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#13 Outside In――外から内へ

 気持ちいいなあ。背中はびりびりするし、胸はわくわくするし。それが混ざり合って全身に広がっていってるみたい。ふーん、真空の宇宙空間て、こんな感じなんだ。案外怖くないのね。ここはL1だから、五つある重力遠心力(ラグランジェ)均衡点(・ポイント)のなかで、最も連星ブラックホールに近いはずだけど、全然平気みたい。寝転んだ黒い雪だるまのほうに引っ張られる感じもしないし、こうやってニャンってすると行きたい方向に行ける。自由ってこういうのなのかな? あ、船の全景が見えてきた。あんまり大きくないんだね。そうでもない? よくわからないや。でも、どこもかしこも黒く塗られてて、沢山ある舷窓から光が漏れてて、船自体が宇宙みたい。それで、わたしは白く光る小さなお星さま。もっとも、とってもちっぽけな星だろうけどね。あれ? 宇宙って直接見ると黒くないんだね。濃緑色だ。それでところどころが斑。まるで暗い森みたいだけど、恐くはない。きっと色んな種族が住んでるから、森みたいに感じるんだろうね。

 それで、ここでこうして、またニャンってすると、七つあるプラズマ主推進器の方に行ける。大丈夫だってば、マザー。遊んでなんかいないよ。今から推進器の点検なの。え? うん、わかってるよ。あんまり近づくと危ないんでしょ。知ってる。でも、外から見て異常がないと確認しないとなんでしょ。うん、わかってるってば。準備はできてるよ。わわ、噴射炎が光った。赤と白だ。うんとね、マザー、上にふたつ並んだのも、下にふたつ並んだのも、真ん中で三つ並んでるのも、赤白赤白って様変わりしながらプラズマを放射したよ。順番と切り替わる間隔? そんなの口でうまく言えないってば。だってあまりにも複雑なんだもん。ときどきピンクになったようにも見えるけど、そうでもないような?……混ざりあってるようなあってないような? そんなところかな。うん、でもちゃんと機能してると思うよ。うんそう、そういう感じ。あれでしょ、わたし本当はヘルメットカメラで映像を送らなきゃいけなかったんだけど、急だったから被ってこなかったんだってば。うるさいなあ、慌てん坊っていわないでよ。ローテにも言われたことあるけど。うん、そうだよ。半分はマザーのせいなんだから、そんなに怒らないでよ。え、なに? よく聞こえないよ。え、センサーで受信できたデータと照合できたの? あっそう、ならよかった。それじゃ異常はないのね? うんうん。なら、わたし戻るね。ここ凄いもん。びりびりどころじゃないよ。ばちばちきてちょっと痛いんだってば。感電死しそうだよ。ということで、ニャンっとな。おっし、あとは船体の重要区画に異常がないかを見て、船に帰るだけだ。よいしょっと。それにしてもさ、ローテ毎回毎回よくこんなこと黒い宇宙服でやってたよね。だってどこにいるか艦橋から見えないじゃない。それどころか船と自分の位置関係だってわかりづらかったんじゃない? ほんと、尊敬しちゃう。『今更なに言ってんだよ』って言われそうだけど。というかローテまだ寝てるのかなあ? いくらなんでも、さぼりすぎじゃない?

(それ、それで苦労したんだってば! というか、どうしてヴァイセが船外活動(E V A)のときは宇宙服が白いんだよ? どこに隠れても丸見えなくらい、わかりやすいんだけど。なにこの差は?)

「わあ、ローテが起きた。具合はどう? いま艦橋なの?」

(そうだよ。黙って聞いてればさっきから好き勝手なことばっか言ってさ。どういうことよ?)

 金の瞳で、あちらこちらへと視線を走らせても、艶のない黒い船のどこにローテがいるのかは見えなかった。

「だけど、このときだけが楽しい時間なんじゃない?」

 耳小骨を伝わった呟き声に被さるように、ローテの声が割り込んできた。

(まあね、それはそう。でも、すべて順調で船には何ひとつ問題ないみたいだから、これからこっちに戻ってくるだけだろうけど、それでいいの?)

 どこ? どこにいるの? 目を皿のように見開いてもなにも見えない。でも、この声がローテなのは間違いない。確かなこと。いつものことだけど不思議と胸が高鳴る。船内にいるときは心と身体を守るために、カプセルで横になっているばかり。それと比較すると船外活動のときは、お喋りができるから嬉しいのかな?

「ねえローテ。もう少しなにか話さない?」

(それはいいけど、ハッチはすぐそこだから、そんなに長くは無理じゃない? わたしも話したい気分なんだけど)

「じゃあ、収容ハッチを変えるってのはどうかな? 計画は"スカイア"から出て、"カルデア"に帰還の予定なんだけど」

(わかったわ。大した手間じゃないから、構わないよ。でも、そこから"カルデア"までは結構距離があるから、変更しなくてもいいんじゃない? それにしても"ヤヌス"から出入りじゃなくてよかったよ。あそこは難しいからね。あたしだって一度も出入りしたことがないから、誘導の自信がぐらつく。とにかく、あそこの難易度が異常なのは、この船の不思議のひとつだね)

 ローテはいつだって優しい。艦橋に陣取って繊細に安心安全な誘導をしてくれて、本当に頼りになる。でも、話しながらハッチに向かうのはありかな? 本当は話すだけじゃ足りない。早く会いたい。ヴァイセは真空の自由を唯一奪っている命綱から離れて、ローテと一体化したような感覚に痺れながら、黒一色の船体にある扉に目を向けて漕ぎ出した。膝をすっぽり覆って腿のまんなかまである純白のロングブーツの踵が、黒一色の真空に溶けているようで、妙に心地いい。静まり返った大気が末広がりになった白銀のショートボブの髪を揺らすこともなく、頬に風も感じない。手応えもないまま、生きている感覚。でも、ちょっと狡いかも。だっていまローテは艦橋の床に縛り付けられたまま、椅子に座って管制機器と格闘しながら頭脳を駆使して、少しでも計算を間違えたらわたしを見失って、二度と会えなくなる恐怖と戦いながら、こっちを見つめてる。勿論、わたしの息遣いは一切聞こえてない。わたしって天衣無縫すぎる? でも、ローテも話したい気分だっていってた。心も身体も浮遊しているせいか、腰や胸を優しく包みこんでいる純白の服の背中にある、蜻蛉(とんぼ)のように透明で小さな羽が無いみたい。あなたも浮ついてるの? きっとそうね。だってすべてがふわふわしてるもん。いけない。話したいっていったのに……。

「ねえローテ、誘導のほうはどう?」

(順調だよ。さっき四本あるクレーンを収納してるときに混乱して冷やひやしたけどね。つまり、収容準備は万全ってことだね)

 なんだかやるせない。ヴァイセは重力に縛られた艦橋のなかにいるローテの声のありかを探るように、身体をくねらせながら思った。規則は破るためにあるって言葉があるけど、そのとおりかもしれない。船に戻っても十分に時間はあるんだけど、あたしなにを焦ってるんだろ。まあいい、どっちにしても話したいのは変わらない。でも、全部を話したからってローテがすべて理解してくれるとは限らない。それにそもそも声の及ぶ範囲って限られてるけど……。

(重っ!)

「なに? どうしたのローテ?」

(いや、ちょっと椅子を持ち上げてただけ。心配いらないよ。なにしろこの椅子は恐ろしく重くて嵩張って厳ついからね)

 ヴァイセは突然、視野の端でぴかぴか光っている星に目を奪われ、手を首元へと動かして指先で星に触れた。金と銀の鎖で編まれた二組のペンダントの先で、金と銀の小さな鍵がペアになった二組が煌めいて揺れているのが見えた。ああ、この話もしたい。それに肩の時計の話もしたい。ローテどうしてそのこと訊かないんだろ? 色が変わって音が出るんだから、気がつくはずなんだけど……。ローテの肩にあるボタンにある文字はきっと「ᚱ(ライドー)」なんだろうな。だってマザーが依怙贔屓するわけないし。

(でも、感覚があるっていいもんじゃない?)

 繭に残してきた電子伝言を読んでいるローテの姿は、すべてわかっているよと微笑んでいるように、ヴァイセには見えた。

(封印? そんなのいつでもできるんじゃない?)

「それはそうね。あのね、ローテ、わたし少しだけ聞いたんだけど、マザーの生まれたところって、どんなところか知ってる?」

(そういう話しにいくのか。知らないけど)

「知らないんだ。あのね、海っていうのがあるんだって。青かったり透明だったりしてね、波っていうのが打ち寄せては引いてを繰り返すんだって。ようするに水溜りなんだけど、それが驚くほど大きくて深いんだって。それでね、その波が寄せては返すときに、音がするんだって。ザザー、ザザー、チャプン、チャプンて。わたしさ、いつかローテとそれを見たい。なんだったらその水溜りに落ちないようにさ、爪先でつんつんしてみたい。それでね、その水溜りの傍かどうか知らないけど、土っていうのもあるらしいの。でね、そこには様々な草花が生い茂ってるんだって。それでさあ、その彩り豊かな花のなかから、わたしたち自分にあった花を見つけ出すの。多分、わたしは鈴蘭で、ローテは薔薇だと思う」

(まったく呑気なんだからヴァイセは。でも、それがいいところ。さあ、あと少しだよ。得意の猫ひねりして戻っておいで。というかさ、その薔薇の香りって、マザーがあたしの服に振ってくれた香水の匂いなんじゃない? だと思うけど……うーん、鼻が詰まっててよくわからない)

「あのね、ローテ。わたしがなんでこんな話したかわかる?」

(わかるわけないよ。あたしエスパーじゃないもん)

「なにその言い方。面白い。あのね、わたしたちってさ、随分長いこと仕事と寝ることばっかりだったでしょ。だからさ、これから先、ちょっとくらい将来のことを二人で考えたいなって思って。どうかな?」

(悪くないんじゃない。反対はしないよ。むしろ賛成かな)

「またそんな微妙な返事して。ローテはいつからそんなに奥ゆかしくなったの?」

(内緒)

「内緒ねえ」

(……)

「あれ? なんで急に黙っちゃったの? やだなあもう、わたしはもう少し話してたいのに。それに話だけじゃなくて、歌も聴いて欲しいの。ローテ『いい歌声だった』って言ったでしょ?」

(ほんと? よく憶えてない)

「じゃあ今度はちゃんと聴いててね」

 大きな水溜りが立てる音の歌だよ、とヴァイセは胸のうちで呟きながら口ずさみはじめた。


  わたしの小鳥は 宇宙(ソラ) 赤く染め

  お外は真っ暗 凍えて 恐い

  小鳩は小鳥 慰め

  恐くはないよ ゆめ ジュネパース

  ジュネパース ジュネパース


  ジュネパース ジュネパース ジュネパース

  お外は真っ白 温(ぬく)くて 優しい

  ふくろう 小鳥 慰め

  わたしの小鳥は 宇宙 白く染め


 あれ? 最後のところ歌詞を忘れちゃった! そういえば、そこは歌っちゃいけないって言われた気がするけど、誰だっけ?……。 うふふ。でも、適当にそれらしく歌ったのはローテにはバレてないみたい。

「ねえ、もうすぐ着くよ。さん、にい、いち、はいっと!」

 《イクテュエス・ジュゴン》の外板を踵で捉えたヴァイセは、フリルのついた白い袖先から伸びた手指でハッチの脇にある計器盤を手際よく操作して、開いた扉の先へ進むと、船内でまた計器盤のボタンに指を走らせて、赤一色の"カルデア"収容区画のハッチを閉じた。

「ただいま、ローテ」

 いまから、艦橋に会いに行くよ。真空の宇宙はとっても自由で愉しかった。でもわたし、ローテに触れたい。たとえそれで不自由になろうとも、それを楽しみたい。


 その艦橋に、ローテの姿はなかった。


               ――完――


         ἀρετὴ θείᾳ μοίρᾳ ἄνευ νοῦ παραγίνεται.

        徳は、神的な配剤によって、理性なしに生じる



参考文献(原典):

新潮文庫 植田敏郎 訳『グリム童話集Ⅲ「ヨリンデとヨリンゲル」「雪白とばら紅」』

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