第一聖
199X年、高校に入学したばかりの十子はアルバイトに勤しんでいた。
父は借金を作って蒸発し、母は病死した。姉は上京後に一切の音沙汰がない。
引き取ってくれた親戚も良い人間とは言えず、母の保険金を数週間で食い潰した。
公立高校に通わせてもらってはいるが、この人たちに恩を感じたくないので
学費や生活費は自分自身で稼ごうと入学前から決めていたのである。
それと、卒業後はこんな家を出て自由気ままな一人暮らしがしたいと思っていた。
とにかく金が必要だ。十子は3つのアルバイトを掛け持ちし、懸命に働いた。
◇
「店長、お先に上がりまーす」
「十子ちゃん、今日もチョベリグだったよ!明日もヨロピクね!」
チョベリグとは超Very goodの略である。
TVでは若者の間で流行中の言葉として報道されていたが、
現役女子高生の十子には聞き慣れない単語だった。
学校でそれを使っている同級生は一人もいなかった。
次の勤務先へ向かう途中、十子の携帯電話が着メロを鳴らした。
発信者の名前は里奈。同じ中学校出身の友人だ。
アイドル並に可愛いルックスの持ち主でありながら
根っからのアニメオタクである事を公言しており、
十子をその道に引きずり込もうとしている悪友だ。
『十子…どうしよう…
あたし…やっちゃった……』
里奈の声は暗く、何かに怯えているように震えていた。
ああ、またか。いつものことだ。彼氏に振られたんだ。
十子はそう察しつつ、心配するフリをして雑に返した。
「里奈、何をやっちゃったの?
へーき?そっち行こうか?」
里奈は毎回、顔だけはいい男を選んでは弄ばれて勝手に傷付いてきた。
だからクズ男はやめとけって言ったのに、里奈はそれをやめられない性格だった。
『十子ぉ……あたし…
血が…どうしよう……切りすぎちゃったみたい……
止まんないの……どうしようやっぱり死にたくない……!』
十子は絶句した。
あの馬鹿、リストカットしたのか。
あの子はそういうことする問題児だ。
これが初めてじゃない、三度目だ。
声の調子からして嘘ではないと確信した。
「里奈!あんた今どこ居んの!?
私に電話かけてる場合じゃないだろアホーっ!!
救急車呼んだ!?呼んでないなら今すぐ呼べ!!」
『学校に……藤乃宮君の席に…』
里奈が言い終わる前に十子は通話を切り、すぐさま救急車の手配をした。
バイトを無断欠勤する事になるが、そんなのはどうだってよかった。
馬鹿な友人に説教するため、十子の足は学校へと向かっていた。
◇
幸い学校への距離は近かった。勤務先選びを学校の近場で絞ったのは正解だった。
それと同時に、先に救急車が来ていて欲しかったとも思いながら教室を目指した。
「……里奈!!」
教室のドアを勢いよく開けると、里奈はクズ男の机に突っ伏していた。
電話で言っていた通り手首を切りすぎたようで、床には血溜まりができていた。
十子は制服のネクタイを外し、里奈の脇の下に巻き付けてきつく縛った。
ハンカチを強く患部に押し当て、余った手で脈を測るとかすかな反応があった。
「…里奈!この馬鹿!……あんたこれで三度目!!
いっつもいっつも何してんだよもーーーっ!?
心配するほうの身にもなれよアホーーーっ!!」
十子の声に気づき、里奈はうつろな目から大粒の涙を流した。
この顔を見るのも三度目だ。もう友達やめたいと十子は思った。
「十子ぉ……ごめん……ごめんね…
あたしいつも…ごめん…ありがとう……」
「…いいからそのままじっとしてろ!
救急車もうすぐで着くから頑張れ!」
とりあえず止血はしたが素人の応急処置だ。
血と涙を流しすぎて水分を大量に失ってそうである。
里奈の脈は徐々に弱くなってゆき、体温が下がり始めた。
死なせたくない。早く助けに来て欲しい。そう思った矢先──。
──突然、まばゆい光が二人を包み込んだ──!
◇
──それは一瞬のようで、永遠にも感じる不思議な感覚だった。
自分の体があるのかないのか、浮いてるような落ちてるような、
生きてるのか死んでるのかさえ曖昧で、まるで夢の中で歩くかのようだった。
光が消えたのを瞼で感じ取れたので目を開けると、そこは教室ではなかった。
洞窟のような空間を大量の蝋燭が照らし、今は祭壇のような場所に立っている。
そして怪しいローブを着込んだ仮面の者たちが二人を取り囲んでいた。
状況を掴めない十子が里奈を見やると、隣にいたのは見知らぬ少女だった。
その少女は金髪に人形のような目鼻立ちをしており、衣服は纏っていなかった。
明らかに日本人ではないとわかるが、年齢は十子と同じくらいだと感じた。
心臓の位置に真新しい刺し傷があり、彼女はそれを押さえながら呻き声を上げた。
「うっ…ガアッ……アアアァァ!!
グゥウウアアァ…!」
「え、ちょっと…結構やばいじゃん!
周りの奴ら、なんでぼーっと突っ立ってんの!?
さっさと救急車呼べよ馬鹿野郎共!」
正直、里奈のほうが心配だが今はここにいない。
目の前で苦しむ少女に何かできることはないかと思案したが、
そもそも日本語が通じていない可能性もある。
十子はとりあえず制服のブレザーを脱ぎ、彼女に羽織ってあげた。
「…とおこ……?」
「──えっ?」
初めて会うはずの金髪少女が突然、十子の名前を呟いた。
記憶をフル回転させてみたがどうにも覚えがない。
これは何か、悪質なドッキリなのだろうか。
里奈のリストカットも全部嘘なら許せる。
そんな都合の良い事を考えていると、仮面の者が話しかけてきた。
「*****!! *******!!
**********!! ***!!」
それは聞いた事のない外国語だった。
十子の学業成績はいい方だが、それが英語ではない事しか理解できなかった。
その様子を察した仮面の者は少し間を置いてから再び十子に怒鳴りつけた。
「…貴様は何者だ!?どうやって侵入した!?
神聖な儀式を邪魔するとは一体何事だ!?」
「ええぇ!?なんなのこの状況!?」
いきなりわけのわからない場所に飛ばされ、知らない少女に名前を呼ばれ、
挙句の果てに邪魔者扱いまでされて、十子の精神はテンパっていた。