第二十七話 冒険の準備
「意外だったな。お前はクレイム伯爵から、随分信頼されていたようだ」
「はい、僕も意外でした」
クレイム伯爵から娘の護衛を頼まれた翌日、セディルとライガは不測の事態が発生した場合に備え、様々な用意を整える為に街へとやって来ていた。
二人が伯爵から依頼された仕事とは、皇位の継承の後に発生する可能性がある『騒動』に対応し、彼の愛娘にして皇子の婚約者と成ったエリーエルを護衛する、というものである。
正直、伯爵が明かしてくれない情報が多いので、どのような対応をすれば良いのか判断に困る、とセディルは思う。
それでも、これはセディルにとって『冒険者』としての初仕事であった。
レベル1の彼に秘事を託してくれた恩のある伯爵の為にも、彼は結構張り切っているのである。
それが例え、ライガのオマケだとしても。
「僕達がやるべきは、お嬢様の安全確保を第一優先とするって事ですよね、師匠?」
「そうなるな。伯爵は、屋敷への襲撃と彼女の拉致を心配していた。俺達は、万が一に備え、もしもの時には彼女を連れて屋敷を脱出し、何処かに身を隠さねばならん」
その時に備え、ライガは屋敷から秘密裏に脱出出来るルートを選定し、街の中に『隠れ家』を用意する事を考えていた。
用心を徹底するならば、そのルートと隠れ家の場所は、クレイム伯爵にも教えるべきではないだろう。
「逃げるだけなら、マスターレベルの『魔術師』がいれば簡単なのだがな……」
今の彼の手札には無いものの、魔術師系魔法の最高位第十レベル魔法には、空間を跳び越えて集団で瞬間移動する事を可能とする、【空間転移】の魔法が存在する。
一度術者が訪れた場所にしか行けないが、この魔法なら『結界』で護られていない場所以外、一瞬で移動出来る。
最長移動距離も、通常使用で百キロくらいはある為、街中はおろかサドラス湖の対岸まで楽に逃げられるだろう。
尤も、マスターレベルの魔術師となると、この国でも魔法学院の校長やそこに勤務する高導師達の事であり、おいそれと力を借りる訳にも行かない。
彼らがエリーエルを連れて逃げるなら、地道に足を使うしかないだろう。
「それじゃあ、どうしますか師匠?」
「取り敢えずは、隠れ家の手配だ。この街には、隙間が多いからな。それには事欠かん筈だ」
湖上の島に建設され、城壁に囲まれたこの古代都市は、かつては百万人の人口を誇っていた。
しかし現在の帝都の人口は十五万人程であり、城壁の内部には廃棄地区がいくつもある。
「隠れ家の当てに、心当たりはあるんですか?」
「下町の方に知り合いがいる。まあ、つまらないイザコザで殺されている可能性もあるから、生きていればだが……」
森の中の館に引き籠っていたライガが、『帝都ジーネロン』の街中を歩くのは十二年ぶりの事である。
それだけの年月が過ぎ去れば、街の中もそこに暮らす人々も入れ替わっている可能性は高い。
「そいつがいなければ、他を当たる。この街でも、裏側にはいくらでも斡旋者がいるからな」
街の裏側を支配するのは、当然裏社会の組織である。
大きな街なら『盗賊』達の相互扶助組織『盗賊ギルド』の存在が、ある意味有名であった。
本来、闇に生きる『忍者』として、ライガはかつてのパーティ内で、そうした組織との折衝や情報収集を担当していたのだ。
「僕にとっては、『裏社会見学』になりますね。頼りにしていますよ、師匠」
忍者に成り冒険者に成ったのだから、そうした方面への伝手や知識はセディルも得て置きたかった。
「……そんな事を知って、どうする気だ?」
「ただの興味本位です」
そう真顔でキッパリと答える弟子に対し、ライガは何も言わずに道行きを急ぐ事にした。
二人は帝都の中央近くにある貴族の邸宅が立ち並ぶ区画から、徐々に下町の方へと歩みを進めていた。
帝都の街中は全て石畳で舗装され、広い大通りには荷を運ぶ馬車もたくさん行き交っている。
道の左右には家々が立ち並び、様々な店や工房が栄え、この街が帝国の商業の中心地である事を明白にしていた。
「でも、意外と街の中が綺麗だな~」
セディルは歩きながら帝都の中を見回して、そんな感想を漏らす。
未発達の文明の街なら、道にゴミや排泄物が捨てられていたり、豚がその辺を徘徊していたりで、汚くて臭いのが当たり前かと思っていたのだが、そのような光景はまだ目にしていなかった。
「これくらい大きな街なら、どこにでも『汚物処理所』がある。住民が出した糞やゴミは、そこに持って行って、処理している」
勝手に捨てたら罰金だと、ライガが街中の衛生管理の仕組みを教えてくれた。
街の各地に設置された汚物処理所では、生ゴミや汚物を処理するのに品種改良された『スライム』を使っている。
『スライム』とは一種の魔法生物であり、不定形の粘液の塊のような生き物だ。
遺跡等で冒険者も出くわす魔物だが、その身体の粘液は石や金属以外の大抵の物を溶かしてしまい、それをスライムは食べてしまう。
その生態を利用し、攻撃性を低下させたスライムに街で出た汚物を喰わせ、分解させて綺麗にしているのだ。
スライムは分裂して増えるが、増えた分の弱いスライムは、職員や冒険者の手で退治される。
倒したスライムを乾燥させて砕いた物は、とても良い肥料となって、畑に撒かれると土を肥やしてくれる。
そんな無駄の無い処理技術の確立によって、この世界の街中は意外な程綺麗にされているのだった。
「それに、この帝都では古代の下水道がそのまま使われている。地下にある汚水処理の魔道具もまだ生きているらしいから、湖が汚染される事も無いそうだ」
汚水の処理も下水道と魔法技術で解決され、その下水道の掃除にもスライムが使われている。
「凄いなあ、古代の叡智と技術に感謝ですね」
綺麗な事は良い事だ。
転生者であるセディルは、心底そう思った。これで便利な一般魔法も無く、街も汚かったら、早々にこの世界にめげていたかも知れないからだ。
そうして話ながら二人がやって来たのは、今までの豊かで洗練された街の印象とは違い、古くて汚い家々がごみごみと立ち並ぶ下層民が暮らす下町であった。
ここまで来ると、さっきまでとは街の臭い自体が物理的に違っている。
道には石畳が敷かれているし、石造りの家も建っているのだが、主に目にするのは増築された不格好な造りの家々であった。
路地裏には痩せた野良犬がうろつき、みすぼらしい身形をした住人が疲れた顔で道端に座っていた。
その種族も様々であり、やはり人間が一番多いのだが、その次に多いのは身体に獣の特徴を現した『獣人』達であった。
「師匠、獣人の人達って、やっぱり差別されているの?」
「人間の街では、そうだな。あいつらを、人ではなく人語を話す獣と看做す輩は少なくない。特に、お偉いさん連中には多いな」
いつもの無表情で、ライガが獣人について話した。
獣人は、『獣神ウォーガン』の加護によって誕生した種族とされていた。
しかしその加護によって、人に獣の力が付与されたのか、それとも獣が人に変じたのか、それぞれの解釈によって、獣人の存在は神学の場で肯定されたり否定されたりして来たのである。
『エルフ』や『ドワーフ』は自らの王国を持ち、人間とも対等に接して暮らしている。だが国を持たず、人口も少ない獣人は、人間の町や村で暮らす事が多い。
そうした獣人達は、人間の王国では被差別民として扱われる場合が多く、街の下層民と共に様々な雑用で日銭を稼ぎながら細々と暮らしていた。
「だからだろうな、冒険者や傭兵、船乗りのような危険な職業にも、獣人は多い」
「身分に関係無く、実力で頑張れる職業ばかりですね」
そんな獣人族でも伸し上がる事が出来る職業の一つが、冒険者なのであった。
下層の庶民が多く暮らす下町でも、店は開かれている。
帝都の中央市場と比べれば規模は小さいものの、市場は開かれ、セディルとライガがやって来た場所でも多くの店や天幕、屋台等が並び、人々の声が賑やかに飛び交っていた。
そしてその中には、何を売り買いしているのか判らないような怪しい店もあり、路地裏の隅等で営業されているのであった。
「ここですか?」
「ここの筈だ」
二人が辿り着いた場所は、狭い路地裏を複雑に進んだ先にあった。
元々は結構立派な石造りの建物だったのだろうが、今は半分崩れたそれを有り合わせの材料で修理し増築した、いい加減な建物に変貌している。
「看板も出てないですよ?」
「商売が商売だからな、看板なんぞいらんのだ。知っている者だけが来れば良い。それが裏仕事の賢い営業のやり方だ」
ライガは得体の知れない店の扉を、堂々と正面から叩く。
「エイガン、居るか?」
ドンドンと、立て付けの悪そうな扉を頑丈な拳が揺らす。
彼がその気に成れば、建物ごと揺らせそうな勢いだった。
「うるせーでやんすねっ! 誰でやんすか、エイガンなんて奴は、知らないでやんすよっ!」
屋根から埃がパラパラと落ちて来そうになった頃、扉の向こうから人の声が聞こえた。
誰かは不明だが、ライガが呼び掛けた名前を否定し、扉を開けようともしない。
「エイガンでないなら、リューグでも、ケ・エルでも、ドルマンでも良いぞ。今のお前がどんな名前を名乗っているのか、俺は知らんのだからな」
扉を叩くのを止めたライガが、今度は幾つもの名前を相手にぶつけた。
すると、扉の向こうで何者かが息を飲む気配が伝わって来た。
「……それだけあっしの昔の名前を知っているのは、ライガのアニキだけの筈でやんすよ?」
「そのライガだ」
恐る恐るといった口調で訊ねる扉の向こうの相手に、ライガが低い声で自分の来訪を告げる。
「ほ、本当に、ライガのアニキなんでやんすか?」
「そうだ」
「いや、でも、まさか……」
「俺を忘れた訳じゃあるまいな? お前が『盗賊ギルド』の幹部の女に手を出して、切り落とされた玉と竿を野良犬に食われた時、治してやってくれと『あいつ』に頼んでやった事も忘れたか? あれは後悔したよ。そのままにして置けば世の女達の平穏を守れたのに、余計な事をしてしまったってな」
古い過去の出来事を扉越しにライガが語ると、ガチャガチャと錠を弄る音が聞こえ、次の瞬間、扉がバンッと開かれた。
そこに現れたのは、五十歳くらいの小柄な男だった。
浅黒い肌に、白い髪、手足にも白い獣毛が生え、人間と同じ位置に大き目の獣耳を付けた獣人の男である。
どことなく鼠っぽい特徴を持つ獣人であり、薄っぺらい人間性が浮き彫りになったようなチンピラ顔をしていた。
「ア、アニキ、本当にライガのアニキだっ!?」
獣人の男は、大きな目をさらに見開き、店の扉の前に立つライガの巨体を見上げた。
「十二年ぶりだな、エイガン。いや、今は何と呼べば良いんだ?」
「今のあっしの名は、ウッドチップでやんすよ、アニキっ!」
男は懐かしさと嬉しさに涙を浮かべて、今の自分の名を彼に教えた。
(この人、自分の名前の扱い軽そうだなぁ……。大丈夫なの、師匠?)
二人の遣り取りを聞き、セディルはそんな感想を持った。どうやら彼は、過去にいくつもの名前を使い分け、変幻自在に活動して来たらしい。
「さあさあ、アニキ! 中に入って下さいよ。話したい事が、いっぱいあるでやんすからねえ!」
獣人の男ウッドチップは、手招きしてライガを店の中へと招き入れた。ライガの背を追って、セディルも店内に足を踏み入れる。
「俺の方に話したい事は、別に無いな。だが、お前に頼みたい仕事はある」
扉を潜り、中に入ったライガはウッドチップにそう言った。
「へっへっへっ、流石アニキだ。このあっしなら、御用が務まると信じてくれるんでやんすね?」
仕事の依頼と聞き、男は小者っぽい愛想笑いを浮かべた。
セディルは、男の店の中を見回した。
店内は薄暗く、明かり取りの窓も碌に無い状態だった。それでも、中には客の相手をするカウンターと、その後に訳の判らない物がごちゃごちゃと置かれた棚が設置されている。
壁際にも腕の欠けた彫刻や、正気を無くした者が描いたような絵、用途の判らない道具などが無造作に置かれていた。
「ねえ、師匠。結局この店って、何の店なの?」
中を見ても、ここが何の店なのかいまいち見当が付かなかったので、セディルはライガにそれを訊いてみた。
「俺も知らん。十二年前は『何でも買取り屋』だった筈だが、今は何をしているんだ?」
男の店の今の商いが何なのかは、ライガも知らないらしい。
「へっへっへっ、今もここは何でも買取り屋でやんすよ。まあ、あっしもこの十二年間には、色んな仕事をしやしたし、住処も転々として来やしたが、三年前から、またこの場所で買取り屋を始めたんでやんすよ」
ウッドチップは、この十二年間の職歴を自慢げに語った。
どうやら彼は巡り巡った結果、ライガと別れた十二年前と同じ場所と同じ職に落ち着いたらしい。
「俺達は、運が良かったのか?」
過程はどうあれ、その結果、ライガはすんなりと昔の手下に再会する事が出来たのである。
「それで、師匠。この人は誰なの?」
「俺の昔の舎弟だ。これでも『下忍』だが、大して才能が無かったから、低レベル止まりで冒険者を引退したんだったな」
過去を振り返り、ライガは眉を顰める。
この男のドジの尻拭いをやってやった時の、懐かしくも不愉快な思い出が脳裏を過ぎ去ったらしい。
「へっへっへっ、アニキには、散々世話になったっすよ。アニキがいなけりゃあ、あっしは十回くらい死んでいたでやんす」
「五十回の間違いだ」
男の言葉を、ライガは即座に否定した。助けた回数は、その程度ではないと。
「ふーん、つまりこの人、師匠の手下だったんだね」
その関係性と上下の立場に納得し、セディルは年上の元冒険者を見やった。
「ところで、この変なガキは何ですかい、アニキ?」
ライガの後ろから当然のように店に入って来た、包帯を顔に巻き付けた少年。
男も不審に思ったようだ。
「俺の弟子だ」
「アニキの弟子っっっ!? 何でアニキが、弟子なんて取るんでやんすかっ!! あっしの事は、弟子にしてくれなかったっすよねっ!?」
男はあくまでライガの舎弟であって、弟子ではない。
自分が成れなかった彼の弟子に、あっさりと納まっている少年に、彼の疑念と嫉妬の視線が向けられる。
「お前には、才能が無かったからな」
「コイツには、あるんでやんすか?」
「お前の百万倍だな」
さらりと当然の事実を、ライガは舎弟に告げた。
男には下忍としての才も特に無く、ましてや忍者に成る才は皆無であった。
今こうして様々な職を転々としながらも小金を稼いで生きているのだから、そちらの細々とした才能こそが、彼が生かすべき本来の道だったのだろう。
しかし、その評価はセディルにとっては不本意なものであった。
「師匠、ゼロには、いくら掛けてもゼロなんですよ」
例え百万倍にしても、元がゼロなら、ゼロはゼロ。
自分の才能を褒め称えるには、不適切な表現だとセディルは真顔で師に抗議した。
「今、すっげー、失礼な事言われたっすよ、アニキ」
「コイツの言う事は、一々気にするな。それより、お前に頼みたい仕事の話をするぞ。勿論、報酬は用意してある」
ライガは二人の遣り取りを無視して、仕事の話を進める。
店のカウンターに、伯爵から資金提供された『百金貨袋』をどんっと置く。
それを見て、今はウッドチップと名乗る男の目が、キラリと金の色に光る。
「へっへっへっ、アニキの十二年ぶりの仕事とあっちゃあ、手を抜く訳には行かないっすよ。何がご入用でやんすか、アニキ?」
愛想良く揉み手しながら、長身のライガを見上げる。
「厄介事さ」
「厄介事でやんすか? まあ、いつものアニキの仕事でやんすよね」
男もそれは承知していた。
この兄貴分が持ち込む仕事が、ただの盗品の買取りや情報の売り買いだけの筈が無いと。
「アニキは伝説の『忍者』なんでやんすから、今回の仕事も、楽しい事に成るんでやんすよねぇ?」
軽薄で薄っぺらい、それでいて抜け目のない鼠のような男の目が、じっとライガを見つめる。
彼らの帝都での仕事を成功させるには、この男の協力が必要なのであった。




