367 ありふれた日常というのは、それだけでかけがえのない光景
今日はスエラが退院する日。
あの日、激闘と言っても過言でもない出産の日から一週間。
幸いにして出産後の体調変化もなく、母子ともに健康という太鼓判を医師からもらい今日退院できる。
「荷物はこれだけか?」
ようやく一安心だと言えるその日が来たと言うわけだ。
「はい、もともと緊急入院でしたし、ほとんど病院着で寝たきりでしたので荷物も少ないんですよ」
「そう言えばそうだな」
そんな日に俺はスエラの退院の迎えに来ている。
入院の片づけとかあるだろうと思い、一応早めに来ている。
住んでいる部屋とは建物内で繋がっていて距離も短いが、それでも一人で歩かせるにはまだ不安がある。
念のためと思いヒミクも連れてこようとしたが。
『いや、今回は遠慮しておこう。子供を出迎えるためにもう一度部屋の掃除に力を入れたいからな!』
何やら気をつかってくれた様子。
実際、ヒミクの言葉に嘘はないだろう。
スエラの体調回復と子供の出産後の体調が順調だと聞くや否や、部屋の掃除に取り掛かった。
その念の入れようはすごかった。
年末の大掃除でもここまでやらないだろうと言うくらいに念入りに掃除、間取りを整頓していた。
出かける間際に、たすき掛けまでして、力こぶを見せてくるヒミクは新しく来る赤子が待ち遠しいみたいだ。
なので、俺も今日は仕事を休み、スエラと娘二人の出迎えをしに来たわけだ。
赤子二人はスエラにベビーラップで包まれて抱っこされている。
すやすやと眠る銀髪と黒髪。
その姿を見るだけで、マイナスイオンでも出ているのではと思うくらい穏やかな気持ちになる。
俺の片手に、入院中に持ってきたものが入った鞄がもたれている。
その重さはスエラの言った通り軽い。
子供が二人もいるのだから、当然そちらの方が重いはず。
片方の子供だけでも抱っこしたいと言う父親としての気持ちもある。
しかし、生憎と座りながら抱っこするのと抱っこしながら歩くのではやり方が違う。
まだまだ、抱きなれていない俺がやるよりもスエラが抱いて運んだ方が安全なのも事実。
それに一番の大荷物になる鉱樹も持ち運ばないといけない。
そればかりは誰かに任せるわけにもいかず、俺の背に収まっている。
流石に武器を所持したまま子供を抱く勇気もないので、あとで折を見て抱っこしようと心に誓う。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
そんなことを考えているうちに退院の準備は終わる。
体力が落ち気味のスエラを気遣って歩行速度と歩幅をゆっくりにそして小さめに。
なので自然と社内をゆっくりと寮に向けて歩くことになるのだが。
「おお!スエラじゃないか!無事生まれたんだな目出度い!!」
「あらららら、ずいぶんとまぁ、かわいい子供で」
「………目出度いな」
「同じダークエルフとして祝辞を述べます。おめでとうございます。私も次の子が欲しいですね」
子供それも赤子という存在は存外に目立つようだ。
通り過ぎる社員皆が皆、仕事の手を止めスエラが抱っこする子供たちを見て顔を緩ませ、祝ってくれる。
ゴブリンの作業員は、周囲のゴブリンたちと共にワイワイ騒ぐほど笑い。
ふわっと飛んでいたハーピィのOLはその場で風を纏い、ゆっくりと刺激しないように気をつかいながら赤子を覗き込み良かったねとスエラに微笑みかける。
通りすがりのジャイアントは、赤子が驚かないようにおずおずと距離を測りながら、祝辞を述べ。
これまた通りすがりのダークエルフ男は、綺麗に礼をしたのち、少し別方向に火が付いた様子。
「なんか照れくさいな」
「そうですね、ですが、うれしくも思いますね」
「そうだな」
そんなことが部屋に着くまでの間に繰り返され、そのたびに祝われる。
嬉しいと言う感情はもちろんあるが、こうも大げさに祝われると照れてしまう。
スエラの言う通り悪い気は決してない。
むしろ嬉しさが溢れてしまったと言う感じだ。
「おう次郎!見つけたぜ!」
『鬼王よ、しばし声を抑えよ。此度ばかりは赤子もいる。我らの気は赤子にはまだ刺激が強すぎる』
そして寮の入り口付近に待ち構えていた御仁が二人。
キオ教官とフシオ教官だ。
「教官」
「鬼王様、不死王様」
最近見ない二人であったが、なにかイベントごとがあるとひょっこりと姿を現す二人。
やはりいたかと思っていたのは俺だけではなく、スエラも同じのようだ。
顔を見合わせ、笑った後、笑顔で二人の元に歩み寄る。
キオ教官の大声で少し子供がぐずったが、スエラが大丈夫と優しくささやきかけるとすぐに穏やかな寝顔に戻る。
「随分と苦労したみたいだな」
『カカカカ、命の誕生とは、正しく命がけ、よくぞその試練を抜けた』
最初に二人はスエラを労わるように笑いかける。
「この度は私の子のためにご足労頂き誠にありがとうございます」
「教官、来てくれてありがとうございます」
「気にすんな、俺も好きで来てんだよ。まぁ、ちと仕事が忙しくてあんま時間が取れねぇからすぐに戻らないといけねぇがよ」
『慶事であるにもかかわらず、あまり関われないことは誠に残念よ。今回ばかりは多忙なこの身が嘆かわしい。なので済まぬが祝いの品のみを渡して失礼させてもらうぞ』
そのことに感謝したスエラは、子供に影響のない程度で頭を下げ、それに合わせ俺も頭を下げる。
気にするなとカラカラと笑うキオ教官と子供が生まれたと言う目出度いことをしっかりと祝えないことを謝罪するフシオ教官。
「片方は次郎みたいな髪の色だな」
『親子なのだから似るのもわかる。もう一人の方は稀子か。カカカカ、良き魔力を纏っておるわい』
そして、待ち伏せていた理由の一つだと言わんばかりに揃って子供を見ようと顔を寄せてくると、スエラが見やすいように抱きなおし二人に子供たちを見せる。
「こっちの黒髪の方もなかなかだぞ、こりゃ将来が楽しみだ」
『同感じゃ、稀子に負けず劣らずの才を感じる』
この二人はおべっかなど言わないのはわかっている。
覗き込み、双方の瞳から映った我が子たちの見たままの評価。
なのでその言葉は本心を言っているのだろう。
親である俺とスエラは、尊敬する二人にここまで賞賛されるとは思ってもおらず、つい嬉しくなってしまう。
『して、名前は何と言う?』
「おう、そうだ。教えてくれよ」
そして当然聞かれるだろうと思っている話を振られ俺とスエラは困ったように笑う。
「実は」
「まだ、決めていないのです」
スエラのお腹にいる子供が双子だと知り、その後の緊急入院、どたばたとして色々とあり何だかんだで、まだ決まっていない。
正確には候補はいくつかあるのだが、まだ選びきれていないのだ。
『なんと、それはいただけないの』
「そうだぜ!親の最初の仕事は子供に名を与えることだ。何なら、俺がつけてやろうか?」
そして当然ながらの叱責に俺とスエラは素直に恥じるしかない。
しかし、恥じると言っても教官の言葉はありがたく辞退させてもらう。
「いくつか、候補があるんですが選びきれなくて」
『なるほど、しっかりと考えているのなら問題はないか』
「んだよ、じれってぇな」
強い名前にしろよと俺ならとキオ教官が脱線しそうになっているのを見て、話が長くなると踏んだフシオ教官が待ったをかける。
『鬼王よ、そろそろ本題に入らねばまずいぞ』
「おっと、俺としたことが、実は今回はこっそりと来てるんでな。エヴィアの奴が目をこぼしてるうちに渡しておくぞ」
『然様、あの女も身内には甘いと見えるがそれも限度がある。尻を叩かれる前に退散するとしようか』
そしていよいよ本題とキオ教官は片手に持っていた白磁の陶器を俺に渡す。
「俺からは祝い酒ってやつだ。今年できた奴の鬼たちが飲む酒の中でも一級の酒だ。魔法で保存できてるからお前らの子供が飲めるようになったら飲ませてやんな」
キオ教官が用意してくれたのは生まれ年ワインのようなもの。
表面がしっかりと磨かれ、顔が映りこむほどきれいな表面であるが、うっすらと魔法陣が描かれ中身を保護してくれているのがわかる。
キオ教官らしい贈り物である。
大きな教官の手では小瓶に見えるそれも、俺の手に渡れば四合瓶程度の大きさはある。
「ありがとうございます」
ずっしりとした確かな重みは、キオ教官の祝ってくれている重みのように感じる。
素直に礼を言う。
「目出度いことを祝う。それが鬼ってもんよ」
照れた様子もなく、むしろ良かったなと俺の肩を叩いたキオ教官は用事は済んだと言わんばかりに後ろ手で手を振りながらさっさと歩き去っていった。
『カカカ、あ奴なりの照れ隠しよ。スエラの出産が危険なものと知ってそわそわとしていたものよ』
その様子を見て古い馴染みであるフシオ教官はその素っ気なさを説明してくれる。
「そうなんですか?」
『然様、そして次郎のことも信じておった。主なら子供もスエラも諦めないとな。奴はな、子供が生まれる前からその酒を用意しておった』
しかし、心配心が透けて見えるとは本当に珍しいものが見れたと笑うフシオ教官に俺とスエラは顔を見合わせ、嬉しそうに笑う。
「今度、お礼しないといけないな」
「はい、春先の時みたいに宴を開くのもいいかもしれませんね」
『ほう、それは良きことを聞いた。主らの子供の顔見せの場としても都合も良かろうしワシにとっても楽しみになる。この後の仕事にも気合が入るものだ』
そして口にした内容を聞き、楽しみだとフシオ教官は笑う。
その際には聞けなかった名を聞かせてくれと言われて、俺とスエラは喜んでと承諾する。
『なればこそ、楽しみを受けるためにも早急に仕事に戻らねばな。若者の邪魔をするのもそろそろ良くはない頃合い』
そう言い、そっと細い手を懐に入れ一つの小箱を取り出す。
『これはワシからの祝いの品じゃ』
中身を見せるようにそっとその手で開かれれば、中にはスノードームのような円柱状の水晶のような代物が二つ入っている。
「これって、もしかして!?」
高さが五センチほどの大きさの代物、中身で煌びやかに舞う光の粒子を見て、スエラが驚きの声を上げる。
『ほう、流石精霊使い聡いの。然様、これは精霊の雫と呼ばれる代物じゃ。精霊界で純粋な魔素が結晶化した高純度の魔石』
「それが二つというのは」
『然様、双子石じゃ。滅多に出土する代物ではないが気にすることはない、将来その子供たちの役に立てるが良いぞ』
その様子にかなり高価なものではないかと思ってしまい。
つい受け取る手がためらってしまうが、フシオ教官は気にした様子もなく、さっさと俺の手に小箱を置く。
『ではな、最近何かときな臭くなっており気が滅入っておったが、慶事によって気分が軽くなった。礼を言うぞ』
フシオ教官にしてはらしくない言葉だと思う。
しかし、俺たちが何かを言う前にさっそうと闇に溶け込み姿をくらますフシオ教官。
「いつものことだが、嵐のような人たちだな」
「そうですね」
来たと思ったらすぐに立ち去り、手元に残った祝いの品に目を向ける。
立派な祝い品をもらった。
「ちなみに聞くが」
「はい、なんでしょう?」
影も形もない教官たちにもらった品の内のキオ教官がくれた酒を持ち上げつつスエラに聞く。
「そっちの世界の飲酒は何歳からだ?」
「種族によってまちまちですが、私たちの里では成人の儀を終えた者だけですね。ちなみに年齢的には最小で十六歳から受けれます」
「早くても十六年後か」
一級の酒と聞き、少し飲んでみたい気持ちもあるが、この時の話を子供にしながら飲むというのもいいと思い我慢する。
「ふふ、しっかり我慢してくださいね」
「そうだな」
優しく釘を刺してくるスエラの言葉を了承し、止まっていた歩みを進める。
「それにしてもうちの子はすごいな」
「何でですか?」
道中の話など雑談でしかないが、こればかりは言いたい。
いきなり振ってきた話題にスエラは疑問符を浮かべる。
「教官たちに期待されるほどだろ?もしかしたら、将来とんでもない偉業を成し遂げるかもしれないじゃないか」
入社したての俺がここまでのし上がってきたことを見越してはいないだろうが、それでもあの二人が期待してくれていたからここまでこれたと思う。
そんな二人からの期待が自分の子供たちにも与えられたことが誇らしく嬉しい。
「そうですね、そうなってくれたらうれしいです」
エレベーターに乗り、そしてエレベーターの中での何気ない会話。
ゆっくりと上に登っている感覚が体にのしかかり。
「でしたら、部屋に戻ったらこの子たちの名前をしっかりと考えないといけませんね」
「ああ」
その重みを支えるように子供たちを抱きなおすスエラ。
「俺も早くこの子たちの名前を呼びたいよ」
「あの候補の中から選ぶのは中々骨が折れそうです」
まだ自分たちの子供としか呼べていない。
そうなってしまったのは自分の責任なので、何とも言えないが。
まだこの子たちが双子だとわかっていなかった時期に書き連ねたノートにびっしりと書かれた名前の数々。
スエラたちの世界観での名前や、日本での名前。
意味や字面を気にして、良いと思った名前を上げ続けたらとんでもない量になってしまった。
「大変ではあるが、嫌だと思えないのがいいところなんだがな」
「そうですね」
困ったと頬に手を添えていたスエラは俺の言葉に笑い。
そして扉を開け部屋に入る。
「ただいま」
「ただいま帰りました」
久方ぶりの部屋、そしてそのままヒミクが出迎え。
「おお!婿殿!スエラよくぞ帰った!」
ず。
まさかのムイルさんの出迎えに俺とスエラは。
「ムイルさん!?」
「おじい様なぜここに!?」
驚くほかなく。
その顔を見れただけでも満足だと頷くムイルさんは、グッとサムズアップし。
「曾孫の顔を見に来たぞい!!」
そう元気に言うのであった。
今日の一言
何気ない日常こそが、大切だと思う日が来る。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズが連載されております。
そちらも楽しんでいただければ幸いです。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。




