2.人間―8
だが、橘はそこに突っ込まない。聴いてしまえば、何かが変わってしまう気がしていた。そして、そうしてしまえば、この状況も崩れ落ちてしまうと思った。里中を捜すためには、この状況を保っていなければならない。砂影の言う仲間の数が必要だ、という言葉は橘の我が儘目線であっても、的を射ているのだった。
二人はそのまま山を下る。が、途中で当然、足は止まる。
「うわ」
橘はそれを見上げて思わずそんな声を漏らした。吐き気がこみ上げてきたり、畏怖する事はこの状況のせいで感覚が麻痺しているのだろう。なかったが、単純に、ドン引き、していた。
木々の枝に引っかかっている無残な死体を、二人は見上げていた。砂影はそれを見て、これだ、と言う。
(って事は、ここが、砂影君が仲間達と別れた、敵襲があった場所なんだ)
気付いて足元を見下ろしてみると、確かにごちゃごちゃとした足跡が雑草をなぎ倒してその下に見える地面に浮かんでいるのが確認できた。
死体を再度見上げた。既に血は流れていなかった。そして、既に虫が集り始めていた。橘はそれを見て、触りたくもないと一歩自然と引いていたが、隣に立つ砂影は逆に一歩、進んでいた。
「せっかく通り道なんだ。メモを確認しておきたいと思う。あ、ちなみに武器は成城さんが持ってるから、もうないんだけど」
そう言って、砂影は一度体勢を低くしたかと思うと、跳んだ。
橘は目を見開いて素直過ぎる程に驚いた。木の枝に引っかかっている死体に向かって手を伸ばして跳躍した砂影のその姿にも驚いたし、その行動にも驚いた。そして何より驚いたのは、三メートルはあろうかという高さに、砂影の手が届いた事だった。
砂影が枝の一つを掴んだまま地面へと戻ると、その一本の支えが丁度支柱の役割を果たしていたのだろう。砂影が着地の直後に一歩引いた時には、砂影が着地した場所に、死体が落ちてきた。落下音はそこそこ響いた様に思えたが、何より、死体が落ちた事で地面に散らばった蛆虫と、舞い上がる様に飛散した蝿が多すぎて、橘はそれに応じて更に数歩後退した。
それに関しては、しまった、と思ったのだろう。飛び回る蝿を手で払い、足元に無数に転がる蛆虫を砂を被せて隠そうとした砂影は、いくらやっても完全に姿を隠す事すらできない虫を見て暫くした後に諦め、一言橘に、ごめん、と吐いてから、手を伸ばして男のポケットに手を突っ込み、そして、メモを手に入れた。
血で汚れたそれを取った砂影は、早速内容を確認する。
血で読みづらくなっていたが、確認をし、読み上げる。
「敵の殲滅をしろ。武器は支給した。それ以外に脱出の手段はない……『逃げ出す事はできない』」
その言葉を聴いて、橘は思わず苛立った。
「何それ、今更じゃん」
「あぁ、その通りだな」
当然である。逃げ出せない事等、重々承知の上であり、挙句、逃げ出せない事等、景色を見れば判断出来るし、メモに書かれた敵を殲滅しろという指示から容易く想像出来る。
一応にメモをポケットに突っ込んだ砂影は、虫を踏まない様に僅かに死体を回り込んで、先に進み始める。
この死体は、何の役にも立たなかったと思ったが、それを口に出す事はなかった。
(強いて言えば、目印にはなっているか)
砂影達はそのまま三○分弱で山を下りきる事が出来た。ここまで来た時点で橘は里中が本当にここまで先に進んだのか、思い始めたが、砂影を信じる事に徹した。当然胸中には、砂影が自分の知る仲間を優先しているのでは、という疑いが渦巻いてもいたが、それは意識して消していた。
山を降りてすぐ、綺麗な砂浜が広がっていた。視界の端から端まで広がる砂浜で、その光景を視界に収めただけで砂がきめ細やかな綺麗なモノだと連想出来た。その先に見える海も他の方向で見た景色同様透き通った青で、こんな状況でなければ飛び込みたくもなる程だった。そしてやはり、ここが本土の近くではない、という現実を感じ直してしまった。
砂浜の一角に、開かれた空の細長いスーツケースが見えた。橘があれは? と問う意味を込めた視線を砂影に向けると、砂影は聴いた話を思い出して、成城のモノだ、と彼女に説明をして、近づく事はなかった。
そのまま砂影は一度辺りを見回した後、西へと回り込む様に砂浜を歩き始めた。当然、橘も続くが、
「なんで西に?」
理由は説明を望んだ。
「簡単だよ。橘さん慌てすぎ、まず、足元を確認しないと」
言われ、歩きつつ、これから自身が踏みしめていくであろう道を視線で追うと、言われた通り、見つかる。
「足跡、か。……複数ある。これって!」
砂影は首肯する。
「足跡の数は三つ。里中さんって子のはわからないから言い切れないけど、内二つは間違いなく成城さん、高無さんのだ。足跡からして走った様子ではあるけど、砂浜でこれだけはっきり残ってるって事は、間違いなくまだ遠くには行ってない」
砂影のその言葉が推測と状況証拠からの結論である事はわかった。わかっていたし、理解出来ていた。だが、そんな事よりも、目的が近づいているとわかった事で、橘のモチベーションは上がった。
橘の歩む速度が僅かに上がった事を察知して、砂影もそれに合わせつつ、一歩分先導する様に歩く速度を速めた。
(三人で走ったからなにかから逃げてるのかと思ったけど……『追うモノ』の足跡はないんだよな……そこが引っかかる。追っ手をどこかで巻いて、更に距離を取ろうと走って逃げたとかそういう想像は出来るけど、何か、違う気がする)
砂影は警戒していた。誰よりも。そして、その警戒が出来る理由の所存こそが、橘が先程から砂影に感じている言葉にし難い違和感の正体なのだが、まだ、気付く事の出来るタイミングでは、ないようである。
二人が歩き、進み、三○分強を要してやっと島の西側に到達した。
西側には砂浜と海は当然、そして、砂浜と山の間に広がる平地に、いくつかの建物が並んでいた。どれも、昨日見たコンクリートが剥き出しのあの建物と似たような外観で、長い事使用、管理がされていない事が分かる。
砂影の足の進む速度が僅かに遅くなりそれに合わせて橘の歩む速度も遅くなった。前を行く砂影を橘は見て、気付く。警戒しているのだ、と。
砂影は建物が並ぶ一帯に視線を配らせている。
橘が既に聴いている通り、砂影は気配に敏感だ。一般人よりも。聴きこそしなかったが、砂影が何かしらの気配を察知している事は、見れば理解出来た。
何かがいる。そうとわかれば橘も当然、必要以上に警戒をする。
警戒をしている事から、砂影も気配こそ分かれどそれだけで敵味方の判断ができていない事が推測出来る。当然、今砂影が警戒している気配の主は成城、高無、里中の三人、もしくはいずれかの可能性があるが、そうでない可能性も、また然り。
思い出した様に橘は足元を確認するが、足跡は既に途切れている。砂浜はまだしも、建造物の並ぶ平地の方が土が固く、足跡がつきづらい挙句、丈の短い雑草が地面を覆って隠しているため、確認が取りづらい。
「……あれだ、右から三つ目の建物の二階」
暫くして、砂影が言った通りの建物を指差して、静かにそう言った。橘が視線で追ってその建物を見るが、外からでは当然、中に何者がいるかなんて分かりはしなかったし、それどころか何かがいる、と確信に至れる事は絶対になかった。
二階建ての、一軒家の様だった。それこそ形だけで言えば今までの日常の中で飽きるほどに見た全国どこにでもありそうな形で、探索するにも時間を要さない大きさだった。
「二階……そこまでわかるんだ。で、どうする? 入る?」




