ep.6 雪合戦
手が届いてしまいそうなほど、青空が近くに感じた。
なだらかな水平線に向かって、空や大地に吸い込まれ、曖昧になった境界線に溶けているように見える。
見渡すほどのその平原に、やがて地の底から唸るような轟音が響き渡る。
一台の大型魔輪は、大地の土を抉って新たな軌跡を生み出していた。
「うーーん!さすが新車って感じねー!」
運転手であるハインは、向かい風か魔輪のマフラーから出る爆音かも分からない音に負けじと声を張って、爽快感に酔いしれた。
その後ろで、不服そうな雰囲気を滲ませるクラウンは、少し頭を傾けて浮ついた彼女を諫める。
「気持ち良くなるのも良いですけど、安全運転でお願いしますよー」
「なんも障害物なんてないし良いじゃない。あんただって、昨日一日中、乗り回してたくせにー。気持ち良くなるのはお互い様でしょー」
「僕は良いんですよ。不測の事態に対応できるように、このヘルメットがあるんですから」
二言三言、軽く言い合いが始まるとすぐには収まらない。
何を得意げに、とハインは剥れてみせると、今度は自らの頭を見るように視線を上げた。
「それなら私にだって。このよく分からないウサギのヘルメットがあるもの」
「それは僕が創ったもので…。単なるヘルメットです」
ハインのヘルメットは、飛行帽のような形状だが、捲り上がった額部分には黒茶の毛並みをしたウサギの顔があり、そこから流れる長い耳はそのまま耳当ての部分となっている。
頭頂部を保護する部位は、万が一、事故を起こして頭蓋骨が割れて中身が飛び出ない程度の布地素材だ。
愛らしいデザインではあるが、機能性はクラウンの白ウサギの生首とは比較にもならない、読んで字の如くただのヘルメット。
事故を未然に防ぐのは、元より運転手の注意力によるものなのだが。それでも、ハインは、
「頭さえ守ってれば、後はどうにかなるわよ」
「事故起こす前提ですか?せっかく新品の魔輪を支給されたのに、転けてまた修理なんて嫌ですよ絶対」
「んなわけないでしょー!大体、私は魔輪で事故ったことなんて一度もないんだから!そこら辺の運び屋よりよっぽど安全運転よ」
どれもこれもとてもじゃないが同乗者が安心できるような返答は返って来ず、何なら向こう見ずな考えだと彼は思った。
クラウンは、爆音に紛れて溜息を零すと、
「それは、配達仕事が少ないからでしょう?外に出る回数が元より少ないなら、自然と並の運び屋より事故の確率だって低いじゃないですか」
「正論で言われると返答に困るものね。振り落としてやろうかしら」
「それだけはやめて下さい」
「えらく食い気味ね……。あーはいはい、茶化して悪かったわよ。振り落とさないから、もうしばらく運転させて」
ちょっとした意地悪のつもりだったが、真剣に嫌がられたので、ハインは気持ち程度に運転に集中することにした。
そんなやり取りをしていると、過ぎ去る風景の中に異変が現れた。
「…?」
目の端に捉えたのは、黄土色と緑に交じって、ちらりと見えた白。気のせいかと思ったが、
その瞬間、向かい風に乗って冷気が直撃した。
「つめたっ!」
「お、」
思わず、ハインはブレーキハンドルを握りこみ、急停止する。
その勢いで、クラウンの体は少し前のめりに浮いたが、すぐに体勢を戻す。
ハインは、器用に足でスタンドを立てると、
「うぅう…、き、急に寒くなった…」
首を窄めてぷるぷると震える自身の体を抱く。
急激な気温の変化に気づいたクラウンは、そのまま足元を見た。
「確かに…、」
「うぅん…?」
悴んだ唇を懸命に動かし、ハインは彼と同様に視線を下すと、
「わぁ…、雪…」
さっきまで平原だった景色は、不自然なほど様変わりし、白銀の世界が出迎えていた。
ブーツの底で、ぐっと踏みしめるとちらほらと見える黄土色の土と新雪が絵の具のように交ざって、少し泥濘んだ。
ずっと魔輪に跨っているわけにもいかず、ハインとクラウンはそこから降りて、辺りを見渡す。
「雪だー!雪雪ー!」
「あー…、また始まった」
クラウンが、呆れたように言うもの無理はない。
物珍しさに沸き立つ好奇心が抑えられないハインは、早々に両手を伸ばして走り回る。
それを横目にクラウンは、魔輪の傍から離れず後部両サイドにくくりつけた四個のアタッシュケースの内一個の紐を解くと、後部座席のシートの上に乗せた。
「ハインさん、程々にしてくださいよー」
「この辺、走り回ってるだけだから良いでしょー!」
「全く懲りない人だなぁ……」
小言も零しながら、アタッシュケースを開き、蓋側の方にある薄い内ポケットから一枚の荷札を取り出した。アタッシュケースを閉め、その上に荷札を貼り付けると軽く手で叩く。
ぽん、と薄い煙幕が立ち込めてから晴れると、丈が長く綿が多く入った厚めの上着が丁寧に畳まれた状態で出てきた。クラウンは、着ているジャケットのフードだけを外し、それをアタッシュケースの中に仕舞う。
ジャケットの上から更に厚めの上着を羽織って、防寒準備が整ったところで辺りを観察して回った。
「………、」
ふと気になったものがあり、足を止めた。右手にある枯れ木だらけの山林の前に作られた柵だ。
随分と人の手は加えられていないのか、柵の形になっているのは一部分だけで、それ以外は朽ちていた。
クラウンは、そこに歩み寄ると、壊れていない細っこい柵に積もった雪を見る。
さっと手で払えば、すぐにはらはらと落ちた。それほどまでに柔らかい雪だ。
(昨日まで降っていたのか……。それとも、日中は晴れているとか)
柵に使われている木を見ると、雪解けで表面の色は変わっている。
だが、それ以前にあったと思われる水滴は氷結して、柵に固く鋭利な氷柱を作っていた。急激な気候変化がある、ということは理解できた。
外界は、未だ謎の多い土地だ。発展した場所もあれば、秘境めいた場所もある。この42番地も例外ではないと思われるが、豪雪地帯ならいざ知れず、今のところそんな予兆は感じられない。
降り積もる雪も柔らかく、降雪続きだというのは分かるが、まるで極寒の地にしか見られないような頑丈過ぎる氷柱は、どうも気になった。
ただの自然現象か、それとも……。
クラウンは、握るだけで折れてしまうような柵木を見つめて、そんなことを考えていると、
「クラウン」
「はい?」
ハインに呼ばれて、声がした方に顔を上げると、直後。
ぼふっと、何かが白ウサギの顔面に命中した。一瞬にして視界は真っ暗になり、反射的に銃に伸ばしかけた手を、クラウンはだらりと脱力させる。
ずる、ずる、と何かが滑り落ちて視界が晴れていく。視界を覆うものの正体は、雪だ。
今だ白ウサギのヘルメットの鼻先に残っているせいか、視界は斑模様のように見える。
その先で、黒髪の女がぱっとした溌溂な笑顔を向けていた。
「あはははは!騙されてやんのー」
少し溶けている雪を固めたせいか、着弾した雪玉は毛並みにへばりつく。
それでも、クリームパイを顔に投げつけられるよりかはマシだ。いや、しかし。
ぶるぶるぶるっ、と犬が水を振り払うようにクラウンは残りの雪を白ウサギの頭を振って落とす。
「……なんですか?これ」
「だって雪よ!雪と言えばだるま!雪と言えば合戦!でしょ?」
「…随分と楽しそうですけど、一応僕らは仕事で来てるんですよ?」
「え…、う、うん…、それは分かってるけど……」
「協会からは周辺探査も依頼されてるっていうのに…、ハインさんは、真っ先に遊び始めるし。僕だけですか?真面目にやってるのは」
「うぅ、ま、まぁそうだけど…。確かに遊び始めたのは悪いと思うけど、ちょっとくらい肩抜いてもいいでしょ?その後、ちゃんと仕事はやるし…っぶふっ!」
「やった、命中した」
素直に振り回されてくれたハインの顔面に、ぱしゃっと雪玉が綺麗に当たった。
崩れた雪玉の破片が、肩やら髪やらに飛散して、加えてどこぞの小憎らしいウサギと違って顔を守るようなものがある訳ではない。つまり、それなりに痛いのだ。
ハインは、身が縮こまってしまうような冷たさよりも、怒りで震えた。
「ぐぅうっ…あんたっ!急に不貞腐れたかと思ったら、この不意打ちの為にやったわけ!?卑怯もの!」
「僕はやり返したまでです。何ならハインさんの話に"全力"で乗っかってやろうとも思ってますよ」
「!」
気づいた時には、遅かった。
いつの間にか、ハインを取り囲むようにして手乗りウサギ達がひょこひょこと現れる。
「な!手乗りウサギまで…!?ただのお遊びに魔法まで持ち出してくるなんて、大人気ない!」
「大人気ない?何言ってるんですか。僕は、全方位から雪玉食らって踊るハインさんの無様な姿が見たいだけですよ。すごく楽しめそうだ」
いそいそとその小さな前足で、雪玉を作り始める彼らは、憎めない可愛さがあったが、これも全ては親玉の逆襲のためなのだから末恐ろしい。
「特上級の営業スマイルで毒づいてんじゃないわよ!バカバカうさぎ!」
「良い遠吠え、期待してます」
「いやあああー!」
その虚ろな白ウサギの生首の下で不敵な笑みを浮かべているであろうクラウンの合図と共に、手乗りウサギ達は小さな体で雪玉を抱え上げ、無慈悲にも一斉にハインに投げつけた――。
※
「くぅうぅ…、」
子犬のような悔しげな声を上げて、ハインは、雪の上にあられもなく撃沈し横たわっていた。
「清々した」
一方で、クラウンは、そんな彼女を一瞥して冷酷にもやり切ったように言う。腹の底では、ムカついていたのが本心のようだ。
そんな愉快で軽すぎる惨状に、ふと別の声がかかった。
「おぉーい、そこの若人さんたち」
二人がこれから行く道先である枯れ木の雑木林から、腰を曲げた老人がやって来た。
クラウンの容貌を見て驚かないのは、年の功だろうか。気さくな雰囲気に充てられて、珍しくクラウンは愛想良く返答した。
「こんにちは、」
「やぁやぁ。珍しいなぁ、運び屋さんか」
「キュルヴィ協会の運び屋です。42番地にお邪魔しています」
手短に用件を伝えてみれば、老人は大手の協会名を聞いて、少し驚いた。
「おぉ、あの有名な協会からか。……ところで、お取り込み中かい?」
老人は、横たわるハインを困惑したような心配そうな表情で見て言う。
その反面、クラウンは、目を向けることなくあっさりとした態度で、
「あちらはお構いなく。見かけに寄らず無事です」
「そうかいそうかい。ここで立ち往生させるのも悪いな。番地に案内するよ」
「お気遣い、ありがとうございます」
「いや何。日が暮れてからじゃ遅いからなぁ。さぁさぁ、こっちだよ」
どこか急かすような老人は、その雰囲気とは裏腹にゆったりとした足取りで、彼らを案内する。






