ep.22 夕飯にしよう
部屋中にあるランプが、煌々と灯っている。
猫脚の一人掛けソファーが二脚と、その間には木製のローテーブルがあった。
部屋の一角には、それとは別にテーブルクロスがかけられた円卓があり、四脚の椅子がそれを囲っている。
その椅子に、ハインとクラウン、そしてダンがそれぞれ座っていた。
ダンは、ハインより先に目を覚まして、クラウンと共にオズの治療が終わるまで待機していた。
ついさっき、寝室から声が聞こえて、クラウンが様子を見ようとドアを開いた時だ。
ハインの怒号と共に豪速球で飛んできた枕に彼は吹っ飛ばされた。その一連の流れを見て、ダンは思わず困惑したのが、それまでの話。
詳しく知らないダンでも、何かしらで二人が揉めたのは分かった。
円卓を囲むクラウンの鼻っ柱には絆創膏が貼ってあり、何か言いたそうにハインを見て切り分けた肉を食べていた。
一方のハインは、一切クラウンに目を向けることなく、円卓上一杯に並べられた料理を黙々と口に運んでいる。
言わずもがな、これだけの量を頼んだのは他でもなく彼女だ。
(腹減ってるのに、気まずいなぁ……)
ダンは、自分よりも年上の顔色を伺って思うように食べ進められなかった。それまでなら、これだけのご馳走を前にしたら食い散らかしていただろう。
話は変わって、すでにこの部屋の宿泊許可は得ている。経緯は、清掃しに来た従業員に発見されてしまったからだ。
クラウンが慌てて、金貨の入った小袋を渡し、ぎこちない笑顔で「一泊二日で、お願いします」と短く言えば、従業員は渋々了承して出ていった。
深く咎められなかったのは、関わってはいけない不審者、と暗に思われたかもしれない。
何はともあれ、ロストチルドレンである自らの存在に気付かれずに済んだのは幸いだ。見つかっていたら、問答無用で放り出されていただろう。
ロストチルドレンは、町に蔓延るネズミと同じ存在なのだから――。
「どうしたの?具合でも悪い?」
ふと、ハインから声がかかった。
ダンは、陰っていた表情を引っ込めて、首を振る。
「そう、それなら良かった。でも何かあったら、ちゃんと言いなさいよ?」
彼女の、慈愛に満ちた微笑みには慣れない。美顔に見つめられる照れではなく、どこか居心地の悪さを感じた。
それも思っていたより、早く限界が来たようだ。
ぐっ、とダンは目を強く瞑ると、重々しく口を開く。
「……あの、さ。あんま、そういう顔すんの、やめた方がいいぜ」
「へ?どんな顔よ」
ハインは、ダンの忠告に心当たりがないようだ。
怪訝な顔を浮かべる彼女を見ていると、ダンの何かに火がつく。
「だから、そういう顔だよ」
「どういう顔よ。具体的に言ってくれないと分からないじゃない」
理不尽な言われ様に腹を据えかねたのか、ハインは口をへの字に曲げる。
心の琴線に触れた。蝋燭の芯をじりじりと燃やしていくような、嫌な音が鳴る。
「だから……、」
この状況はどこか異常だ、と。
分かっている。分かっていて、これを口に出して良いのか迷った。
何を今更……。そう思えば、吹っ切れて言葉になった。
「オレを、人間、みたいに見る顔だよ」
思っていた以上に、この事実を口にするのは勇気がいる。
時が止まったのではないかと思うほど、静寂が部屋を包んだ。
食事を進めていたフォークや陶器の食器の音すら飲み込んだ、完全な無音。
ダンは、その中で徐ろに続けた。
「アンタたちには、感謝してるよ。しても、しきれないくらい。カイルの怪我も治してくれて、しかもタダで……。
でも、それ以上の扱いはしなくていい。
アンタたちとオレたちじゃ、住む世界が違うんだよ。分かるだろ?オレはロストチルドレンだ。どの番地にもいるネズミみたいなもんなんだよ。
つーか、アンタのアタッシュケース盗んだクソガキだぞ?普通なら、運び屋の商売道具盗んだら、それなりの報復があるんだろ?
そんなこともしないで、なんで平気な顔して一緒に飯なんか食えてんだよ……」
言っていて、どうしてだか、心が痛い。
何度も再確認してきた、揺るがない真実だ。
振り返れば、今までダンが見てきた『人間』と自分を照らし合わせてみると、随分かけ離れていた。
人間は、綺麗な服を着て、雨風を凌げる『家』があり、腹が鳴る頃には飯が出てくる。テーブルは、その団欒を囲むもの。ランプは、月が昇り、辺りを暗闇が覆った時に灯す光だ。
一方で、ダンは薄汚い服のような布切れを着て、雨風に打たれてその身を震わせる。腹が鳴りすぎて空腹でキリキリと痛む胃を、時たま殴って黙らせた。商品として陳列された食べ物を、無断で盗む。辺りを暗闇が覆った時は、月だけが頼りだった。
同じように澄んだ空気を吸い、同じ太陽の下で生きている。
同じ姿形をし、同じ人体構造のはず――。
なのに、自らはその輪には入れず、どうやら『違う』らしい。
彼らから向けられる視線の中には、いつも蔑みと汚物を見るような嫌悪があった。
その積み重ねの中で、ダンはようやく結論づけたのだ。
自分は、オレは、オレは――。
「……オレは、アンタたちと、同じ人間じゃ―ぃでっ!?」
ゴツッ!と頭頂部に岩をぶつけられたような鈍痛が走る。
衝撃で首は窄み、最後まで言い切るどころか、危うく舌を噛み切りかけた。
容赦ない拳骨を落としたのは、ハインだ。
頭頂部に出来たたんこぶを両手で撫でながら、彼女を見る。
その表情は、とてつもなく無だった。しかし、瞳の奥は、静かに確固とした意志を燃やしている。
その中に、蔑みや嫌悪は微塵もない。
「報復されたいなら、今してあげたわよ」
「え…、」
ダンは、ただ呆然としたように聞き返した。
ふいっとハインは顔を背けて、緩やかに怒った。
「ガキんちょのくせして、一丁前に達観してるんじゃないわよ。あんたの今までが綺麗事なんかで簡単に片付けられたり、こんなことをして救われるなんて、これっぽっちも思ってないわ。あんたの言いたいことも納得できないことも分かってる……つもり」
また瞳の中が、大きく揺れている。横から見えたそれは決して涙ではなく、憂いが目に現れたと思った。
彼女の言葉や行動の意味を図りかねて、あんぐりとしていると、再びハインがこちらを見た。
「でもね、綺麗事だって思われようが誰に何と言われようが、私がハッキリと言ってやるわ。……あんたは、私と『同じ』よ」
短く投げられた最後の一言に、ダンの心が射抜かれた。
感動だとか、感銘だとか、そういった感覚ではない。
今まで是としてきた価値観が崩されたような、大きな衝撃だった。
「……食べなさい。どうせ、そこにいるモジャモジャの奢りなんだから。細かいこと気にしてると、私が全部食べ尽くして食いっぱぐれるわよ」
「良さげな話があった後でなんですけど、僕の奢りで確定なんですね」
満面の笑みのクラウンの小言は無視して、ハインはすぐに何事もなく食事に戻った。
ダンは、しばらく考えて、たんこぶの痛みと戦いながら、ようやくフォークを手に取る。
生まれて初めて触れた銀食器は、意外と重く感じた――。






