第九話 一難去ってまた一難
テーブルを挟み、向かい合うように置かれた2人がけの革張りのソファが2つ。それ以外は暖炉があるだけで、なんの飾り気もない質素な応接室に座るブライアンは、明らかに周囲から浮いていた。
例えるなら森の中の質素で造りの古い掘建て小屋に、高級で立派な拵えの椅子がドンと置かれているような、そんな感じだ。
ブライアンとアルフレッドの座る前にあるテーブルには、来客用として残しておいたそこそこ見栄えのする小花柄の白いティーカップが1組、対岸にひとつずつ置かれている。
中央には一応用意しましたと言いたげなシンプルなクッキーが白い皿に乗せられており、そんなお菓子なんてこの家のどこに存在してたのかとミランダに内心首を傾げさせた。
「遅くなりました」
ミランダはそう言って一度念のため淑女の礼をし、入り口手前側にあるアルフレッドが座るソファに近づくと、空いてるスペースへと静かに座った。
ーあぁ、王太子殿下を我が家の修繕でツギハギだらけのソファに座らせたなんて…
この居間ソファは一応革張りとは言え、長い年月を経て破けた部分が多数存在する。
それらを似たような色の光沢のある布地を当て、誤魔化すようにして修繕したのは他でもないミランダだ。
メルロー子爵家を訪ねる人間など、ほとんどは家の内情を知ってる人なのだからと気にせず繕ったが、そのせいで今とてつもない罪悪感に襲われることになろうとは、数年前のミランダは夢にも思わなかっただろう。
ーこうなったらなるようにしかならないわ。最悪、大人しく一家揃って没落しましょう。
そんなことを思いながらミランダは、貴族令嬢には些か勇ましい眼差しをブライアンに向けながら、潔く頭を下げた。
「先日の夜会でのご無礼に続き、ここ数日の殿下の貴重なお時間を無下にしたこと、誠に申し訳ございません。殿下が寛大であるからこそ、お許し頂けてるようなものでございますが、いま一度そのことこの場にてお詫び申し上げます」
座って早々に頭を下げ、流れるように謝罪の言葉を口にしたミランダの姿を、ブライアンは数度瞬きをしながら見つめていた。
ミランダの横にいるアルフレッドは、娘の急な重々しい謝罪についていけず、『急にどういうことなの、ミラ?』と言いたげにアワアワしている。
「…顔を上げてくれ」
「ですが、物事には通すべき筋というものが御座います。特に王族の方を突き飛ばすなど、害を成したと受け取られても可笑しくありません。殿下に処罰なり、許しの言葉を頂くなり出来ないのなら、こちらは誠意を持ってその姿勢を見せるべきかと」
キッパリとそう言い切り、頭を上げようとしないミランダの様子に、断固とした意思を見てとったブライアンは、一瞬眉を顰めた。そして何か探るようにじっとミランダの後頭部を見つめ続けたのち、そっとその強すぎる瞳を伏せた。
「メルロー子爵令嬢。其方の、謝罪を受け入れる」
「殿下の寛大なお心に感謝致します」
そうして、ようやく顔を上げたミランダを、ブライアンはどこか寂しそうな顔で見ていた。が、すぐに真剣な顔をし、眉間に皺を寄せると、重々しくその口を開いた。
「では…私も、君に謝罪しないといけないな」
そう言って今度はブライアンもその首を垂れた。
「あの日は、すまないことをした」
「殿下っ!いけません。顔を上げてください。」
「先程は避けられない地位にあるため謝罪を受け入れた。だが私は、ここには1人の男としてきている。あの日、あまりにも性急で考えなしだった。ケビンにも紳士でないと言われた」
「そ、それでも、王族の方に頭を下げて頂くのは…」
「君は先程、通すべき筋があると言った。だから、」
「わ、わかりましたからっ!謝罪を、そのおことばを受け入れますので!顔を上げて頂けませんか!?」
真摯に頭を下げ続けるブライアン。
そんな彼の姿に、顔色が青を通り越して白くなりそうな、そんな血の気のない表情に変わったミランダが懇願する勢いで声を上げる。
「感謝する」
ようやく顔上げ、僅かに目尻の下がった、微笑みとも受け取れる表情を浮かべるブライアンに、ミランダの頬は一瞬にして淡い朱に染まった。
ー本当に、この方は…
キュッと口元を結び、視線を逸らしたミランダ。ブライアンはそんな彼女の態度に訳がわからず、小さく首を傾げている。
それまで一言も発することなく、ただ事の成り行きに慌てていたアルフレッドは、ようやく落ち着いたらしい空気にほっと息を吐き出した。そしてゴホンッと、仕切り直すようなあからさまな咳を1つすると、本人的にはキリッとしているつもりならしい表情で再びブライアンに向き直った。
「え〜、ブライアン殿下。ミランダのこと、格別の配慮をして頂き、ありがとうございます。それだけでなく、あの日、具合が悪くなった娘を殿下が馬車まで付き添ってくださったと"聞いております"。繰り返しになるようですが、メルロー家を代表いたしまして、再度、感謝申し上げます」
先程のあたふた具合と、『どうだっ!決まったよっ』みたいな笑顔をミランダに向けることを除けば、次第点以上の出来とも言えるアルフレッドの言葉に、ミランダは苦笑いを浮かべながらも小さく頷いた。
そんなミランダの様子をブライアンが微笑ましそうに見ていたことに、視線をアルフレッドに向けているミランダは気が付きもしなかった。
しかし、たった1人。すぐにブライアンの方へと視線を戻したアルフレッドはそれを目撃していた。途端、アルフレッドの笑顔がキラキラと輝き、今にも歌い出しそうな機嫌の良さで、とんでもないことを言い始める。
「さて、ブライアン殿下も、ミランダと2人の方が話しやすいこともあるでしょう。私はここらで失礼します」
良いことしましたと満足げな顔をして胸を張り、立ち上がったアルフレッド。その様子はお見合いの仲介人が、『あとは若いふたりで』とニマニマ帰って行くのと同じ空気を放っていた。対して、ミランダは信じられないものを見るように、三つ編みにして束ねた髪が鞭のように振り乱れるのも構わず、自分の父へとグリンッと顔を向けた。
「お、お父様?何をおっしゃってますの?」
「ん?大丈夫だよ、ミラ。もちろん客間の扉は少し開けておくし、外にはハンナも待機してるしね。それでは、殿下。ごゆっくりしていってください」
悲鳴にも近い、時折裏返った声を上げる娘の様子に気づかず、どこにそんな素早さを備えていたかと疑うような身のこなしで、アルフレッドはあっという間に応接室から退散していく。
ーお父様、待って!そういう問題じゃ〜…
とっさにアルフレッドの服の袖を捕まえようとしたミランダの手は空を切り、なにも掴むことができないまま、この空間に置き去りにされた。
ーどうしましょう…
サァーっと、本日何度目になるか数えたくもない血の気が引いていく感覚。それに、いっそもう一度寝込んでしまいたいなどと後ろ向きなことを考えながらも、ミランダはノロノロと姿勢を元に戻した。
内心かなり、いや、外見的にも相当動揺しているミランダとは違い、ブライアンは静かに手元のティーカップへと口をつけ、その紅茶を堪能していた。