終章 ep.3 『たらふく喰ってけ』
『舌の裏』の神父カロンと別れたジョージは、102番地の飯屋が並ぶ通りに足を運んでいた。
どうやらここ一帯は、イェロヴェルリの兵士の毒牙にかかった様子はなく、開店準備の為に各店の従業員や店主が辺りの清掃に当たっていた。
開けた店内に目を向けると、炊き出し用の調理をしているところもちらほらと見受けられる。
人々は悲しみを抱えながらも、一丸となって惨禍に立ち向かっていた。
すると、ジョージは、ある店の前で立ち止まる。
目に入ってきたのは、清掃のために店内から適当に積んだテーブルと椅子の山だ。
しばらくそれを眺めていると、店の中にいた店主の男が気づく。
「ん…?悪いが、今は準備中なんだ。他の飯屋なら、開いているところがあるからそっちに」
「この椅子、しばらく借りていいか?」
ジョージは、椅子を一脚持ち上げて食い気味に聞いた。
店主は、突然の申し出にすぐに答えられなかったが、
「あ、ああ…構わんよ。その椅子がどうかしたか?」
「いや、どうもしねぇ。ただ座る椅子を探してただけだ」
ぶっきらぼうに言うとジョージは、片手で肩からぶら下げるように椅子を持つ。
そのまま歩き始める彼の背中を店主は不審そうな表情で見送る。
ジョージは軽く手を振って、気休め程度に謝った。
「開店までには返す。悪ぃな、爺さん」
※
飯屋並びの大通りを抜けると、こじんまりとした雰囲気の小路へと続く。
そこは商店が立ち並んでいるが、人気は少ない。準備中か、はたまた町の後始末に駆り出されているかで店じまいしている。
むしろ、空き屋の方が多かった。大通りとは違って、どうやら新築した建物がそのまま放置されているようだ。
待ち合わせとなっている一棟の空き屋前に近くなると、賑やかな声が聞こえてきた。
ジョージはそこへ目を向けると、その前には数人の子供たちと戯れるヘルがいる。
「む!ニンゲンのわっぱたちよ、そこでなにをしているのだ!」
彼らに駆け寄ったのは、ジョージの前を歩いていたテパスだ。
突然現れた黒い子犬に、子供たちは声を潜めて目を見張る。
「し、喋った…?」
「犬が?」
「むむ!わがはいは、ただの犬ではないのだ!テパスとよぶがいい!」
テパスは元気良く名乗るが、子供たちは依然として困惑している。
遊び相手になっている燕尾服の得体の知れない異形よりかは、いくらかましに思えるのだが。
テパスが尻尾をぱたぱたと振って子供たちの視線を集める中、空き屋の前に立っているヨハネスはジョージを見た。
「ジョージ・レイヴィック、ごきげんよう」
「どこにいる?イェロヴェルリの奴らは」
「この中。拘束してある」
ヨハネスが後ろにある空き屋の扉に目を向けた。
陳列窓はカーテンで締め切られており、中の様子は見ることができない。
「何人だ?」
「生存者は十人。ほかは死んだ」
「死体も一緒か?」
蛇足しない迅速な質問に、ヨハネスはこくりと頷く。
ジョージは、続けて、
「なら良い。そこのガキ共を他所にやれ」
「人払い、しなくていい?」
「お前んとこの使い魔でも立たせときゃ良いだろ」
「ヘルは、いま手が離せない」
ヨハネスに言われて、ジョージはヘルを見る。
物珍しい生物に好奇心旺盛な子供たちは、臆した様子はない。
それどころか、ヘルの掲げた両腕にぶら下がってきゃあきゃあと声高にはしゃいでいる。
(ただ遊んでるだけじゃねぇか…)
その正体は怖い魔物だ、と脅かして遠ざけようとも思ったが思い留まる。
ジョージは軽く溜息をついて、仕方なしに別の手段を取る事にした。
「おい、テパス」
「うむ!」
状況を把握していたテパスは、子供たちに一歩近寄る。
「わっぱたち!わがはいともあそぶのだ!」
「いいよー!」
「何して遊ぶ?」
「わがはいは追いかけっこがしたい!どこかひろいばしょにあんないするのだ!」
「それなら噴水の方に行こうよ!」
「いいねー!」
「おれ、足早いよー!」
子供たちとテパスは、すぐに打ち解けた。
興味を引く二つの存在があれば、飽きはしないだろう。場所は、どこでもいいはずだ。
テパスは、ひっきりなしに子供たちの足元で走り回り、子供たちに案内される形でその場を離れていく。ヘルもそれに同行した。
「ヨハネス、お前はここで見張っとけ」
最初から店先に立っていたヨハネスは、言われずとも継続してその場に留まった。
それよりも、彼女は別の所に注視している。
気づいたジョージは、視線の先に目を向けた。
向かいの空き屋と空き屋の路地から、こちらを見る二人分の影だ。
いつの間にか、そこにいたのは子供用の紳士服を着た『ロストチルドレン』だ。
もっともその服の布地は所々解れたり、破けていたりとみすぼらしいことには変わらない。
眼光が消え失せた虚ろな双眸で、ジョージたちを見ている。
「殺すの?」
「あ…?」
「その中にいる人たち、殺すの?」
ここに人が運び込まれたのを、どこかで目撃していたのだろうか。少年のロストチルドレンは、空き家を指さす。
ジョージは、それに答えることなく、しばらく少年少女のロストチルドレンを見つめる。
少年の方が、少し歳上なのだろう。彼の腕にしがみつく少女は幼いが、その目の奥はどんよりと濁っている。
ついさっき、ここでヘルやテパスに興味津々で遊んでいた子供たちとは違う、異質な線引きがジョージには見えた。
確かに子供らしい無垢なところは、差異がない。問題はその中身が、まるで『別物』だということ。
ジョージは、二人組のロストチルドレンに背を向けて空き家の扉と対面する。
ドアノブを押して、扉を開けるとやけにうるさいドアベルが彼を歓迎した。
「見世物じゃねぇぞ、寝床に帰んな」
そう言って店内に入ると、きぃ…と軋みながら扉は閉まる。
機械的なヨハネスと、あらゆるものに絶望し諦めた双眸を持つ子供だけが取り残された。
異様な静けさが、空間を包み込む。
「………、」
しばらくして、彼らは興味が失せたようにその場から立ち去った。
※
カーテンの隙間を縫うように、外の明かりが差し込む。
空き家の中は薄暗く、花香から一気に埃っぽくなった空気が鼻を擽った。
中に入ってすぐに、どこからともなく泣くような呻き声が聞こえた。
視界が暗闇に慣れた頃、見えてきたのは何かの『山』だ。
適当に被せられた白い布には赤黒い染みがあり、裾の方は流れ出た鮮血で赤く染まっていた。
その隣には、蠢く影がいくつかある。時折、ぎちぎち…とロープの軋み音が聞こえた。
布を被せられた方は死体の山で、その隣にいるのは拘束された生き残りの兵士だろう――。
「さてと…、」
ジョージは簡潔に情報をまとめると、手に持っていた椅子を下ろした。背もたれを前にして跨るように座る。
言葉を発した時に、呻き声は静まった。
これから、彼は本題に入る。
「単刀直入に言う。テメェらの親玉は死んだ」
無情にも告げられた。
生き残りの兵士が、息を飲んだ音が聞こえる。震え始める彼らの吐息が、じわりとある感情を表していた。
「テメェらは運の良いことに生き残ったわけだが。このまま帰す訳にはいかねぇ」
その言葉に、生き残りの兵士が溢れ出た恐怖のままに呻く。口を塞がれているのか、兵士の声はくぐもっても尚、叫んでいるのが分かる。
しかし、ジョージは淡々と続けた。
「喚くな。そっちの言葉を借りて言うなら連帯責任だ。弁明したい気持ちだけは汲んでやるよ。けど命乞いは聞かねぇし、交換条件の情報もいらねぇ。あとはー……、そうだな…。見せしめに死体を吊るし上げるようなこともしねぇ」
こちらが望んでいない事項は、とりあえず伝えた。
そして、今度はこちらの都合を伝える。
「生憎俺ァ、多忙なんだ。本音を言うとこれから数分間動けなくなるのも御免だ。時間は有意義に使いてぇ。だから、とっとと終わらせる」
まるで、業務連絡のような通告だ。
ジョージが喋っている合間にも生き残った兵士たちは必死に訴えた。
自身の責任ではない――。
望みは何でも聞く――。
聞かれたことには、ちゃんと答える――。
一瞬でも彼の耳に届くことを信じて、彼らは塞がれた口で言葉にならない声を上げ続けた。
ふーふーと鼻息が漏れ、目からは大粒の涙が零れる。
だが、それは、彼には永遠に伝わらない。
「餌の時間だ。たらふく喰ってけ」
彼の足元からどろりと重たい液状のように広がる『深夜』が、生者の僅かな息遣いも飲み込むのだから。






