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神商天秤 〜黄金の秤を継ぐ者〜  作者: エピファネス
第十二章 楚天動乱編

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第二百十六話 途切れた流れ

 秦軍は、淮水へ向かっていた。


 旧韓の地を越え、楚北境へと踏み込み始めた六十万は、なおも巨大な流れを保っている。


 だが、その速度は確実に落ちていた。


 進んでいる。


 それは間違いない。


 しかし、軽くはない。


 兵も、馬も、荷車も、すべてが徐々に重みを帯び始めていた。


 特に、馬である。


 西涼から買い集めた軍馬は優秀であった。


 長距離輸送にも耐え、重荷にも強い。さらに漢中から送られる馬糧も十分に確保されている。


 本来ならば、ここまで消耗するはずがない。


 だが現実には、脱落が増えていた。


 原因は単純ではない。


 道が悪い。


 列が密すぎる。


 休息が足りない。


 進路変更が増えている。


 そのすべてが、少しずつ馬を削っていた。


 そして、その削り方に、呂明は不自然さを感じていた。


 夜明け前。


 白く湿った霧が低地を覆っている。


 淮水へ続く支流沿いの街道はぬかるみ、荷車の車輪が深く沈み込んでいた。


 兵たちが肩を入れて押し、馬が荒い息を吐きながら綱を引く。


 その列を、呂明は黙って見ていた。


 前方で怒声が上がる。


「止まったぞ!」


 荷車である。


 車輪が外れたわけではない。


 軸も折れていない。


 だが、ぬかるみに沈み込み、動かなくなっていた。


「押せ!」


「縄を回せ!」


「馬を追加しろ!」


 兵たちが泥に足を取られながら群がる。


 だが、動かない。


 列が詰まり始める。


 その時、後方から別の伝令が駆け込んできた。


「後続第二列でも停滞! 馬二頭が脱落!」


 呂明は、ゆっくりと目を閉じた。


 連鎖している。


 前が止まれば後ろが詰まる。


 後ろが詰まれば、さらに後方の進みが鈍る。


 その重みが馬へ集中する。


 疲労した馬が倒れれば、さらに流れは遅くなる。


 悪循環であった。


 だが、それだけではない。


 呂明は、ぬかるみへ視線を落とした。


 泥は深い。


 しかし、不自然である。


 昨夜の雨だけでは、ここまで崩れない。


 踏み荒らされている。


 しかも、意図的に。


 車輪の跡が多すぎた。


 本来ならば均されているはずの道に、余計な轍が幾重にも刻まれている。


 荷重が分散せず、地面が崩れているのだ。


「……回されたか」


 呂明は小さく呟いた。


 輸送路を無駄に往復させる。


 不要な迂回を選ばせる。


 結果として道を荒らし、主道そのものを疲弊させる。


 今までの歪みが、ここで一つに繋がった。


 誰かが、流れを削っている。


 その確信が、初めて明瞭な形を持った。


「呂明殿!」


 補給将が駆け寄ってくる。


「このままでは今日中の輸送完了は困難です。後続を止めるべきでは――」


「止めるな」


 即答であった。


「しかし!」


「ここで止めれば、後ろが死ぬ」


 補給将は言葉を失った。


 事実であった。


 六十万は巨大すぎる。


 一部を止めれば、その影響は後方数十里にまで及ぶ。


 だから流すしかない。


 たとえ削られていても。


 呂明は、ゆっくりと周囲を見回した。


 泥にまみれた兵。


 荒い息を吐く馬。


 軋む荷車。


 そして、延々と続く松明の列。


 どこも崩れてはいない。


 だが、すべてが疲弊している。


 それが最も恐ろしかった。




 離れた林の中で、呂南衡は地面へ視線を落としていた。


 ぬかるんだ道。


 深く刻まれた轍。


 崩れた土。


 秦軍自身が、この道を壊している。


 呂南衡は静かに息を吐いた。


 彼は橋を落としていない。


 道も断っていない。


 補給庫を焼いてもいない。


 ただ、“無駄に使わせた”。


 それだけで、六十万は自ら道を削り始める。


「……重いな」


 その呟きには、感嘆すら混じっていた。


 六十万という数は、巨大な力である。


 だが同時に、それ自体が災害でもある。


 流れ続けるだけで、大地を壊す。


 そして今、その重みは限界へ近づき始めていた。


 呂南衡は、地図を広げる。


 視線は淮水へ向いていた。


 ここから先は、水の地である。


 河川。


 湿地。


 水運。


 馬と街道を得意とする秦の流れが、最も鈍る場所。


 そして――


 楚が、最も深く呼吸できる土地でもあった。


「……そろそろか」


 呂南衡は空を見上げた。


 灰色の雲が低く流れている。


 まだ、戦は始まっていない。


 だが――


 流れのどこかが、間もなく途切れる。

数ある作品の中から今話も閲覧してくださり、ありがとうございました。


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