ep.32 『人』の選択
くの字にひしゃげた街灯の下。正面から激突し大破した馬車があった。
繋がれた馬二頭の体は、すでに息絶えている。口や鼻、体の至るところから出血し、バケツを振り回したように飛散していた。
馬車の運転席で、ぐったりと項垂れているブクタスは、ようやく意識を取り戻した。
「う…ぅ…、」
ぼんやりと聞こえてきた人の騒ぎ声が、はっきりと鼓膜を揺らす。
大破した馬車に構うことなく、辺りの人々は当てもなく逃げ惑っていた。
「うが…、ぁ…ッ!」
意識が戻ったと同時に、ブクタスの全身に激痛が走った。毛穴から、嫌な脂汗が滲み出る。思わず、右足を抱え込んだ。見れば、足首から先が真逆の方向に捻じ曲がっていた。まるでむしゃぶりついた揚げ鶏のように、皮膚と肉の間から腱と骨が見える。
そうなってまでも、強靭な執着心と自我が、彼の意識を保っていた。はぁ、はぁ、と息を上げながら周囲を見渡す。道端に転がった木製の六面体を見つけると、足を引きずりながらのろのろと馬車から降りた。
無傷の六面体を抱えあげると、道に沿って先に進もうとする。
だが、向かいの道沿いにふと目を向けた。二十m先の路地から自身を追いかけていた運び屋二人の姿が見えた。
運の良いことに、今、通りは混乱した人波でごった返している。運び屋二人組は、あちこちに目を泳がしているところ見るにまだブクタスの姿を見つけていないようだ。
(クソ…ッ!こっちに進むしかないか…ッ!)
ブクタスは、そのまま真横にあった路地に目を向けた。折れた足を引きずり、外壁に手をつけながら、彼は薄暗い路地を前進する。
※
ハインとクラウンは、急ぎ路地から通りへと再び戻った。だが、大通りは予想以上に混沌としている。
突然銃を持ち攻撃してきた兵士の姿は、人々の平穏を打ち破り、恐怖と絶望の底に叩きつけるには十分だ。
「この人混みじゃアイツを見つけられないわ!手乗りウサギは!?」
悲鳴と叫び声に負けじと、ハインは声を張る。聞かれたクラウンは、周囲を見渡しながら、
「残念ですが…。今の僕には、彼らを造形できる程の魔力はもう残っていません」
「なら、アイツらが乗ってた馬車の近くに行けば何が見つかるかも」
ハインは、一刻でも手がかりを掴もうと通りに出ようとした。
しかし、すぐさまクラウンに引き止められてしまう。
「だめです」
「なんでよ…!」
ハインは、苛立って彼に掴まれた腕を軽く振り払った。
クラウンは、ある場所へと視線を流す。ハインは、それに導かれるようにそこへと目を向ける。
二人の視線の先には、さっきまで身を潜めていた店先でうろつく兵士たちの姿があった。
ふっと兵士がこちらへ振り向く前に、クラウンはハインを再び路地に引き込む。
ハインは、壁際から顔を覗かせて兵士たちの様子を伺った。こちら以上に、大怪我を負っている兵士たちの姿を見て、眉間に皺を寄せる。
「あんな体になってまで…、まだ動けるっていうの…?」
「彼らは呪術の効力で無理やり動ているだけです。足や腕の一本や二本折れていても、構わない。痛覚はないようなものですから」
兵士の変わり果てた姿にやり場のない虚しさを噛み締めるハインとは打って変わって、クラウンの態度は冷淡だ。
死に至るその時まで、彼らは忠実に呪術者の命令に従っている。その事実に、目を逸らさずにはいられない。ハインの中で湧き上がってくる焦燥は、気づかない内に悲痛に変わった。
「だったら、尚さらあの小太り男も追わないと…!その呪術がいつ解除されるか分からないし、その間にアイツらが、また…―!」
「分かってます」
矢継ぎ早に言うハインに、クラウンは短く遮るように答えた。
顔を見合せたタイミングで、彼は静かに告げる。
「ハインさん。僕が折れるのは、ここまでです」
「え…?」
「このままこれ以上人々がただ殺されていくのを見るか、僕が兵士たちを殺すか。どちらがあなたにとって最善ですか」
「なっ…」
突如として問いかけられた選択肢に、ハインは言葉を詰まらせた。
ふざけている訳ではない。クラウンの冷たくどこまでも真っ直ぐな眼差しが、そう伝えていた。
つい数十分前に交わした彼らの約束は、今ここで破られようとしているのだ。
「なんで…そんなの、私が選べるわけ…っ!」
「ハインさん。それしか選択肢がないんです」
迷いない眼差しと反して、ハインの視線が揺れた。
身勝手だ、と思うと同時に怖かった。普段の気力のないクラウンとは、違う。この目をした彼は、力づくでも『命』を奪う時だ。
そんな彼と真っ向からぶつかることができない。クラウンとハインがそれぞれ掲げる思想は、根本的なところが真反対なのだ。何をどう言ったところで、議論にすらならない。
そう思うと、急激にハインは逃げたくなった。
「…なんで、あんたは…そんなこと、私に選択させるのよ。好きにやれば良いじゃない……」
「全員を救えないからって投げるつもりですか?」
建前は聞いたつもりでもクラウンは、ハインが覆い隠そうとした核心をついた。
彼女の動揺を無視して、クラウンは続ける。
「195番地であなたは多くの子供たちを救った。それは覆しようのない事実です。けど、ハインさんも195番地のロストチルドレン達も運が良かっただけだ」
「何が、言いたいのよ…。あんたは、私になんて言って欲しいのよ」
「何も。答えなんて最初から求めてません。事実を突きつけているだけです。あなたは『善人』じゃない。ただの『人』だと」
その瞬間、通りから劈くような悲鳴が聞こえた。ハインは、思わず驚いて目を見開くと大通りに見る。
(もういいか……、限界だ)
クラウンは、アルトンのチャンバーを押し出して、中の空薬莢を地面に落とす。チャリチャリ、とコインが落ちるような音を耳にしたハインは、また彼に目を向けた。
「さっき、なんでそんな選択を選ばせるか、て聞きましたよね。簡単なことです。この世界で生きてる限り、いつかハインさんにもその選択を迫られる日が来る」
「そんな日なんて…、来ないわよ」
「本当に、そう思いますか?」
ハインは、クラウンから確認されるように聞かれたことに同じように答えることができなかった。
その間にもクラウンは、着々と準備する。腰のポシェットから、スピードローダーを取り出して、アルトンに通常の弾を六発装填した。
「今ここで実行するのは、僕です。あなたにとっては記念すべき第一歩だ、ただの『人』だと自覚した瞬間のね」
ガチャ、とアルトンのチャンバーを収める鉄の音がやけに耳に響いた。
嫌味だ。けれど、普段の彼から言われる嫌味とは違う。
どこまでも冷酷で、心を凍てつかせる。反論すら飲み込んでしまう程の、現実。
ハインは、言葉を発することも唇も動かすこともできなかった。
クラウンは、ただ一人、路地から通りへと向かって歩き出す。
「ハインさんが、いつか誰かの命を奪ったとしてもその選択は間違っていない」
そう言い残して、クラウンは薄暗い路地から日の下に包まれた。
通りに姿を現したクラウンに、兵士たちは気づいた。
彼らに向けて照門に目線を合わせ、狙いを定める。引き金を引き、的確に兵士の眉間を撃ち抜いた。
撃鉄が下りる音が、立て続けにこだます。その度にハインは歯を食いしばって、ただ受け入れた。
クラウンは、ただ身勝手に約束を破ったわけではない。選択肢を与え、そしてハインは無意識に選び取った。あの時、人の悲鳴を聞きつけ、そこに目を向けた。それこそが、彼女の答え。痛むことすらしなくなった、泣くどころか声を上げることもしない、呪術を解除すれば正気に戻る兵士より、今まさに命を奪われようと叫喚する『多くの人々』を選んでしまった。
アルトンの銃声が、心を揺さぶる。兵士を撃ち殺しているのは、クラウンだ。だが、まるで自ら手を下しているように錯覚した。
「い…っ」
突然、頭痛が襲った。ずきっと痛むこめかみに手を添える。熱を持ったような強烈な疼痛に、唇を噛み締めた。
バチバチ、と閉じた瞳の奥で何か火花が散るように情景が過ぎる。
『そんなの間違ってるよ…!』
『そういう話じゃないんだよ。こうするしか――』
『だったら、僕が…―――!』
『大丈夫。――は、わたしが守る』
幼い子供同士の会話。その声はノイズが酷く、途切れ途切れで聞き取れない。だが、誰かが必死で何かを訴え、それに答えているのはまた別の誰かだ。
(誰、の…?)
激痛で冷や汗が滲んだが、それも一瞬で通り過ぎた。
あれが何なのか、その正体よりもまず沸き立つ疑問。
「ハインさん、片付きましたよ」
硝煙の匂いを漂わせながら、いつの間にか路地に戻ってきたクラウンが、声をかける。
ハインは、しばらく彼の顔を見たが、クラウンは気にせず、その場を後にした。単なる事後報告だけだったらしい。
ハインは、路地から出て彼と共に馬車の残骸へと向かう。
何か手がかりはないかと手分けして、馬車を見ていると、
「これって……」
ハインが見つけたのは、馬車から点々と続く血痕だ。
それを目で追いかけると、その先の路地へと続いている。
「行きましょう」
クラウンの出発の言葉にハインは頷き返す。
二人は、血痕を追って路地へと走り出した。






