750 ここからが本番
荒い息を抑え込むように、慎重に呼吸を整える。
激しい全力運動をようやく止めて、体が休息だと認識、肉体の疲労を訴えかけてくる。
だが、まだ終わりではない。
終わっていないんだ。
「社長、〝物体〟の確保成功しました」
念話を繋げている間も、周囲から戦闘音が絶えない。
分身体とはいえ、神が今大地にひれ伏しているというのに。
いや、正確に言えば、相手側から混乱している雰囲気は感じられる。
だが、負けを認めたくないのか、まだ戦いは続いているという感じだ。
であるなら、俺は俺で次の仕事をこなすだけ。
『よくやったよ、人王。それじゃ、こっちも準備はできている。早急に始めようか』
こと切れたように崩れ落ちる、太陽の巨人。
神の分身体と、神本体のつながりを切断したことによってこの肉体を操作していた存在がいなくなった。
神は、神に成り代わることができない。
もし仮に、この分身体が動き出してしまえば太陽神が二柱いることになってしまうから、この分身体を動かせる意志が存在しないのだ。
よって膨大なエネルギーの塊である分身体が早々に消え去るようなことはないが、放っておけば、いずれこの巨体も魔力へと消え去る。
崩壊はまだこない今だからこそ、できることがある。
俺は知らない社長の秘策。
ゆっくりと前進し始める海堂たちの艦隊。
そして本陣の方から感じる魔力の波動。
『各軍に通達、早急に戦域から離脱せよ、繰り返す、早急に戦域から離脱せよ。これは魔王からの第一級命令である』
そして社長自らの全軍への通達。
これによって、俺を含め魔王軍は迅速に後退を始める。
例外は、熾天使序列第一位と戦い続けているフシオ教官だけ。
ちらっと、上空を見て一瞬教官と目が合った。
邪魔立てするなと目で語られてしまえば、俺もできることはない。
頭を振って。
「ヴァルスさん、スエラの元まで連れてってくれ。スエラを回収して本陣まで戻る」
「わかったわ」
俺は自分の契約精霊の使役する白蛇に飛び乗り、トファムを送還しているスエラのもとに移動する。
巨大な白蛇が早く動けば、それ相応の速度が出る。
グングンと速度を上げて戦域から離脱する。
「いたわよ」
「回収してくれ」
その道中に精霊に護衛されていた、スエラを見つけそこの脇を通り抜けるように白蛇が駆け抜ける。
「ご無事で良かった」
「ああ、心配かけたな」
止まる必要はない。
彼女も魔王軍の一員。
高速で駆け抜ける白蛇の体に飛び乗ることくらいは造作もない。
軽やかに飛び乗り、調節して俺のところに飛び込んでくる。
分身体とはいえ、神と戦った俺の体の無事を確かめるように彼女は俺の体を抱きしめてくる。
それにこたえるようにそっと抱きしめ返すこと数秒。
「作戦は最終フェイズに入った。ここから先は俺も知らないが、スエラ、社長は何をしようとしているんだ?」
分身体の神が倒れたことによって、もう、トライスに勝利の目はないのは明白。
このまま国を落として、終戦でも迎えるのかと思ったが、それだと前の帝国との停戦協定を結んだ時の言葉が解せない。
「私よりもヴァルス様の方がわかるのでは?」
抱き合った状態のまま、スエラは白蛇の頭の上で座るヴァルスを見る。
彼女は戦いが終わってからずっと、その場から動かず、戦場を振り返らず前を見続けている。
「わかるわ、だけどね。言いたくないわ」
そして彼女はスエラの言葉にうなずきもせず、振り返りもせず、ただただ肯定だけした。
繋げるように、教える気がないと断固としての意志を見せてくる。
「どっちにしろ、この後見れるんだよな。であれば、聞く必要もないか」
「いいえ、契約者さん。私はあなたにアレを見せる気はないわよ」
その態度から、この後なにかよからぬことが起きる。
いや、むしろ坑道をつかって魔法陣を作り、そしてその坑道に呪物を設置したんだ。
良くないことを起こすと宣言しているようなものだ。
「あの魔王が戦域からすべての兵士を引き上げさせた。残っているのは不死者の王と意志のないゴーレムだけ」
何かが起きると確信して、それが何なのかと疑問に思って、好奇心という名の興味を持つのも当然だ。
しかし、それは知らない方がいいとヴァルスさんは言う。
「理解している人は少ない方がいい、そう、あの魔王は言ったでしょ?」
「……」
その言葉は決して俺に意地悪をしたいからではない。
むしろ、俺の安全に気にかけているかのように優しく語り掛けている。
パズルのピースがかけているけど、なんとなく何をしようとしているかが見え始めたあたりで俺は溜息を吐いた。
所謂、思考放棄というやつだ。
好奇心は猫をも殺すという言葉が脳裏に浮かび、すべてを知らないといけないと思うことは傲慢であると理解した。
「忠告に従っておくよ、安全だと思ったときに教えてくれ」
「そうしなさいな。あなたは愛する人がいる身、たとえ常人離れした力を手に入れたと言っても、知らない方が良いこともしっかりと存在するのよ」
知的欲求を優先して痛い目を見るくらいなら、これ以上踏み込むのはよろしくないと割り切って止めた方が利口であるんだよな。
それが正解だと、うなずくヴァルスさんはちょっと振り返って安心したと笑顔を浮かべた。
何でもかんでも飄々としている彼女が安堵するってどれくらいヤバい物なんだと思いつつ、これ以上は考えないようにしておこうと思っていると、ドタドタと大きな足音が響く。
気配でなんとなく気づいていたから、こっちからは何も言わなかったが、最後にズドンと大きな音を響かせてこっちに近づいてきたから、俺はスッとスエラを背に隠し、片方の手で空間魔法を起動、中にしまっている物体に手を伸ばした。
肘から先が異空間に沈み込んでいるホラー映像をさらしている俺の前に着地したのは予想通りの鬼と巨人。
「次郎!酒だ!!」
「……」
開口一番に要求する物がわかっている俺は、異空間から教官用の酒樽を取り出して無言で差し出す。
それを受け取った教官は、優に百リットルは入っている酒樽のふたを叩き割り、まるでジョッキで飲み干すかのように、一気に煽った。
「ぷはぁ、暴れた後の酒は美味いぜ」
無言でこちらを見る巨人王のことなどお構いなしに、仕事明けの酒を決める御仁に苦笑しつつ、いるかと無言で異空間から酒樽を見せ巨人王に視線で問うてみると。
「もらおう」
まさかの了承。
半分以上冗談であったが、冷静に考えればこの人も徹夜に徹夜を重ねて突貫工事を進めていたんだ、仕事上がりの酒くらいは欲しがるだろう。
「……美味いな」
「うちの知り合いから紹介してもらった酒造メーカーのウイスキー樽ですよ。それだけでだいたい五束の札が消えます」
教官といっしょで、グビっとジョッキを煽るように飲み、そして静かに感想を言う巨人王に苦笑しつつ、もう一度異空間に手を伸ばして、酒のつまみを出して差し出せば、大きな手が二つ伸びてきて白蛇の上で軽い宴が始まってしまう。
「戦場の戦況はこれで決まったようですけど、戦争は終わりますかね」
「……終わらねぇな」
ただ、戦勝祝いとまではいかないのが悲しい現実だ。
美味い酒に喉を潤す御仁二人に水を差すような言葉を投げかけるのは俺も本意ではないが、ここで誤魔化しても意味はない。
グビっと教官にしては軽く口に含んだ後、面倒だと言わんばかりに眉間に皺を寄せた教官は俺の質問に否定した。
ついさっきまでは仕事から解放されたサラリーマンみたいな雰囲気だったが、今は完全にお通夜状態。
しんみりとした空気になったことを承知で、ちらっと巨人王の方にも目線を向けてみるも俺の想像していた通り、巨人王も首を横に振った。
「人は諦めても、神は諦めないってところですかね?」
その意図を正確に読み取ることはできた。
「そうだ。むしろ今回の戦で大敗を喫したことで奴も引くに引けなくなった」
神は人の上に立っていることの自覚がある。
いや、プライドがあると言い換えてもいい。
絶対的な上位者、その上位者が今回思いっきり格下である種族に土をつけられた。
それをあの神が納得して引き下がるか?
世界の命運、もっと言えば世界の覇者を決める戦いに終止符が打たれるかもしれないことに神は納得できるか?
できない、断じてできないと俺は思う。
あんな傲慢の塊である神が、負けたと潔く認めるわけがない。
それが安易に想像できてしまうから、ガリガリと少し乱暴に頭を掻いてしまう。
「ゆえに、魔王様もここで手を抜かずいっきに片を付ける気だ」
「だろうなぁ、ま、何をするかまではわからんけどな。あんな大規模なことをしようとしてるんだ」
戦争の流れは完全にこちらに来ている。
勝敗を決するには、太陽神を完膚なきまでに叩き、負けを認めさせなければならない。
面倒事はまだ残っている。
戦いがまだ残っていると知って、普段の教官であれば楽しみだと言いそうだけど、今の教官からは戦の楽しみというよりは。
「生半可な攻めじゃねぇだろうさ」
好奇心というような感情が見え隠れしている。
何をするのか、純粋に興味を持っている。
おそらく社長からの命令で仕方なく撤退している。
鬼王ライドウというのはそういう存在。
認めた相手からの命令には従うが、それ以外は自分の信念に従って行動する。
もし、命令がなかったらあのままあの戦場に居座っただろう。
「そこの巨人のは知っているだろうけどな」
「……」
魔法陣を描くために坑道を掘り、呪物を設置した総責任者である巨人王に問いかけるほどだ。
彼の巨人は無言で酒をあおり、言葉を飲み込む。
それは語るつもりはないという宣言であった。
つまらないとは教官も言わない。
ただ、直感的に何かあると確信に至っただけで満足した。
「契約者さん、本陣が見えてきたわよ」
そんなやり取りをしている最中に本陣の近くまで来たようだ。
「そうか、手前で止めてくれ、そこからは歩く」
さすがにこの巨大な蛇で本陣まで乗り付けるわけにはいかない。
手前で止めてそこで帰ってもらうか?
「それと、還すのは少し待ってくれ、まだしばらく戦場で様子を見たい」
いや、この後変化が起きるのなら間違いなく厄介ごとになる。
それをわかっているなら、多少無理をしてでも待機してもらっていた方が即応できる。
「わかったわ」
教官と巨人王は樽を抱えたまま飛び降りて、もう本陣の方に歩いて行っている。
俺はスエラと一緒に飛び降り、そこでとぐろを巻いて休憩の姿勢になった蛇の上でどこからともなく取り出した煎餅を頬張り始める精霊に苦笑しつつ、俺も本陣に向かって歩き出す。
「かぁ、疲れた。これで終わりなら風呂に入ってのんびりしたいところだな」
「軽く、洗浄しておきますね。気休めですが、すっきりはすると思いますので」
腕を伸ばして体をほぐし、となりから淡い光を浴びせてくれて服の汚れや汗のべたつきが無くなるのを感じる。
「そうだな、戻ったら忙しくなるだろうな」
本陣の脇で大きな魔力を感じる。
あれは、帝国の魔導士部隊。
そこに魔王軍の魔法使いを結集させて、儀式魔法を発動させている。
なにをするか、いや、考えるなと忠告させられたのだ。
「その前に軽く飯を食べようか、さすがに久しぶりにポーションじゃなくて固形物が食べたい」
「はい、そうですね」
今はそのことは考えないようにしておこう。
今日の一言
知らなくていいことは、無理に知らない方がいい
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
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現在、もう1作品
パンドラ・パンデミック・パニック パンドラの箱は再び開かれたけど秘密基地とかでいろいろやって対抗してます!!
を連載中です!!そちらの方も是非ともよろしくお願いいたします!!




