第二十六話 戦いの理由
「お呼びでしょうか、お父様?」
夕食後、部屋着に着替え、自室で魔術書を読んでいたエリーエルは、屋敷の執事によって声を掛けられた。
父親であるクレイム伯爵から、彼女に書斎に来て欲しいとの呼び出しを承ったとの事だった。
何事かと思ったが、ふと脳裏に浮かんだのは今日屋敷で再会した、二人の平民の顔であった。
クレイム伯爵家の領地にある森の中の別荘に暮らしている、大男の管理人とその弟子を自称する顔に包帯を巻いたおかしな子供の事だ。
彼女と彼らとの付き合いは、それなりに長い。
管理人とは赤子の頃から面識があり、少年に出会ったのは七年前の事だった。
彼女から見れば二人共々、無礼な流れ者の平民に過ぎないのだが、何故かクレイム伯爵は彼らの事を気に入っていて、森の中の館の事を全部任せていた。
その二人が、今この屋敷にいる。彼女の父、クレイム伯爵が帝都まで呼んだからだ。
その理由は彼女もまだ聞いていないが、今こうして伯爵の書斎に呼ばれた理由と何か関係があるのではないかと、心中で思う。
そして、その予感は的中した。
書斎の扉をノックし、父親に入室の許可を得てから扉を開けると、明かりに照らされた室内に父親以外にも、二人分の人影があるのを見つけたのである。
「こんな時間に呼び出して、すまなかったねエリーエル」
「いいえ、構いませんわお父様。お父様の御用とあらば、いつなりとエリーエルをお呼び下さい」
部屋着に薄い肩掛けを纏ったエリーエルが、優雅な所作で父親に礼をする。そしてチラリと、部屋の壁際に立っている二人、ライガとセディルにクールな視線を送った。
「ああ、彼らには、ちょっと仕事を引き受けて貰ったのだよ。その事にも関連して、君に話して置く事があってね」
懸案が一つ片付いたからか、伯爵はゆったりとした口調で愛娘との会話に入った。
「仕事ですか? しかし、その管理人は兎も角、その平民の子は何かの役に立ちますのかしら?」
エリーエルも、ライガがそこそこ強い事は知っていた。七年前、魔道具を使ったとはいえ、『Lv10戦士』のフィギュアを倒すところを、目撃しているからだ。
しかし、セディルはまだ十二歳の子供で、職に就く為の修行中だった筈である。
「彼も職に就き、レベル1の『下忍』に成ったそうだよ」
「職に就いた? この平民が?」
伯爵の言葉を聞き、エリーエルの蒼い目が驚きに大きく見開かれる。そのままセディルの方を向くと、腰の後ろで手を組み、直立不動で立つ彼が無言でコクンと頷いた。
「なかなか、大した子じゃないか。この歳で職に就けるというのは、才能と努力が評価されるべきだよ。君と同じに、ね」
伯爵は笑顔で、セディルの偉業を評価する。
「お言葉ですが、お父様。たかが『下忍』と、わたくしが就いた『賢者』の職を一緒にされては困りますわ!」
キュッと背筋を伸ばし、つんと尊大に顎を反らすエリーエルは敢然と父親に反論した。
「わたくしは、五日後に十二歳に成ります。そして十日前に、賢者に成ったのですわ。下忍などという『劣化職』ではなく、『上級職』の賢者にです」
負けず嫌いの彼女は、自分の方が平民のセディルより上だと、キッパリと親に主張する。
エリーエルは帝都に来てからは魔法学院に通っており、そこで魔法やその他の学問を学んで来た。
『リュームスタット』で暮らしていた時にも、賢者の母親や魔術の導師達から勉強を教わっていたので、学院でも彼女が勉学に遅れを取る事はなかった。
寧ろ飛び級に飛び級を重ねて、通常十八歳で得る筈の卒業資格をあっさりと獲得し、十二歳に成る直前の今、彼女は賢者の職にさえ就いてしまったのである。
魔法学院でも、普通は十五歳くらいで『魔術師』の職に就ければ順当と言われている。
転職も経ずに、十一歳の間に賢者の成るというのは、学院の長い歴史の中でも異例中の異例と言うべき快挙なのであった。
「お父様にこれを直接見て頂けないのは、残念でなりませんわ」
エリーエルは第四レベルの一般魔法【大袋】を使い、見えない空間から『ステータスカード』を取り出し、皆の前で堂々と【ステータス】を確認する。
レベル:1
名前 :エリーエル・クレイム
HP :5/5 MP :22/12+10 状態 :正常
職業 :賢者 年齢 :11 性別 :女 種族 :天使 属性 :混沌
筋力 :9 敏捷 :11 魔力 :18
生命 :13 精神 :18 幸運 :13
スキル
【精神強化】【魔力強化】【古代魔術】【神聖魔術】【不死退散】
【MP増強】【物品鑑定】
魔法
一般系レベル:8 魔術師系レベル:1 僧侶系レベル:0
特殊装備品
『魔力の耳飾り』
カードに示される自分の【ステータス】を確認し、彼女は自尊心を満足させて口元を緩める。おそらく職に就いて以来、幾度となくカードに目を通してはそうしているのだろう。
彼女は、『魔力』と『精神』の能力値を『18』にまで高め、『賢者』の職に就いた。
まだ十一歳でこの数値を得たという事実は、彼女の天才性とそれを磨き上げた不断の努力の双方を指し示している。
『能力値』は、『18』を超えると、各種の能力に確かな『補正』が発生し始める。
『筋力』ならば攻撃力が上昇し、『魔力』ならば攻撃魔法の威力を高め、魔法の効果をより確実なものとする。『精神』ならば、魔法や特殊攻撃への耐性を高め、レベルアップ時のMP最大値の成長にボーナスを得られる。
そして賢者の最大の特徴である、『魔術師系』と『僧侶系』二系統の魔法の同時習得。
セディル同様、彼女も幼い頃の誓い通り、達成困難な職への就業を果たしたのであった。
「うむ、確かに君の成して見せた事は、凄い事だ。私も君の事は、改めて誇りに思うよ」
愛娘の成長を見る事は、伯爵にとって最高の喜びである。彼は大いに頷き、娘を褒めるのであった。
「コホンッ! それではお父様、ご用件は何なのでしょうか?」
若干はしゃいでしまったのを誤魔化し、薄桃色に染めた目元を伏せて、エリーエルは父親にここに呼ばれた用件を訊ねる。
「それは、だね……。直接君に話すのには勇気がいるのだが……、エリーエル、君の婚約者が決まったのだよ……」
無念ながらも、言わない訳には行かない。
そんなクレイム伯爵の表情から絞り出された言葉を、エリーエルは当然の事と冷静な態度で受け止めていた。
「そうですか。この日が来る事は判っておりましたわ。お父様がお決めになって下さった方なのでしたら、どなたでも問題ありませんわ」
あくまでも冷静に、そして超然としてエリーエルは、自分の婚約者決定の報を聞いた。それはまだ十二歳の少女とは思えない程、毅然とした態度である。
「ふうーっ、私の方は酒でも飲みたい気分なのだが、君は落ち着いているね」
「この身の『価値』が如何なるものかは、良く理解しておりますもの、お父様」
それはもう幼少時から、エリーエルの精神の根源に絡まってしまっている、茨の蔓であった。
天上人たる天使の魂をその身に宿し、クレイム伯爵家の令嬢に生まれついた彼女は、貴族社会に於ける『至宝』である。
天使の乙女との結婚は至上の名誉と考えられている為に、彼女には幼少の頃から、求婚者が絶えなかった。
その事を自覚していたエリーエルは、勉学に励み、自らの外面と内面を磨き上げた。
そして今、彼女は十二歳を目前にして賢者の職に就いた、天才児にして美少女天使という価値を自らに付与し、誰もが欲しがる掌中の珠と成ってここにあった。
「我が一族、我がクレイム伯爵家の為ならば、わたくしはどなたの下にでも嫁ぎますわ」
エリーエルは絶対の自信と誇りを胸に、挑戦的とも言える笑みを浮かべて父親を見つめた。
一族の為、家族の為ならば、身命を賭して婚姻に臨むという美しい愛娘の覚悟に、父親である伯爵の方は少し引き攣った笑みを浮かべてしまう。
「う、うむ、それでだね、相手方とは話が終わり内々には既に決定しているのだが、正式な発表は、五日後の君の『誕生会』で行おうと考えている」
「では、その誕生会に、わたくしの婚約者と成られる方も招待されているのですね?」
「そうだ。その方というのが……」
「仰らなくても結構ですわ、お父様。それは、当日の誕生日プレゼントの一つとして置きます。我がクレイム伯爵家の利に適うお相手と、お父様が判断されたお方なのですから、今わたくしが知る必要はありませんもの」
婚約者と成る相手が誰でも受け入れるので、名前すら知る必要は無し。
キッパリとそのように言えるのは、エリーエルの父親への強い信頼があればこそ。
(だけじゃない、よね。このお嬢様、結婚の事は完全に『打算』でしか見てない。家の為の成るのなら、本気で誰でも良いんだ……)
我が儘娘という一面を見せる一方で、自分の価値とそれに付随して得られる実家の利益というものに対する、エリーエルの腹の据わりようは相当なものだと、セディルも感心する。
(何が、この子をそうさせるのかな~?)
それがセディルには、不思議だった。
その時、エリーエルの耳元で燈火が何かを光らせた。
それは、七年前の幼子達がやらかした地下探索の後、ライガがさらに扉の奥で見つけて来た『耳飾り』であった。
亡くなられた奥方の鑑定の結果、それはミスリル銀と虹色の魔石で作られた『魔力の耳飾り』という魔道具である事が判明した。
その効果はなかなかに優秀で、この耳飾りを身に着けた者のMP最大値を10点上昇させる、というものであった。
結構珍しく、貴重な品だったのである。
エリーエルの下には昔から求婚者が殺到し、その殺到している求婚者達は、彼女の関心を惹こうと様々な贈り物をしている。
だが彼女は誰にも靡こうとはせず、その贈り物も拒否こそしないものの、特定の品を人前で使ったり身に着けたりはしないらしい。
そんなエリーエルが、唯一気に入り、愛用している物がその耳飾りなのである。
(誰のものにもならないから、誰のものにでもなる……って事かな? 要するに、恋しているような相手がいないんだね……)
それはそれで、幸なのか不幸なのか。
エリーエルの人生に責任を持つ立場に無いセディルには、答えを出せない問題だった。
「そうかね、それでは君の婚約者の名前は、誕生会当日まで伏せて置こう。少なくとも、君を不幸にするような人物ではない事を、私の命と名誉に懸けて誓って置くよ」
「はい、信じておりますわ、愛するお父様」
にっこりと天使の微笑みを浮かべ、娘は父への親愛を告げる。
「うおっほんっ! それでだね、エリーエル。帝国内はこれから少し、ゴタゴタする事態が続く事になる。だから誕生会からしばらくの間、君には専属の護衛を付けたいと思うんだ」
娘から愛していると言われ、普段厳格なクレイム伯爵も照れてしまったらしく、机に目を伏せるようにして話を切り出した。
「専属の護衛? 我が家の騎士達では、不足なのですか?」
「いや、そうではないが、今後護衛に求められる任務の幅が広がるかも知れないからね」
そう言葉を濁しつつ、伯爵は壁際に立つ二人に視線を向ける。その時には、既にいつもの凛々しい伯爵に戻っていた。
「改めて紹介する必要はないだろうが、あの別荘の管理人とその弟子のセディル君だ。二人共、下忍の職に就いているそうだから、イザという時には頼りになるだろう」
『騎士』は、重厚な甲冑と強力な武器を扱える防御力の高い戦士系の前衛職であり、『下忍』は探索や密偵などに活躍出来る盗賊系の後衛職である。
戦えない事もないが、その戦力としての評価は戦士系よりも劣っている。
それが頼りになるとはお父様は何をお考えなのかしら、とエリーエルは思ったが、家長の判断なので仕方なく受け入れる事にした。
「判りましたわ、お父様。取り敢えずイザという時の肉壁代わりに置いておきましょう。管理人は兎も角、その平民の子は、それくらいの役にしか立ちそうにありませんもの」
立場と身分の上下は弁えなさい、と言いたげに彼女はセディルを睨む。
実際のところ、レベル1のセディルでは護衛としては、甚だ頼りない事は事実である為、セディルも無言で一礼する。
「まあ、そう邪険にするものではないよ、エリーエル。護衛として管理人は頼りになる男だし、セディル君も気心は知れた相手だろうから何かと君の役に立ってくれる筈だ」
伯爵は椅子から立ち上がり、娘の側に近付いて来る。
「エリーエル、『誕生会』が終わって君の婚約者が正式に発表されれば、君の周りは色々と騒がしくなるだろう」
娘の前に来た伯爵が、少し沈痛な面持ちで彼女を見つめる。
「それは決して良い事ばかりではないだろうが、君は一人ではない。多くの人達が君の味方なのだという事は、判ってくれるね?」
「勿論ですわ、お父様」
父の問いに、娘は迷う事無く頷いた。
「わたくしも、間もなく十二歳に成ります。これからは、子供から大人に成って行きますわ。クレイム家の一人として、自らの責任を果たす意思はありますもの」
エリーエルは、今知る必要は無いと言ったが、自分の婚約者が誰に成るのかは、心中で予想しているのだろう。
もしもその予想する相手が婚約者ならば、彼女のこれからの運命は一変する事になる。
それを自覚し、覚悟を固めているのだ。
(成長したね、お嬢様。昔言った通り、立派な貴婦人を目指しているんだ)
父娘の会話を眺め、セディルはこの二年近い歳月の変化を感じ取っていた。
もう、彼にああだこうだと命令していた、幼いエリーエルは身を潜め、淑女を演じ始める年頃の少女の姿がそこにあった。
「そうか……。そうだね、婚約者が決まる以上、君ももう子供とは言えなくなる訳だ。立派になったね、エリーエル。死んだエミーシャにも、今の君を見せて上げたかったよ」
クレイム伯爵は感極まった様子で、娘の両肩に優しく手を置いた。
亡くなった奥方の忘れ形見の少女は、少し俯いてから顔を上げ、長身の父親の顔を決意を宿した蒼い双眸で見上げる。
「お父様、お母様はわたくしを産んだ為に、命を短くしたのではありませんか?」
それは、彼女がずっと心の奥で思い悩んでいた疑問だった。
彼女の母は二年近く前に、この世を去った。元々身体の弱い人であったが、それでもエリーエルという子を産み、彼女を育ててくれたのだ。
その結果、母は寿命を縮めてしまったのではないだろうか、エリーエルはその疑念を捨て切れていなかったのだ。
「いや、私は寧ろ逆だと思っている。君を産んだからこそ、彼女は寿命よりも長生き出来たのだよ」
しかし伯爵は、娘のそんな考えを柔らかな眼差しで否定する。
確かに、エミーシャ・クレイムは元々病弱な身であった。
医者からも、二十歳まで生きられれば御の字だろうと言われていた。
だがそんな彼女が、三十歳近くまで生きていられたのは、エリーエルの為に頑張ったからだろう、と伯爵は娘に話した。
「エミーシャは、君を産んで幸せだったんだよ。短い時間だったけれど、母に成れて、娘と一緒に時を過ごせたのだからね」
「……お母様は、幸せだったのですか?」
キュッとピンク色の唇を噛み締め、少し吊った勝気な蒼い瞳に滲む涙を堪えて、エリーエルは父親の顔を見つめる。
「勿論だとも。だから、私達は君にも、幸せになって欲しいんだ。君を愛してくれる立派な男性と家庭を築き、素敵な子の母に成ってね」
そして伯爵は、そっと娘を抱き締めた。
「だから、エリーエル。何があろうとも、君は死んではいけないよ。君が生きているという事は、私やエミーシャも生きているという事になるのだから。例え、肉体は滅びようとも、ね」
「……お父様?」
父親の胸に顔を押し付けられている為に、彼女には伯爵の顔が見えなかった。
彼の顔を見たのは、セディルとライガである。
今まで愛娘に見せていた優しい父親の表情とは一変し、伯爵の顔には強い覚悟と闘志が漲っていた。
彼が戦おうとしている相手が誰なのか、セディルは知らない。
しかし、これだけはハッキリと判った。
クレイム伯爵が戦おうとしている理由。
それは、エリーエルを護る為なのだ。




