ep.26 アタッシュケース奪還作戦
ハインとヴィドーが戦闘に入る、一時間前――。
日が落ち、辺りはすっかり暗くなった。
露店通りは店ごとにランプをぶら下げて道端を照らし、暗闇を払い除ける。
番地には、これといった関門はないため、基本どこからでも自由に出入りができる。そのため、商人の荷馬車や運び屋の魔輪の駐輪場所が各所に設けられていた。
その駐輪場の一ヶ所に、ハインと白ウサギの生首を被ったクラウンがいた。
「……で、これからどうするの?」
宿屋から出てて、クラウンについてきたは良いものの、互いの距離感は遠い。
だが、そんなことも気にしていられないほど事態は急を要している。しかし、そもそもこんなところに来て一体どうするのかと疑問に思っていた。
すると、クラウンが何もない場所にしゃがみ込んだ。
ハインは腕を組んで、指先でとんとんと秒針のように腕を叩く。
「早く取り返さないと、あんたのアタッシュケースの中身がバラされるんじゃないの?」
「焦らなくても大丈夫です。もちろん、ここで立ち往生してるつもりもないですよ」
えらく呑気な返答に、「ああそう……」とハインは素っ気なく返した。
「相手も相当数いるので、僕ら二人だけでは中々骨が折れます。下っ端に足止めを食らっている間に、とんずらでもされたら元も子もないです」
「それもそうね。でも目ん玉変えても、ここには私とあんたしかいないじゃない。どうするのよ?」
「そうですね。そこで、奴らに対抗するために助っ人を呼ぼうかなと」
ハインは、訝しげに眉を曲げた。気を失っている間に、傭兵でも雇ったのだろうか。
クラウンが、砂埃に埋もれつつある石畳に手を翳し、その赤い瞳を細める。
すると、ず、と鉛のように重い気流を感じた。
(魔法……?)
ハインは、この感覚に覚えがあった。クラウンが、手乗りウサギを創造した時と同じだ。
まるで水中にいるような、押し流されそうになる空気の体積が、服の上から体を撫でる。
ふわ、と石畳を覆っていた砂が浮き上がった。
クラウンの手の平の下に、ぶわりと展開されたのは鮮緑に光り輝く魔術陣――その紋様は、以前見た『王冠の魔術陣』とは異なるものだ。
くるくると回る円陣の真ん中には、猫の顔を模した紋様がある。
「っ…!」
それが見えたかと思えば、瞬く間に魔術陣は光量を上げ、あまりの眩しさに、片腕で顔を覆い隠す。
「ふむ…。それで我々を呼んだわけか、クラ坊」
ぱ、と突然閃光が消えた。だが、目の奥を強く刺激されたハインは、まだ目を開けられないでいた。
「おい、呼んだのはオレらだけか?『ミミ』の奴はどうしたよ?」
「今日は一回召喚済みなので…。無理やり召喚されるのも嫌がるだろうし、今回は二人に任せます」
クラウンが、誰かと話している。
会話の雰囲気からして敵対的ではないことを察すると、恐る恐る目を開く。
すると、そこには。
「そうか、なら仕方ないな。ミミがいれば、多少楽になるとは思ったのだが」
「構わねぇよ、アートベルト。どっちにしろ、ミミの奴は戦闘向きじゃねぇんだ。オレらで事足りるだろうよ」
思わず、見上げてしまうような視界を覆い尽くす真っ白な壁がある。
どうやらこの先にクラウンがいるようだが、目の前のそれが壁ではないことはすぐに分かった。
ふわふわと綿毛のような体毛が、風で靡いている。その真白は――、身長2mはあろう巨大な『猫』の毛並みだ。
「ほ、本物…?」
ハインは、この前にも二足歩行する『猫』を見た。それは『オズ』という猫で、ここまでの大きさはない。
何かが動いている気配を感じて、視線を下ろす。ゆらゆらと猫じゃらしのように揺れているのは、羽箒のような尻尾だ。
無意識に好奇心が勝って、指先で触れてみる。
「あん…?なんだ、この女は」
いけ好かない感覚だったのか、巨体が振り向く。逆蒲鉾型に吊り上がった目で、ハインを見下げる。
腹部はぽってりとしているが、何せこの体格差だ。思わず、固唾を飲んだ。
すると、
「良さないか、フーラン。そう威嚇するな」
スラリとした体型の、これまた二足歩行の『猫』が、フーランと呼んだ猫の太い腕を軽く叩く。
毛並みは黄土色で茶色の縞模様が、顔に入っていた。頭には黒の中折帽を被り、袖口を肘まで捲った白いワイシャツの上から黒いベストを着て、しゅっとしたボトムスに黒革の手袋をしている。
フーランは、不服そうな顔を浮かべると、
「人様ならねぇ猫様の尻尾を断りなく触りやがったんだ。加えて、挨拶もねぇと来た。無礼な女だ」
「お前くらいのデカい猫を見て、驚かない者はそうはいないだろう?その上、人の言葉を話す猫など恐怖せずにはいられんだろうが」
フーランを肘で軽く小突くスラリとした猫は注意した後、ハインを見て微笑む。
「麗しいお嬢さん、申し遅れた。私は、アートベルト。このデカ猫は、フーラン。由緒正しき『精霊猫』のチェシャ一族の二匹にして、クラ坊の使役精霊だ。以後、お見知りおきを」
アートベルトと名乗った猫は、どこぞの紳士のように被っていた中折帽を外して丁寧にお辞儀をする。
若干及び腰だったハインは、背筋を伸ばして態度を改めた。
「ハイン・リッヒです。キュルヴィ協会の運び屋をしてます。…よろしく」
「おお…、その姿に相応しく美しい名だ」
「え!?」
突然目の色をきらりと輝かせたアートベルトは、そのすらりとした手でハインの手を取る。
フーランが呆れたように「出たよ…」と溜息をついて、クラウンも「名前だけで行きますか…」と続けて辟易とした。
その声が聞こえていないのか、アートベルトは、更にこちらに詰め寄ってくる。
「懇親の意も込めて。ぜひとも、この戦いが終わった後に私と食事でもどうでしょう?」
「はっ?えっ…、食事は魅力的ではあるけど…」
「ああもう…、アートベルトさん。女性を見たら片っ端からナンパするのは、やめて下さい。ハインさんも食事とかいう安い言葉で釣られないで下さいよ」
後ずさりしても、その距離を詰めるアートベルトに困っていたところに、クラウンが割って入ると引き離して諌める。
すると、ぷくく、とどこからか含み笑いが聞こえた。
「クラ坊、面白ぇじゃねぇかよ。アートベルトのナンパが成功しかけるとこなんて、初めて見たぞ。メス猫にもそっぽ向かれんのによ。その女の頭ん中、どうなってんだ?」
フーランが笑いを堪えながら、あからさまに馬鹿にしてきた。
瞬間的に、額の血管がぴきりと青く浮き出る。
どうやら、嗾けるような物言いは常なのだろう。隣で、参ったようにウサギ頭に手を添えるクラウンの姿を見て察しがついた。
太い猫の指が、こちらを指してくる。
「飯のことしか頭にねぇぞ。ホントにこんなのと組むってのか?大丈夫かよ。アタッシュケースなんかより犬公みてぇに道端に転がってる肉に食いつくんじゃねぇだろうな?」
「おいこら、そこの太っちょ猫。黙って聞いてたら、誰が犬よ。初対面で随分な態度じゃない」
「あぁん!?誰が、デブだ!逞しいと言えってんだよ。初対面で無礼すぎんだろ、おめー」
互いの怒りの沸点を迎える箇所はズレているようだが、闘志を燃やすには十分だ。
ハインとフーランは、胸を張り詰め寄って睨み合うと火花を散らす。
すると、その間に、クラウンが無理やり割り込んできた。
「いい加減にして下さい!本当に時間がないんですよ!こうしてる間にも、僕のアタッシュケースの中身がバラされてます!」
ようやく、ハインは本来の目的を思い出した。
フーランが面白くなさそうな態度をするも、睨めっこはやめて顔を背ける。
収拾ついたところで、アートベルトが、クラウンの肩を励ますように叩く。
「それで、クラ坊。大まかな作戦は決まっているのか?」
アートベルトの問いに便乗して、ハインもクラウンを見た。
クラウンは、真剣な赤い眼差しを皆に向けてはっきりと答える。
「はい、名づけて『アタッシュケース奪還作戦』です」
※ ※ ※
「と、息巻いていた割にはこのザマか……」
アートベルトは、数十分前のクラウンの堂々とした姿を懐かしむ。
厩舎群跡地は、手乗りウサギの駆除によって破壊された厩舎の残骸が至る所にあり、障害物だらけになっていた。
だだっ広くなった跡地にある、山のように倒壊した障害物に、アートベルトとクラウンは身を隠している。
疲労から互いに呼吸が乱れて、肩を大きく上下に動かして項垂れていた。
「『名づけて、アタッシュケース奪還作戦です』だと?クラ坊…お前…、あの時、そのウサギ頭の下でどんな顔して言っていたんだ…?」
「やめてくださいよ…。自分でも恥ずかしいなと思ってますから……」
「だろうな……、こんな状況を想定していたら、ああも格好つけて言いはしなかっただろう…」
少し呼吸が落ち着いたアートベルトは、こっそりと物陰から顔を出すと、障害物の木片が弾け飛んだ。
「くっ…!」
即座に物陰に全身を隠すと、ダダダダダッ!と直後に背後の障害物がけけたましい音を上げた。
「次は外すなよ!絶対にここで仕留めろッ!」
遠くの方から、血気盛んな男の声が聞こえる。
クラウンとアートベルトが隠れる障害物を越えて一直線の光線を描くのは、弾丸だ。
クラウンが、はぁー、と大きく一呼吸して落ち着きを取り戻す。
「飛行魔術を持つ機動力の高いフーランにハインさんを組ませて上空から攻めつつ、末端の敵を陽動して…。その隙に僕とアートベルトでアタッシュケースを探す。…良い作戦だと思っていたのに」
「ああ、決して悪い作戦ではないな」
アートベルトは、先程着弾しかけたことに内心肝を冷やした。
クラウンが、ごつんと障害物に白ウサギ頭の後頭部を当てる。
次々に上がる銃声と飛び交う弾丸の流れ星、ジャラジャラとポケットに入った小銭のような音を上げて地面に落ちる薬莢。
それらが示すことは。
「でも、まさか…僕らが貧乏くじを引く羽目になるとは」
クラウンとアートベルトは、現在、末端の敵が多くいる敵地のど真ん中で、弾雨に晒されていた。






