372 流れ出た血はしたたり溜まる
姿のなき怪物。
そうアミリさんは口にした。
だが、一見して何か変化したようには見えない。
熾天使ニシアも、いつまでたっても変化が見えないことに怪訝な顔を見せる。
「………」
しかし、隙は見せない。
視界の中からアミリさんを外さないように周囲を警戒する。
たった一言告げただけなのにもかかわらず、周囲の緊張感が高まった。
これが魔王軍七将軍の一角の風格だと言わしめるほどの言葉の重さ。
「命令喰らいつけ」
そしてその緊張感の中を食い破るように、アミリさんが先手を取る。
その場には何もおらず、けれど何かいることを確信しているアミリさんは、虚空にいる何かに命令を出す。
異様としか言えない雰囲気を俺たちは黙って見守るほかない。
現状この場にいる最高戦力は間違いなくアミリさんだ。
その彼女と連携してニシアを倒すことも視野に入れなければならないが、彼女の持つ手札がどのようなものかを把握していない状況では行動に移りがたい。
視線で、スエラとメモリアに〝姿なき怪物〟の正体を問うも彼女たちも知らないと首を横に振る。
一体どんな存在なんだと言うんだ。
疑問で埋め尽くされそうな思考を冷静に保ちつつ、最初の攻撃が繰り出されたはず、と認識したその時であった。
「ぐあ!?」
突如としてニシアが苦しみだす。
そしてニシアの胸元から血が滲み出てくる。
その血の跡から、何か大きなものがニシアの右半身に齧りついているのがわかった。
「敵、耐久度を上方修正、されど戦闘条件には支障なし、そのまま食いちぎれ」
「っ!」
冷静に淡々と、戦闘を進めようとするアミリと対照的に噛みつかれた存在から離れようと魔法を放るニシア。
しかして、その魔法は空を切るだけで、床に着弾し床の素材を破壊するだけに留まる。
その光景は、まるで一人芝居。
勝手に痛がって、勝手に暴れる。
懸命に羽ばたき、その場から移動しようとしているニシア。
文字通り姿が見えないいや、姿がない存在ということの証左。
そんな存在はあざ笑うかのように、ギリギリと熾天使の肉体を食いちぎろうとする。
そして。
「ああああ!?」
その枷から逃げるためにニシアが選んだ方法は右半身をまるごと切り離すことだった。
「驚愕、まさかそこまでの再生力を持っているとは想定外」
それは生物であれば致命傷のはずの怪我、されど生命力が通常の生物と比べるのも烏滸がましいと言えるほどの存在である熾天使。
その序列二位であるニシアは、白い炎のようなものを自身の右半身に施し、瞬く間にその肉体を再生して見せた。
「………ヒミク、お前もあんなことができるのか?」
間違いなく熾天使ニシアがつけた傷は致命傷だったはず、それなのにそれがダメージになっていないのかと言わんばかりに迷うことなく自身の肉体を排除してピンチを乗り切ってみせた。
そんな判断できることも驚愕だが、肉体を瞬く間に治す回復手段、そちらの方に目が行く。
「いや、あれは序列三位までの姉さまたちが仕える主神から与えられている生命の炎だ。私は持っていない」
自身もだいぶ化け物と化していたと思っていたが、あんなことはまだできない。
いや、やりたくはないがと自問自答をしつつ、頬に流れる冷たい汗の原因を知るためにヒミクに問いを飛ばせば彼女も首を横に振り、その能力が神から与えられた正真正銘の反則技であることを伝えてきた。
「あの炎がある限り、姉さまたちは不滅だ。例え、五体を吹き飛ばされても瞬く間に再生してしまう」
「弱点はないのか?」
「………一応あるにはあるが」
今の会話はきっとアミリさんにも聞こえているはず、そしてニシアにも。
だが、弱点を伝えようとしているのにも関わらず、ニシアは目の前のアミリさんから注意をそらさず、伝えられても問題ないと言わんばかりに、姿なき怪物に食いつかれてもすぐに肉体を切り離し炎で再生してしまう。
「イスアルの主神と対となる、月の神が与える原初の雫。あれは如何なるものも効果を打ち消すと私は聞いている。それがあればあの炎も消せるはずだ」
神の力は神にしか打ち消せない。
「だから言ったのだ。ニシア姉さまには勝てないと」
悔し気に吐き出すようにヒミクは言う。
不死身の熾天使。
ダメージを与えても、そのダメージが無効化されるのなら、どう足掻いても倒す術がない。
見えない怪物に襲わせているアミリさんが一見有利に見えているが、その実攻め続けなければならないと言う状況に立たされているのか?
「いかに強力な攻撃とて、担い手がいなければ意味のないもの!!」
そんな俺の不安を掻き立てるように、ニシアが何度目かの肉体切断をした際に、姿なき怪物の使役者であるアミリさんにめがけて光の槍を投擲する。
閃光となり、放たれた一閃は無防備に立つ小柄な体のアミリさんの元へと飛ぶ。
もし、あの槍が彼女に刺さってしまったらと思うと。
「アミリさん!」
その先の嫌な未来を想像して、咄嗟に叫ぶ。
だが、この時点で俺ができることはない。
濃密に練られた光の槍を打ち消すには遠すぎる。
「問題なし、起動〝形無き怪物〟」
絶望を感じている俺たちの不安を、その抑揚のない声は拭ってくれる。
光の槍は、彼女の足元から湧き上がってきた、白い砂のような代物に遮られる。
「不死性を理解、原因、把握。戦闘続行に支障なし、勝敗への影響」
アミリさんを守る白き砂丘の中で、絶望などとは無縁と言わんばかりに彼女はそこに佇む。
「無し」
静かに佇むアミリさんは、空に浮かぶニシア見て告げる。
「熾天使の魔力量把握、魔力炉の存在把握、技量測量中、脅威認定判定」
彼女の口はただ、客観的に現状を把握して、その後すべきことを判断しているように見える。
「魔王ほどではない」
そして彼女は断言した。
「故に、勝率、百パーセント」
絶対に勝てると。
「図に乗ると錆が出ますわよ!!ガラクタ!」
自信満々に高らかな宣言は、プライドの高い熾天使の神経を逆なでる。
少女に目掛けて怒る女性とは、あまり見ていて気持ちのいい代物ではない。
光の魔法陣を数多に展開し、魔法の雨とでも言わんばかりに機王アミリ・マザクラフトに打ち付ける。
「否定、私は、ガラクタではない」
その豪雨ともいえる魔法の量に、アミリさんの周囲に展開している砂丘が答える。
うごめき、アミリさんを包み込みその光を遮る。
「視界を無くす行為が愚策だと理解できないことがガラクタと言うことです!」
その行為を蔑み、侮蔑し、魔法の豪雨を維持しながら、体に食らいつく姿なき怪物の攻撃を無視し、一際大きい魔法陣を展開する。
「あなたの様な存在が魔王軍の主力だと知れて、安堵しました」
血を流し、満身創痍に見えるはずなのに余裕の笑みを崩さないニシア。
その魔法は彼女にとっても渾身の一撃なのだろう。
「死んで、後からくる魔族たちの同胞を地獄で待ちなさい」
それはアミリさんだけではなく、俺たちまでもが巻き込まれかねない一撃。
「ヒミク!ムイルさん!」
俺は正面に立ち、鉱樹を構えその攻撃を切り払うために魔力を練る。
後のことを考える余裕などない、鉱樹の根を腕に巻き、高速で魔力循環を始める。
俺の掛け声に答えてくれた二人が結界を張り、衝撃に備えてくれている。
「では、さようなら」
待てと言って待ってくれるならこんなことはしないだろう。
ニシアは、ためらいもなく、その魔法を解き放つ。
「裁きの光焔」
魔法陣から生まれ出た一つの球体。
それは、小さな太陽のように光り、そしてその力を解き放つ。
「愚策、笑止、私を包むこの砂が〝防御手段〟だと認識したことが敗北原因」
そしてその時放たれる力に抗おうと、鉱樹の柄を握りしめた力を止める良く響く声。
「形無き怪物、リミット解除、コード、吸収」
光が解き放たれようとした前に、アミリさんを包んでいた砂が爆散し、辺り一帯に舞う。
それはさながら雪のようにひらひらと。
しかし、その美しさとかけ離れ、その砂は猛威を振るう。
「何事です!」
ニシアが動揺するのも理解できる。
俺も何が起きているのかさっぱりわからない。
光が解き放たれるどころか、みるみる小さくなる光の球体。
それに比例して輝きを増す宙に舞う砂粒。
「対魔導士用、ゴーレム、形無き怪物。その本質は魔素吸収に特化した、超小型のゴーレム群」
さらに、展開していた魔法陣までまるで蜃気楼かのように消え去っていく。
その原因を淡々とアミリさんは説明する。
「魔力形成に食いつき、捕食する形で魔法そのものを魔素へと還元する」
そして、ずっと佇んでいたアミリさんが一歩踏み出した。
「ただし、このゴーレムを使用するにあたって対峙した敵の魔力情報が必要。不使用の場合、還元能率が下がることが懸念され、今後の改善点である」
ゆっくりと歩むアミリさんの説明は止まらない。
「なので、姿なき怪物で攻撃すれば、反撃で相手の魔法を測定できると判断」
そのアミリさんの言葉にニシアは今気づいたとハッとした表情を見せる。
「まさか、わざと移動しなかったと言うのですか!」
「肯定、私のようなゴーレム使いは、ゴーレムが強ければいいと言う思考に陥るケースが多い。よって、ゴーレム使いを倒す定石は、指令を出す存在を発見し速やかにそれを倒すこと」
アミリさんとニシアの距離が迫る中で、上空に待機するニシアと地面を歩くアミリ。
立ち位置とは打って変わって、精神的優位はどちらにあるかは、今では明白。
「よって発生する、過度ともいえる魔法による攻勢。情報を収集するには十分な魔法を検分出来た。よって、熾天使ニシアの魔法構成を分解することが可能になった」
アミリさんが、見つめる先にいるニシアはどうだ。
不死身の炎を持っていようが、関係ないと言わんばかりに、アミリさんはニシアを指さし。
「お前の攻撃手段を見て、魔導士に類するものだと言うのは明白。姿なき怪物への対応を見る限り、接近戦の技能は低い。魔素を制すれば、お前など恐れるに足らない」
黒板に数学の証明式を解いて見せるがごとく、指を走らせ。
「不死身、強大な魔力、太陽神が与えた魔法技術。それがどうした。我々魔族は何千年とそれに相対してきた。それに臆してなぜ戦える」
この場で初めてアミリさんは感情をさらけ出す。
「侮るな、天使、お前に抗う牙などとうの昔に用意できている」
小さな体にどれほどの覚悟を秘めているのか。
静かに力強く宣言するアミリさんにニシアは、後ずさるように距離を取るが、本能的に取ってしまった行動にハッとなり、表情を歪める。
「魔法を封じただけで勝ったつもりですか!まだ、私は負けておりません!お前を倒せば!」
「愚か」
そして、ニシアはその行動を否定するように空間から剣と盾を取り出す。
魔族にいいようにされていることを腹立たしく思っているのだろう。
そして、魔法を封じているだけで、不死身を封じているわけではない事実にニシアはふるい立ち、その身体能力を駆使した驚異的なスピードでアミリさんに迫る。
しかし、アミリさんのたった一言だけで。
「体が!?」
熾天使ニシアは、大地へと墜落した。
「何をした!」
「翼を見れば明白」
無様に、大地に這うこととなったニシアの体の動きがぎこちなかったのは遠目でもわかった。
何かあると魔力を目に集中させ、アミリさんの指摘した翼を見る。
「あれは、砂か?」
「なんと?たったあれだけの砂で機王様は熾天使の動きを封じたと申すか」
白い翼の中に混ざる白い砂。
よく見なければわからぬほどの違和感。
「お前の翼の魔力を分解し続けて動きを封じた。加えて、吸収した魔素は重力魔法に変換しお前の重量に加算している。一粒一粒は大したことがなくても、それが積もればお前を封じることぐらいは可能となる」
そして手際の良さ。
「死なないのなら、捕らえればいいだけのこと」
地面に這ってしまったニシアに逃げ場はない。
全力で動けないニシアに砂が這い寄り、その身を包む。
「放しなさい!」
「論外」
必死に抵抗するニシアであったが、その言葉をアミリさんはバッサリと切り捨てる。
最終的には顔以外は全て砂の中に埋もれ。
「うるさい」
その顔も、騒ぐニシアのうるささに眉をひそめたアミリさんによって口も封じられ、鼻から上しか地面に出ていないと言うせっかくの美人が台無しだと言える光景が誕生した。
「終わった、のか?」
「終わったと思いますが」
最初は恐ろしかった熾天使も、アミリさんが来てくれたことで解決した。
結局、何もできないまま終始見ているしかなかった俺は、恐る恐る振り返り背後に立っている面々に聞くと、スエラが多分と付け加えて答えてくれる。
ホッと安堵する面々。
一番の戦力の熾天使を撃破できたのだ。
この事態も、解決するのも時間の問題。
むしろ事後処理の方が面倒だと思う。
「状況終了」
アミリさんのその言葉で、なおのことそう思った。
「残念ながら、まだ終わりじゃないですよ」
「!?」
しかし、その思いは、聞き覚えのある声とアミリさんを狙った白き光の濁流が粉々に消し去ったのであった。
今日の一言
体勢を立て直すのには、時間がかかる。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズが連載されております。
そちらも楽しんでいただければ幸いです。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。




