第13話(第二章」 「夜行バスと、東京ノイズ」
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ベスパを売った日の夜。
部屋の中が、妙に広く感じた。
工具箱。
開きっぱなしのバイク雑誌。
壁に貼ったモッズ系バンドの切り抜き。
なのに、一番大きかった“音”だけが消えている。
(……静かすぎるな)
マサオは、狭いアパートの天井を見上げた。
あのベスパは、もうない。
映画『さらば青春の光』のAceが乗っていたみたいな色にしたくて、無理言って板金屋に頼んだ。
返ってきた車体は、自分で塗ったボロいブルーとは別物だった。
滑らかな塗装。
深いシルバー。
光の流れ方まで違った。
(……あれ、ずっと乗りたかったな)
でも。
東京へ行く金が足りなかった。
美容科の通信の学費。
アパート代。
生活費。
夢は、意外と現実的な金額で削られていく。
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出発の日。
母は、昼の仕込みをしながら言った。
「向こう行っても、変なことすんなよ」
「……たぶん。」
「だろうね…」
母は笑った。
その笑い方が、少しだけ寂しそうだった。
兄は美容室の練習で帰りが遅く、
代わりにテーブルの上へ、古いシザーケースが置いてあった。
「使うならやる」
紙切れに、そうだけ書いてある。
マサオは少しだけ笑った。
(……兄ちゃん、不器用だな)
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夜。
駅前のロータリー。
デカいスポーツバッグ。
安物のラジカセ。
財布の中には、心細い札しか入っていない。
夜行バスは、思っていたより古かった。
タバコとビニールの匂い。
疲れた顔の乗客たち。
マサオは窓際に座り、ヘッドホンを耳に当てる。
カセットテープが回り始める。
少しノイズ混じりの音楽。
その瞬間だけ、
頭の中のノイズが少し遠のいた。
(……助かる)
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バスが走り出す。
見慣れた街の灯りが、
ゆっくり後ろへ流れていく。
コンビニ。
高架橋。
走った道。
ベスパの音が聞こえそうな景色。
でも、もうそこに自分はいない。
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サービスエリアで目が覚めた。
知らない土地の空気。
自販機の白い光。
大型トラックのエンジン音。
タバコを吸う男たちの横を通る。
(ガキかよ)
(東京でも行くのか? 続かねぇだろ)
ノイズが刺さる。
マサオは、反応しない。
昔より、
少しだけ慣れてしまっていた。
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夜明け前。
窓の外に、巨大な街の灯りが見え始める。
東京。
ビル。
首都高。
途切れないテールランプ。
路上で酔ってるのか、淫らな格好のまま寝てる女性たち。
人の数だけ、
ノイズがある街。
マサオは、ヘッドホンを外した。
一気に流れ込んでくる。
(眠ぃ)
(だりぃ)
(今日ミスれねぇ)
(金ねぇ)
(帰りてぇ)
無数の感情。
田舎とは違う。
一人一人が薄い代わりに、
数だけが異常に多い。
(……なんだよ、この街)
気持ち悪い。
でも。
少しだけ、
興奮している自分もいた。
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バスが止まる。
マサオはデカいバッグを担ぎ、
ラジカセを持って外へ出た。
『池袋駅前』...
朝の東京は、もう動き始めている。
誰も、自分を見ていない。
それが少しだけ、楽だった。
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雑踏の中。
マサオは、小さく息を吐いた。
(……ここで、生きるのか)
ノイズは消えない。
たぶん、これからもっと増える。
それでも。
走るのをやめたわけじゃない。
形が変わるだけだ。
マサオは、東京の空を見上げた。
曇っていた。
その灰色が、
なぜか少しだけ落ち着いた。




