ep.13 路地戦線 _ 前編
眼前に現れた影に驚いて、固い石畳の地面に尻もちをつく。
「えっ…?」
ダンは、大きく目を見開いた。
彼の前に現れた焦茶の影は、ロングコートの裾先だ。
それを靡かせ、舞い降りてきたのは、あの『運び屋』の女――。
「…………、」
ダンの前で、肩幅まで足を開いて勇ましく立つ女が、鋭い眼光を向ける。
それまでの悪事を忘れて、みっともなく助けなんて求めてしまったからだ。
よりにもよって、アタッシュケースを奪い取った相手が現れるなんて。
ダンは、途端に罪悪感を感じて顔を伏せた。
それを見た女が、小首を傾げる。
「あんた…、」
何かを言いかけたところで、ドタバタと大勢の足音が路地の奥から聞こえてきた。
「いたぞッ!」
「あんのックソガキ!」
はっとして、ダンは振り返る。このミスを命をもって償わせようとする男達が迫っていた。
だが、目の前にいるのは、それらが原因で被害者となった女がいる。
四面楚歌だ、抵抗も無意味かもしれない。
「逃がすかッ!ぶっ殺してやる!」
男の怒号に、ダンはたじろぐだけで動けなかった。
盗人には、お誂え向きの『最後』だ。
※ ※ ※
これ以上、遠くに行かせない為にダメージを与えて、あわよくば殺してしまってもいいと思った。身動きしなくなった子供は、男にとって好都合だ。
ブンッ!と勢いよく強肩を活かして片手斧を投げつける。
男の殺意を乗せた片手斧は回転し、ダンの顔面目がけて一直線に向かっていく。
悲鳴をあげる暇もない。ダンが防御体勢を取るが、無駄だ。
仕留めた、と誰もが思った。
だが、
「っぶないでしょ!」
ダンの頭をかち割っているはずの片手斧は、見知らぬ女の手にある。
男達は、ぽかんと口を開けて呆然とした。
あの一瞬で、女は即座にダンを跨ぎ、庇うようにしゃがみ込んで飛んできた片手斧を見切り、柄を掴んだのだ。
「こんな物騒なもの、人に向けてブン投げるんじゃないわよ!」
突然の出来事で、どうやらまだ状況を飲み込めていないようだ。女が焦りながら、怒鳴っている。
えらく直情的な態度に、さっきの常人離れした動きは錯覚じゃないかと思い始めた。
それは余裕をもたらし、男達は徐々に笑い声をあげる。
「ははは…、すまねぇな。けど、悪いことは言わねぇ。早くここから帰んな」
「そうそう、俺達はそこのガキに用があんのさ」
男が指し示すのは、女の背後だ。
女は、怪訝そうに眉を顰めるとダンを見た。
※ ※ ※
(アタッシュケースを追いかけてきただけなのに…、まどろっこしいわね)
思わぬ場面に出くわしてしまった、とハインは思った。
背後に隠れている少年は顔を伏せて、こっそりとロングコートの裾を掴んでいる。
まるで、行かないで、と縋るような仕草から、ハインは何となく状況を把握した。
目の前の男達は、どうやらこの子供を狙っているようだ。そこに生死は問われていないらしい。
そう考えるが、ハインもまた男達と大方の目的は同じだ。
男達に再度目を向けて、立ち上がる。
「そう。何だか分からないけど、このガキんちょは、あんた達にも迷惑をかけたわけね」
「…まあ、そんなとこだな」
聞けば、一人の男が歯切れ悪く答える。
一方で、その『ガキんちょ』は、より一層顔を伏せた。
ハインは、持っていた片手斧を路肩に放り捨てる。
「奇遇ね、私もこのガキんちょに用があるの」
「へー、そりゃほんとに奇遇だ。だが、俺らの方を優先させてもらおうか」
「それは、無理な相談ね」
即答すれば、男達の表情が険しくなる。
「すまねぇ、よく聞こえなかった…。なんだって?」
「無理だって言ったのよ、嫌だってこと。私が、年端もいかない子供に斧を投げつけるヤツらを『危険じゃない』と判断するようなバカに見えるのかしら?」
呆れたように笑いながら、挑発する。
しかし、男達はそれには乗らず、余裕そうに笑った。
「そんな馬鹿には見えなくても、この状況を見てみな」
「まさかとは思うが、オレらに喧嘩を売ろうってんじゃねぇだろうな?」
「気前のいい姉ちゃんだが、そういうのは無謀っつうんだぜ?嬢ちゃん、死にてぇのかよ、ははは!」
嘲笑されても、ハインの頭の中は妙に冴えていた。
男達の態度からして、引く気はないのだろう。何がなんでも、子供を奪い取りたいらしい。
引かないのは、彼らだけではない。ハインも同じだ。
女一人に対して、あちらはざっと見て七〜八人。数の利は、明白。
死にたいのかと問われたが、勿論そんなことは毛程も思っていない。
人数差を主張したいようだが、問題の内にも入らない。
無駄な争い事は回避すべき、と偉そうにデスクチェアにふんぞり返る『協会長』の言葉が過ぎ去った。
本当に、まどろっこしい。
己の、こんな性格が心底面倒だ。
けれど、どうしてだか『強者』の笑みが零れた。
「聞き間違えかしら?」
「あぁ?」
「私が死にたいんじゃなくて…、あんた達が『死ぬ気』でかかってくるんでしょ」
「……てめぇ、殺してやるよ」
不敵な笑みで答えたその一言は、火蓋を切って落とすには十分だった。
野太い男達の咆哮が、路地の壁という壁に反響する。
先陣を切って、三人の男が手に凶器を固く握り締め、ハインに向かって走る。
ハインの目には、全ての動きが鈍く見えた。
魔術の心得は、微塵もない。生まれ持った卓越した戦闘センス、それに驕ることなく励んだ日々の鍛錬。
極限にまで磨き上げられた動体視力と身体能力は、強化魔術にも引けを取らない。
「遅いっての!」
「い"ッ!?」
向かってきた三人の男の内、刺し殺そうとナイフを持った男の手首を、骨が軋む程の強い力で掴んで捻り上げる。
手首を捻られたことで一瞬膝を折った男の腹を蹴り飛ばすと、
「ぅおっ!?」
飛びかかろうとしてきた二人が、吹き飛んできた男の体を支えようとバランスを崩す。
ハインは、軽い助走をつけて飛び上がった。
「まずは三人!」
男を支えていた二人の内、一人の顔面を踏みつけ、もう一方を殴り倒す。
三人の男が、白目を向いて地面に膝や腰を落とした頃、ハインは跪くように着地する。
鮮烈だった、目を疑った。
一瞬にして、三人の大柄な男達が地に伸されている。
男達は口を開きっぱなしにして、目を見開く。
研ぎ澄まされた刃のようにギラついた眼光を向ければ、つ…、と何人かが汗を流した。
――逃がさない。
その意志は、確実に伝わったことだろう。女狼に狩られる側だと思い知るがいい。
カウントは、まだ始まったばかりだ。
残り、六人。
「覚悟しなさいよ、ノロマ共」






