688 理解と納得は必ずしも両立するものではない。
思えば俺は夫婦喧嘩というのを、スエラたちと付き合った頃からしたことがない。
基本的に彼女たちは温厚であり、俺が間違った時は指摘してくれるという容姿良し器量よしのいい女性陣だ。
そんな彼女たちを心配させる俺が基本的に悪いし、普段の行動でも不満を無くそうと努力している。
その努力を認めてくれている彼女たちとぶつかる理由がまずない。
よって、喧嘩らしい喧嘩はしたことはないが、今回ばかりは一瞬頭がカッとなって、低い声でエヴィアに詰め寄ろうとして。
「……いや、悪い。気が動転した」
「安心しろ、お前の気持ちも理解できる」
なら俺がやろうとしていることは何だと自己分析が俺を一気に頭を冷静にさせた。
スエラを戦場に送ることはダメで、仕事で俺が行くことは良い。
なんだその矛盾は。
危ないという認識は持っていたがゆえに、感情的になりそうになった。
顔を手で覆い、大きく深呼吸して魔力の波を抑え込み。
だけど、カッとなった頭は中々冷めてくれない。
感情的になるなと散々教えて来たのに、この有り様。
未熟な部分を露呈している。
ポンと肩を叩くエヴィアの優しさが今は辛い。
「……すぅ、はぁ、すまん」
「ああ」
何度も深呼吸して、ようやく魔力の波を抑え込む。
「経緯は理解した……それを承知で聞く、そこまで押されているのか?」
だけど、今彼女たちの顔を見て会話することができない。
私的な思考部分を理性で抑え込む。
今出ている俺は、間違いなく社会人としての俺だ。
感情の嫌悪感を抑えこみ、必要性という合理的な思考で物事を進めようとしている。
だからエヴィアの言葉に感情の起伏を極力抑えた声で質問を飛ばしている。
ああ、成長したと思ったのに。
「押されてはいない。だが、スエラを含め政務官が人手不足なのは事実だ。ライドウの戦線に送り込めるほどの武闘派となればその母数も減る。スエラは数少ない戦闘技能を持った政務に長けた人材だ」
「ああ」
それでも、嫌だというわがままを感情を抑え込むのにこんなに苦労している。
スエラには戦争に参加してほしくない。
何を思っている。
それならエヴィアはどうだ。
ケイリィはどうだ。
商売ルートで活躍しているメモリアはどうだ。
大小の差は有るが、彼女たちにも危険は降りかかっている。
なのにスエラだけを特別扱い?
ふざけるな。
バカか。
傲慢か。
「納得はできないだろうが、戦線にも余裕があるわけじゃない。優勢ではあるが盤上の駒一つのミスでこの状況は変わる。それを防止するために魔王様が判断した決定事項だ。正式に下った命令だ」
「そうか」
社会人としての俺はすでに納得も理解もしている。
だけど、個人としての俺が嫌だと叫んでいる。
平和の大事さを知っている俺は、その平和にスエラを置いておきたい。
危険は全て俺が背負い込む。
なんだそれ。
間違っていない。
だけど、わがままだ。
「それなら、仕方ないか」
「……いや魔王軍の将軍であるお前がスエラを足手まといだと言い張ればその命令は覆る。事実、スエラは私が訓練を施しているが実戦からは離れてブランクもある。それを考慮し、さらにユキエラたちのことも提示すれば魔王様は意見を変えてくれる」
故に、感情を押し殺そうとした。
それをするなと甘言を流してくるエヴィアは正しく悪魔だ。
だけど、その言葉は彼女の優しさからくる忠告だ。
俺は我慢をする必要がない立場にいる。
権力を駆使し、行動を捻じ曲げて、実力で正当性を示せば俺の意見は通される。
その過程で生じる問題に目を瞑れば、俺は感情に従える。
「……ハハハ、んなことできるかよ」
すなわち、俺の口からスエラは頼りにならないと断じて、その判断によって危険にさらされる部下たちを生み出す。
なんだそれ。
スエラを信じていないと言えと?
無理だ。
スエラは信じられないが、ケイリィは連れていく?
アホか。
スエラは家にいればいい?
バカだろ。
そこで俺はようやく、スエラの顔を再び見ることができた。
こんな情けない姿を見せたのだ。
落胆していたり、悲しい表情をしているかと思った。
だけど、スエラは変わらず、仕方ないと言う風に少しお姉さんのような年上の貫録を見せる笑みを見せていた。
「辛い選択を迫ってすみません」
「……否定できないのが辛いなぁ」
そしてそっと目を伏せた後、神妙な顔で謝って来た。
謝られる理由はないと言いたい。
これは俺の優柔不断が招いた感情の爆発だ。
愛する人に安全な場所にいてほしいという願望。
だけど、愛する人を信用していてくれれば頼りになるという確信。
それがせめぎ合い。
「本当だったら、さっき言ってた通り後方支援の担当でいてほしかったんだけどなぁ」
「先ほどもエヴィア様が言った通り、この一ヵ月は私の政務官としての技能が衰えていないかのチェックですよ。適性がなければ、私はそのままケイリィの仕事を引き継いでケイリィが戦場に行く予定でした」
「こういう話をしている時点で……」
俺の顔は若干疲れたという表情を浮かべてしまっている。
その自覚がある。
その顔をケイリィに向けると彼女は肩をすくめて。
「スエラにブランクなんて言葉はまったく意味なかったわ。むしろ休んでいる間に英気を養ってたわ。戦闘も政務も昔よりもキレッキレよ」
スエラの実力に太鼓判を押す。
「戦場に行くのなら子供に会いにくくなるぞ。あの子たちには母親が必要だ」
実力に関しては最初から疑っていない。
矛盾している話の流れも、きっと俺に話を聞かせるためのワンアクションだったのだろう。
理屈的に言えば、スエラが支援してくれるなら問題なく俺は戦闘に邁進できる自信がある。
それくらい彼女を信頼している。
だけど、それだけで彼女を納得して戦場に連れていくことはできない。
「ヒミクがいます。メモリアもいます、ケイリィもいます。それにエヴィア様も逐一様子を見に行ってくれると約束してくれています。それに母にも相談しました」
唯一の頼みの綱である母親としての立場を持ち出しても彼女の意思は揺るがなかった。
きっと俺が眠っている間に葛藤していたのだろう。
戦場に俺を送り出し見送り母親としての責務を果たすことと、一人の女として俺を支えることを。
「この判断は、母親としてはダメでしょう。自覚はあります。ですけど次郎さん、あなたを一人戦場に送り待っているだけの女でいるのは私には無理でした」
待つというのは不安との戦いだ。
俺が行く先は戦場だ。
よりその不安は顕著だろう。
例え母親として失格と言われようとも、愛した男と一緒にいたい。
そうスエラは言った。
「……心配かけすぎて、大丈夫って言葉の信頼を失わせた俺が悪いなこれは」
その気持ちを生み出してしまったのは俺の実績だろう。
毎度毎度、大丈夫と言って、ズタボロになって帰ってくる。
俺の大丈夫という言葉の信頼はほぼゼロだ。
今のところ生還率は十割という数字を叩き出しているが、それで安心できるかと聞かれれば無理だと俺でも思う所業。
母親としてあまりしてはいけない選択をさせてしまった。
賛成はしたくない。
だけど、反対もできない。
理解はできる。
しかし納得はできない。
そして原因が俺。
「貴様が戦場に行くからと言って、戻ってこれないわけではない。気休めかもしれんが、向こうが安定すれば定期的に子供にスエラを合わせる機会を増やすことができる」
「それをここで言うってことの意味、エヴィアはわかってるよな?」
「当然だ。でなければ言わん。正直な話をすれば、妊娠していなければ私が行っていた。その意味が分からんお前ではないだろ?」
「エヴィアが信頼して代理として任せられて、なおかつ手の空いている人材がスエラしかないってことか……」
「そう言うことだ」
魔王軍は確かに質に関してはかなり上等な部類に入る。
しかし、人材という面で量はそこまでそろえることはできない。
ダークエルフや悪魔といった人数を増やすことに長けていない種族が数多く存在する。
獣人やリザードマンと言った人と変わりなく増やせる種族もいるにはいるが、その手の種族は独自の文化があってコミュニティを形成している。
そのため、万能の政務官となると中々生まれない。
大きく深呼吸して、ようやく落ち着いた俺に向けて放たれたエヴィアの言葉を整理して、状況的に心情的に判断して。
「いざという時、スエラを優先的に逃がせる準備だけは確約してくれ」
「次郎さん!」
「それだけは絶対だ。あの子たちには母親は必要だからな」
「……妥当だな。将軍が率先して撤退するような事態は軍的に崩壊しているような状態だ。その状況なら内部事情に詳しい人材が撤退してくれた方がこちらも軍事的に有用だ」
一つだけ確約してもらう。
ユキエラとサチエラに父も母も失うような環境を作ってはいけない。
最終手段として、俺が特攻して時間を稼ぐという選択肢を表明したことにスエラは目を見開き声を荒げたがエヴィアがそれをとどめた。
俺とスエラの決定的な立場の差が出た。
軍事面で、将軍とは絶対的な存在だ。
故に様々な権限があるが、許されないことももちろんある。
それは戦場に於いて、将軍が最初に撤退することを許されないという不文律だ。
前線に立ち、兵士たちを牽引するのが将軍であり、守られるべき存在ではない。
将軍が後方で待機する分には一向に問題はないが、優先的に撤退することは魔王軍ではあってはいけない。
強者こそ絶対の不文律を重んじる魔王軍にとって敵前逃亡こそ最悪の罪だ。
故に、将軍が撤退するのは、軍が壊滅し殿を務め無事に撤退してきたとき以外に許されない。
それを理解していないわけがない。
俺に与えられた権力に見合う責任。
それは軍の中で最強であり続けること。
最強は逃げない。
故に、各将軍は権力をふるうことを許される。
「それは、あなただって」
「こればかりは譲れないぞ、なに、なんだかんだ言って生き残ってるぞ?しぶとさだけには定評がある。俺が死ぬのは、老衰って決めてるからな」
それは俺も例外ではない。
もし仮にイスアルの軍と全面戦争になるとしたら、俺は前線に立って暴れる。
それをしなければ将軍の名は名乗れない。
出張の話はここまで、スエラの同道を俺は承諾し、代わりに彼女の安全を確保した。
魔王軍にとってごく当たり前のやり取り。
「やはりこうなったか」
「なるだろうなぁ、俺の見通しが甘すぎた。いや、この場合は甘えすぎたと言うべきだな」
「いや、それは私もだ。お前ならなんだかんだ仕方ないと言って受け入れると思っていた部分がある」
しかし、そのやり取りの所為でかなり気まずい雰囲気ができてしまった。
誰も悪くない。
それは理解していても、納得はできないような結末。
エヴィアとケイリィは何となく予想していたのが表情でわかる。
メモリアとヒミクはスエラ寄りの思想だったんだろう。
どことなく納得も渋々といった雰囲気を出している。
「それは俺を過剰評価しすぎだ。俺にだって譲れない部分はある」
禍根を残すほどではないと思いたいが、放置したらまずいというのはわかった。
ガリガリと頭を掻く。
さてどうするかと、考える。
さっきの俺の言い分は、生き残ってくれと願っただけ。
しかし、受け取り方次第では実力的に危ないと言ったようにも取れる。
その齟齬を放置してはいけないと思ったのであった。
今日の一言
すり合わせをして万全を期せ。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
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現在、もう1作品
パンドラ・パンデミック・パニック パンドラの箱は再び開かれたけど秘密基地とかでいろいろやって対抗してます!!
を連載中です!!そちらの方も是非ともよろしくお願いいたします!!




