特別編 とおく、おもう
こちら本編とも番外編とも違う、もうひとつの物語の終幕と回想。
前半レイモンド視点、後半アメリア視点となります。
こちらはご存知の通りハッピーエンドではございません。しかし、この物語の中のひとつの結末として、そして作者本人の2人に対する責任と懺悔の区切りとして書きました。
*レイモンド、アメリアどちらか1人でも否定的な感情がある方は読むことをお勧めできないお話になっています。
*この注意書き、そしてあらすじの注意書きを読まれていないと思われる感想をこの話数に書いた場合、申し訳ありませんがその感想は消去させて頂きます。
作者の我儘で申し訳ありませんが、ご理解ください。
以上、大丈夫なようならお進みください。
いつだって思い出すのは彼女のことだった。
弾けるような笑顔を浮かべ、自分の名を呼ぶ彼女。
彼女は子供みたいに真っ直ぐなのに、誰よりも愛情に溢れた大人の女性だった。
柔らかなお日様の香りが、輝きが、いつも彼女を包んでいた。
彼女は正しく太陽だった。
そんな太陽を失った世界で、誰が平然と生きていけるだろう?
一度その光を、温もりを、優しさを受け入れた人間が、どうして元の暗闇に戻れると?
いつだって思い出すのは彼女のこと。
脳裏にこびり付くのは、彼女が最後に浮かべた哀しく、美しい微笑み。
それに呪われながら、死んだように彷徨い続けた。
どうでもよかった。何もかも。
何をしても、何を言っても、世界は変わらないのだから。
両親の仲が決定的に破綻しようと、父親が他国と怪しい関係を築いていようと、母親が多くの男と爛れた関係を持とうと、今まで周りにいた人間が波を引いたように遠ざかっていこうと、何もかもがどうでもよくて、気にもならなかった。
ふと我に帰るとき、いつも何故、どうしてを繰り返す。
そして、いつも逃げる。
勝手に死んだ、アメリアが悪い。
ずっと一緒にいると約束したくせに、それを破ったアメリアが悪い。
自分も居なくなるなら、いっそ俺も連れて行けばよかったのに。
長い年月が流れる中、アメリアの妹のミランダがデビュタントを迎えた。
あの頃の、内気な癖に妙にお転婆で、アメリアそっくりな愚直な子供は、すっかり知らない女になっていた。
淑女の微笑みを被り、何事も卒なく、賢く、あざとく欺く、俺の嫌いな人種に。
それを見てまた思う。アメリアも、俺が気がつかなかっただけで小賢しい女だったのかもしれないと。
思い浮かぶのはアメリアと仲が良かったと話しかけてきた何人もの男たち。そして、アメリアに誑かされたのだと証言したあの男。
なんだ、俺は…何も悪くないじゃないか。
そう思ったら安心したと同時に、虚しくなった。
結局俺も、両親と同じように本当は誰からも必要とされない、生きてる価値のない存在なのだと。
突如広がり始めた穴を埋めるように享楽に浸った。
そういう時どうしたらいいのか、手本はずっと側にあった。堕ちるのは、簡単だった。
賭け事に興じ、目に付いたものを片っ端から買い漁り、数え切れないほどの女を抱いた。
でも、何も変わらなかった。
ただ、その抜け落ちたものの重みだけが増していく。
本当に、こんな腐った人生、終わってしまえばいいのに…
そこからはずるずると暗闇の中へと沈んでいった。
自分と同じはずのアイツが、何故か幸せそうに笑っていたのが気に障った。
アメリアの面影を残すアイツの手を取る、何もかも恵まれた男が憎かった。
俺ひとり、こんなに苦しんでいるのはおかしいじゃないか。
そんな呟きが、闇に染まった心にはストンと落ちてきた。
だから何もかも、壊してやろうと思った。
自分と道連れに、アイツも不幸になればいい。
アイツはひとり、俺のことを責めたけど、アイツだって俺と同罪だろう?
そうやって言い訳をして、俺は何もかもから目を背けた。
それで良かったはずだった。
『しあわせになってほしかった』
アイツが俺に告げた、アメリアの想い。
そんなことでアミィは俺を残して死んだのか?ふざけるな。
そう思うのに、振り返れば振り返るほど、彼女が俺に残してくれたもので溢れてくる。
彼女はかけがえのない人だった。
この世の何より、誰よりも愛している人だった。
そんな大切なものを手放したのは、彼女を信じられなかった俺自身だ。
そんなことに今更気がついたのは、愚かで臆病な自分だった。
彼女の痩せ細り、脆くなった身体の肉に刃を突き立てた感覚は、生々しくも鮮明に自分の手に刻まれている。
あの時、何もかも考えず、俺が彼女を助けようとすれば…もしかしたら、まだ助かったのかもしれない。
でも、あの時の俺は自分が彼女を、人を刺したショックと、彼女が自分ではない誰かを守ろうとしたことへの絶望で、何もできなかった。
もしも、ああしていたら…
そんな後悔ともう選べない未来への可能性を幾つも描き、それを全て捨て去った自分を嘲笑う。
アミィ、お前は、こんな男に捕まるべきじゃなかったよ。
食べ物も何も受け付けなくなった俺に渡されたそれは、全て俺の知ってるはずのアメリアの真実。そして想いだった。
そして強く思う。
何故、俺は、アメリアのことを信じられなかったのか。
アメリアは俺にたったひとり、いつだって手を伸ばしてくれていた人だったのに。
いや、違うか…
深緑色の装丁を見つめながら、それとそっくりな瞳を思い出す。
アイツも、確かにその小さな手を伸ばしていたはずだった。
最後に、俺を真正面から見つめ、詰ったのはあの、じゃじゃ馬でアメリアの愛していた少女だった。
たぶんあれは、アメリアが俺へと最後に残した希望の手だった。
でも、
それさえも振り払ったのは自分だ。
「ごめんな、アミィ…」
きっとアメリアは怒るだろう。
自分の大切な妹を苦しめた俺を、自分の想いを勝手にねじ曲げて捨てようとした俺を。
そしてこのまま、ゆっくりと死にゆく道を選んだ俺を。
だけど、これだけは許してほしい。
天に会いに行けない俺が、お前への想いを抱いて地の底に沈むことを。
私は幸せな人間だ。
頼りないけど誰よりも人の気持ちに敏感で、優しい父。
男勝りで変わってるけど、いつも前向きで明るい母。
そんな2人の子供に生まれ、とても可愛い弟妹に恵まれた。
ミランダを産んだとき、母は身体が弱り、そのすぐ数日後には亡くなってしまったけど、悲しくはなかった。
『アミィ。人間は必ずいつか死ぬ。でも私は、可愛い娘を産んで死ぬという、母としては一番名誉な死に方をするんだ。しかも、その娘はお前に負けず劣らず可愛いときた。一番お姉さんのお前には苦労かけると思うけど、天使みたいな妹を残していくんだ。私の代わりにこの子を大切に育てろよ』
玉のような汗をかき、顔色も呼吸も悪くしながら、そう意地でもニンマリと笑った母。それはもう死を受け入れながらも、勇ましく笑う、強い女性の姿だった。
そして、そんな母が残してくれた最後で最大の贈り物だから、私は心からそれを嬉しく思い、大切にしようと誓った。
悲しくはない。
きっと母は空に行っても、持ち前の明るさで私たち家族を照らしてくれるから。
側にいないのは寂しい。
だけど、代わりに我が家には天使にも見紛う可愛い妹がいるのだ。
父とダニエルは酷く落ち込んでいた。
でも、私は変わらず幸せだった。
こんな暖かな家族のもとに生まれ、そんな家族に囲まれた私は、本当に恵まれた幸運な人間だと知っていたから。
月日は流れても、私にとって家族は一番で、大切な宝物だった。
でも、社交界に出て、私はもうひとつの宝物を作ってしまった。
レイモンド。
家族以外で初めて、私が大切にしたいと、幸せにしたいと願った人。
彼との出会いは結構酷いものだった。
夜会でダンス終わりにバルコニーに連れ込まれ、無体なことを迫られそうになってくれたところを助けてもらった…のは良かった。彼の助け方はあまりに無作法で、その冷たい言葉は私の心を明確に傷つけた。
『こんな容姿の良さしか価値もなさそうな女を、無理強いしてまで手に入れようとするなど、たかが知れてるんじゃないのか?』
私に強引に迫るところを見られた挙句、そんな皮肉な言葉を掛けられた伯爵は怒りと羞恥で顔を真っ赤にして逃げていった。私はというと、真正面から投げられた暴言に、頭が真っ白になり、ただ目の前の意地悪く笑う彼を見ていた。そんな私に、彼はトドメのような言葉を突き刺した。
『そんな露出の多い服を着てるから勘違いされるんだ。それくらい、考えなくても普通わかるだろ』
胸元が開いたマーメイドラインのドレス。自分のスタイルをこれでもかと見せつけたそれは、決して好きではなかったけど、良い婚約相手を見つけるのに一番効率がいいから仕方なく選んだデザイン。
『好きでこんなの着てるわけないじゃないっ!!』
そう怒鳴って、泣き出してしまった私。まさか、こんな出会いをした彼が、私のかけがえのない人になるとは夢にも思わなかった。
意地悪で、素直じゃなくて、不器用で、『好き』なんて一度しか言ってもらえたことはない。でも、レイモンドのことを私は愛していた。そして何より、幸せにしたいと強く願っていた。
『姉様はなぜレイ兄様を選んだの?』
一度、ミランダが不思議そうに私に訊ねたことがあった。『考えたことなかった』と私は答えたけど、答えなど"愛してしまったから"、その一言に尽きた。
誰も彼も怖がって遠ざけようとするくせに、いつも誰かの愛情を欲していたレイモンド。
同情ではないつもりだけど、はっきりと言えば放っておけなくなってしまったのだ。
あの不器用で、怖がりで、ひとりぼっちな、どうしようもなく愛おしい男のことを。
今でも思い出すと笑ってしまう、彼の私へのプロポーズの言葉。
あの時の私は、他の貴族から婚約の申し込みが山のように来ていて、そろそろ何処かに嫁がなければならず、最後の賭けとしてレイモンドを試したのだ。正直、ずるいことをしたなって、その時のことを振り返っては何度も思う。
『正直不安だけど、家のためだから…一番いい条件の家に嫁ぐつもりよ。だから…レイモンドとも、もう頻繁に会えなくなるわ』
そんな私のわざとらしい言葉に、彼はとても苦しそうな顔をして、瞳を揺らしていた。
『そうか…』
しばらく待ってもそんな呟きしか返ってこなくて、やっぱりこの人は私のこと好きじゃないんだろうと、悲しかったけど諦めようと瞳を閉じた。だけど、
『…じゃあ、侯爵家からの申し込みなら、断る理由なんてないよな』
別れを告げようとした私の手を、そう言って掴んだレイモンド。
そのあと、一回しか言わないと真っ赤な顔で、視線を逸らしながら伝えられた『嫌いじゃないから、結婚しろ』なんて、ほかの女性なら絶対に怒ったであろうプロポーズ。
でも、私は嬉しかった。
素直じゃない彼が、『嫌いじゃない』ということは、とても数少ない、彼の好意を表す言葉なのだから。
「明日から侯爵家かぁ…」
私の膝の上で眠ってしまったミランダを起こさないようにしながら、小さくロッキングチェアを揺らしてみる。
実感が湧かない。こんな容姿以外に取り柄という取り柄がない自分が、侯爵家に嫁ぐという事実が。
でも、ひとつだけ確かに描ける未来がある。
「たぶん、貴方を幸せにすることだけは誰にも負けないわ」
伝える相手がここにいないとわかっていながら、そっと窓の外に浮かぶ月を見上げてみる。
少し霞がかった、美しい三日月。
「…素直じゃない私の王子様、愛してるわ」
きっと、今まで大切にしてきた宝物を手放し、貴方へと手を伸ばしてしまうくらいに。
とおく『離れたあなたを』 おもう
とおく『離れてもあなたを』おもう
とおく『離してしまったふたりを』おもう
三人分、合わせてのサブタイトル。
このふたりには本当にありがとうとごめんねを何回しても足りない気がする。
来世あたりでは絶対幸せにしないと、アメリアに私がどつかれる…




