第一話 夢を見るには金がいる
本作は、私の長編処女作である『夢と少女と旅日記』をChatGPTに読み込ませ、リメイクさせたものとなります。作中の文章には一切、人間の手は加わっていません。
文節ごとに区切る妙な地の文、意味不明な会話、設定や時系列の矛盾など、これはこれで問題がありますが、10年以上前に書いた私の稚拙な文章や構成よりはマシになっている部分もあると判断したため、試しに公開してみます。
もしお時間がありましたら、お付き合いいただければ幸いです。
L.E.1012年、5月1日。
道端に三十万Gが落ちていた。
少なくとも、私にはそう見えた。
「パトちゃん、止まって」
手綱を引く。
白い毛並みのユニコーン――パトリシアは、どうせまた何か拾うつもりだろうと言いたげに鼻を鳴らした。
失敬な。
旅商人たるもの、道端に転がる商機を見逃してはいけない。
私は鞍から飛び降り、草むらの中で光っていたものを拾い上げた。
指輪だった。
銀色の台座に、かなり大粒の緑色の宝石がはまっている。
「……本物なら三十万。細工込みなら四十。貴族相手なら五十まで吹っかけられるかな」
宝石を日の光に透かす。
傷もない。
少なくとも、そこらの露店で売られている安物ではなさそうだった。
誰かが落としたもの?
もちろん、その可能性は高い。
だから何だというのでしょう。
落とし物を拾ったら自警団へ届けましょう、なんていうのは、拾った物に価値がないときだけ守ればいい法律です。
私は指輪を右手の薬指にはめてみた。
サイズまでぴったりだった。
「似合う」
思わず笑みがこぼれる。
売るのは惜しいかもしれない。
まあ、一晩くらい楽しんでからでも――。
「あのー、すみませーん!」
声がした。
私は周囲を見回した。
誰もいない。
「あ・の・う!」
「うわっ」
目の前に、手のひらほどの女の子が浮かんでいた。
緑色の髪。
背中には半透明の羽。
妖精だ。
「驚かせてしまってすみません」
「いえいえ」
私は右手を背中へ回した。
「お気になさらず」
妖精はぺこりと頭を下げる。
「実は、この辺りで指輪を落としてしまったんです。緑色の宝石がついた指輪なんですけど……見ませんでした?」
「見てませんね」
我ながら即答だった。
「そうですか……」
妖精の肩が落ちた。
胸が少し痛んだ。
私は善人ではない。
昔からそういうことにしている。
そもそも善人なんて商売には向かない。安く仕入れて高く売る。相手が知らない価値を自分だけ知っていれば、それも利益に変える。
それが商人です。
人を騙したら駄目?
程度問題でしょう。
「ありがとうございました……」
「いえいえ。それじゃあ私はこれで」
パトリシアへ跨がる。
妖精に背中を向けた。
「どうしよう……。女神様に絶対怒られる……。もう天界に帰れないかも……」
聞こえない。
何も聞こえません。
「お金さえあれば……」
そこまで呟いて、やめた。
十年前の話を、こんなところで思い出す必要はない。
「行こ、パトちゃん」
手綱を振った。
パトリシアが一歩進む。
「待ってください!」
「うわっ!?」
妖精がまた顔の前へ飛び出してきた。
危うく落馬するところだった。
「危ないでしょ!」
「す、すみません! でも、一つだけ」
今度の妖精は泣いていなかった。
私をじっと見ている。
「……あなた、どうしてこんな何もない場所で馬から降りていたんです?」
「休憩です」
「片手をずっと背中に隠しているのは?」
「肩が痒いんです」
「右手ですよね?」
「……」
「見せてください」
「……」
私はため息をついた。
「妖精って、意外と頭いいんですね」
「馬鹿にしてます!?」
仕方なく右手を出す。
妖精は緑色の宝石を見るなり、目を吊り上げた。
「ああーっ! それです! 私の指輪!!」
「落とす方が悪いんですよ」
「盗人猛々しい!!」
「拾っただけです」
「見てないって嘘吐いたでしょう!?」
それはそう。
「はいはい、返しますよ」
惜しい。
非常に惜しい。
しかし、いくら私でも目の前で泣かれてまで持ち逃げするほど落ちぶれてはいない。
指輪へ指を掛ける。
引っ張った。
「……ん?」
もう一度。
「……んん?」
「早くしてください」
「ちょっと待って」
両手を使う。
抜けない。
「……これ、抜けないんですけど」
「は?」
「いや本当に」
「そんなわけないじゃないですか!」
妖精も指輪へしがみついた。
二人で引っ張る。
「痛い痛い痛い! 指ごと持っていく気ですか!?」
「だったら指を切ります!?」
「もっと嫌です!」
しばらく格闘して、私たちは同時に手を離した。
指輪は微動だにしていなかった。
「……最悪」
妖精が呟いた。
「それ、こっちの台詞です」
「あなたが勝手にはめたんでしょう!?」
反論できない。
私は再び指輪を見る。
綺麗な緑色の石。
三十万G。
先ほどまであれほど魅力的に見えたのに、今は急に呪いの装備に見えてきた。
「その指輪、ウェイクリングっていうんです」
「へえ」
「もうちょっと興味持ってください!」
「今一番興味があるのは外し方です」
「……それ、多分もう外れません」
「は?」
私は妖精を見た。
妖精は目を逸らした。
「多分?」
「女神様が作ったものなので、正式な装着者を認識すると固定される仕組みが……」
「多分?」
「……あります」
私は笑顔になった。
「指輪ごとあなたを売ったら、いくらになりますかね」
「怖いこと言わないでください!」
妖精は慌てて両手を振った。
「ちゃんと説明しますから!」
◇
「エターナルドリーマー?」
「聞いたことありません?」
「ニュースでなら」
ここ数週間、眠ったまま目を覚まさなくなる人間が各地で現れている。
原因不明。
感染症ではないか、未知の魔法ではないか、あるいは集団催眠ではないか。
商売の雑談用に、その程度は知っていた。
「病気じゃありません」
妖精――エメラルドと名乗った――は、私の目の前を飛びながら言った。
「夢魔の仕業です」
「悪魔ですか」
「はい。心の弱った人間の夢に入り込み、その人が望む世界を見せて、そこへ閉じ込める。そして少しずつ精神を食べるんです」
「趣味が悪い」
「でしょう!?」
「でも、幸せな夢を見せてくれるんでしょう?」
「……え?」
エメラルドの羽が止まりかけた。
「いえ。悪魔を擁護する気はありませんよ。ただ、本人がずっと夢を見ていたいと思っているなら、それを起こすのが正しいのかなと思っただけです」
「何言ってるんですか。現実へ戻さなきゃ駄目に決まってます!」
「そういうものですかね」
「そういうものです!」
まあ、今はどうでもいい。
「それで、この指輪は?」
「夢の世界へ入るための道具です。女神ダイアモンド様が作ったもので、私たち妖精が地上へ持ってきました。装着者は夢の中でも現実の自分を保ったまま活動できます」
「なるほど」
嫌な予感がする。
「それから夢の中では、《夢幻創造》という力も使えます」
「むげんそうぞう?」
「強く想像した物を作り出す力です。武器でも道具でも。夢魔と戦うための――」
「金塊も?」
「……は?」
「金塊も出せます?」
「出せると思いますけど、夢ですよ? 持ち帰れませんよ?」
「役に立たない魔法ですね」
「戦うための力です!」
だって戦いたくないですし。
ともかく。
ウェイクリングを拾った。
はめた。
外れなくなった。
以上の経緯をもって、私は世界を救う戦いへ参加する羽目になったらしい。
世界というのは、もう少し人材を選ぶべきだと思う。
◇
その日の夜。
私は予定通り、近くの町の宿屋へ入った。
「一名で予約していたネル・パースです」
「あ……はい」
受付の女の子は、ぼんやりした顔で私を見た。
「一名様ですね。ご予約は……」
「してます。今言いました」
「あっ。す、すみません!」
彼女は慌てて頭を下げた。
疲れているのだろうか。
私は腰の四次元袋をちらりと見る。
中にはエメラルドを押し込んである。
だって妖精一匹分の追加料金なんて取られたら嫌ですし。
「何かあったんです?」
「え?」
「さっきから上の空なので」
「……実は、オーナーの息子さんが」
袋の中で何かが動いた。
嫌な予感。
「一週間くらい、ずっと眠ったままで」
袋が激しく暴れ始めた。
「なるほど。それは大変ですね。では部屋へ――」
『ネルさん!』
「うるさい」
『絶対エターナルドリーマーですって!』
「聞こえません」
『出してくださいー!』
受付の少女が怪訝そうな顔をしている。
「……鞄、喋りました?」
「最近の鞄は高性能なんですよ」
『嘘吐くなー!』
仕方なく紐を解いた。
エメラルドが飛び出す。
「その息子さんに会わせてください!」
「わっ、妖精!?」
「私たちなら助けられるかもしれません!」
「私たち?」
私は自分を指差した。
「当然です!」
「勝手に含めないでもらえます?」
そう言ったのに。
数分後、私は宿屋のオーナー一家の部屋にいた。
ベッドには二十歳前後の青年が眠っている。
その両脇に、両親らしい男女。
「息子のケビンです」
父親が言った。
「一週間前から、ずっとこのままで」
「眠る直前に何かありませんでした?」
エメラルドが尋ねる。
父親と母親が顔を見合わせた。
「……幼馴染の女性に振られたんです」
「ほう」
「相手には他に好きな男性がいたようでして。ケビンは酷く落ち込んで帰ってきました。その日の夜に眠って、それきり……」
私はケビンを見る。
穏やかな寝顔。
失恋。
永遠に覚めない夢。
分かりやすいと言えば、分かりやすい。
「ネルさん」
「分かってますよ」
私はため息をついた。
「ただし、先に確認です。私が夢の中で死んだら?」
「死にません。現実へ戻りたいと強く念じれば脱出できます」
「夢魔に念じる暇もなく首を刎ねられた場合は?」
「……」
「何で黙るんです?」
「理論上は大丈夫だと思います!」
「帰ります」
「待ってください!」
オーナーが慌てて立ち上がった。
「もちろん謝礼はお支払いします!」
私は足を止めた。
「……おいくら?」
「ネルさん!」
命を張るんですから、報酬の確認くらい当然でしょう。
◇
ケビンの手を握る。
ウェイクリングが光った。
「じゃ、行きますよ」
「はい!」
「夢幻創造でしたっけ。使い方は?」
「強く想像するだけです」
「金塊」
「もっと戦闘向きのものを想像してください!」
視界が白く染まった。
◇
次に目を開けたとき、私は山の中にいた。
「……うっ」
身体が揺れる。
「大丈夫です?」
「そういう副作用、入る前に言ってください」
「初めてなら少しくらいは――」
「先に言ってください」
木々。
土。
風。
遠くから鳥の声まで聞こえる。
「夢にしては、ずいぶんちゃんとしてますね」
「本人に現実だと思わせるためです。夢魔が細部を補強しているんですよ」
「それでケビンさんは?」
「この世界のどこかに、ケビンさん自身を投影した人物がいるはずです。その近くに夢魔も――」
「つまり探せと」
「はい」
「広さは?」
「多分、それほどは……」
「多分?」
この妖精、「多分」が多い。
そのときだった。
山頂の方角から、空気そのものを震わせるような咆哮が響いた。
「がおおおおおおおおおおおおお!!」
鳥が一斉に飛び立つ。
エメラルドが私の肩へしがみついた。
「……今のは?」
「夢魔?」
「だったら分かりやすくて助かります」
私は山頂を見上げた。
「行きましょうか」
「えっ、素直ですね」
「だって、早く終わらせないと晩御飯に間に合わないので」
◇
途中で、一人の青年に出会った。
腰に剣。
真っ直ぐな目。
いかにも勇者です、と看板を背負って歩いているような男だった。
「君たち、こんなところで何をしている! 危険だぞ!」
「散歩です」
「散歩!?」
「ネルさん」
「冗談ですよ」
青年は山頂を指差した。
「この先には巨大なドラゴンがいる。近くの町の娘までさらわれた。俺はその娘を助け、ドラゴンを討つために来たんだ」
「竜退治ですか」
「ドラゴンだ!」
「どっちでもいいです」
「よくない!」
面倒な人だった。
「俺はエヴァンス。勇者エヴァンスだ」
私は目を細めた。
「……エヴァンス?」
英雄エヴァンス。
魔王を倒した、千年以上前の伝説的人物。
この世界で使われている年号、L.E.――レジェンド・エヴァンスの由来でもある。
エメラルドが私の耳元へ寄る。
「ケビンさんが自己投影してるの、この人じゃないですか?」
「どうでしょうね」
「え?」
「ちょっと出来すぎでしょう」
失恋した青年の夢。
自分は伝説の英雄になり、美しい娘をさらった怪物を倒す。
相手の男を怪物へ置き換えた願望。
あまりにも分かりやすい。
でも。
「君たちも山頂へ向かうのか?」
「ええ。まあ」
「ならば俺についてくるといい。俺が守ろう!」
「ありがとうございます」
エヴァンスは笑った。
嫌味のない笑顔だった。
私は少しだけ首を傾げた。
◇
「はぁ、はぁ……」
「もう少しだぞ!」
「それ、三十分前にも聞きました……」
夢なのに疲れる。
最悪だ。
「身体ごと入ってますからね」
エメラルドは涼しい顔で飛んでいる。
「あなたは羽があっていいですね」
ようやく山頂へ到着した。
小さな祠があった。
「さらわれた娘は、この中かもしれない」
エヴァンスが剣を抜く。
「まず俺が入る。君たちは待っていてくれ」
「一人で?」
「ああ。罠かもしれない」
「だったらなおさら――」
エヴァンスが祠へ近づいた瞬間。
透明な壁に弾かれ、派手に尻餅をついた。
「ぐっ!」
「……大丈夫です?」
「結界か」
立ち上がったエヴァンスは、恥ずかしそうに咳払いをした。
「魔法使いならば、これを壊せないか?」
「誰が魔法使いですか」
「ネルさんが」
「あなたが勝手に言ったんでしょう」
再び咆哮。
今度は近い。
振り返る。
「うわ」
巨大な影が山肌を覆った。
翼。
鱗。
太い四肢。
そして、馬鹿みたいに大きい。
「……五十メートルくらいありません?」
「ドラゴンだ!」
「それは見れば分かります!」
エヴァンスは笑った。
「この程度、俺に任せろ!」
剣を抜き、走る。
跳ぶ。
尻尾が横薙ぎに振られた。
「うおっ!」
エヴァンスが吹き飛ぶ。
「弱っ」
「まだだ!」
立ち上がる。
もう一度。
今度は炎。
エヴァンスは寸前で避けた。
竜が咆哮する。
怒っている。
いや。
少し違う。
苦しんでいる?
「エヴァンスさん、頑張ってください!」
エメラルドが叫ぶ。
「きっと大丈夫です。ケビンさんが投影した存在なら、こんなところで負けるはず――」
「……逆じゃないですか?」
「え?」
私は竜を見た。
エヴァンスを見た。
祠を見た。
結界を見た。
そして、もう一度竜を見る。
エヴァンスの剣が鱗にはじかれた。
竜の腕が彼を掴む。
地面へ叩きつける。
「ぐあっ!」
「ネルさん!」
「なるほど」
なんとなく分かった。
「エヴァンスさん! もういいです。下がってください!」
「何を言う! 俺はまだ――」
「いいから」
私は竜の前へ歩いた。
巨大な瞳がこちらを見る。
怖い。
当然です。
私は別に勇者でも魔法使いでもない。
ただの旅商人。
ゴブリンに殴られたって泣く自信がある。
でも、相手が誰なのか分かっているなら、話は別だ。
「ケビンさん」
竜が止まった。
エメラルドが息を呑んだ。
「ネルさん?」
「この人じゃないですよ」
私は親指でエヴァンスを示した。
「ケビンさんがなりたかったのは」
竜を見上げる。
「こっちです」
竜が吠えた。
怒声のようにも。
泣き声のようにも聞こえた。
「失恋した人が、夢の中で自分を英雄にする。それだけなら簡単です。でも、それなら英雄はもっと強いはずでしょう?」
「……」
「だって、ここはあなたの夢なんですから」
エヴァンスは勝てない。
それでも何度も立ち上がる。
一方で竜は圧倒的に強い。
でも、娘を食べてもいない。
祠の前に結界まで張っている。
「あなた、自分のことを相当面倒な男だと思ってるでしょう」
竜の爪が土を抉った。
「でも、自分はそんなに悪くないとも思ってる」
何も返ってこない。
「それでいいんじゃないですか」
エメラルドが私を見た。
原稿通りなら、ここで私は彼を説教するところだった。
あなたは傲慢だ。
ちっぽけなトカゲだ。
反省しろ。
真人間になれ。
でも。
失恋したばかりの人間に、知らない女からそこまで言われたら、私なら余計に腹が立つ。
「振られた理由なんて、私は知りません」
竜の瞳が僅かに動く。
「あなたにも悪いところがあったかもしれない。相手にも事情があったかもしれない。単に縁がなかっただけかもしれない」
それは私には分からない。
「でも、一つだけ分かります」
私はエヴァンスを指した。
「あなた、この人に勝ってほしいんでしょう?」
竜が動きを止めた。
「自分より立派な人間に、自分を倒してほしい。だからこんな英雄を作った。でも、自分のことを簡単に負ける程度の人間だとも思いたくない」
巨大な身体。
伝説の英雄。
どちらも同じ人間が作った。
「ずいぶん面倒くさい夢ですね」
竜の喉から、小さな音が漏れた。
「でもまあ」
私は笑った。
「自分が面倒くさい人間だって分かってるなら、まだマシですよ」
しばらくして。
竜の身体が縮み始めた。
「え……?」
エメラルドが声を漏らす。
五十メートル。
二十。
十。
一。
最後には、私の靴より少し大きい程度のトカゲになった。
私はしゃがみ込む。
「初めまして、ケビンさん」
トカゲがこちらを見る。
「現実へ帰りましょうか」
ぱちぱちぱち。
拍手。
祠の中から聞こえた。
「いやあ、素晴らしい」
一人の女が出てくる。
長い金髪。
人間に見える。
でも。
結界を平然と通り抜けた。
「初めまして。私はチェルシー」
女は笑った。
「夢魔よ」
「どうも。ネルです」
「驚かないのね」
「今さらです」
チェルシーはトカゲになったケビンへ目を落とした。
「余計なことをしてくれたわね。この子はこのまま夢の中で幸せに暮らせたのに」
「幸せそうには見えませんでしたけど」
「それは設定を少し直せばいいだけよ」
チェルシーが指を鳴らす。
次の瞬間。
エヴァンスの身体が黒い渦に飲まれた。
「エヴァンスさん!」
消える。
何も残らない。
私はチェルシーを睨んだ。
「……消す必要ありました?」
「どうせ全部消えるもの」
チェルシーは肩をすくめた。
「私が死ねば、この夢も消える。なら同じでしょう?」
「同じじゃありません」
即答していた。
なぜそこまで腹が立ったのかは、自分でも分からない。
夢の住人。
偽物。
いずれ消える存在。
それでも、さっきまで話をしていた。
「ふうん」
チェルシーの口元が歪む。
「だったら、あなたも消えてみる?」
頬が熱くなった。
数秒遅れて、血が流れる。
「……っ」
「ネルさん!」
見えなかった。
「夢から逃げようなんて考えない方がいいわよ。その暇より、私が殺す方が早いから」
なるほど。
エメラルドの「安全です」は、やっぱり信用してはいけなかった。
「ネルさん!」
「分かってます」
「夢幻創造です!」
「それも分かってます!」
チェルシーが地を蹴った。
速い。
何か。
武器。
剣。
盾。
銃。
いや。
今、一番欲しいもの。
「――来い!」
両手を前に出す。
光。
重いものが腕に落ちてきた。
チェルシーの刃を受け止める。
金色。
「……何それ」
チェルシーが呟いた。
エメラルドも呟いた。
「……何です、それ」
私も少し驚いた。
「金塊ですね」
「どうして!?」
「だって一番欲しかったので」
「戦うんですよ!?」
「知ってますよ!」
チェルシーがもう一度腕を振る。
私は反対の手にも金塊を出した。
そのまま腹へ突き込む。
「ぐっ――!」
チェルシーの身体が折れた。
自分でも驚くほど速く動けた。
夢の中だからだろう。
「お金は強いんですよ」
「そんな馬鹿な……!」
「夢を叶えるにも、お金がいりますからね」
少なくとも、私はそう思っている。
チェルシーは腹を押さえたまま、私を睨んだ。
「覚えてなさい……。メア様なら、あんたなんか……!」
煙。
姿が消える。
「……逃げました?」
「みたいですね」
静かになった。
山も。
祠も。
空も。
少しずつ輪郭が薄れている。
「夢が消えるんですね」
「はい」
私はトカゲを見る。
「じゃあ、ケビンさん」
小さな頭がこちらへ向く。
「戻りますよ」
私は手を差し出した。
「夢を見ること自体は、別に悪くないと思います」
今日会ったばかりの私が、人生について偉そうなことを言える立場ではない。
「でも」
トカゲを手のひらへ乗せる。
「次は、起きてから見てください」
世界が白く染まった。
◇
「……ん」
ケビンが目を開けた。
母親が泣いた。
父親も何度も息子の名前を呼んだ。
私は少し離れたところで、その様子を眺めていた。
ケビンはしばらくぼんやりしていたが、やがてこちらを見る。
「……聞こえてた」
「何がです?」
「あんたの言ったこと」
「それは災難でしたね」
ケビンは小さく笑った。
「俺、変わらないとな」
「別に」
「え?」
「振られたからって、全部自分が悪かったとは限らないでしょう」
ケビンが目を丸くする。
「でも、もし自分で直したいところがあるなら、直せばいいんじゃないですか」
「……そうだな」
「夢の中じゃなくて」
「ああ」
それ以上は必要ない。
私はオーナーを見る。
「それで」
「はい?」
「お話ししていた謝礼ですが」
「ネルさん!?」
何を驚いているんですか。
商売と人助けは両立する。
むしろ両立した方が長続きする。
◇
結局。
宿泊費は無料。
夕食は宿で一番高い仔羊のソテー。
野菜スープ付き。
翌朝の朝食もサービス。
悪くない仕事だった。
部屋へ戻って、私はベッドに寝転がる。
エメラルドは化粧用のパフを枕にして、もう眠っていた。
右手を持ち上げる。
緑色の指輪は、相変わらず外れない。
「……で」
指輪を引っ張る。
抜けない。
「いつ外れるんです、これ」
返事はない。
私はため息をついて、日記を閉じることにした。
今日分かったこと。
夢魔は実在する。
夢の中でも死にかける。
金塊は武器になる。
そして。
妖精の「大丈夫」は信用しない方がいい。
以上。
おやすみなさい。




