364 新たなステップに踏み込む時に、感慨深くなるのは歳のせい?
もう何度目になるだろうか。
溜息を堪えるように、目元を抑え現実から目を逸らさないように一回深呼吸を施す。
そして目を開いた先にあるのはパソコンの画面と、今さっきまで見ていた報告書。
内容としては近況報告と言えば良いだろうか。
と言ってもダンジョンテストに関する報告ではなく最近起こった数々のトラブルを思い返すように新たに判明した情報を添えた報告書だ。
ダンジョンテスターである火澄透の行方不明、そして同行した川崎翠の重傷。
前者に至ってはいまだ見つからず手掛かりすらなく、死亡説が濃厚。
後者に関しては、意識を取り戻し事情聴取が行われたが、大きな狼に襲われたこと以外、有力な情報を得られずじまい。
そして、樹王ことルナリアさんからあのダークエルフの里を襲撃したのは魔獣の自然現象ではなく、明確な意思があったとの報告。
それがどういった意味かなどと考えるまでもない。
今回の騒動は誰かが糸を引いていたということだ。
手元にある部外秘と印字された書類には、課長クラスでどうにか閲覧できる情報でも頭が痛くなるような内容がツラツラと並べられ、雲行きは曇天通り越して、雷が鳴り響くような雷雨が見えてきそうな雰囲気だ。
「随分と溜めてるようね」
「これが中間管理職の重みってやつなんですかねぇ」
少しでも気分転換をと続報で来た報告書の内容で気が滅入った気持ちをほぐすように目元をマッサージしていたが、はたから見れば俺が疲れているように見えたのだろう。
そっとコーヒーが差し出され、俺は差し出し主であるケイリィさんにお礼を言いつつ受け取る。
「テスターの様子はどうだ?」
「うちの課に関してはさほどってところね、二課の方は最初は浮足立ったけど、火澄君と川崎さんの独断専行ってことになって落ち着きが見えてるわ。問題は」
「………三課か?」
火澄が行方不明になって早一週間。
その間の社内は、お世辞にもいい雰囲気とは言い難かった。
原因はいくつかあるが、主な原因は魔大陸の本土の方で不穏な動きがあるということで、政治的要素の策略のせいで首脳陣がピリピリしていることだろう。
足を引っ張る輩はどこにでもいるようで、その引っ張る手を探し回って、連日残業を強いられているエヴィアに無言で抱きしめられた時は、不謹慎ながら頼られていると思いつつ、癒しになることを願い、十分ほど彼女を抱きしめながら頭を撫でていた。
事後処理というよりは、問題の対処といった感じで、見えない敵をあぶりだそうと躍起になっているが、相手はよほど隠れるのがうまいのか、尻尾もつかめずイライラが溜まっていた様子だったのが印象的だった。
「そっ。いやぁ、仕事じゃなければ近寄りたくもないわよあそこ」
その影響をもろに受けているのは火澄と川崎が所属していた第三課。
様子見してきたケイリィさんは怖い怖いと肩をすぼめ、おどける。
「そんなにピリピリしてたか?」
「してたわよ、魔王様直々に注意を受けたんだから、当然と言えば当然ね。おかげでさらに態度に拍車がかかってあそこに所属してるテスターたちはかわいそうねぇ。下手したら辞めるんじゃない?」
「だろうな、俺のところにも熱烈なラブコールが来たよ」
第三課の課長、ユルゲンからしたら飛んだとばっちりだろう。
言うことを聞かない部下が知らないうちに独断専行し、自分よりも地位の高い存在にすり寄り、その下で問題を起こす。
俺だったら顔を真っ青にするような出来事であるが、ユルゲンからすれば顔を真っ赤にするほど激怒した。
「へぇ? なんて?」
ユルゲンからすれば人間など奴隷のようなもの。
好き勝手に使い、潰れれば交換する消耗品のような認識であった。
しかし、俺たちダンジョンテスターは異世界人、そのように使ってはダメだと最上位権力者に言われ渋々指示通り使おうとしたが、あくまで態度は使役。
「使い勝手の悪い川崎を渡すから、代わりに俺のパーティーメンバーを全員寄越せだと」
言うことを聞くなら使ってやる。
聞かないなら、使わない。
そんな態度で接したら当然部下とのコミュニケーションなど取れているはずもなく、今までは火澄が独断で行動し結果を出してきたから、問題はなかったが、その火澄がいなくなり第三課の成果はガクンと落ちた。
おかげでとばっちりが順調な一課に飛び火してくるわけで。
「なにそれ?」
「本当にそれな」
欠けた戦力を補強するために、ユルゲンは無理を強行。
一番強い戦力であり課長である俺はともかく、次点で戦力であるテスターを寄越せと言ってきた。
それは二課にも話が言っているようで、向こうの課長さんは大激怒、ふざけるなと怒鳴り散らし断ったらしい。
「それで、なんて返したの?」
「そりゃ、まぁ、当たり障りなく断ったよ?」
「なんで疑問形? 怪しいわね」
そして第三課に所属しているテスターたちには申し訳ないが、俺もそんな無茶を聞く必要も義理もなく。
手を差し伸べることもできない。
課を分けたのが競争のためだという認識もなくなったのだろうかという疑問を言うことなく。
『あなたの言う、下等生物である人間の力を借りる必要などないと思われるので、こちらから支援することはありません』
代わりに正面から笑顔で前に言われたことを倍返しで言い返してやった。
当然、そんな返答など気に食わないユルゲンであったが、過去自分で言った言葉なので言い返すこともできず、最後は奇声を上げて立ち去っていったわけだ。
そんなやり取りを知らないケイリィさんではあったが、俺が普通に断っていないのは百も承知。
程々にしておきなさいよと言い残し、立ち去っていく。
「ほんとに、まぁ、厄介なことを」
正直、個人的にはこのタイミングで問題は起こさないでほしかった。
ちらりとデスクの脇に置いてある、小さなカレンダー、三週間後に赤丸が描かれ、その下に俺の字で出産予定日と書かれている。
「初めての子供が生まれるっていうのに、この騒がしさ」
可能な限り問題を起こさないように振舞っているつもりであったが、俺が起こさなくても周囲は関係ないと言わんばかりに問題を起こす。
「本当に、忙しいなこの会社は」
何も起きないという日がないのではと思うくらい。
やることなすこと、すべてに対して非常識。
そもそも夢物語みたいな業種を仕事にしているのだ。
常識にとらわれていたら、仕事なんぞできないかと、自嘲気味に笑いつつ、手を動かす。
ヒミクやメモリアに任せているが、可能なら出産には立ち合いたい。
ならばグダグダ言っていては、進む仕事も進まない。
火澄への恨み節はほどほどにして。
「さてさて、お仕事お仕事」
今回の騒動で起きた波紋を収めるとしよう。
慣れた事務処理を終わらせ、ざっと上がってきた報告書に目を通す。
新人テスターたちの影響と言えば、ケイリィさんが言っていた通り大したことはない。
対岸の火事のように他人事に感じている部分もあったり、そもそも何度も天狗になりかけている鼻を暇あればへし折りに行っている教官二人の影がある時点で、無理無茶無謀をする新人はうちの部署にいない。
おかげで、報告書の内容もいたってまとも、各班の目標が顕著に現れて、なかなか読んでいて楽しい。
「存外、新人のほうがしっかりしてるのかもな………いや、教官たちのしごきの加減が絶妙にうまくなっているのか?」
火澄透という人物の影響か、あるいは川崎翠という人物の影響か。
そのどちらとも縁がなければこんなものか。
新人たちからしても、火の用心といった程度の認識なのかもしれない。
と考えているとちらりと浮かぶ教官たち二名。
俺との縁があったおかげか、暇を見ては新人たちの面倒を見てくれる。
俺と海堂という尊い犠牲があったためか、力加減に関しては最早文句を言えないくらいに絶妙に加減されている。
そのしごきを受けた新人たちからすれば、アレを受け続けたのですかと畏敬の念が含まれた視線を浴び、ごめんそれ以上だと言いたかった。
「影響がありそうだった、北宮の対応がドライだったことは幸いだったが、七瀬のほうはどうしようもないな」
そして新人たちが平気なら、最も所縁のある人物が不安になるのだが、そこは大丈夫だった。
火澄が行方不明だと知った北宮は、次の日にはケロッとした顔、まではいかないが気にした様子もなく出社してきた。
ただ、普段であればアメリアと一緒に来たり南と口喧嘩しながら現れるのだが、その日は違った。
いつ振りになるかわからないが、隣に七瀬を連れてその日は出社してきた。
一緒に出社してきた理由も察せる。
本来であれば泣きつく相手が違うだろうと言いたいところだが、あの三課の課長を見てしまえば俺のほうに来たのは正しい判断だと言える。
予想通り、火澄の安否に関して俺の知りうる限りの情報を求めてきた七瀬。
特段拒否するつもりもなく、知りうる限りの情報と入ってきた情報を回すと約束したものの彼女の求める情報を渡せたかは定かではない。
今は気丈に、後輩たちのサポートに奔走し、火澄の名誉を挽回させようと努力している。
その姿は、現実から目を逸らそうと必死になっているようにも見えるが、今は気を紛らわせたいのだろうと思うことにする。
「………」
コーヒーを飲みつつ仕事をしていると、ふと時計に目が行く。
「時間か」
ダンジョンテストがない日は大抵、オフィスに座り報告書を読んだり、各班のスケジュールを組んだり、あるいは他部署との打ち合わせだったりと裏方仕事が多い。
「少し席を離れる。何かあったら念話で」
「はいはい、いってらっしゃい」
ケイリィさんに行先だけ告げて席を立ち、普段と違いゆったりと歩く。
いや、ゆっくりと歩きたいだけだ。
設備点検に走るゴブリンたちや、書類片手に談笑するダークエルフ、はたまた忙しなく誰かを探しているハーピーであったり、白衣を着たリザードマンが同僚と話していたり、外から帰ってきたのだろうかネクタイを緩めつつ汗を拭く悪魔。
人間が俺たちダンジョンテスターを除いたらほぼいない社内は最近では見慣れたものになっている。
今となっては特段珍しくもなく、気後れすることもなく。
どちらかと言えば現在は、外の世界のほうに物足りなさを感じるくらいだ。
何もないとまではいわないが、面白みという点では現実にない非日常が常に俺を刺激してくれる。
「そんな日が日常になってしまってるんだな」
ふと気づけばゆっくりとした歩みは止まり、そして手すりに片手を置きその眼下に見える光景を目に焼き付けていた。
ガヤガヤとした喧騒。
その音が耳心地いいと感じるようになったのはいつ頃だろうか。
前の会社にいたころは、わずかな仮眠の際に響いた雑音ですら鬱陶しいと思ったくらいだった。
たった一枚のチラシが人生を変えた。
「人生何が起こるかわかったものじゃないな」
思い出し笑いで口元に笑みが浮かび、そしてあの時心に正直になってよかったと思う。
現在に満足しているかと聞かれれば、まだ満足していないと言ったところか。
先が気になると思うなんて、学生のころ以来だと思ったのを懐かしく思える。
「出世願望なんて無縁だと思ってたんだけどなぁ」
責任なんて背負いたくないと嘆いていた俺が今では部下を預かる課長様だ。
中間管理職などに就いたことのない俺が手探りでやってこれてるのは偏に部下が優秀だからと思わざるを得ない。
「それでも、やりがいは感じているんだよな」
誰にこぼすわけでもなく。
現状が満ちた環境であることには間違いはない。
大変だ、面倒だと思うことはあるが辞めたいと思ったことはなく、進んできた結果に満足できていない自身はこんなにも強欲だった。
昇り詰められるところまで昇り詰めようと足掻いている最中。
できることなら、先日の騒動がこれ以上大きくならないでくれよと願いつつ、止まった足を進める。
革靴が地面を叩き、廊下に足音を響かせながら進む道のり。
社員とすれ違えば軽く挨拶をし、そして知り合いと会えば一言程度の雑談を交わす。
「早かったかな?」
そして目的地に着けば、ちらほらと人がいるだけで早めに出すぎたことを悟るも突き刺さる視線は相も変わらず。
何せ、この場に人間が入ることは前代未聞らしい。
末席とはいえ、人間が入ること自体に嫌悪感を示す輩はまだいる。
現状感じるのはその嫌悪感が半分、残りは好奇心と若干の同情交じりの視線。
気にしていても仕方ないと指定されていた席に座り時間が来るのを待つ。
「………」
その間席に用意された資料に目を通すも、事前に告知されていた内容と大差なく真新しさはない。
次第に部屋に人が集まり、ざわめきも大きくなる。
しかし、その騒めきも上座の席にエヴィアが現れたことによって静まり返る。
彼女が現れるということは、すなわち。
「やぁやぁ、待たせてしまってすまないね」
その後に現れるのは魔王こと社長。
笑顔で手を振りながらの登場であるが、誰も気にせず、素早く立ち上がり頭を下げる。
まるで示し合わせたかのように整然とした行動に俺も合わせ、頭を下げ。
「全員、着席!」
エヴィアの掛け声に合わせ、各々席に着く。
これから始まるのは、会社で例えるのなら経営会議みたいなもの。
エヴィアの司会進行の下、各部門の責任者が報告を行い、今後の指針を示す場。
社長はその様子を眺めるだけで、基本的に口出しは無し。
それでも緊張感の溢れるこの場にいるのは各々責任を持った立場の面々。
たった一年でここまで来たかと思いつつ。
様々な部署の報告を聞き、時にはメモし、他部署の近況を把握し。
そして。
「次に、テスター課の報告を、最初に第一課」
休憩をはさみつつ時間が経ち、ついに順番が回ってくる。
はいと小気味よく、そして快活な声で返事を返し、先ほどまで別のところに纏まっていた視線が自身に集中するのを感じる。
昔の俺なら、緊張で胃が痛くなるような話であったが。
「我々第一課は」
そんなことで弱気になるのはいつまでだったか、毛ほども緊張せず用意していた内容を語り、また意地悪めいた質問に答え。
その存在をアピールしつつ、要望を伝える。
この場に立つ俺は、現場の人間だけではなく、責任者であるという自覚も芽生える。
随分と突飛な立場になったなと、思考の傍らで考えつつ、どこか他人のように感じるのは、いたって平凡なサラリーマン時代の感覚が残ってるが故か。
「戦果として、現在稼働中のダンジョンの攻略で十全な成果を出し」
正しく人外しかいない環境で臆せず説明をしている俺を過去の俺が見たらなんて思うだろうか。
異世界人の女性との間に子供を授かったと聞けばどんな顔をするか。
もし、見せられるのなら見せてみたい。
お前の将来は真っ暗ではなく、かなり刺激的な未来が待っているのだと。
だから。
「そのことに関しましては、別添の資料を参照願います」
今の俺は胸を張れる。
先の見えない業種ではあるも、この場に立つことに不安はない。
守るべき家族がもう少しで増える。
信頼してくれる部下や同僚もできた。
多少のことでへこたれている暇などありはしない。
そんな暇があるのなら、文句言いたげな上層部の一部を黙らせる方法を模索するほうが、建設的だ。
なぜなら。
「第一課の報告は以上となります」
まだまだやりたいことがあるのだから、こんなところで足踏みなどしてられない。
今日の一言
進めるときに進まなければならない。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
今話にて今章は終了です。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズが連載されております。
そちらも楽しんでいただければ幸いです。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。




