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転生忍者少年はダンジョンに挑む  作者: 田舎暮らし
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第二十五話 予想される危機

 森の中の館の管理人ライガと、その弟子セディルが、雇い主のクレイム伯爵に呼ばれて帝国の首都ジーネロンの屋敷にやって来た日の夜。

 屋敷の書斎で伯爵と向かい合った二人の忍者、セディルとライガは、彼から仕事の話を持ちかけられたのであった。


 「俺の名を何処で知った、伯爵?」


 全身から猛獣のような威圧を放ちつつ、ライガは伯爵に問うた。

 ライガがクレイム伯爵に出会ったのは、十二年前。

 伯爵とエリーエルを妊娠中の奥方が危機に陥っていた時に、そこを通り掛かったライガが二人を助けた。

 その礼として、ライガは別荘の管理人という微温湯の職場を得て、伯爵との付き合いが始まった。


 その時、世捨て人に成る事を望んだライガは、自分の名前を伯爵にすら名乗らなかった。伯爵はそれを受け入れ、彼の名を聞かず、今日までずっと『管理人』という名でライガを呼んでいた。

 その伯爵が今日初めて、告げていない筈の彼の名を呼んだ。

 『ライガ』という、彼の本名をだ。


 「仕事柄、冒険者とは多少縁があってね。調べる気はなかったのだが、君の事は、結構知られた存在だったらしい。偶然、ある冒険者の話を耳にして、それが君に良く似ている事に気が付いたんだよ」


 ライガの威圧に怯える事もなく、寧ろそれを頼もしげに受け止めながら、伯爵は微笑んだ。


 「鎌を掛けられた訳か」


 それを聞き、ライガが威圧の構えを解く。

 伯爵自身、彼の正体に絶対の確証があった訳ではないのだろうが、確信に到る最後の証明が、今成されてしまったのだ。


 「【砕き壊す牙】、かつてその二つ名で呼ばれる『下忍』がいたらしい。身長二メートルもある大男で、若い頃から数十年に渡って修行を積んだベテラン冒険者。三十年程前までは、『牙』の二つ名を持つ六人パーティの一員で、パーティ解散後も、妻と二人で冒険者を続けていた凄腕。その男の名が、ライガ・ツキカゲだと、ね」


 淡々と語られる、ある冒険者のプロフィール。

 それはセディルが聞いても、当て嵌りそうな人物が、自分の師匠以外にいそうもない内容だった。


 「そんな男がいたのは、事実だ。だが、その男が生きていたのは十五年前までだ。もしもその男が今も何処かにいたとしても、それは魂を失った、ただの抜け殻に過ぎん」


 そう語るライガの顔には、表情が無かった。

 彼にとっては終わってしまった、人生の残滓でしかない話だったのだ。


 「それでも君がマスターレベル以上の実力を持つ『下忍』だという事は、見当を付けていたよ。何しろ、十二年前に出会った時と、全く見た目が変わっていないからね」


 レベル11を過ぎると老化速度の低下が発生する為に、この世界では実年齢と見た目が一致しない者が発生し得る。

 百五十年の寿命を持ち、百歳くらいまでは若い姿のまま生きるエルフなら兎も角、人間でありながら、十二年間も容姿が変わらなければ、高レベルに到った者だという事は、誰でも気付く事なのであった。


 「だから、君がそのライガ・ツキカゲという冒険者ではなかったとしても、私は一向に構わんよ。私は信頼する君に、頼みたい事があるのだから」


 名の知れた冒険者【砕き壊す牙】のライガと、ここにいる管理人のライガが同一人物であろうがなかろうが、伯爵にとってはどうでも良い事らしかった。

 重要なのは、ライガが信頼出来る相手である事、そして伯爵が求める実力と経験を持っている事だからだ。


 「……判った。抜け殻の男で良いなら、話を聞こう」


 腕を組んだ鋼鉄の彫像のように佇むライガは、表情を仮面のように固定して、伯爵の方を向く。

 互いを認め合う二人の男が、これから重要な話を行なおうとしていた。


 「ちょっと、すみません。確認したい事があるんですけど?」


 その緊迫した場面に、セディルがするっと割って入る。


 「……何だ?」


 片方の眉を吊り上げ、ライガが無礼な弟子を睨む。


 「師匠って、結婚していたんですか?」


 今、確かに伯爵は言った。


 【砕き壊す牙】という二つ名を持つ男ライガ・ツキカゲは、『妻』と二人で冒険者を続けていた、と。それは、ただちに確認しなければならない重大な情報であった。


 「今聞く事か、それが?」

 「重要な話ですよ、師匠。僕だって、聞いていませんでした」


 身長差がある為にライガを下から見上げ、セディルは真剣な眼差しを彼に向けた。孤高の虎みたいに見えるライガが、結婚していたという話にセディルは喰い付く。

 いったいどんな女性が、この男の妻になったのだろうか、と。


 「……妻は、十五年前に死んだ。それだけの事だ……」


 感情を持たない低い声で、ライガは弟子の疑問に答えた。


 セディルは、ライガに出会った頃聞いた話を思い出す。

 ライガには、かつてパーティを組んでいた五人の仲間がいた。そのパーティは、三十年前に解散し、彼らはそれぞれ別の道を歩む事になった。


 しかし解散後も冒険者を続けた者が、二人いたという。

 その一人が、ライガである。

 残る一人、その人物こそがライガの妻であり、彼と共に冒険者を続けたかつての仲間の一人だったのだ。


 そして十五年前、ライガは冒険者として生きる魂を失ったという。つまりは、妻の死が彼の心に決定的な亀裂を入れたのだろうと、セディルも理解した。


 「すみませんでした、お話の続きをどうぞ」


 不躾な質問にぺこりと謝罪し、セディルは一歩引いて大人達の会話を続けて貰う事にした。


 「そうか、君もか……」


 妻に先立たれ一人残された喪失感には、伯爵も共感した様子だった。


 「俺の場合は、伯爵閣下とは違いますよ。不幸な事故などではなく、俺がろくでなしだった結果、あいつを死なせてしまっただけです」


 伯爵の二人の妻は、事故と病で命を落とした。

 だが、ライガの妻が死んだのは、あくまで彼のせいであったらしい。


 「だから、君は冒険者を辞めて管理人になったのかね? 君は、かなりの高レベルに到った冒険者なのだろう?」

 「……俺のレベルは、22だ」


 あくまで無感情に、ライガは自分のレベルを伯爵に告げた。


 「あれ、師匠レベル21じゃなかったっけ?」


 七年前の修行開始時に聞いたライガのレベルは、確か21だった筈である。

 セディルはそれを思い出し、頭に疑問符を浮かべた。


 「この七年間、お前の修行に付き合っていて、レベルが一つ上がったんだ」


 そう少し忌々しげに言って、ライガは懐のポケットから『ステータスカード』を取り出した。


 「レベルアップしたのは、十五年ぶりだ」


 カードの魔石に指を当て、ライガは自分の【ステータス】を確認する。


レベル:22

名前 :ライガ・ツキカゲ

HP :261/231+30 MP :186/186 状態 :正常

職業 :忍者 年齢 :60 性別 :男 種族 :人間 属性 :混沌

筋力 :32 敏捷 :36 魔力 :32

生命 :34 精神 :33 幸運 :35

スキル

 【生命強化】【忍装備可】【秘伝忍術】【盗賊能力】【回避能力】

 【攻撃強化】【奇襲攻撃】【即死攻撃】【二刀流可】【二回行動】

魔法

 一般系レベル:10 忍者系レベル:10

特殊装備品

 『混沌の魔除け』『忍者の指輪』『生命の腕輪』『収納鞄+4』


 そこには、ハイマスターに到った者の【ステータス】が確かに浮かび上がっていた。


 【ステータス】の項目にある『特殊装備品』は、その者が装備してその効果を受けている『魔法の道具』が示されている。

 魔力を付与されて強化された『武器』や『防具』、それに特殊効果を持つ『装飾品』は、一人につき最大『十個』まで装備し、その効果を受ける事が出来る。

 それ以上の品を装備しても、特殊効果を受ける事は出来ないので無意味である。


 しかし『収納鞄』のように、その者個人と契約を結び、一人につき一つしか扱う事の出来ない道具であれば、例外として処理される。

 そうした装備は、契約した本人にしか使う事が出来ない反面、『十個』の装備品の中には含まれない。

 今、ライガが装備している『収納鞄+4』以外の物は、全て『装飾品』であった。


 『混沌の魔除け』は、混沌属性の者しか装備出来ない魔除けの首飾りであり、敵から受ける『特殊攻撃』への抵抗力を高め、魔法やブレス攻撃で受けるダメージを軽減し、身に着けているだけで傷やHPの回復効果を受ける事が出来るという、貴重品だった。


 『忍者の指輪』は忍者の専用装具で、即死攻撃の発動確率と忍法の威力を上昇させる効果を持っている。


 『生命の腕輪』は、装備者の生命力を活性化させ、そのHPの上限を『30点』上昇させる効果を持つ。


 いずれも貴重な魔道具であり、ライガが師から譲り受けたり、困難な遺跡に挑戦して手に入れた物だった。

 他にも、彼は装備品を一般魔法の【大袋】の中に入れているが、それらは戦闘用の武装なので、今は身に着けていない。


 「レベル22、か……。マスターレベル以上だとは思っていたが、まさかハイマスターの『下忍』とは、な……」


 ライガの真のレベルを知り、流石に伯爵も驚きを隠そうとはしなかった。


 『マスターレベル』、即ちレベル15に到った者ならば、大国と呼ばれる国々で捜せば、二十人前後は見つかるだろう。

 騎士団の英雄や、魔法学院の校長、寺院の大司教、様々な物作りギルドの長など、『達人』として有名になっている者達だ。


 しかしレベル20を超える、『ハイマスター』ともなると、滅多に見られる存在ではない。


 (でも、師匠がマスターレベル以上の冒険者だとは知っていた伯爵でも、師匠は盗賊系の『下忍』だと思っている。師匠と僕が、戦士系の失われた職『忍者』である事は、やっぱり知らないんだ……)


 それだけは、恩のあるクレイム伯爵にも秘密にしている事だった。


 「ならば、やはりこの一件、頼めるのは君だけだな。その力を、どうか私に貸してくれないだろうか?」


 伯爵が今必要としている、信頼と実力。

 それらを兼ね備えたライガに、伯爵は命令ではなく、依頼でもなく、助力を願った。


 「君達も、この国で今起こっている出来事については、聞いているだろう? 街中でもかなり噂されている話のようだからね」


 伯爵の言う噂。

 それは確かに、セディルとライガも耳にしている。


 「体調を崩した皇帝が退位して、皇太子に皇帝の座を譲るという噂話なら、聞いたな」

 「そうだ。そのような噂話が、今では帝都ジーネロンだけでなく、あちらこちらの街で広まっている」


 そう話して頷くと、伯爵は二人に向けて淡々と核心を口にした。


 「その噂は、本当だ。体調を崩されたミルファウス陛下は、皇太子殿下への譲位を決意された。近い内に、その事実は正式に発表されるだろう」


 帝国政府の一員でもあるクレイム伯爵の口から出た言葉は、街の噂話のレベルとは比較にならない信憑性を持っている。

 噂の内容は、紛れも無く事実だったのである。


 「あの、伯爵様……。師匠は兎も角、そんな話を僕が聞いてしまっても、良いんでしょうか?」


 この話は、明らかに帝国の機密に属する事柄の筈だった。

 一介の流れ者の子供で、ライガのオマケでしかないセディルが聞いても良い話なのか、判断に困る。


 「構わんよ、彼同様、君にも手伝って欲しい事があるからね。レベル1とはいえ、職に就いたのなら、やれる事はあるよ」


 皇帝の退位と、新皇帝の誕生が決定すれば一気に国中が動き出すので、正式発表までは口外しないで貰いたいと、伯爵に口止めされる。

 おそらく、噂話を放置している事から考えても、帝国としてはもうそこまでの機密ではないのだろう。伯爵があっさりと口にした事から、セディルはそう察した。


 「判りました。誰にも話しません」

 「信じよう」


 セディルの誓いに満足げに頷き、伯爵は話を続ける。


 「さて、ここからが重要なのだが、街の噂話にはその続きがあるのを聞いたかな?」

 「ああ、皇太子が皇帝に即位すれば、その息子の皇子が新たな皇太子になる。現在唯一人の皇帝の孫、十一歳のアレイファス皇子の婚約者候補についての噂を聞いた」


 ライガとセディルの視線が、伯爵に集中する。

 その皇子の婚約者候補として聞いた名前こそ、この屋敷の御令嬢の名だったのである。


 「そう、現在のところ、我が娘エリーエルの下には求婚者が殺到している。本当に、国中の貴族は勿論の事、国外からも引く手数多なのだよ……」


 それは本来、貴族家の当主としては喜ぶべき事態の筈だった。

 貴族社会における婚姻は、相手の貴族と血縁関係を結び、その勢力の拡大を図る手段の一つと捉えられているからだ。

 この場合、多くは本人の意志とは無関係に、婚姻相手は当主の意向によって決定される。

 特に貴族令嬢ならば家父長権から言っても、父親には逆らえず、親の決めた相手と結婚するのが一般的だった。


 「それで、お嬢様はなんと?」

 「あの子は、私が選んだ相手なら誰でも夫にすると、言い張っているよ。我が家の為に、自分を一番高く評価している所に売り込んで欲しいと、私に言うのだ……」


 貴族として見れば、それは親に忠実な良い娘の発言だった。

 しかしクレイム伯爵は、そんな娘の覚悟に困惑しているらしい。


 「私にも、伯爵家当主としての立場はある。だが、私はあの子を出世や家の勢力拡大の為の駒には、使いたくないのだ。娘が嫌がるような相手に嫁がせる気は、無いのだよ……」


 そんな事の為に娘を売るような真似はしたくない、と語るのは伯爵の本音だろうと、セディルも思う。

 そこら辺は昔から変わらない、親馬鹿伯爵であった。


 「しかし、そうも言っていられない情勢になって来た。エリーエルへの多くの求婚者達、その中の一人がアレイファス皇子殿下なのだ……。殿下は、我が娘を妻に迎えたいとお望みであり、さらにこの話は、父親である皇太子殿下も、そして祖父である皇帝陛下も望んでおられる事なのだよ」


 それら多数の求婚者の中でも、最上級と言える相手。

 それが、ジーネボリス帝国の若い皇子アレイファスであった。


 「皇子殿下の事は、私も良く知っている。大変利発で心優しい少年だよ。エリーエルとは歳も近く、幼い頃から何度も会っていてお互い気心も知れているだろう。だから、殿下ならば彼女を不幸にはしないと思える。私は……、エリーエルの婚約者をアレイファス皇子と決めた」


 そう口にした時、伯爵の心には様々な葛藤が溢れたようで、僅かにその身を震わせた。


 「大したものだ。あのお嬢様が、いずれは皇太子妃、その先には皇妃となり、いつかは皇帝の母になるかも知れないという訳だ」


 伯爵の決断を聞き、ライガは大きく腕を広げて栄光に満ちたエリーエルの未来を感心した調子で語った。


 「凄いな、明日会ったら、土下座しなくちゃ」


 ライガの言った彼女の未来は、現実になるだろうと、セディルも思う。

 もう、安易に悪戯したり反撃して良い相手ではないのだ。


 「それの何が問題だと?」


 そう、これはクレイム伯爵家にとっても、エリーエル個人にとっても、最大級の栄誉の筈だった。

 しかし当の伯爵は、この事を手放しで喜んではいないように見える。

 彼は疲れた様子で書斎の椅子に座ると、背凭れに体重を掛けた。


 「この話は、既に皇帝陛下と皇太子殿下には伝えてある。お二方の了承も得ているよ。エリーエルとアレイファス皇子には、近々開く予定のあの子の十二歳の『誕生会』で、正式に伝えようと思う」


 皇帝と皇太子の了承を得た事で、エリーエルとアレイファス皇子の婚約は、内々には正式に決定したと言えるだろう。


 「皇帝陛下が退位し、皇太子殿下が新皇帝に即位するのと同時に、私は新皇帝陛下の相談役になる。そして現在の宰相閣下から仕事の引き継ぎを受け、数年後には、その役目をも引き継ぐ手筈になっている」


 娘と皇子との婚約は、クレイム伯爵自身の大出世にも繋がったらしい。

 彼は、未来の帝国宰相に選ばれたのだ。

 無論、婚姻関係だけではなく、伯爵個人の能力も出世に影響しているのだろうが、それを加味したとしても、ジーネボリス帝国の未来は彼の双肩に掛かっているのであった。


 「何か、不満でも?」

 「不満など、ある筈が無いだろう。寧ろ、大役を仰せ付かり身が引き締まる思いだよ」


 その大役を、伯爵は引き受ける覚悟でいるらしい。

 それだけの度量と能力を、彼は備えているのだ。


 「そう、不満ではないのだ。ただね、そこへ辿り着く為には、片付けなければならない『問題』が一つあるのだ」


 その問題こそ、この場にライガとセディルが呼ばれた真の理由。


 「今、私の前には、対峙せねばならない『敵』がいる」


 目を見開き、顔を上げて天井を見つめるクレイム伯爵。

 その目には、ある種の怒りが滲んでいた。


 「敵か……。その敵に死んで欲しいと?」


 ライガが、静かな口調で伯爵にそう訊ねる。


 下忍を含めて、『忍び』と呼ばれる者達は、戦闘、諜報、探索だけでなく『暗殺』にも長けている。特に忍者ともなれば、『暗殺者』の代名詞として伝説にまで語られている存在であった。

 伯爵が政敵の抹殺を望んで依頼するならば、ライガ程の適任者はいない。

 彼ならば、何処の誰であろうと、その首を斬り落として持ち帰って来るだろう。


 「いや違うよ。私が君達に頼みたいのは、そんな物騒な事じゃない」


 しかし伯爵は苦笑いを浮かべて、それを否定した。


 「私が頼みたいのは、エリーエルの身の安全なのだ」

 「お嬢様の安全? しかし彼女には、もう護衛が就いている筈だが?」


 伯爵がライガとセディルに望んだのは、政敵の抹殺ではなく、エリーエルの護りだったらしい。

 だが彼女には、既にクレイム伯爵家に仕える『騎士』達が護衛に就いている。

 ライガが見たところ、レベル5~7の腕利きの『騎士』が屋敷に詰めており、エリーエルが外出する時にも彼らが護衛に就く手筈になっているようだった。


 「その通りだよ。我が家に仕える勇猛な騎士達がエリーエルを護ってくれている。生半可な戦力では、彼らがこの屋敷で護る彼女には手出しは出来ないだろう……、しかし……」


 そこまで語り、クレイム伯爵は言葉を濁らせた。

 ここから先の話は、慎重に吟味する必要があったからだ。相手が信頼出来るライガといえども、全てを語る訳には行かないのだった。


 「今回の陛下の退位と、新皇帝の即位。それに関わって、少し『騒動』が起こる可能性があるのだ」

 「騒動?」

 「ああ、尤も順調に行けば、余り大事には成らずに終わる、ちょっとした『騒動』なのだがね」


 ジーネボリス帝国の権力移行の際に起こるかも知れない、何らかの騒動。


 (その内容については、僕達には言えない訳ですね、伯爵様)


 それは間違いなく、伯爵が言った『敵』に関わる騒動なのだろうと、セディルは推測する。


 「しかし、その騒動の結果次第では、万が一の事態が起こるかも知れない。私は、それを心配して君達を呼んだのだ」

 「万が一の事態とは?」


 いよいよ事の核心に話が近付き、ライガの鋭い目が剣呑さを増して行く。


 「本当に、それは万に一つの可能性なのだが……、この屋敷を襲撃してでも……、エリーエルの身柄を確保しようとする者が現れる、かも知れないのだ……」


 ついにその懸念を口にした伯爵は、重厚な机に肘を付き、落ち着きのない様子で顎を撫でた。

 その眉間には深く皺が刻まれ、苦悩する様子が見て取れる。


 「この屋敷への襲撃? この貴族の屋敷が立ち並ぶ区域に、それもクレイム伯爵家に誰かが攻撃を仕掛け、皇子の婚約者に決まったお嬢様を拉致しようとすると?」


 それは、誰も予想し得ないであろう事態であった。


 例え、伯爵を追い落とそうと企む政敵がいたとしても、エリーエルが皇子の婚約者に決まり、それを皇帝や皇太子が了解した今、彼女に危害を加えるような事をすれば、それは帝国自体への反逆とさえ捉えられかねない。


 (どう考えても、貴族にとっては自殺行為だよね? 伯爵様の敵って、他の貴族じゃないのかな?)


 いったいどんな者達が、クレイム伯爵と敵対しているのか。

 伯爵が今の時点で彼らに明かせる情報が少ない為に、セディルにも見当が付かない。


 「これは、あくまで可能性の話ではある。しかしその場合、騎士達だけでは対処出来ない状況に陥る場合もあり得るだろう。その時に備えて、君達にはエリーエル『個人』を護って欲しいのだ」


 騎士達では対処出来ないかも知れない、謎の襲撃者。

 その者達への対抗手段として、元冒険者のライガに白羽の矢が立てられたらしい。


 「そいつらが、お嬢様を狙う目的は?」

 「……私への牽制、いや、口封じの取引の為、か……」


 ライガの疑問に、伯爵は正確に答えられない。おそらく、彼自身敵の思惑を承知し切れていないのだ。


 「いったい、敵とは何なのだ?」

 「……それは、今この場で話す訳には行かないのだ。無茶な話をしているのは判っているが、理解して欲しい」


 娘の護衛を頼みたい相手に全てを明かせぬ事を、伯爵も心苦しく思っているらしい。

 しかしそれでも、政治家としては国の大事を軽々しく部外者に話す訳には行かない。

 伯爵が彼らに話せるのは、あくまで身内に関する事柄だけなのだ。


 「そうだな、それでも……例え話として聞いて欲しい。私の想定では敵はレベル10くらいなので、問題無く対処出来ると思う。仮にこの想定が間違っていて、実は相手のレベルが15だったとしても、それでも十分対処は出来るのだ」


 言葉を濁し、例え話と言い換えながら、伯爵は敵について語る。

 伯爵の想定では敵は厄介な相手ではあっても、自分達の側の勢力で対処出来ないような相手ではないらしい。


 「さっき言った万が一の可能性、つまり襲撃者が現れてエリーエルを浚おうとする、という場合は、敵のレベルが想定を超えるレベル20だった時になる。その場合には、彼女にまで危険が及んでしまうかも知れないのだ」


 敵の真の正体と実力について、伯爵は懐疑を抱いているようだが、それでもどんな突発的な事態が発生したとしても対処出来る自信はある様子だった。


 「つまり俺の出番は、そのレベル20の敵が現れてしまった時、お嬢様を無理矢理拉致するのを阻止する事だと?」

 「そうだ。例え、敵がレベル20でも、あの子さえ無事ならば、何とでも出来るのだ。あの子さえ、無事なら……」


 今、伯爵の宝にして急所と成り得る者、それがエリーエルなのであった。


 (それを知っている相手で、貴族邸への襲撃も辞さない敵か~、益々判らないなぁ……)


 敵への対処にはかなりの自信を持っている伯爵でも、愛娘の安全を守り切れなければ、危険と判断している『敵』。

 彼は娘を護る究極の一手として、ライガを呼び寄せたのだ。


 (やっぱり、僕はオマケだね)


 そんな事態に、レベル1の自分に何が出来るのだろうかと、セディルは僅かに自嘲する。

 相手が下等な亜人種や、そこらの変異した『大鼠』や『スライム』程度だったら今の彼でも十分戦う事は出来る筈だが、本格的にレベルを上げて鍛えられた『刺客』が来たならば、足手纏いになるしかないという自覚がある為だ。


 (早く冒険して、レベル上げがしたいよ)


 強くならなければ、セディルが望むような世界を巡る冒険には挑めないのである。


 「どうだろうか、ライガ君。娘を護っては貰えないだろうか?」


 伯爵の真剣な眼差しと、ライガの鋭い眼光が交差する。

 元冒険者の男は、一度ゆっくり目を閉じた。そして十数秒後にその目を再び開くと、その口元に笑みを浮かべた。


 「伯爵閣下が、国の為に力を貸してくれと言うなら、断るつもりだった。だが、恩のある男に娘を護ってくれと頼まれたなら、その義理は果たすさ」


 ライガは、既に冒険者を引退した身である。

 自分自身に課した掟にのみ従う彼としては、冒険者として仕事の依頼を引き受ける気は最早無い。

 その彼を動かしたのは、依頼でも命令でも無い、一人の父親からの頼みであった。


 「そうか、引き受けてくれるか。感謝するよ、ライガ君。ああ、勿論報酬は用意しよう」

 「いや、報酬はいらない。これはあくまで、『義理』を果たすだけだ。十二年前、飲んだくれていたろくでなしの酔っ払いを拾ってくれた、男への恩。それを返す為、オーネイル殿の愛娘の身の安全を保障しよう」


 娘の護衛を引き受けて貰えてホッとして破顔する伯爵に、ライガは己の立ち位置を明確に告げる。

 これは『仕事』ではなく、『義理』だと。


 「ああ、それで構わんよ。君の義理は、仕事と同じくらい信用出来そうだ」


 ライガの答えに満足し、ゆっくりと頷いた伯爵は、机の引き出しから何かを取り出す。


 「ではこれは報酬ではなく、当座の活動資金として受け取ってくれたまえ。もしも屋敷への襲撃が発生し、ここで護り切るのが困難だと君が判断した時には、エリーエルを連れて屋敷を脱出し、事が済むまで一時的に身を隠して貰いたい」


 クレイム伯爵が机の上に置いたのは、重そうな革袋だった。判り易いように、袋には指定の共通印が押されている。

 それは『金貨百枚』、2000シリスが入っている事を刻した『百金貨袋』である。纏った金額として通貨を遣り取りする時に使われる、硬貨袋だった。


 「事が起こる可能性のある時までは、まだ少し時間がある。この金で、準備を整えて置いて欲しい」

 「そうだな、本当にそんな事が起こるなら、脱出経路の確認、隠れ家の手配、装備品の用意、やる事はいくらでもある」


 義理とはいえ、仕事を引き受けたライガの雰囲気は徐々に現役の頃に戻りつつあった。暇潰しにセディルを鍛えていた事も、意図せずして現役復帰のリハビリとして役立っていたらしい。


 そしてライガとの遣り取りを終えた伯爵が、信頼の籠った目でセディルの方を見る。


 「セディル君にも、彼の補助を頼みたい。あの子への難しい対応もあるだろうけれど、同じ歳で職に就いた君なら大丈夫だろう。それに職に就いた以上、君はライガ君とは違って現役の冒険者に成った訳だから、果たす仕事に対しては報酬を支払おう」


 伯爵がセディルに求めているのは、エリーエルの直接の護衛と世話であった。ライガが敵の脅威を取り除く間、セディルが彼女を護るのだ。


 「いえ、その、師匠が義理で受けると言う以上、僕だけ報酬を貰う訳には行きません。伯爵様に受けた恩義は、変わりませんか……」

 「お前は、貰って置け」


 ライガが無報酬でエリーエルを護るのなら、自分も義理で仕事を請け負おうと言おうとしたセディルを、ライガが制する。


 「お前の義理など、まだ信用出来ん。俺を手伝うならば冒険者として仕事を請け、報酬を受け取れ。金を受け取った以上は、責任を果たす義務が生まれる。冒険者に成ると言うなら、けじめを付けろ」


 厳しい言葉と鋭い視線で、ライガが弟子に覚悟を求める。

 これはセディルにとって、冒険者としての初仕事になる。

 いい加減な覚悟など、不要なのだ。

 

 師からの指摘に、セディルは身を引き締める。彼は職に就いた。それも『忍者』という失われた強力な職に。レベル1とはいえ、セディルは既に現役の冒険者なのである。


 「判りました師匠。申し訳ありません、伯爵様。このお仕事、改めてお引き受けします。報酬も頂きます。責任から逃げない為に報酬を受け取り、契約を果たします。今の僕の力の全てを、お嬢様の身を護る為に使います」


 セディルはクレイム伯爵に一礼し、宣誓の言葉を述べた。


 「ありがとう、セディル君。娘を頼んだよ」


 伯爵は満足げに頷き、セディルに仕事の『前金』として金貨十枚、200シリスを渡してくれた。レベル1の冒険者に対する報酬の前金としては、これも破格の金額だった。


 「まあ、こんな用心は取り越し苦労に終わって、君達に余計な手間を掛けさせたと、後で謝りたいものだよ」


 口で言うほど、伯爵は発生するであろう『騒動』については心配していない様子だった。

 さらに予想される『最悪』に対しても、今二人の忍者に娘の安全を託し、クレイム伯爵は肩の重荷を一つ減らしたのであった。 

 


    

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