355 後先考えずやったことに対して後悔しないのなら、最良の判断
スエラが目覚めたこと、いや、目覚めてくれたことかな。
そのただ一つの事象に対して思い描いた感情は、色々とあった。
予想では、俺の内心は喜色一色で染まるかと思っていたが。
「良かった、スエラ、本当に」
結果は思ったよりも複雑であった。
喜びと安堵、そして不安が解消されたことによる空虚な感情、さらにはそこからこのままで大丈夫なのかという新たに生まれてきた不安が入り混じり、なんとも表現しがたい感情に包まれ、それしか言えなかった。
ただ、うれしいという喜びの感情が溢れているのには違いはなく。
大人がみっともなく泣くなと言われるかもしれないが、この時ばかりは許してほしいと切に思った。
「やっぱり、次郎さんが助けてくれましたね」
その涙が頬に垂れてしまったことを気にすることもなく彼女は嬉しそうに微笑んだあとにそう言ってくれた。
約五日、ずっと眠っていたスエラの声はかすれて、声を出しづらそうにしていたが、そんな体調でも鉱樹が巻き付いている腕を見て、そして流れ込んでいる魔力を感じ取り、なんとなく何が起きたのかを察したのだろう。
弱った反対の左腕を浴槽から出し、滴る雫を拭うことなくそっと手を伸ばしてきた。
濡れることなど、気にするわけがなかった。
そっと優しく、されど素早く彼女の手を掴めば、最後の時のように少し弱弱しくあるが、しっかりと握り返してくれた。
それがうれしくて、また瞳に涙が溜まる。
涙腺が弱くなったかと思うが、今はその行動を咎めることはないだろう。
起きたら何を話すべきかと思ったが、スエラが目覚めてくれただけで考えていた言葉など全て吹き飛んだ。
だから、その手をただ握り笑うしかなかった。
「あの~、感動の再会中、非常に心苦しいのですが、そろそろ、診察をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
そんな、なんとも甘酸っぱい空気に水を差す役割を、え? 私がやるのと、エヴィアにでもけしかけられたのか、損な役回りを言い渡された女医が、オズオズと本当に申し訳なさそうに俺とスエラに話しかけてきた。
「あ、ああ、すまん」
女医に言われて、改めて思い出す。
目覚めたからと言って、彼女の体調が万全に戻ったわけではない。
魔力供給源を新たに確保しただけで、未だ予断を許さない状況であるのには変わりない。
そんな状況であれば真っ先に医者に診せるべきだ。
名残惜しいが、ほんの数秒スエラと見つめ合うと、彼女は頷き俺はそっと彼女の手を放す。
そして一歩引けば、その隙間を埋めるように医療関係者がスエラを診察し始める。
「妬けるな」
「からかわないでくれ」
離れて隣が空いたことによって、エヴィアが苦笑交じりに俺をからかってくる。
恋人四人、平等に接しているつもりではあるが、こういう時はやはり一人を優先してしまう。
メモリアやヒミク、そして隣にいるエヴィアもそこの部分は理解してくれてはいるだろうが、納得と言えば話が違うだろう。
スエラを治療している空間で、その不満の部分を解消するわけにもいかず、ほんのり見せてくれる彼女のヤキモチを素直に受け止める他ない。
「まぁいい、将来的には私もああなるのだからな。これ以上は私にも不利益が返ってくる」
その気持ちを察してか、エヴィアはいつもの笑みで矛を収めてくれた。
助かると言えば、貸しにしておくと人差し指を立てて、答えてくれる。
何を要求されるかまではわからないが、わかったと俺は返す他ない。
「あ、メモリアたちに連絡しないと」
そこで俺はふと、何も連絡していないメモリアとヒミク、そしてケイリィさんのことを思い出す。
「そう思って、私のほうから連絡はしておいた。詳しい内容は後で集まって話すことになっている」
しかし、そんな俺の行動などお見通しと言わんばかりに、エヴィアが先に手配してくれていた。
「そうか、それじゃぁ、スエラの診察が終わったら向かう形か?」
「そうだな、だが、すぐに終わるわけではない。なにせ、今回の治療方法は特殊だ。どんな健康被害が出ているかわからん。スエラの体の調子を確かめつつ精密に探ることになる」
通常の健康診断でもそれなりに時間はかかる。
精密検査となれば、一日がかり、下手をすればそれ以上。
「………」
となれば、普通に考えれば再度時間を見て、ここを訪れるのがベストであるのだが、心情的にはここを離れたくない。
だが、ここにいたとしても俺に何かができるわけでもない。
それを理解しているが故の沈黙し、悩む。
そして、五日ほどサボった仕事が山のように溜まっているのも相成り。
「………仕事に戻るか」
家族を養うためには、この会社での自分の価値というものを上げなければならない。
心情というものは時に、社会の波に呑まれるものだというのを再認識した。
そんな結論を下す。
「それが、妥当だろうな。私も一旦仕事に戻る。何かあれば知らせよう」
「頼む」
クツクツと笑いつつ、俺の意見が真っ当であることを理解し、同意してくれるエヴィア。
せめて最後に一言スエラに言おうと思ったが、問診を受けている彼女を邪魔していいものかと思いつつ、問診をしていない医師を呼び止める。
「はい、なんでしょうか?」
「診察に時間がかかりそうなので、スエラと話してから仕事に戻りたいんだが」
「あ、わかりました」
そして用件を伝えれば、納得したと頷き、スエラを診察している女医に近づき二、三会話した後に、手招きで呼ばれる。
「手短にお願いしますね」
女医がさっきみたいな甘い空間は独身の敵だと言わんばかりに睨みながら言うので、俺は苦笑するほかなく。
「体の具合は大丈夫か?」
「少し、体が重い程度ですね。ですけど、ここから出て鉱樹が離れたら動けないみたいなので、実際は動けませんけど」
そして、そのままスエラの側に立ち体調を聞いてみれば、思っていたよりも良いと彼女から答えが返ってくる。
浴槽から出ることが叶わず、このまま出産までこの状態が続くと聞いて彼女は笑う。
「そうか、少し仕事で離れるが、大丈夫そうか?」
「はい、すこし寂しいですけど、私のせいで次郎さんに迷惑をかけたくはありませんので」
子供でもありませんし、と健気に笑うスエラに背を押され。
「毎日、見舞いに来るからな」
「ありがとうございます。待ってますね」
「ああ」
そっと、軽くだけ口づけを交わせ、女医の額に青筋を立てさせつつ、軽く手を振り俺はその場を後にする。
「次郎」
「ん、!?」
「忘れ物だ」
「すまん」
その熱に当てられ、そっと立ち去ろうとした俺を呼び止め、振り返れば、だれの目にもとまらぬ自然さで唇を触れ合わせるエヴィアがいた。
彼女はその行為に満足げに頷いた後、転移し自分の仕事に戻っていった。
俺はと言えば、なんとも言えない医療チームの視線にさらされ、その中央でクスクスと笑うスエラに見送られ仕事に戻るのであった。
「と、いうわけで、心配かけたが一応スエラの意識は戻った、予断を許さぬ状況ではあるが、ひとまずは安心していいとのことだ」
そして戻った先で、ケイリィさんにつかまり、ヒミクとメモリアも揃い、ついでと言わんばかりに経過が気になっていたパーティーメンバーが勢ぞろいしたわけだ。
聞けば、シフトでなくてもパーティールームに来られるのならばと常駐していたらしく、俺のことを待っていたとのこと。
「一安心ってとこかしら?」
「まぁ、そうだな」
親友であるケイリィさんは、良かったと胸をなでおろす。
メモリアとヒミクも。
「それなら、スエラが退院したら祝いの席を設けなければならないな!」
「恐らく出産するまでは無理でしょう、ですが準備しておくのもよろしいかと」
明るい雰囲気で俺の報告を聞いてくれた。
「ようやく、通常営業ってところかしらね? 次郎さんがいなくて、大変だったのよ? うちの前衛が過労死する前で良かったわ」
「ほんとでござる、毎度変身して、疲労困憊の海堂先輩は見ていて痛々しかったでござる」
「アミーさんもいなかったので、トラップとか索敵とかも感覚が違いましたし」
「先輩! 今度高い店で奢るっすよ!!」
「わかったわかった、皆も俺がいない間ありがとうな」
表情から緊張感が抜け、そして、良かったとそれぞれ労わってくれた後は、通常運行と言わんばかりに雑談を交えてくる。
海堂からの集りも、今回ばかりは素直に頷くしかない。
「ち・な・み・にお姉さんからのプレゼントは、次郎君の机の上に山積みにしておいたから」
そして、現実とは非情である。
見ないようにはしておいたが、俺のデスクがえらいことになっている。
いや、仕事を放り投げて別のことをしていたのだから、当然の結末と言える。
ため息を吐くのを堪えて、自分の机の上に山積みになっている書類の一枚を手に取れば手書きで書かれた報告書や、備品の消耗具合。
他に、俺の承認待ちの書類の数々があった。
「それでも少ないほうよ。私のほうで処理できるものは処理しておいたから、三日以内で確認しておいてね」
そしてこの量でも少ないのかと、わずか五日間でここまで溜まるモノなのかと、若干絶望を感じつつ、最後にかわいらしくウインクをとばしてくるケイリィさんに、わかりましたと苦笑しながら頷く俺であった。
わずか数日しか空けていないからと思ったが、なんだかこの机に向かうのも久しぶりだと思う。
「そう言えば、ヴァルスさんに加速してもらったから、久しぶりと言えば久しぶりか」
現実では五日だが、賢者の書庫では十数倍の月日を体験しているのだから、普通に考えれば久しぶりだ。
書類のやり方覚えているか?と、若干焦ったが、普通に処理できて安堵する。
魔紋で強化された思考能力で、承認できるものとできないものを仕分け。
新人たちの報告書をざっと確認し、不足がある部分に付箋をつけて、再提出するやつとこのままでいいやつを分ける。
やること自体は単純作業であるので、難しくはない。
「いかんせん、量がなぁ」
机の上の書類だけかと思えば、パソコンを立ち上げればそこには送り付けられたデータの山。
結局、右手で書類を処理し、左手でパソコン操作。
普通なら遅くなる作業ではあるが、肉体能力が現代人と比べると、段違いの性能を誇るので苦ではない。
しかし。
「課長、こちらのほうの決裁を」
「課長、今度のダンジョン攻略に関して質問が」
「課長、二課の方から情報提供の要請が」
リアルで聖徳太子みたいなことをするとは思わなかった。
「決裁書類はそこに置いておいてくれ、あとで確認する、ダンジョン攻略に関してだな? ああ、樹王のところは魔法使いが動きにくいからな、スカウトのほうの装備を整えればある程度は奇襲を避けられる。二課への返答は待ってもらってくれ、今週中には返答すると」
両手で忙しなく作業しながら、指示を出しつつ、どういう対応をするか考える。
中々頭の中もハードになってきたが、仕事を放棄していたつけが回ってきただけのこと。
同情するような視線を海堂たちから浴びつつ、手伝うかと視線で聞いてみれば脱兎のごとく逃げていくパーティーメンバー。
薄情だとは思わない。
自分で蒔いた種は自分で刈るだけのこと。
と自分に言い聞かせながら作業を進める。
「ん?」
そんな作業の途中で、ふと気になる書類を見つけた。
「魔獣に関する報告書?」
前も同じような書類があったような、と思い出しつつ、ある程度作業が終わったのでその書類に目を通す。
「………」
そして読み進めるうちに眉間に皴が寄ってしまう。
内容としては魔獣の異常行動に関する報告書。
本来では群れるはずのない魔獣が群れている光景を目撃することや、魔獣の行動が統率されている事例が報告されてきている。
可能性として群れを統率する存在が現れた可能性があるとのこと。
頻繁には起きないが、特段珍しい内容ではない。
では、どこが問題なのか。
それは発生個所が、ダークエルフの集落、もっと言えば、俺がヴァルスさんと契約した際に拠点として使った集落の側で発生しているということ。
あそこは、反乱があった際に色々と被害が出ていて、まだ完全に復興が終わっていなかったはず。
「何もなければいいんだがな」
今のところ実害はないが、何かあったら嫌だなと思いつつその後の処理を続ける。
そして、かれこれ二時間以上作業を続けて、ようやく終わりが見えた。
「かぁ」
椅子に座りっぱなしだといかに体を強化しても、体というのは凝り固まってしまう。
コキコキとなかなかいい音を鳴らしつつ、体をほぐし、最後に残った仕事。
俺たちのパーティーのスケジュールの確認をしようと手を伸ばした際に俺はふと気づく。
「あ、武器どうしよう」
スエラに鉱樹を預けてしまったため、俺は武器がない状態なのだ。
そのことに気づき、間抜けと思うのであった。
今日の一言
我武者羅な結果なら、悪くない。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズが連載されております。
そちらも楽しんでいただければ幸いです。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。




