407 疲れた先でも仕事(厄介事)は待っている
「ああああああああぁぁぁぁ」
「なんだその腑抜けた声は」
あの会談後、宿屋に戻ってきた俺が真っ先にやったことと言えば、ネクタイを緩め、そのまま座椅子に座り大きく背骨を伸ばすことだった。
一日中会話に加わることなく、背筋を伸ばし、周囲を警戒しているのは非常に筋肉がこる。
骨も固まり、動かせば動かすほどコキコキと小刻みに良い音が鳴る。
こんな仕事を本職にしてる方々は本当にすごいと感心する。
思いっきり背筋を伸ばしたあと脱力した姿はなんと間抜けな姿だと思う。
それを晒すようで申し訳ないが、なれない仕事に励んだあとなのだここは一旦見逃してほしい。
「あんな狸の化かし合いのような空間で、小一時間どころか半日以上警戒してたんだ。体中が凝って仕方ないんだよ」
責めるようなエヴィアの視線に仕方ないだろうと言い訳染みた感じで反論してみる。
「だから言っただろう。暴れて解決できることがどれだけ簡単かと」
しかし、だからと言って彼女が仕方ないというとは限らない。
先に忠告したと呆れたように言う彼女の言葉にぐうの音も出ない。
「ああ、重々理解した。納得もした。あれは確かに面倒だ」
大人しく白旗宣言を出す。
国家間のやり取りというからどういうことを話し合うかと思っていたが、あれはひどい。
正直に言って強引な営業のセールストークの方がまだ耳心地が良いと言える。
それぞれの陣営が一歩も引かず、出し抜こうと一瞬の隙を伺い腹を探り合う。
礼儀はあっても遠慮はない。
喰うか喰われるかを言論で体現した場と言えた。
そんな感じの言葉が繰り広げられている光景を見せつけられた結果、精神的に疲れてしまったわけだ。
「将来的には、お前はあれよりも老獪なやつらの相手をしなければならんのだがな」
「………そうだった」
そして冷静に考えればこのまま出世すれば、長寿種族の魔王軍のご老人たちとも接する機会は来る。
数十年単位の寿命を若いと称せる方々の腹の探り合い。
考えただけでも疲れそうだ。
「それにしてもよかったのか?」
「何がだ?」
そんなことを考えたくない俺は話題転換を求め、さっきのエヴィアの対応に関して聞くことにした。
「いや、使節団に関してだ。国に招くって結構危なくないか?国内を調べられるって言う意味合いもあるが、それよりも治安的な意味合いで。俺も行ったとき結構人間蔑視みたいな風潮が強かったけど」
あの時はスエラとメモリアの父親二人に同行してもらっていたから問題はなかったが、よくよく考えれば一人で行っていたら絶対に面倒ごとになっていたと確信できる。
もし仮に日本人の集団が訪れたらどうなるか、そんなものは火を見るよりも明らかだ。
それをエヴィアが理解していないわけがない。
大陸に行った時の実体験を交えつつ聞いてみれば、彼女はその事かと納得し答えてくれる。
「ああ、それか」
「それかって、俺が思っているよりも魔王軍側からしたら大した問題ではないのか?」
人間と戦争している魔王軍からしたら異世界の住人だろうと人間は人間だ。
それが集団で、国軍に守られて来訪するとなれば反発は起きるのではと危惧している。
そのことに対して、エヴィアは気にしたそぶりも見せない。
ゆっくりと俺の隣の席に座り、顎で姿勢を正せと指示する仕草に従い改めて座りなおすと、彼女はゆっくりとその身を預けてくる。
最近、というかスエラが子供を産んでからこうやってスキンシップを求めてくることが多くなった気がする。
嫌ではない。
むしろうれしいと思うのが男心。
好意を持つ女性がこうやって態度に見せてくれる、男なら喜ばないわけがない。
これで内容が仕事の話でなければいいんだがなと、贅沢な願いを抱きつつ彼女の肩に手を回せば正解だと言わんばかりに、彼女の尾が揺れる。
「見せられる場所など、最初は軍事施設内のごく一部に限られる。その程度ならいくらでも手回しできる。屋外の視察も、軍事演習で派手な魔法の一つや二つを見せれば気が済むだろうさ。それこそ、ライドウとノーライフに任せるのも面白いかもしれんな」
「止めた方がいいと思う。死人は出ないと思うが、代わりにとんでもない常識が植えつけられるぞ。日本の侍や忍者が外国人から見たら超人だって話みたいにな。」
「それがおもしろいんだろうが、悪魔から楽しむことを奪うなんて次郎も悪い男だ」
クツクツと抑えた笑い声で、エヴィアの髪が揺れ、仕事の後だというのに彼女の女性らしい香りが俺の鼻孔をくすぐる。
少しドキッと心臓が跳ねたかと思うと、流し目でからかうようにこの程度で良いのか?と問いかける視線にこの先もこんな感じなんだろうなと、俺は苦笑するしかない。
「………進展はあった」
しばし冗談を交えながら会議の結果について話し合っていたが、溜息と共にエヴィアの口からこぼされたのは珍しく疲れたと言わんばかりの彼女の弱音だった。
「だが、いかん。魔力の消費は押さえているつもりだが、おそらくこのままの状態が続けば私は戦える状態に持っていくことはできなくなる」
時間をかけすぎたと愚痴をこぼす。
予定のスケジュールの半分を消費していないものの、エヴィアの魔力消費は刻一刻と減って言っている。
ストックの魔力も補充できないとなれば、それは当然の帰結であり、想定内である。
しかし、その事実はエヴィアが想像していた以上に精神的に負荷をかけている様子。
「そうなる前にケリをつけるつもりだったのだがな」
弱気になっていると思いはしたが彼女はそれを表には出さない。
少し強めに抱き寄せて、ようやくエヴィアはふっと口元を緩めてくれて、身を寄せる力を強める。
そして、そっと一回キスを落とす。
「「………」」
そっと触れた唇通しを離し、合図もすることなく再び触れあい、彼女の柔らかさを感じとる。
もし仮に海の中で刻一刻と酸素が無くなる環境で過ごせと言われ、俺はどれほどまでに正気を保っていられるかと考える。
それは最初はまだ酸素があるからと安心できているかもしれないが、残量が減れば減るほど焦りは募り、まともな判断はできなくなるかもしれない。
だが、エヴィアはそれを表に出すわけにはいかない。
彼女は魔王軍の顔であり、代理人。
彼女の言葉がこの世界へ向けたメッセージとなり、今後の国交の基礎となる。
弱音を吐くことも許されず、弱気になることも認められない。
彼女が強い女性であることは重々承知しているが、それでもこの小さな肩にそんな重荷を乗せていると考えると、頭が下がる思いだ。
だからこそ、こうやって不器用に甘えてこようとする彼女に肩を貸し、支えるくらいわけないさと思っていると。
「?」
ピリッとした雰囲気を感じ取る。
これを感じる場所を思い出すと自然と目つきが鋭くなる。
「敵か、次郎」
「わからない。だが」
そっとエヴィアの肩を押し、離れてもらい。
ゆっくりと立ち上がり窓の外を見る。
魔力の消費を最小限に抑えている今のエヴィアはこの気配を感知できないのか。
俺が警戒心をあらわにしている様子を見て、何かがいるのだと判断したのだろう。
彼女も立ち上がっている。
「嫌な感じだ」
時刻は夕暮れ時を過ぎ、すでに日は沈んでいる。
空には輝く満月があり、当たりは静かに平和を保っているように見える。
否、静かすぎるのだ。
「………なんだ。あれは」
辺り一帯、まるで虫一匹いなくなったかの如く静まり返り、見回し警戒している俺の視界に月に浮かぶ影が見えた。
「幻獣の類か?」
その視線を辿ったエヴィアも、その輪郭をみて眉間にしわを寄せる。
神が治める土地に置いて、只の獣が空を飛ぶはずもない。
騒ぎが起きていないことも鑑みるにこの土地では当たり前のことなのだろうか。
こちらなど見向きもせず、月に浮かぶ獣はただただ、夜空を飛び回り、そして最後には山の向こうに消えてしまった。
「なんだったんだ。今のは」
「さてな、少なくとも里の者が騒いでいないのを見る限り、すぐに危険な獣というわけではないだろうが」
何事もないように、只珍しいものをみたという感じでもなく。
僅かに戻った生活音が、逆に生々しくその異常を伝えてくる。
「嫌なものを見たな」
「エヴィアもそう思ったのか?」
幻想的なモノであったはずなのにもかかわらず、逆にその生物は会ってはならないモノではないかと思ってしまう。
危険であるのなら知らせが来てもいいはずなのに、知らせが来ないということは問題がないということ。
だが、この胸のざわつきは不安をあおる。
「ああ、遠目でもわかる。あれは決して集団に紛れるものではない。うちで言うならバスカルが一番近い」
「竜王?」
「竜というのは災厄の象徴として語られることが多い。奴も奴で、昔色々と問題を起こしている。今は魔王様の傘下に収まってはいるが、野放しにすればただでは済まないのは周知の事実だ」
お前もわかるだろ?とエヴィアに問いかけられれば二度戦った身としてはその言葉を否定することはできない。
御しきれなければただの天災となる。
それと同じ系統の獣がこの里の上空を飛んで行った事実に、今更ながら何もなかったことに安堵する。
「霧江さんに聞いておいた方がいいか?」
「確認できるのならな。できたとしても真実を伝えてくるとも思えんがな」
不安要素があるのならそこは極力排除すべき案件だ。
現に今は戦闘能力が著しく落ちている状況、藪蛇は勘弁だが、無知のまま災厄に巻き込まれるというのも勘弁願いたい。
知らぬ存ぜぬを貫くには些かリスクが大きい。
「やらないよりはいいだろ。連絡を取ってくる」
「いや、待て私も行こう」
本館の方に出向けば、仲居さん経由で霧江さんには連絡がつく。
携帯電話が使えない現状、どうやって伝えるかまではわからないが、連絡がつくなら問題はない。
エヴィアと連れだって、外に出ようと扉に手をかけた時。
『お待ちを』
「!?」
扉の向こう側から声をかけられた。
咄嗟に一歩下がり、声の主からエヴィアを庇うように立ち塞がる。
『驚かせてしまい失礼申し上げました。しかし、今は外出をお控えください』
扉一つ隔たっているのにも関わらず、くぐもっているがその声はしっかりと俺たちの耳に届く。
「理由は説明してもらえるんだろうな?」
エヴィアはその声に対して気後れすることなく問いを投げかけた。
恐らく、協会側が用意した俺たちの護衛兼監視の存在なのだろう。
度々感じる視線と気配。
そのうちの誰かなのは間違いない。
『はい、先ほどの月に浮かんだ影、あれは月狐。この里に住まう獣でございます』
その誰かとも知れぬ相手は淡々とエヴィアの問いに答える。
『普段は山の奥にある祠にて大人しくしているのですが、ときおり夕暮れ時から夜半にかけてああやって空を飛び回るのです。大抵十分前後で戻るのですが、興味を抱くものがあればその地に降りてくるのです』
「害はあるのか?」
『ありませぬ。あれはミマモリ様の神使。害をなさなければ、あれも牙を剥くことはありませぬ。ですが、あれは我らが神秘の秘中の秘。むやみやたらに目に触れ興味を抱かれ接触されることも望みませぬ。窮屈でありましょうが、山が静かになるまでしばしお付き合いを願います』
そう言って扉の向こう側は無言となる。
俺とエヴィアは顔を見合わせどうするかと悩むも、下手に刺激し相手の印象を下げることもないという結論に至り黙って部屋の中に戻る。
「次郎の悪運で引き寄せるかと思ったがな」
「止めてくれ、縁起でもない。そう言う事を言うと現実になってしまうんだよ」
てっきりこのまま厄介ごとに巻き込まれるかと思ったと口にしたエヴィアに俺は勘弁してくれと首を横に振る。
結果的に何も起こりはしなかったが、内心、俺もエヴィアの言う通りあれと関わり合いになるのではと危惧していた。
幸いにしてそういった結末にはならなかったのは良かった。
「さてな、存外その考えは外れていないかもしれないぞ」
「本当に勘弁してくれ、神様に国交交渉、これ以上俺に何をしろって言うんだよ」
そんな安堵の気持ちなど悪魔にとっては格好のからかい材料なのだろう。
ニヤニヤと笑う彼女に本当に疲れたと言わんばかりに、溜息を吐いて見せるのであった。
今日の一言
もうひと仕事と言われることは結構多い。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。




