3.分断―5
引かない。一度だけ緊張の息を呑むと、成城は迷わず部屋の中へと足を踏み入れた。
入って、光景を確認するよりも前に、成城は自ら扉を閉めた。当然、振り返るなんて事はせず、その部屋の状況を見たまま、手だけで締め切った。鍵はなかったが、壁を作る事は出来た。これは当然、成城の、敵を逃がさない、という攻めの意思の現れである。
部屋は、それなりのワンルームだった。家具がないからこそ広く見えるが、既にその部屋の中には四人がいる。狭い。狭かった。
部屋の中央よりやや後ろに、男が一人。手には大きな刃のナイフを逆手に持っている。そして、その男の後ろの壁際に、二人の女性が、追いやられている。当然、高無と、先の女だった。
成城は男を無視して先に男の後ろに見える二人を見る。どちらも、動けそうにはなかった。男を排除せねば、立ち上がる事にも億劫になっているようだった。
やっと視線を男へと突きつけた成城は、吐く。
「退け」
ただ一言、そう吐いた。低い声で、脅すような口調だったが、そうではなく、自然に漏れたモノだった。
その言葉を聴く前から、男は、笑っていた。
相変わらずの、人間を見下す人間の形をした笑み。今更だが、敵だという事は認識し、確信を持った。
「退かねぇよ」
「あっそ」
それが、戦闘開始の合図だった。
ここで敵が退き、二人を解放するっていうならば、無視するつもりだった。だが、退かない。そして成城も身を引く気はない。
つまり、そうである。
成城に武器はない。相手は目立つ程のナイフを持っている。だが、恐れはなかった。成城は迷いなく進んだ。駆ける理由もなかった。ただ邁進した。そして、接近。接触。
「ッ!!」
「おぉ!!」
男が下から振り上げるナイフ。それを握った手を、成城はまず一撃目で、叩いた。
これも、ミスだった。勘違い、油断、思い込みが生んだ、敵のミス。そして、成城の幸運である。
漆黒に染まったナイフが弾け飛び、部屋の片隅に転がった。当然、それを拾わせるつもりなど、ない。
今の一撃で隙を見せた男の頬を、思いっきり殴る。
衝突音、炸裂音。恐ろしい程の轟音が部屋に反響した。男の顔が思いっきりぶれ、たったの一撃で緑色の血を吐血し、鼻血を吹き出す。が、
「ッこの」
すぐに男はぶれた上体を引き戻し、そして、成城に仕返しをするように殴り返す。
成城の判断は早かった。横から向かってきたフックを片手で受け止め――るが、男の蹴りが成城の脛を叩いた。
「ッう!?」
視界外から突然襲ってきた激痛にこんどは成城が隙を見せた。
そこに、反対側からのフックが襲い掛かり、成城の頬をなぶった。
頬から頭蓋骨全体を揺らす程の衝撃が顔に走り、一瞬視界がぼやけて上体が激しく揺さぶられる。
が、すぐに、
「ッこの野郎!!」
成城は口下から吹き出した鮮血等気にも留めず、すぐに体勢を立て直し、攻撃を仕掛けた。
受け止め、弾き、殴り、蹴り、受け止め、避け、当たり、耐え抜き、攻撃を仕掛ける。
二人の間では恐ろしい程の攻撃の応酬が繰り広げられた。締め切られた部屋には人間を、肉体を殴る音が炸裂し、そのすぐ傍にいる女性陣二人を恐怖に陥らせる程だった。
戦っている場所が悪く、女性陣二人は動けそうになかった。
が、それは当然、成城の頭に入っている。
「高無さん! と、もう一人ッ!!」
成城のその叫びと同時、成城の腕が男の頭を掴み、そのまま男の腰を叩きおるように、腹部に膝蹴りを叩き込み、それによって出来た怯みという隙に、男を付き押すように蹴り、壁際に追いやった。
コンクリートが剥き出しのままの壁に背中を強く打ち付けた男は、その場に勢いを殺せず、膝から崩れ落ちて体勢を立て直すには時間を要した。
その隙に、
「二人とも部屋から出てけ!!」
言葉遣いが荒くなったが、避難しろ、の意味だった。
「一階で待ってます!!」
言葉に反射的に反応した高無がそう叫ぶように声を上げて覚束無い足取りで部屋から出ていったが、
「おい!! 君!!」
もう一人が、まだ、立ち上がれていなかった。完全に、震えていた。
敵という存在に慣れていない。戦闘、殺し合いという恐怖に慣れていない。それだけの事だった。成城達と少しだが一緒にいた高無は、僅かだが慣れていて動けたのだろう。女を、助ける余裕はなかったようだが。
「君って、私は……里中、姫衣……だって……」
「自己紹介してる場合じゃねぇだろ!!」
女を立ち上がらせてやるか、という苦悩は一瞬で終わる。
「ッ!!」
成城はすぐに女、里中から視線を外し、敵の方向へと向けた。すると、目の前をほんの数ミリだけの間を空けて通り抜けるナイフの刃が見えた。
一瞬でも反応が遅れていたら、鼻が吹き飛んでしまっていた、だろうこの極限の状況だが、
(あっぶない!!)
成城は、今更、恐れを抱かない。
(高無さんは逃がせたかな。他に敵がいなければだけど。で、あとはこの里中さんとやらを逃がさないと……!!)
成城の考えは未だ、揺るがない。
ナイフを持つ、という事は単純に殺傷能力が上がるだけでなく、リーチが、違う。相手の防御を防ぐという効果がある。
小さくとも、武器一つを持つだけでそれだけの力の差が出てくる。
(攻撃が激しいな……)
成城は『驚異的な動体視力』によってそれらの攻撃を見切り、なんとか躱す。身を翻し、最小限の動きで攻撃を避ける。時折腕を叩いて攻撃の軌道を止める事もあるが、先のようにナイフを弾く事は難しかった。紙一重で躱す事もあり、流石に冷や汗を垂らす事もあった。
が、しかし、現状、埋められない力量差もある。
『敵からは生き残るための力を奪える』。
里中姫衣の持つメモに書かれたその一文を成城が知るのは後少し先の事だが、これは、事実である。
敵は『生き残るための力』を持っていて、それを、『奪う』事が出来る。
そして成城は『既にそれを奪っている』のだ。挙句、『二つも』だ。
「ッ!!」
成城は見切った。
攻撃の応酬を繰り広げている中で、成城は最大の隙を見つけた。それは攻撃の内の一つ。先通りにしていれば、ただ攻撃を躱すか弾くか、という二つの選択肢を選ぶだけなのだが、散々攻撃の応酬を繰り広げている最中、見つける事が出来た。
が、しかし、
「きゃぁああああああああああああああああああああああ!!」
突如として、聞こえてきた悲鳴。その悲鳴は当然、部屋の中から聴こえたモノではない。
(高無さんの声かッ!?)
一階から聞こえてきた悲鳴に、一瞬気を取られてしまい、成城は当然、その隙を見逃してしまった。
攻撃を避け、一歩、後退する。
後退して、気付く。背中が、冷たいコンクリートの壁に衝突した。
「ッ!!」
もう、下がれない。
が、好機は自ら掴む事が出来る。力量差があるのだ。それは、圧倒的に成城が有利な力量差である。
敵は、宇宙人かもしれない。だが、既に成城は、その宇宙人から生き残るための力を二つも取得している。
驚異的な反射神経と判断能力、そして、成城悟という人間が本来持ち得る感覚が、最高の判断を下す。
壁際に敵を追い込んだ時点で、男は勝ったと思った。相手に対して『本当に人間なのか』という違和感を覚えていたが、この瞬間、そんな考えは吹き飛んでいた。
ナイフは当然、突き出した。
刃という触れる事のできない部位が攻撃の要であるナイフを敵が逃げる事が難しくなっているこの状況で、弾く事のできる面積、つまりは腕や柄、手の部分を大きく相手に見せる理由なんて当然ない。
ナイフの刃は真っ直ぐ成城の胸元に進んだ。




