7話 愛が分からない人
後半、シリウス目線のお話です。
過去作品「氷の花は憧れの師から溺愛される」48話の後書きに出てくるお話も今回出てきます。
シリウスは表情を特に変えなかった。
「そういうのはまだ早いんじゃないか」
「お父さんかよ」
エドがすかさずツッコミを入れていた。
だが彼は落ち着いた様子だった。
「必ずしもそれは今必要だといえない。籍を入れてからでも遅くない」
「真面目だねー」
エドは面白くなさそうな顔だ。
一方のモニカは安堵する。
エドの言い分はその通りで、シリウスも同意したらどうしようかと思った。自分が焚き付けてしまったようなものなのに。エドに言われて気付いたのだ。好意がないからこそ思いつかなかったとも言える。
自分はここにいていいのか。
ここにいる理由があるのか。
ただいるだけで役に立ってないのではないか。
色んなことを考えすぎて、口にしてしまったのだ。現状を変えたいと。結果、シリウスに余計な気遣いをさせてしまったと、反省する。
シリウスは机の上に置かれているコップを手に取った。まず香りを楽しみ、その後口に含む。一息ついた後、モニカを見た。
「毎日ハーブティーを持ってきてくれるか」
「……ハーブティー?」
「いつもメイジーが運んでくる。他の者が運んできたことはない」
夜にシリウスの部屋に入るのは、この屋敷で長年仕えているメイジーかダニーくらいだそうだ。仕事を手伝う時だけエドも入ってくるという。今みたいに。
偶然目の前にハーブティーがあったから思いついたのかもしれないが、わざわざモニカに役割を与えてくれた。シリウスなりの優しさでもあるのだろう。
(……私よりも大人だな)
年齢差から考えても当たり前だが、それでも彼は始終落ち着いている。気遣いや優しさに純粋に心が温かくなるが、同時に、申し訳なさもあった。
「次は自分の分も持ってこい。一緒の方が美味しいんだろう」
「!」
みんなで料理を食べている時、シリウスはどう思っているか心配していたが、尊重してくれるようだ。実際、みんなと一緒だと楽しそうに見えた。
モニカは自然と頬が緩む。
「うん。ありがとう」
「あと、公爵夫人として色々と勉強してもらう。家庭教師をつけようと思っている。どうだ」
「あ、メイジーさんから少しは聞いてた。喜んで勉強させていただきます」
モニカは丁寧に頭を下げる。
屋敷の歴史を教わりながら、公爵夫人になるなら色々と勉強が必要だろうということは聞いていた。勉強は好きなので、しっかり学ぼうと思っていた。
(そっか。私には勉強があった)
元々シリウスなりに考えていたのかもしれない。屋敷に来たばかりだから、すぐにこの話を出さなかったのかもしれない。と思うと、自分が少し先走り過ぎた。再度心の中で反省してしまう。
「勉強とハーブティー。それが当面のモニカのやることだ。いいか」
「はい」
「他に気になることは?」
「ありません」
「なぜ敬語なんだ」
「あ、えっと、礼儀?」
本当は後ろめたさがあったからだ。
子供のように相手を困らせてしまったと。
するとシリウスは、すっと手をモニカの額に近付ける。
またでこぴんされると思って額を両手で守ると、含み笑いをされた。柔らかい笑みだった。シリウスは普段あまり笑わないからか、そのような優しい表情をされると、心が少し動きそうになる。のは、多分、顔がいいのもあるだろう。
普段あまり笑わないからなおさら。悪魔のような笑みのようがなぜかよく似合うと思ってしまうところもあるが。
「ならもう寝ろ」
「う、うん。おやすみなさい」
すると二人の会話を、エドは微妙な顔で聞いていた。なぜだろうと思いつつモニカがエドにも挨拶すると「おやすみ~」と軽い感じで手を振ってくれた。
モニカが部屋を出たのを確認してから、エドはシリウスを横目で見た。
「本当に婚約者同士?」
「…………」
エドの言いたいことがシリウスには分かっていた。
婚約者にしては新婚のような甘い雰囲気が一切ない。屋敷の使用人には婚約者を連れてくる以外、何の情報も与えていない。それを指摘したいのだろう。
説明が難しいのと、色々突かれたくなかった。が、時間の問題なのは予想していた。ここの屋敷の使用人達は、かなり目敏い。
「ていうか、二人ともちゃんとお互いのこと好きなの?」
「…………」
そういう素振りも出していないからだろう。
人前で見せるものでもないと思うが。
何も言わないからか「あ~! もう!」とエドが急に大きい声を出し、シリウスは反射で身を引いた。
「ご主人の口下手のひどさは知ってるけど、必要なことくらい話してくれる!?」
「……何を言えばいい」
「さっきの俺の質問だよ」
「婚約者は本当だ。気持ちは……俺の方はある」
「え。じゃあモニカちゃんはご主人のこと好きじゃないの?」
それを聞かれるのが面倒だった。が、ここで隠すのもおかしいので、シリウスは手短に伝える。
モニカがシリウスに関する記憶を無くしていること。好意は一切ないこと。でも記憶がある前は、彼女の方が好意を持っていたこと。
するとエドは難しい顔になった。
「けっこう複雑だなぁ」
「そういうことだ」
「なんで記憶無くしたんだろうね」
無言を通した。
心当たりはあったからだ。
「ご主人は好きって言うけどさぁ、ちゃんとそれモニカちゃんに伝わってるの?」
モニカの問いに答えた日があった。
こちらの好意は理解しているように見えた。
が、口で正式に伝えたわけではない。
言うような性格でもない。
それは相手も薄々感じていたようだが。
それをエドに伝えると、なぜか渋い顔になる。
「それって今のモニカちゃんには伝わってないんじゃない?」
「……?」
「ご主人の好意だよ。好意があっても前のモニカちゃんにあるように聞こえる。そりゃあ今のモニカちゃんには響かないよ。だからここにいる理由を探してたんじゃない? 自分が必要とされてるか分かりにくいもん」
分かりにくい、とは彼女にも言われた。
体の力が急に抜けた気がした。
そんなこと、自分が一番分かっている。
「仕方がないだろう。俺は愛情が分からない」
「またそう言う……」
エドの目には哀れみの感情が見えたが、咎めるような言い方だった。
昔からだ。昔から愛情と呼ばれるものがよく分からなかった。性格のせいもあるだろうが、今のシリウスを作ったのは環境だ。環境のせいであることを、この屋敷で働く者は皆知っている。
「なんとなく思ったんだけどさ、記憶のあったモニカちゃんって、ご主人にたくさん愛情をあげたんじゃない?」
「なぜそう思う」
「今日初めて会ったけど、明るいしよく笑うし、みんなと一緒に楽しむのが好きな子に見えたんだよね。愛情をくれるところを、ご主人は好きになったのかなと思って」
「……さぁ。愛情が分からないからな」
モニカに対して好意はあるが、好きとはなんなのか、愛とはなんなのか、正直理解はしていない。でも手放したくない、離れたくないという思いは、おそらく好意があるからだろう。
三年前はモニカを避けていた。
彼女の好意が理解ができず、自分の感情も理解できなかった。でも追ってくる彼女に対し、早くいなくなればいいと思っていた。どうせ長くは続かないだろうと。
路地裏に行っていたのは「公爵」でいることに疲れたからだ。
責任ある立場が常に求められ、虚勢を張っていないと保てない。自分の言動に嘘はないが、それでもあえて人を刺激するものを選んできた。刺激を与えれば刺激が返ってくる。疲れ切って行方をくらませた。正式には、屋敷のことを使用人達に任せ、現実逃避をした。
当初から不眠症で、人といることに疲れた時期だった。だから人気のない路地裏を選んだ。そんな場所に、全身真っ黒で煙草を吸う自分を見て声をかける者などおらず。人の上に立つ豪華な暮らしよりも、端っこで過ごす自分の方が、幼少期を思い出して楽だった。
そんな時に、モニカに会ったのだ。
『ねぇお兄さん。何してるの?』
彼女は興味深そうに近付いてきた。
思えばこんな怪しい人物によく声を掛けたものだ。
彼女は怖いもの知らずだったように思う。
当時のモニカは両親の飲食店で看板娘をしていた。
だから偶然通りかかったのだろう。
何も答えないでいると、勝手に自分のことを話し始めた。近くの飲食店で働いていること。常連には面白い人が多いこと。それが何日も続いた。彼女はおしゃべりが好きなのか、何も言わないのに話してはけらけら笑っていた。しばらくしてから、シリウスも無意識に話すようになった。
『煙草、あんまり身体によくないよ。もっと自分を大切にした方がいいと思う』
『……別に、誰も俺のことを大切に思う奴なんていない』
『じゃあ私が大切にするよ。それならどう?』
『……』
『あ、小娘如きが、って思ったでしょ。私、一途なんだよ。大切な人達のことは、ずっと大切にするんだから』
『口ではどうとでも言える』
『じゃあなんでも言ってみて。私、お兄さんの願い、なんでも叶えるから』
無邪気に笑いかけてくる少女は、約束した通りなんでも願いを叶えてきた。モニカが働く食堂の料理が食べたいと言えば持ってきてくれた。城下で珍しい土産物を知りたいと言えば店を教えてくれた。他愛もない話をいつも真剣に聞いてくれた。
そして最後の日。
現実逃避を終わらせなければならない日。
もう会えないと言えば、会いたいと言われた。
絶対に無理だろうと思う願いを口にした。
『社交界の花になれ』
彼女は本当に叶えてしまった。
兄が貴族の仲間入りをしたからといって、妹であるモニカはすぐ評価されるわけではない。最初は貴族界からの当たりが強かった。貴族令嬢から意地悪をされたこともあった。それでも凛としていた。受け入れた上で、令嬢としての作法を身に着け、社交界によく参加し、人との交流を広げた。
それから彼女の噂は耳に入るようになった。
社交界ではいつだって笑顔で人の話を喜んで聞く。頭もいいらしい。事業家との話にもついていけるようだ。一気に「社交界の蝶」という二つ名が広まり、彼女のことを好ましく思う男も増えた。
噂を聞いても当初は気にしなかった。逆にいい人と出会えばいいと思った。花ではなく蝶となったが、誰かに捕まってしまえばいいとすら思った。蝶の価値を理解する者が、大層大事に愛でればいいと。
そうすれば自分の存在など、すぐ忘れるだろう。
だが反して、モニカは追い続けてきた。
いつしかかけた言葉を後悔した。
そもそもあの言葉を言わなければよかったのだ。
離れるのが惜しかったのか、さすがに無理だろうと思ったのか、なぜ口にしてしまったのか覚えていない。だがあの言葉を口にしなければ、彼女は貴族にならず、彼女の世界を楽しく過ごしていただろうに。
出会わなければよかった。
忘れてくれたらよかった。
そんな願いも込めてあの日、思わず呟いたのだ。
『モニカ・グラディアンに出会わなければよかった。いっそ俺のことを忘れたらいいのに』
するとどうやら、彼女に聞かれていた。
階段から落ちる彼女は、笑っていた。
流れる涙と共に。
願い通り、自分の記憶だけ消えたと聞いて。
心にぽっかり、穴が開いた。
喪失。虚しさ。
無くして気付いた。
理性などどこかに行った。
感情のままに動いた。
彼女の手を、引っ張った。
毎日彼女がいることが当たり前になってきた今、やっと冷静になれている。結果行動してよかったのか、分からない。むしろ余計なことをしたのかもしれないとすら思う。
自分を忘れたままの方が、彼女は新たな幸せに向かうかもしれないのに。それを邪魔してしまっている。今の自分は矛盾している。だがもう、後戻りはできない。
彼女を泣かせ、傷つけた。その事実があるのに、彼女と離れることなど、できない。
それに、今のモニカも嫌いではない。
出会ったばかりの彼女を思い出すのだ。
無邪気で遠慮がない、彼女を。
出会いからやり直している気もしている。
「今度はご主人がモニカちゃんを幸せにするの?」
「……幸せ?」
「結婚って、相手を幸せにするためにするものでしょう?」
「……そうなのか」
結婚とはどういうものなのかよく知らない。
ただ手段として利用しただけだ。
そういえば。
「互いに好きな状態で結婚したいって言われたな」
「え、そうなの!? ちょっとご主人、頑張らないとじゃん!」
「頑張る?」
「だって今のままのご主人だと好きになってもらえる感じしないし」
「…………」
今までは何もしないのに勝手に人が寄ってきた。
公爵という立場と顔のおかげだろうということは分かっていたものの、当時のモニカが自分の何が好きだったのかは正直分からない。今のモニカもそれはどうやら分からないようだ。
好きになったら教えろとは伝えたものの、その努力はしていない。ということはつまり、猶予である一年の間に好きになってもらえない可能性もある。
それを突かれて、心が重くなった。
「モニカちゃんに好かれるための努力、もちろんするよね?」
「…………」
「え、しないつもり?」
「どうすればいいか見当もつかない」
「ご主人って何もしなくてもモテてたもんねぇ。そこで、俺達の出番だよ」
「?」
「俺達使用人で、サポートしてあげる! あ、バルウィン殿下にも協力してもらおうよ。親友でしょ?」
「やめろあいつを巻き込むな」
本気で嫌な顔をして対抗する。
バルウィンは品行方正の完璧王子と言われているが、実はかなりのお茶目でお節介な面がある。過去、伝えていないのにモニカとのことを知られてしまい、頼んでもないのにフォローしてきた。正直迷惑だ。
「でもご主人のために協力してくれるのはバルウィン殿下くらいでしょ? 友達いないし」
(こいつ俺が雇ってることを忘れてるのか?)
心の中で悪態をついてしまう。
エドは最初からこの感じで、使用人なのに遠慮がない。だがそれが逆に、救われている部分でもある。こんな感じで言えるのもエドだからだろう。
ちなみに悪知恵が思いつく辺りはバルウィンと似ており、エドはバルウィンに対しても気さくな態度だ。王子なのでやめろと言ったことはあるものの、バルウィンは気が合うのかすぐ受け入れていた。
「まっかせて! 二人のキューピットとして、色々動いてあげるよ☆」
器用にウインクされてしまう。
語尾に星マークがつくと普段の倍以上にうざさがあった。だがその心意気は、彼の素直さから来ているところでもあり、全部が嫌というわけではない。
「……変なことはするなよ」
「やばいと思ったらご主人がなんとかしてね」
「なぜ俺がお前の尻拭いをしないといけない。部屋に来たならやっぱり仕事を手伝え」
「え!!! うっわ来なきゃよかったな」
シリウスは一発エドの頭をはたいた。




