ep.14 傷
侍女食堂での一仕事を終えたハインたちは、同店舗の二階にあるゲスト室に通された。
一階の華々しい店内とは反面、二階は天井も少し低く、普段からあまり使われていないのか埃っぽく感じた。
ゲスト室は、屋根裏部屋のようなところで、シングルベッドが二つ並んであり、その奥には申し訳程度の小窓があった。
部屋の隅にはテーブルと椅子、入ってすぐ左側にはユニットバスとそれに通じる扉がある。
クリスティーナ、ヨハネス、ヘルの三人は、ハインとクラウンの部屋とは別のゲスト室に案内された。
部屋に着いてから、ハインは一日の汗を流すため、すぐにシャワーを浴びた。
入浴を済ませるとクラウンと交代して部屋に戻り、ようやく腰を落ち着けるベッドの上に倒れ込んだ。
「くたくた〜…!慣れないことをやるとこうも疲れるのねー…」
濡れた髪をそのままに、ハインは寝っ転がる。それから、ベッドチェストにあった包み紙に包まれたものを手に取る。
紙を広げると、クラウンからの差し入れである燻製された肉と新鮮な野菜がサンドをされたパンが入っていた。
ハインは、大口を開けて頬張る。
変哲もない少し低い天井を眺めて、もぐもぐと食べていると、
「全っ然足りないんだけど……」
これだけでは、どうにも腹が満たされない。
夕飯は店主からの懇意で出してもらった賄いと、クラウンの奢り分の料理でたらふく食ったものだが、ハインの底なしの胃袋を満たすには遠く及ばなかった。
見かねたクラウンから「これで我慢してください」と渡されたのが、この差し入れだ。
ハインは、何か思いついたようにベッドから起き上がる。
「アイツ、なんか他に食べ物持ってないのかしら…?ご主人様とか呼ばされたし、漁ってやろ」
散々茶化された仕返しとばかりに、あっけらかんとした様子でクラウンのベッドの方に向かう。
すると、
「ん…?」
部屋の隅にあるテーブルの上に、メッキが所々剥がれた真鍮のコンパスのようなものを見つけた。
クラウンの私物だろうか、と疑問の思いながらそれを手に取る。
「なに?これ…。コンパス?」
ハインは、片手に持っていたサンドを一旦口で咥えて全体を観察する。
首から下げる為の革紐があり、丁度蝶番になっているところに、接眼レンズらしきものがあった。
ぼんやりとした好奇心で、開いてみた。
「うーん……、単眼鏡ってやつ?」
仕組的には、どうやら折り畳み式の単眼鏡のようだ。
ハインは、咥えていたサンドパンを再び手に持つ。
空いたもう片手で単眼鏡を持って、開いた時に中で立ち上がった望遠レンズを見た。それから接眼レンズを覗くが、
「え?ん?…何も見えないじゃない」
何度も接眼レンズに目を当てて見るものの、まるで塗り潰したように真っ暗だった。
困惑した様子で、そのまま部屋中を見回す。
ぐるりと、一回転し終わった時だ。
「何してるんですか」
「あ」
目の前には、スラックスを穿いて、首からタオルをぶら下げた風呂上がりのクラウンが立っていた。
じっと見つめる目つきは鋭く、いつにも増して殺気立っているように思えた。
「ええっと…これは、」
何かマズいことをしてしまった、と思ったハインは言い淀む。
クラウンは大股でハインに近づくと、彼女の手から単眼鏡を手荒く取り上げた。
「人のものに、勝手に触るな」
「…ご、ごめん…」
能面のような顔で睨まれたハインは、クラウンに気圧されて小さく謝った。
クラウンは、取り上げた単眼鏡を首にぶら下げると、それをぐっと握り締める。
ほっとしたような呆れたような、どちらとも言えない溜息をついた。
それから、むっとした顔になって、
「ハインさん、線を引きましょう」
「え?せ、線?」
「部屋の線です。お互いの生活圏を決めましょう」
突然提案されたハインは、うまく呑み込めなかった。
クラウンは気にもせず、作業に取り掛かる。
ベッドの足元に置いていたアタッシュケースを開けると、蓋側にある内ポケットに入っていた二枚の荷札を取り出す。
荷札をテーブルに並べて置くと、ぽんぽん、とそれぞれ軽く叩いた。
召喚されたのは、一本のロープとブランケットだ。
クラウンは、まずロープを部屋の壁にある服掛け用の突起と向かい側にある柱にくくりつける。
その作業中を眺めていたハインは、何となく自分のベッドの方に来てしまった。
ぴんっと張ったロープにブランケットを干すようにかけると、部屋には簡易的な仕切りができた。
心なしか、部屋の明かりも吸収されて少し暗く感じる。
目線の高さまである仕切りから、クラウンは顔を出した。
「ここから先は、僕のスペースです。そっちは、ハインさん。これで良いですか?」
「良いですかって、何も……」
突然提案され、実行されたことだ。ハインは、戸惑った。
しかし、クラウンは、はっきりとした態度で続ける。
「文句は受けつけません。さっき勝手に私物に触ったでしょう。そういうことは防ぎたいんです」
「う…。わ、分かったわよ。…ごめん、勝手に触って。そんなに大切なものだって知らなくって…」
ハインは正当な理由を言われて、しどろもどろにながら謝った。
クラウンは、まだ漠然と理解しているハインの様子を見て、冷淡に続ける。
「大切なものじゃなくても、僕の私物には魔術関係のものが多い。魔術に疎いハインさんが、勝手に触って何か起きてからじゃ遅いんです。
対処出来る範囲ならまだしも、今の僕は制限が多い。下手に怪我でもされたら困るんです。分かりましたか?」
「う、うん…分かった。ごめんなさい…」
「とにかく…もう休みましょう。明日は忙しいですから」
「あ、」
ハインが何か言おうとする前に、クラウンはさっと顔を引っ込めた。
態度が急変したクラウンを見て、引き止めることすら躊躇ったハインは、言い知れない自責の念で頭の中を覆い尽くされる。
何か言わなければ、と思ったが、
「おやすみ…」
散々迷ってその一言を送るも、返ってくる言葉はなかった。
※
(寝れない……)
そそくさとベッドに潜って、どれだけ時間が経っただろう。
就寝しようにも、ハインの中では先ほどの出来事がまだ尾を引いていた。
気持ちを紛らわせようと、ベッドの上で何度も寝返りを打つ。
クラウンの手で作られた『仕切り』の向こうでは、まだテーブルランプの明かりがついている。
遮断しているブランケットの隙間から、ちらりとクラウンの姿が見えた。
上裸でタオルを頭に被ったまま、ベッドの上で黄金色のリボルバー『アルトン』の整備をしているようだ。
細いドライバーで、丹念にチャンバーのネジを締めている。他にも、鈎棒のようなものに巻きつけたガンオイルを染み込ませたガーゼもあった。
しかし、その姿よりもハインの目に真っ先に飛び込んできたのは……。
(すごい傷……)
筋肉がついた背中一面に、まるでナイフで切り裂いたような無数の裂傷痕があった。
更に、リボルバーを整備する彼の両手首は、皮膚の再生が間に合わず、抉ったようなケロイド状の傷がぐるりと囲んでいる。
ガチャッ、とクラウンが整備した『アルトン』のチャンバーを元に戻す。
その音で、凝視していたハインは我に返った。気づかれないように、そっと寝返りを打つ。
一人で勝手に気まずくなったハインは、クラウンに背を向けたまま声をかけた。
「まだ…、寝ないの?」
「ああ…、眩しいですか?すいません。すぐに終わるんで」
「気にしなくていいわよ。準備してるんだし。ただ聞いただけ…」
「そうですか…。なるべく早く済ませます」
普段と変わりない調子でクラウンは、答えた。
ブランケット越しから、チャラチャラと断続的に金属音が聞こえる。
ハインは気持ちを落ち着けるように、その音に耳を澄ました。
しばらく、そうした後、
「聞いてもいい?」
「なんですか?」
「その…、体の傷のこと」
ハインは、遠慮気味に聞く。
クラウンから、すぐに返答はなかった。だが、くす、と笑う声が聞こえて、
「仕切りまで作ったのに、わざわざ覗いてたんですか?やらしいー」
「なっ…。た、たまたま見えただけよ」
「ふーん…、」
興味なさげに返ってきた声が、無性に苛立つ。
何のことで話しかけたのか、とりあえず今はそれを置いてハインはぼやく。
「大体女がいるのに、服脱いでるあんたもあんたでしょ。露出癖でもあるんじゃないでしょうね?」
「ないですよ。でも確かに、言われてみればそうですね。単独行動に慣れてたんで、まだ抜け切ってないのかも。服を着てないのは、髪から水が落ちるんで脱いでるんですよ」
「あっそ。じゃあ、私は不可抗力であんたの裸を見せられたわけね」
「そうですね」
言葉の応酬が待っているかと思えば、あっさりとクラウンが認めたことで終わった。
また、話すことがなくなった。
整備に集中しているクラウンを気遣いも含まれているが、それだけではない。そもそもクラウンは、この話を続けたくないような、そんな気がしたのだ。
(踏み込んだこと、聞いちゃったかな…。それもそうよね。誰も負った傷のことなんて、話したくないか……)
就寝前に揉めたことを、何とか取り戻したい。そんな気持ちで独善的になっていたことに、ハインは気づいた。
冷静になって、またぽつりと呟く。
「ごめん、」
「はい?」
「傷のこと、聞いちゃって。野暮なことした」
身勝手に振舞ってしまったハインは、率直に言った。
クラウンは、納得したように「ああ……」と声を上げると、
「平気ですよ。こんな傷だらけの体見たら、聞きたくもなるでしょう。どこで、誰につけられたのかーって」
いつもの飄然とした態度で、クラウンは言う。
ハインは興味本位で聞いたことが、無粋だったとまた思い直した。
今度は、深入りせずに淡々と声を小さくして、
「うん…。痛そうだなって、思った。転んで怪我するだけでも痛いでしょ?だから、ずっと体に残る傷を負わされた時は、すごく痛かっただろうなって……」
「……そうですね。痛かったです」
整備する手が、いつの間にか止まっていた。
クラウンは受け答えながら、少し疼痛し始めた背中を鎮めるように肩に手を置く。
ハインは、やんわりとした声色で続ける。
「あんたが、痛いのが嫌いって言う理由、なんとなく分かったかも。それだけ痛い思いしたら嫌にもなるわよね」
「…………、」
「興味本位で聞いて悪かったわ。それから、単眼鏡のことも。勝手に触ってごめん。ちゃんと謝りたかったの、それだけ」
ハインは、しつこいくらいに謝罪を口にする。
またからかわれるだろうか、と思いながらも今はただ自らの行いに一本の筋を通したかった。
クラウンは、それに答えはしない。
ただ、しくしくと痛み出す古傷を黙らせるようにぐっと肩を握り締めた。
そして、気後れしたように弱々しく口を開く。
「酒は苦手なんですけど、」
「うん?」
「いつか、」
「……、」
「どこかで間違って酒を飲んで酔っ払ったら、喋るかもしれません。その時は、聞いてくれませんか?…傷の話」
いつもと打って変わって、真剣な口ぶりだ。
同時に、たどたどしく紡がれた彼の言葉には、どこか寂寞が滲んでいた。
「うん」
ハインは、漠然と感じた彼の思いを拾い上げるかのように、優しく答える。
続く話は、今度こそない。会話は、静かに終わった。
不思議と、その瞬間だけ何かの『壁』は感じなかった。けれど、それはこの一瞬だけだろう。
寝て起きたら、またいつもの調子に戻って、口喧嘩のやかましい明日を迎える。
ハインはそんな日常を迎える為に、眠りにつく準備をした。
「そろそろ、寝るわ」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ、クラウン」
その日の夜、ハインとクラウンは初めて挨拶を交わした――。






