348 虫の知らせという言葉を聞いたことはあるが、体験したことに気付けるか?
問題が起きないことは、素晴らしいと思い二週間ほど過ごしたある日。
日常の中で、ちょっとした変化というものを感じたことはあるだろうか。
いわゆる、違和感というものだ。
「せ~ん~ぷぁい~」
「朝の挨拶は、おはようだ。どうした、そんな地獄の底から出てきたゾンビのような声を上げて」
昔は新聞を読むという行為をする機会は稀だったが、俺自身も最近は世間で起きたことに対して興味を持つべきかと思い朝に時間があれば読むようにしている。
と言っても、ファンタジー的なニュースなど流れるわけもなく。
政治家の汚職事件や、有名芸能人の不倫報道、事故や火事、などといったありふれたニュースであったり。
おめでたいニュースなど、某プロ野球選手が逆転サヨナラホームランを打ってチームに貢献した程度の話しかない。
世間は厳しいなと、思っているときに聞こえる地を這うような俺を呼ぶ声。
新聞をたたみ、その声の主たる海堂を見てみれば。
「………顔色悪いが、アミリさんたちに浮気でもバレたか?」
「いや、他の女の子にうつつを抜かすことに関して、俺って基本的に隠せないっすよ」
眼の下に隈ができ、頬も痩せこけ、ハリウッドの特殊メイクでもない限り、正真正銘体調不良だと訴える人間の見本だ。
ただ、魔紋によって強化された肉体は風邪程度で体調を崩すわけもなく、ひと眠りすれば瞬く間に治す程度の免疫力や体力を与えてくれる。
そんな海堂が、ここまで顔色を悪くするということはよほどの恐怖体験を受けたと推察するほかない。
まず最初に女性関係のトラブルでも拗らせたかと思ったが、それはないと海堂は首を横に振った。
「昔バレて、責められる!?って思ったとき怒らなかったんすよ」
「まぁ、向こうの世界の人は一夫多妻に関してはこっちの世界よりは寛容だからな。ないがしろにしない限りは、多少はお目こぼし貰えるだろうな」
メモリアが告白してきたときのスエラの対応と反応にあの時は驚いたなと、俺は俺で昔の思い出をリフレインしていると。
海堂は、それもあるっすけどと続け。
「アミリちゃんたち、黙々とそのうつつを抜かした女の子の体形に近づける努力を始めるっす。それはもう、自分の魅力がないんだと声に出さずともわかるくらいにっす。それを見たら、なんかこう、余所見ができないっす」
「ああ、努力を見せられるのか」
「いや、あからさまにじゃないっすよ? こう、本棚にスポーツ医学の本が出てきたり、ネット検索の履歴に美容に関するサイトの履歴が残ってたり、冷蔵庫の中に豆乳とか入ってたり」
やっているところは見せないが、努力を垣間見せてくるという海堂。
「そんなものを見ると、こうなんっすか、好意を寄せられて、ないがしろにするって良くないなって思って、最近は女の子の店にもいってないっす」
「となるとだ、その顔色は別の意味合いがあるわけか。俺はてっきり淫魔の店で搾り取られてアミリさんの機嫌を損ねたかと思ったが」
「さすがの俺もあそこは行ったことないっすよ。生きるか死ぬかのギリギリのラインを攻められる快感なんて怖くて行けないっす」
そんな感じで、俺の予想は外れたわけで、となると何が原因かと改めて考えると。
「だったらどうしたんだその顔色、体調悪いなら休んでいいんだぞ?」
「体調はすこぶる良いっすよ? ただ」
「ただ?」
「靴ひもが切れて、よろめいた際に、たまたま通りかかったキオ教官の素振りパンチが顔面すれすれで横切って朝から心臓に悪い出来事を体験しただけっす」
「お、おお。そういうことか」
今でこそ受け慣れているが、あの鬼のパンチは並では済まない威力を誇る。
戦闘モードではなく、日常モードでなんら覚悟のない状態でそれを受けたら、確かにこの顔色は頷ける。
「今朝みた占いが当たったかもしれないっすねぇ」
「占い?」
「そうっすよ、俺の星座今日は最下位だったっすよ。多分そのせいっす。今日いきなり不運な目に遭ったのは」
「そいつはご愁傷様だ」
「ああ! 先輩信じてないっすね!」
「この会社の社員が占ったら信じるが、テレビの占いってあれだろ? ニュースの後にやる五分かそこらの」
「実際、俺が危ない目に遭ってるっす!」
「偶然だよ偶然。お前と同じ星座の人がいったいどれだけいると思ってるんだよ。その中でたまたまお前が当選したわけだ」
しかし、それをオカルトのせいにするのはどうかと思う。
海堂は、今日は運が悪いと愚痴をこぼし、流石に俺は苦笑を漏らし、否定する。
それを証明しようと、ちょうど手元にある新聞にあった占いコーナーを見て、その中の星座占いを見てみれば。
「………海堂、おまえ山羊座だったか?」
「そうっすよ? それがどうしたっすか?」
「すまん、もしかしたら今日、お前の運悪いかもしれんな」
「ええ!? なんでっすか!!?」
「なんでも何も、新聞の方でも山羊座が最下位だ。二つ重なれば、さすがに何かあるとは思うよ」
海堂の誕生日の山羊座が最下位なのを見て、偶然という言葉を撤回する。
手元にあった新聞を渡しつつ、それを言ってやれば、新聞に穴をあけるつもりなのかとツッコミを入れたいほど海堂は凝視を始める。
「今日のダンジョンアタックは慎重に行かないといけないかもな」
「そんな~幸運になれるアイテムとかないっすか?」
「そんなものあったら俺が欲しいくらいだ」
教官のパンチが顔面すれすれで通り過ぎるようなことが今日一日おき続けるかもしれないという事実に半泣きになる海堂を脇目に、苦笑を一つこぼしていると、イライラとした声が聞こえる。
「ああ、もう最悪、天気予報大外れじゃない」
「おう、北宮おはよう、なんだ、傘でも忘れたのか?」
会社の玄関からそのままの格好で歩いてきたのだろう。
ずぶぬれで、髪が頬につき、ハンカチで拭くも焼け石に水なくらい濡れネズミになった北宮がオフィスに入ってきた。
俺は入ってきた北宮の姿を見るなり立ちあがり、備え付けのクリーニング済みのハンドタオルを取り彼女に手渡す。
「ありがとう。今日は降水確率ゼロだったのよ。出るときも晴れてたし、大丈夫だと思ったら会社につく百メートル前くらいでこのありさまよ。まったく、ついてないわ」
受け取りつつ、彼女は何かあったのかを話す。
自然現象相手に、文句を言うのは筋違いだが、それでも愚痴をこぼすくらいはしてもいいと俺は思う。
「おまけに、走って会社に入り込んだタイミングで止むんだもの、はぁ、占いの順位も最下位だったし、今日はついてない日かもしれないわね」
男みたいに髪を荒くふき取るのではなく、髪を労わるようにふき取る彼女は先ほど海堂が言った言葉をそのままつぶやく。
「お、北宮ちゃんも運が悪いっすか。お揃いっすね!」
「何がお揃いよ、海堂さんも何かあったの?」
その言葉に反応した海堂が、仲間がいたと喜ぶも、北宮からしたら不幸比べに他ならない。
あまり良いとは言えない表情で聞き返しつつも、自分以上に不運ではないと思っているようだ。
「教官のパンチが、顔面すれすれで横切ったっす」
「ごめんなさい。私のほうがまだマシだったわ」
しかし、神妙な顔つきで語った海堂の内容に北宮は素直に白旗を揚げた。
確かに俺も、あの教官のパンチが顔の横を過ぎ去るくらいなら雨で濡れネズミになったほうが幾分かマシだ。
「しかし、海堂と北宮が揃って運が悪いのか。北宮は何占いだ?」
「私は血液型占いよ。結構当たるって評判のサイトの」
海堂は星座、北宮は血液型。
海堂はともかく、女性の北宮が占いを見ること自体不自然じゃないが、こうまで連続で不幸が重なると何かあるのかと勘繰ってしまうのはこの会社で働いているからだろう。
前の会社なら、鼻で笑うような話でも、この会社だと無視するにはなにか嫌なものを感じつつある。
「なんか、こういう流れの時って、大抵何か起きるっすよね」
「やめてよ。縁起でもない。南だったら、こういう時フラグって言いかねないわ」
「それを、否定できる要素がこの会社にないんだよなぁ。魔法が存在している時点で、何かの予兆と思うか、気のせいで済ますか悩まないといけないんだからな」
「次郎さんまで」
海堂の言葉を北宮が否定しようとするが、生憎と、幸か不幸か、こういったとき何かがおこるということに対して耐性ができてしまっている俺にとって、むしろトラブルの予兆なのでは?と思ってしまうくらいには、この運気の流れは看過できない。
「う~、り~だ~」
「す、すみません」
そう思っていた矢先。
「うわ、フラグ回収っす」
「ちょ、ちょっと、何があったのよ。そこで待ってなさい!」
半泣き状態の南と、気落ちした勝の声が入り口から聞こえてきた。
最早、何か起こったことは確定だと思った俺たちは、迷うことなく二人のほうを見て、海堂はつい言葉がこぼれ、北宮は慌ててパーティールームに駆けこんだ。
顔面すれすれパンチにいきなりの豪雨。
そして、来たのは。
「随分とすごい臭いを漂わせてるな、何があった?」
「そこの曲がり角で、なぜか落ちてたバナナの皮で滑ってこのありさまでござる」
「僕は、咄嗟に南に掴まれて」
恐らくだが、ゴミ袋でもぶちまけたのだろう。
女性からしたら最悪の出来事。
それに巻き込まれた、勝も災難だ。
「バナナの皮って、本当に滑るんっすね。ギャグマンガだけの世界かと思ったっす」
「さすがの拙者も、ここまで体をはったギャグはしないでござる!」
プンプンと怒り出しそうな南から話を聞けば、本当にすぐそこの曲がり角で、たまたまゴミ回収していたゴブリンの職員がバナナの皮を落とし南がそれを踏み、咄嗟に勝を掴み、そのままゴミ袋にダイブ。
なんのコントかと思えるような一連の流れであり、本当かと海堂は疑いの視線を向けたが、南は普段はふざけているがこんなことをしないと断言する。
「もう! ガチャも爆死して、こんな目に遭うなんて今日の占いはなんでここまで正確なんでござるか!!」
「待て、また占い?」
そして、また聞き逃してはいけない内容を南が言う。
「? 喰いつくところが、そこでござるか? 拙者のこの惨状にもっとこう――」
「いや、海堂と北宮も、なぜか今日は不幸でな。二人とも、占いで最下位だって言うんだ。南、お前もか?」
もっと同情してくれと望む南には悪いが、遮るようにここまでの流れをざっくりと伝えると、すっとスイッチが切り替わったのか、南の雰囲気が変わる。
ゴミの臭いによって、イマイチシリアスになり切れていないが………
「拙者と勝は最下位とその一歩前でござる」
「星座占いか?」
「拙者のは干支占いでござる」
ポチポチとスマホを操作し、これだと南が見せてくる。
「………偶然にしては、できすぎているが」
「まぁ、直接誰かにされたってわけじゃないでござるよ。拙者も爆死したガチャに文句言ってる時の出来事でござったし」
「完全な不注意とも取れる話だな」
「そう言われると、ぐうの音も出ないでござるよ」
その画面もじっと見て、南の干支が最下位で勝の干支がその一歩手前。
内容は当然その順位にふさわしい、あまり良い内容とは言えないもの。
「何が起こったかは、わかった。とりあえず二人ともシャワー浴びてこい。北宮が準備してくれていると思うから」
「了解でござる!」
「わかりました」
その事実を真に受けるには、信憑性に欠けるが、否定するには状況証拠が揃いつつある。
何か対策が打てるわけでもなく。
とりあえず、いつまでもゴミまみれにしとくわけにもいかないので、二人には着替えてもらう。
素直にパーティールームに向かう二人を見送り。
「海堂、北宮、南に勝と来たら、どう思う?」
「残ってるのはアメリアちゃんだけ、何もないことを祈るっすけど」
残ったメンバーである、小柄な少女の姿が俺と海堂の脳裏によぎる。
「俺がなんともないから、アメリアも何もないかもしれんしな」
「先輩は占いとか見ないっすか?」
「あまり気にするほうではないな。まぁ、さっきの新聞を見る限り、良くはないが悪くもないって位置にあったから、そのせいかもな」
「別の占いかもしれないっすよ?」
「それ言ったら、どんな奴でもすべて順位がいいわけじゃないだろ」
「それは、そうっすけど」
不安を紛らわせるように、海堂と無駄口を叩くが、視線はチラチラと入り口のほうにいってしまう。
そんな落ち着きのない時間を過ぎ、始業まであと十五分に迫ったとき。
「Good morning!」
元気よく入り口から入ってくるアメリアがいた。
そのことに俺たちは安堵する。
やはり今までのことは偶然だったかと、俺と海堂は顔を見合わせ苦笑を見合わせ。
彼女に向けて挨拶を返そうと思ったとき、俺の視線の先、アメリアの足元に転がってくる一つの代物。
「あ! 宮川さん避けて!」
事務員の一人が誤って落としたのだろう、ひらりと舞い落ちる一枚の書類。
それ自体はなんてことのない書類の一枚であるが、事務員の女性が慌てていることと、魔紋によって強化された視力が、重要と判を押された印字を見逃さなかった。
タイミング悪く、もう踏み込むしかないアメリアにもその文字は見えていた。
避けるにはどうするか、と思考する暇もなく。
まるで、踏んでくれと言わんばかりに彼女の足元に舞い落ちた書類をアメリアは、一歩を大きくすることで回避。
それで、ことは全て収まる。
「Why!?」
訳もなく、神のいたずらか悪魔のいたずらか、彼女の入ってきた入り口から風が吹き込み一歩分大きく進んだ彼女の足元にめがけて重要書類を押しだす。
「No!?」
どうにか回避しようにも、もはや踏むまで数センチ。
滑り込むように入ってきた書類を避けるにはタイムリミットが少ない。
しかし、アメリアは運動神経の良さをここで見せつける。
「!」
強化された身体能力を駆使し、踏み足ではなく残り足のほうを蹴り出し、前に跳ぶことによって書類を回避する。
「ど、どいて!?」
のだが、威力の調整に誤り、かなりの距離を跳んでしまった。
彼女は咄嗟に空中移動することはできない。
よってその慣性に従い、正面にある観葉植物にあわやぶつかるというタイミングで。
「はぁ、間に合ったか」
「あ! ジロウさん!」
猫の首を掴む要領で服の襟を俺がキャッチに成功する。
プランプランと揺れるアメリアは、ぶつかる直前は目を瞑るも、衝撃がこないこととに目を開け、何があったかを察する。
「ケガはないか?」
「Yes! No problem!」
「そいつは良かったよ」
首元が締まるような行為をしたので、怪我がないか心配だったが、どうやらアメリアには問題ないようだ。
「すみません! 宮川さん」
「ダイジョウブ! 書類は、大丈夫だっタ?」
「ええ、あなたが避けてくれたおかげで、大丈夫だったわ」
そこに、書類を拾ったダークエルフの事務員が駆け寄ってくる。
「気を付けてくださいね」
「はい、申し訳ありません」
単なる偶然だっただろうが、この一連の流れを見て一応注意はしておく。
そして、頭を下げる彼女に以後気を付けてくださいと念を押し、業務に戻ってもらう。
「さてと、アメリア、一つ聞きたいことがあるんだが」
偶然かそうではないか。
それを確認しようと、アメリアに声をかけるが。
「次郎君大変よ!!」
その返事を聞くより先に、駆け込んできて叫ぶケイリィさんに呼ばれる。
彼女は額に汗をかき、全力で駆けてきたのがわかる。
「何が、あったんですか?」
その表情に嫌な予感がしつつも、極力冷静に俺は受け答えをしたと思う。
「スエラが倒れたの!!」
「!?」
しかし、後にこのことを振り返ったときの俺は、あまりこの後の行動は覚えていない。
ただ、唯一覚えているのは、俺は一つの扉の前で座っていたことだけであった。
今日の一言
何かが起きるときは、何かの前触れのようなものも起きるときもある
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズが連載されております。
そちらも楽しんでいただければ幸いです。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。
 




