第1話「第一印象マイナス100点」
「桜子、急がないと一限遅れるわよ」
「待って、しーちゃん」
桜子は小走りで幼なじみの隣へ駆け寄った。
「また忘れ物?」
「ううん、大丈夫……たぶん」
「その『たぶん』が信用できないのよ」
真司――通称・しーちゃんは呆れたように笑う。
肩まで伸びた綺麗な髪に、中性的な整った顔立ち。
知らない人が見れば、女性だと思う人の方が多い。
二人が大学へ向かって歩いていると、前から一人の青年が近付いてきた。
「おっ、美人なお姉さん発見」
軽い笑みを浮かべながら話しかけてくる。
「これからどこ行くの?」
桜子は少し困ったように会釈した。
「すみません、急いでいるので……」
(変な人来た、早く帰って欲しいな)
桜子は真司を見た。
青年は首を横に振る。
「君じゃなくて、その隣の綺麗な人」
「えっ?」
桜子は驚いたような声を出した。
真司はため息をついた。
「私?」
「まぁ、美人なのは認めるけど、急いでるの」
桜子の手を引く。
「桜子、行くわよ」
「うん」
(本当失礼な人だわ)
二人が歩き出すと、青年はまだ諦めない。
「ちょっと待って! 大学生?」
真司は振り返りもせず答えた。
「そうだけど?」
「俺も大学生。同じだったりして」
「しつこいわね。本当に急いでるの」
そう言い残し、二人は大学へ向かった。
(……第一印象、マイナス百点)
桜子は心の中でそっとつぶやいた。
***
大学の廊下。
「あっ!」
聞き覚えのある声に振り向く。
朝の青年がこちらへ走ってきた。
「やっぱり同じ大学じゃん!」
「偶然だね」
真司は目を細める。
「またあんた?」
「同じだったの?」
桜子は一歩前へ出た。
「あの……しーちゃんを困らせないでください」
(なんなの、あの人。……腹立つ。)
その一言に、青年は『あっ』と目を見開いた。
「ご、ごめん」
意外なくらい素直に頭を下げると、
「じゃあ!」
そのまま去って行った。
真司は少し拍子抜けした。
「……何だったのかしら、あの人」
「変な人」
桜子はため息をついて言った。
「本当変な男よね」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
***
講義が終わり、駅前のカフェで一息つく。
他愛ない話をしながら店を出て、改札へ向かった、その時だった。
「あっ……」
桜子の顔色が変わる。
「どうしたの?」
「定期券と学生証……カフェに忘れたかも」
「えぇ!?」
真司は額に手を当てた。
「あんた、また忘れ物?」
「ご、ごめん……」
「もう、ここで待ってなさい私が――」
その時。
「これ、探してる?」
振り返ると、朝の青年が立っていた。
手には学生証と定期券。
「えっ!」
桜子は目を丸くする。
「それ……私の」
「やっぱり」
青年は笑って差し出した。
「店員さんが困ってたんだよ。
『さっきのお客さんかな』って」
「俺も同じ大学だから、学生証見せて預かってきた」
青年は学生証と定期券を差し出した。
「はい。次は忘れんなよ」
桜子は両手で受け取る。
「ありがとうございます!」
桜子は小さく頭を下げた。
青年は、少し意外そうに桜子を見つめた。
真司はその反応を見逃さなかった。
何かを確信したように、青年を見る。
「桜子、ちょっとここで待ってて」
「うん?」
真司は青年の腕をつかむ。
「ちょっと来なさい」
少し離れた場所まで連れて行く。
「……ねぇ」
腕を組み、じっと見つめる。
「最初から狙いは桜子だったわね?」
「えっ!?」
青年は目を丸くした。
「な、なんで分かった?」
「分かるわよ」
真司はため息をつく。
「それに、私のことだって最初から男だって分かってたでしょ?」
青年は苦笑した。
「まぁ……なんとなく」
「やっぱりね」
少し笑うと、真司は真剣な表情になる。
「私は桜子が好き。」
「恋愛対象は女だから」
「だから、本気じゃないなら近付かないで。」
「……そうだったのか。」
「だから」
真司はまっすぐ彼を見つめる。
「桜子が誰を好きになるかは、桜子が決めること。自らアピールなんて、そんなダサいマネはしないわ」
青年は少し照れくさそうに頭をかいた。
「俺も……一目惚れなんて初めてなんだ。桜子がどう思うかは、桜子次第だろ」
真司は少しだけ目を細めた。
「……そうね」
二人は桜子の方を見る。
何も知らない桜子は、戻ってきた学生証を大事そうに抱え、嬉しそうに笑っていた。
この出会いが、自分の知らなかった感情を連れてくることなど――
このときの桜子は、まだ知らなかった。
登場人物紹介
■白河 桜子:21歳
本作の主人公。
日本舞踊家の父と華道家の母のもとで育った大学三年生。
自然と美しい所作や上品な雰囲気が身についているが、本人はその魅力をまったく自覚していない。
少し天然でドジなところもある一方、困っている人を見ると放っておけない優しい性格。
恋愛経験はゼロで、恋も人の心も心理学で説明できると思っている。
■佐藤 勇人:21歳
本作のメインヒーロー。
明るく親しみやすい、ごく普通の大学三年生。
初対面で桜子から「第一印象、マイナス百点」と判定されるが、ある出来事をきっかけに少しずつ距離を縮めていく。
五歳年上の姉が三人いるため女性慣れしているように見えるが、恋愛となると意外と不器用。
料理が得意で、面倒見のいい一面も持っている。
■勝木 真司:21歳
通称「しーちゃん」。
桜子の幼なじみで、同じ大学に通う大学三年生。
中性的な美しい容姿と長い髪の持ち主で、初対面では女性に間違われることも。
父はファッションデザイナー、母はメイクアップアーティストという家庭で育ち、自身もファッションデザイナーを目指している。
幼い頃から桜子に想いを寄せているが、桜子からは大切な家族のように思われている。
■神谷先生(恋愛心理学):35歳
恋愛心理学の講師。
穏やかな性格で、学生たちを温かく見守る人気講師。
「好きになる理由」や「人を愛する気持ち」などを心理学の視点からわかりやすく解説する。
恋に悩む学生の相談に乗ることもあるが、心理学だけでは説明できない人の心とも向き合っている。
■黒田先生(化学):42歳
化学担当の講師。
物事を冷静に分析する現実主義者。
神谷先生とは考え方が異なり、恋愛や人の感情についても化学の視点から独自の持論を展開する。
神谷先生とは何かと意見をぶつけ合うが、互いをよく理解している気心の知れた間柄。
■夜空 蓮:27歳
BAR Lampのマスター。
勇人の姉の友人で、ひょんなことから桜子たちと知り合う。
飄々としてつかみどころがないように見えるが、人の心の変化には鋭く、恋に悩む三人を少し離れた大人の立場から見守っている。
時折口にする何気ない一言が、桜子たちの迷いや悩みを解くきっかけになることも。




