揺に目が泳ぎ、額に汗が滲む。

 彼女は、理解出来ていないのだ。

 自分との結婚が断られ、男の子に振られてしまった、という事実を。 


   


 


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