332 のんびりと過ごしている間に働く存在もいる
Another side
魔王軍本拠地の大陸。
イスアルという世界から見たら、魔界と呼ばれるその大陸は、先日の勇者の子孫による反乱によって大きく被害を受けているものの復興は順調に進んでいた。
主戦場の中に主立った街や交通路が含まれなかったのが大きいのと、鎮圧も迅速に行われたのも相まって復興が早まっている要素だ。
しかし、問題がないと言うわけではない。
平常よりも労力が求められる環境というのは割ける労力に制限がかかり、優先度というのが設けられる。
それは仕方ない。
復興が優先される最中で、復興とは関係ないことをするわけにはいかない。
労力にも予算にも限度というものが存在するのだ。
そう、この時ばかりは仕方ないと言えるような状況だが、後にこれが判明した時仕方ないという言葉では済ませられないことが大陸の端で起きた。
「ふぅ、こんなおじさんを働かせて、お姫様はいつも無茶振りばかりで困ったものだ。もう少し年配者を労わるってことをしないんですかねぇ」
枯れたダンジョン。
遥か昔、それこそ大地が分かたれたときに最初の懸け橋となり、砕かれたダンジョン。
機能という機能はすべて停止し、遺跡という価値もほぼなくなり、だれにも見向きされなくなった洞穴と大差ない空間に本来であれば響くはずのない声が響く。
声が響く前にわずかに光った何かの中から人影が出てきて、辺りを見回したおじさんと自称する存在は灰色のローブをかぶり、周囲に漂う魔力の質から彼がなそうとしたことが成功したことを悟る。
「とりあえず、準備した甲斐はあったということですかねぇ。御使い様のお言葉通りならここが魔界ってことになるはずなんですが」
そのローブの奥から見える胡散臭そうな無精ひげを生やした男が、ジョリジョリと音を鳴らしながら顎をこする。
「いや、本当に暗いんですねここ。暗視の魔法使わないと何も見えないじゃないですか」
そして暗く何も見えないダンジョンに対して文句を垂れる。
何年もというよりは何千年も前に放棄されたダンジョンだ。
倒すべき魔物も、探すべき宝もとうの昔に尽きている。
それこそ住処を求めてやってくる野生の動物くらいしか訪れることのない枯れたダンジョンがまともに維持されているわけもなく、砂埃が舞う空間に男は辟易している。
「ただ、僕的には向こうの魔力の質よりもこっちの魔力のほうが好きですかねぇ。向こうのは明るすぎて落ち着きませんし、本の虫の僕としてはこっちのほうがゆっくりできそうだ」
しかし、この男はずいぶんと前向きなようで、すぐにこの空間で良い部分を見つけると誰にも同意を求めずうんうんと頷き始める。
「さてと、拷問して吐かせた男曰く?今代の魔王はかなり切れ者のようで、何やら企んでいるご様子。そんな切れ者から情報を得ないといけないなんて。はぁ、いやだなぁ。おじさん戦うのそんなに好きじゃないのに、面倒くさい」
しかし、その頷きを止めれば何やら物騒なことをつぶやきブツブツと独り言を漏らす姿は正直胡散臭いを通り越して、はたから見れば気味が悪い。
しかし、この空間に男以外の人が存在しないのでそれを指摘したり、文句が響くことはない。
いるとすれば。
「おや?」
グルルルと獣の唸り声が闇の中から聞こえてくる。
それは縄張りを侵したものを許さぬ獣の声。
唸り声が一つから二つ、三つと増えていく。
闇に潜み、魔力を纏い、数を揃え、鋭き牙を兼ね備えた獣たち。
熊と狼を掛け合わせたようなその猛々しい姿。
ただの一般人なら、その声にその姿に腰を抜かし、命が失われるかもしれない未来に絶望しているだろう。
ただ、ここで一つ気づいてほしい。
なぜ獣はわざわざ自分の存在を知らせるような唸り声をあげたのか、なぜ闇に紛れて襲い掛からなかったのか。
はたまた、なぜ獣たちはその場から去らなかったのか。
その答えはいたってシンプル。
奇襲が意味をなさないからだ。
逃走が意味をなさないからだ。
「幸先がいいですね。現地で使い魔を手に入れようと思っていたんです」
この獣たちよりもこの男のほうが強いという事実をこの場にいる獣たちは本能で理解している。
そして、獣たちが逃げられなかった理由は、逃げても無駄だという事実も本能で感じ取ったからだ。
逃げても無駄ならせめてその牙で、爪で一矢報いようとする。
何よりも白々しく今気づいたように宣う男が許せなかった。
この地は自分たちの縄張りだというプライド、自分よりも小さな姿の持ち主に劣るという劣等感を払拭したいという願望。
唸り声を咆哮に変えたのが群れの長なら、その咆哮に応えた群れの雄たち。
この咢で敵を食いちぎれと駆け出す群れに対して、男は何もしない。
「さらに幸先がいい」
否。
「わざわざ獲物が罠に飛び込んできてくれるなんて、手間が省けます。おじさん、運動が好きじゃないので」
もう、し終わっていた。
そして、その口元に浮かべた笑みは手間が省けたことを素直に喜んでいる。
獣が飛び込んだ先は何もない空間なのではない。
地面に張り巡らせられた幾重もの魔法陣。
その魔法陣に足が触れたと思った瞬間、獣たちの肢体は痺れ動けなくなる。
空を駆けることができない獣たちは無残に男の罠に落ちていく。
ただ一頭を除いて。
「おや? 一頭だけ、頭のいい子がいるみたいですね」
魔法陣を踏まぬよう仲間の背を足場に駆ける黒い獣、何が起きたか瞬時に悟り誰よりも早く進むのではなく高く上に跳び地面に足を着いた仲間の背に飛び乗り他の獣たちよりも大きな咢を広げ、その男の首に食いつかんとした。
「これは掘り出し物かもしれませんね」
しかし、男には通用しなかった。
獣なりに考えた対応策など、彼にとっては成績のいい生徒を見つけたような感覚で喜ぶ要素にしかならない。
脅威足りえないその獣にめがけ魔法陣から伸びる鎖が獣を捕らえ、獣の体を雁字搦めにする。
あと一歩、それこそほんの少し頭を突き出すことができればその首に食いつくことができたのにともがき、その縛りから抜け出そうとするが、獣の体に絡みついた魔法の鎖はもがけばもがくほど絡みつき、絞られる。
血の巡りが悪くなり、意識が遠のきそうになる。
最後の気力を振り絞ってもその願いは聞き届けられることはなく。
「では、あなたがこちらの世界で最初の使い魔ということで」
振り絞った力も無残に止められ、一矢報いることもできなかった獣は鎖によって宙づりにされる。
そして男が腰に納めていた袋の中から、宝石のような石を取り出し、もがき抵抗する獣の額に貼り付ける。
ビクンと獣の体が震え、力が抜けた獣の肉体を地面に横たえた後数秒。
むくりと起き上がった獣は頭を垂れ、その男に従属した。
「さて、一頭目はこれでいいとして、他のも面倒ですがやりますか。ここで手間を惜しんだら後が大変ですし、労働力は多いに越したことはありません」
そして、信じられない光景を目の当たりにした獣たちは、動けぬ体をどうにか動かそうと努力するも、その努力が叶うことはなく。
一頭、また一頭と額に石を埋め込まれ、男に従属していく。
「さて、当面の戦力はこれでいいですかね?」
一時間もしないうちに男の前に整然と並ぶ獣たち。
その前に立つ男こそがその獣たちの新たな長だと示すように、静かに座り指示を待つ。
「では皆さん、とりあえずここを拠点化しますので、周囲を警戒していてください。もし、外敵が来たらこれを撃破、もし可能でしたら生きて捕まえてきてください。もちろん無傷じゃなくて大丈夫です。足の一本や腕の一本治してしまいますので。ああ、そうだ。殺してしまったらしまったらで仕方ないのであなた方の食料にしてください。僕には、一匹大きめの獣をいただければ結構ですので。ああ、それと言い忘れていましたがこちらから攻めるのは無しです。あくまで専守防衛に努めてください」
指示を受けた獣たちは、男の意思に従うように走り出す。
獣たちを見送った男は、疲れたと肩を回した後溜息を吐く。
「はぁ、絶対忙しくなりますよ。これ、間違いなく忙しくなります。当面の食料が確保できただけまだマシですが、絶対に一人でやる仕事じゃないですよねこれ」
そしてこんな場所に送りこんだ原因たる少女の顔を思い出した男はさらに溜息を吐く。
派閥争いのおかげで当面必要ないと思われていることは省かれたせいで、男は悲しくこの地に一人で旅立った。
「いくら戦争を終わらすためだと言っても、これはないでしょうこれは、なんで僕一人にこんな大役押し付けるんですかねぇ。いえ、暇だとは言いましたけど、こんなことするほど時間があるわけじゃないんですよ僕は」
溜息の次に吐き出された愚痴を止め処もなく吐き出しつつも、男の手は止まらない。
左遷とも取れる配置に、他の宮廷魔導士たちからは色々と言われ、あまり気にしない気質の男の心を傷つけた。
黙々と光源の確保、水場の作成、住居の建造、防衛設備のためのゴーレム召喚に警戒網の建築。
やることは山積みだと口では言いつつも手は淀みなく動く。
それは何をやればいいかをしっかりと把握している証拠だ。
「はぁ、いっそこのままここに引き込もったほうがいいような気がしてきた、ここならうるさく言う女騎士もいませんし? なにかと派閥に組み込もうとして高飛車な女を押し付けてくる貴族もいませんし? 僕のことをゴミのように見るメイドもいませんし? あれ? 本当にここに引きこもったほうが僕幸せになれるんじゃ?」
次から次へとここにはいない存在を挙げ連ねて、ふとそれとは無縁の場所に来た自分はもしかしたら理想郷に来られたのでは?と思い至るが。
『お願いします。あなただけが希望です』
男を見送ったこの一言だけで、渋々、本当に渋々だが男は自分の欲望を断念した。
仕方ないと言いつつも彼は非情になり切れない自分がヘタレだと言いつつ、頼ってきてくれた少女の思いを無下にできなかった。
「………はいはい、わかってますよ。やりますよ、やればいいんでしょ」
人間関係が不器用であると自覚のある男は、まっすぐに頼られるということに対して気恥ずかしさを覚えていた。
大抵彼のもとに訪れるのは、彼の持つ力を手に入れようとする下心が付随される。
それを敏感に察知する男はのらりくらりと、口八丁手八丁で受け流してきた。
ガリガリと頭を掻き、面倒だと再度口にする。
「いや、本当に姫様も面倒なことを押し付けてきましたよねぇ。確かに王国とトライスの生臭坊主どもとの戦争が泥沼になってきて民に負担がかかっているのはわかりますけどねぇ。はぁ、だからって僕に負担をかけなくてもいいでしょうに」
これから男がやろうとしていることは、新たな敵を作り出そうとすることだ。
それは戦争を長期化させる原因になり得る話ではあるが、泥沼と化した人同士での争いを止めるには最適な劇薬と化す。
その敵をうまく誘導し最善な状態で戦争の方向性を修正し、人間という種族は一致団結しないといけない。
それを成し遂げられると背中を押され、魔界までやってきた男は。
「ああ、いやだ。若いころは喜んでたけど、今じゃ賢者という称号が邪魔でしかない。ああ、弟子に押し付けたいけど、そもそも僕には弟子がいない。あんなゴーレムを作ったアホどもにでもこの称号押しつけたかったけどそれもできなかったしなぁ」
イスアル西方の大国、ハンジバル帝国の宮廷魔導士第三席の賢者であった。
「はぁ、なんで昔の僕はあの幼女の言葉に耳を傾けてしまったのかなぁ。まぁ、そうだよね。若いころに王族から才能があると見込まれれば舞いあがっちゃいますよね」
そして帝国の宝石と呼ばれる姫君の家庭教師兼筆頭魔導士でもある。
そんな立場を欠片も嬉しそうにしていない男は、再び溜息を吐き止まっていた拠点造りを再開する。
「はぁ、いやだいやだ。魔王と戦うことになるかもしれないこんな仕事嫌だなぁ」
何度も言うがこの男、いやだと口にはしているが、その言葉の反面体は的確に効率よく動き、魔法を駆使して整地された過去の遺物のダンジョンは着々と拠点としての能力を身に着けていく。
「どこかに都合よく祭り上げられそうな便利な勇者様、落ちていないかなぁ」
その男の願望はいずれ叶うことになると彼は知らない。
そしてその言葉を信じてすらいない。
いずれ現実が目の前に直面した際彼は、どういう言葉を放つのかそれは神すら知らない。
ただ言えるのは、攻め込むことも攻められることも慣れて、経験を積んでいるはずの魔王軍は油断していた。
一回攻められ、撃退し壊滅させたのだからまだ攻められることはないだろうと。
この油断がどういう影響を与えるのかそれはこの男自身も予想だにしない。
Another side End
今日の一言
自分が休みでも、働いている人はいる。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズが連載されております。
そちらも楽しんでいただければ幸いです。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。




