ep.32 《風の防壁》
差し向けられた重厚感のある、銃口――。
その先にいるヴィドーは、微動だにしなかった。
この緊迫感の中では、動作一つでも火蓋を切るには十分だ。
だが、今始めるわけにはいかない。ヴィドーを引き止めるのは、肩を貸している負傷した仲間だ。
戦闘に巻き込まないために考えを巡らす。だが、膠着状態が続かないことも事実。
空間をじわりと支配する異様な寒気を発するベンジャミン・ラビットソンが、『この場から誰一人として逃がさない』と暗に告げている。
戦わねばならない。ヴィドーの瞳の奥に、確かな戦意の光が宿る。
思いに呼応して、キィイン…!と超音波のような金切り音を上げながら、ガントレットの魔石が輝いた。
見逃さなかったクラウンは、躊躇なくアルトンの引き金を引く。
時鐘のような銃声が上がり、撃ち出された弾丸が一直線に飛んでくる。
怯む仲間の男は、目を強く瞑った。
ヴィドーの足元から渦巻くように旋風が上がり、周囲を包む。
「!」
標的を撃ち抜く寸前、旋風が弾丸を弾いた。
ウサギの生首を被っていても、運び屋が驚いたことはすぐに分かった。
戦闘用魔具・ガントレットによって生み出された、『風の防壁』――。
ヒュオォッ…!と風が唸り声を上げる。
『風の防壁』は、轆轤で回される粘土のように人一人分の隙間を空けた。
「行けッ!!」
ヴィドーは声を張り上げて、肩を貸していた男を防壁外へ突き飛ばす。
冷静さを取り戻したウサギ頭が目敏く、アルトンの矛先を男に向けた。
「させるかッ…!」
『風の防壁』は花が咲くように広がり、糸状の『風の刃』へと姿を変える。
無数のそれらは、辺りを気にすることなく傍若無人に厩舎内を斬り裂いた。
ガラガラと崩れ始めた厩舎の残骸で、狙いを上手く定められなくなったウサギ頭は舌打ちして、銃口を下げる。
完全に建物が倒壊する前に、こちらに背を向けて走った。
向かう先は、ヴィドーが最初にウサギ頭を攻撃した際に開いた、壁の大穴。そこに飛び込み、脱出する姿が見えた。
地響きのような音を上げて、厩舎は崩壊する。
「…野ウサギのように巣穴に隠れたつもりか?」
恐らくこの大きな瓦礫の山の向かい側に、奴はいるのだろう。
こちらの出方を伺っているのか、声をかけても勿論返ってくる言葉はない。
「ならば、巣穴ごと片っ端から吹き飛ばせば済む話だ」
ザザザリザッ!とまるでミキサーで掻き切るように風の刃が残骸を粉砕する。そうすれば、弾かれたように『野ウサギ』が飛び出してきた。
体制を整えて、二発続けて発砲してきた。だが、瞬時に風の刃を防壁に変える。
「くっ…!」
残った一糸の風の刃でウサギ頭の左肩を斬りつけ、一方で一発の弾丸はヴィドーの右頬を掠めた。
ヴィドーは頬から血を軽く流すだけで、深手を負ったのは奴だ。
ウサギ頭の左肩から、蔦のように血が流れ出す。銃を握りしめたまま、負傷した肩を抑えてその場から逃げた。
ヴィドーは追撃することなく、ゆったりとした足取りで後を追う。
※ ※ ※
「はっ…!はぁ…ッ!」
クラウンは、息を荒らげ、厩舎が立ち並ぶ道をひたすら走った。
走れば走るほど、出血量は増していく。思っていた以上に、深く裂けているようだ。
どこかに身を潜め、戦略を立て直さなくては。クラウンは、忙しなく左右に首を振って、最適な場所を探した。
やがて、数十m先に、大型厩舎より更に二回りも大きい建屋を見つけた。
後ろに目をやると、ヴィドーの姿が見えた。人影の小ささからして、かなり距離はある。
後を追いかけて、確実に仕留めるつもりなのだろう。まるで、野ウサギを追う狩人のようだ。
クラウンは、形振り構わず建物に入った。
中には、使い古された荷馬車や貨物用の大きい木製のコンテナの数々がある。
どうやら、ここは飼料や備蓄品の保管庫のようだ。
クラウンは、一番大きなコンテナに向かい、その物陰に身を潜めた。
荒い呼吸を落ち着かせながら、迫る足音に耳を傾ける。
程なくして、静かな足音が建屋の入口にやってきた。
「凝りもせず、また隠れんぼか?」
ヴィドーの声が、建物内に響き渡る。
クラウンは、ずくずくと嫌に脈打ち、灼けるように痛む左肩に釣られないように息を静めた。
(ここも破壊されたら、打つ手がなくなるな……)
気を引くために、返答すべきか。だが、手負いのままで勝機を導き出す準備は、まだ整っていない。
クラウンは、最適解を探していた。しかし、その決断に猶予はない。
「なら、この建物ごと、貴様を葬ってやろう」
そんな宣告を告げられて、またあの耳障りな金切り音が響いた。
来る、無数の風の刃が。それを予期していながら、クラウンは微動だにしなかった。
なぜなら、
「誰が、やらせるかッ!!」
「なっ!?」
突如として背後から現れた気配に、ヴィドーは目を剥いて振り返る。
怒号と共に大刀を振り下ろすハイン・リッヒがいることに、気づいていたからだ。






