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331 のんびりと過ごせるのなら、こんなこともできるかも

「こんな施設もあったのか、マジでこの会社どうなってんだ?」

「ふふ、開かずの間なんてものもあると噂がありますからね。次郎さんの知っている場所は社内でもほんの一部かもしれませんよ?」


 ゴールデンウィークも四日目。

 今日はスエラが少し行きたいところがあると言われ、了解と簡単な気持ちで返事を返し目の前の光景に圧倒された。

 彼女が行きたいと言った場所が俺の知らない場所であったのは当然ながら、ここに連れてこられて最初に抱いた感想はまだこんな場所があったのかという感情であった。

 妊婦であるスエラであるが、安定期に入り多少の運動は問題ない。

 なので彼女が行きたいと言うのならとヒミクが用意してくれたピクニックに使うような弁当片手に出かけたわけだ。

 たった一年、されど一年と言いたいところだが、この会社はまだまだ知らないことが多すぎる。

 今回も、行くのなら社内のなんらかの娯楽施設だと思ってた。

 それも過去に行ったことのある。

 なのでのんびりとできる温泉宿のエリアかと思えばそうではなかった。

 着いた場所はまたもや観光地のような風体の湖畔。

 ダークエルフのスエラが選ぶ場所だけあって、遊ぶと言うよりは避暑地と言った感じの自然豊かな場所だった。

 もちろん機密に関することならなおのこと俺が知らなくても当たり前なのだが、〝娯楽施設〟まで知らないものが多いのは些か驚くどころの話ではない。

 ドッキリが成功したことに満足した彼女は笑顔を見せ、そっとお腹を支えながら一隻の船に向かう。

 港に並ぶ数隻の船の中から選ばれた船の姿を見て俺はその船がなんなのかを察する。


「遊覧船か?」

「はい、水と風の精霊が自動で操船してくれる船です」

「日本の造船技術者たちが聞いたら卒倒しかねないシステムだな」

「こちらにもそちらの世界に負けない技術はあるんですから」

「御見それしました」


 大きさとしてはよくテレビとかで見る金持ちが保有するホームパーティーでも開けそうなほど大きな船。

 二人で乗るとすれば些か大きいが、ほかに船員がいるのならちょうどいいと言えるサイズ。

 スエラが迷わずその船に乗り込むので俺も後に続き、船橋を渡り乗り込めば木製特有の優美さが目につき、ふわふわと浮かぶ風の精霊が華麗にお辞儀し、俺たちを出迎える。

 それにスエラがよろしくお願いしますと返事をする。

 俺も一応頭を下げれば、風の精霊らしき存在は満足気に頷き、指笛を吹く。

 それはまるで出港する際の汽笛かの如く場に響き、帆が降ろされ、船橋が上がり、係留策が解かれる。

 そして緩やかな風が船体を湖へと押し出す。

 ゆっくりと湖畔からでる一隻の帆船、それに乗船した俺は精霊が操船しゆっくりと波のない水面を滑走する船に驚きを隠せない。


「舐めているわけではなかったが、もうこれ以上ないだろうって考えは捨てたほうがよさそうだな」

「ええ、そうしたほうがいいかと思いますよ」


 甲板上に用意された一組の椅子に腰かけ、給仕役の精霊に運ばれたアイスティーを味わいつつ、下手な豪華客船のクルーズよりも快適な船旅の感想を述べる。

 周囲を山に囲まれ、寒くもなく暑くもない快適な空間なのにもかかわらず自然だと認識させるような青々とした光景。

 それは普段人工物に囲まれている日本人からすれば、日常の色合いとはかけ離れた温かみのある光景だ。

 その光景が作られたものだという事実に驚愕する俺をクスクスと笑いながら見るスエラ。

 この会社はダンジョンそのもの、外見からは想像できない世界を内包しているため湖ぐらいはあってもいいとは思っていたが、会社という組織運営する施設、ダンジョンコアを守護するエリアそれ以外の娯楽スペースを考えると、これ以上は容量的に無理だと思わざるを得ない。

 そんな浅はかな俺の考えを吹き飛ばすような規模の施設を俺はいま体験している。


「帰ったら、ほかにどんな施設があるか調べないとな」

「現在進行形で作っている施設もありますので、調べてもわからないものもあるかもしれませんよ?」

「本当か? どれだけ気合入れてんだろうなって今更聞くのもなんだが、うちの会社は福利厚生に力入れすぎだろ」

「戦闘というのは当人が平気だと言っていても知らないうちにストレスが溜まってしまいますからね。こういった施設はあるに越したことはないんです」

「そうなのか」

「はい」

「それでも、採算は取れないだろ?」

「ダンジョンの中に造ることによってある程度の製作コストや維持コストは削減できているので思っているよりもエコなんですよ?」

「地球で経営している遊戯施設の持ち主たちが聞いたらきっと欲しがるだろうなぁ」


 そしてそんな娯楽施設の全てが俺たちテスターのために用意されているとスエラから聞けば、自然とどれだけ期待されているかを再認識する。

 ズシッと物理的な重さになりそうなプレッシャーではあるものの、緊張で胃が痛くなるようなことはない。

 むしろ。


「なら、じっくりと堪能しないと罰が当たるな」

「そうしてください。最近の次郎さんは前よりも働きすぎです。もう少し休んでも誰も文句言いませんよ」

「ハハ、耳が痛い」

「もう」


 ゆったりとした椅子の背もたれに寄り掛かり、その恩恵を堪能する。

 水の上というのはどうあがいても不安定になるはずなのに、船体はほぼ揺れず、流れるように湖を航行する。

 景色が変わりゆき、本当にのんびりと過ごせる空間が出来上がっている。

 船酔いとは無縁の遊覧。

 船が動く際に発生する風は精霊たちが調整してくれているおかげか、程よく涼しい。

 今度海堂たちも誘ってみるかと、仲間内で来るのもいいかと思いつつ今はこの休日を堪能する。

 そしてスエラも満喫しているようで、風に流れる髪を押さえながら景色を眺めている。

 その姿に見惚れそうになりながら、視線を少し下がりお腹のほうに。


「子供」

「え?」

「いや、子供早く生まれてこないかなって、そうしたら一緒にこの光景が見られるのにな」

「そうですね」


 そして意外に俺にも父性というのがあったらしい。

 家でもスエラの隣に座り、待ち遠しくなり、育児書とかも読むようになった。

 むしろ最近では趣味にもなってきたかもしれない。

 そんな俺のなんともなつぶやきに彼女は嬉しそうに笑い、そっとお腹を優しく撫でる。


「早く会いたい気持ちは私もです。ですけど、もう少し待ってくださいね」

「こればかりはな、どうしようもない」


 そんなお腹の中に宿る命に早く出てこいと言っても生まれるわけではない。

 自然の摂理には逆らえないので首を長くして待つほかない。


「ムイルさんたちとは連絡とってるか?」

「ええ、というよりも私が連絡するよりも早く手紙が来るので、私はそれを返すという形になってしまっていますが」


 そしてそれを待ち望んでいるのは俺たちだけではない。


「うちの母親もそうだな、この前なんて安産に良さそうな木彫りの虎の像見つけたから送るってメールが来たぞ」

「まぁ」


 スエラの両親に俺の両親。

 孫が楽しみなのか当事者たちよりも騒いでいる気がする。

 なぜ虎と思いつつ、両手で木彫りの虎を抱えるお袋の写真を見せてやれば、立派だと言いつつ笑顔を見せるスエラ。

 そして、そのお返しというわけではないだろうが。


「うちの両親も、安産のお守りだって先日祈祷の終わった精霊樹の苗を送るって手紙にありましたよ」


 スエラの両親であるマイットさんとスミラスタさんが精霊樹という物を送ってきてくれるらしい。

 うちの両親と違って、なんと平和的な物を送ってくれるのだろう。


「問題は、その苗が部屋に入らないという所なんですが」


 訂正、マイットさんたちも気合入りすぎだ。

 困りましたと、苦笑するスエラに俺もどうするべきかと悩む。

 今の部屋はいわば広めのマンションというやつだ。

 一軒家なら庭に植えるという選択肢もある。


「ん~、一軒家買うか?」


 しかし、あいにくとその選択肢はとれない。

 となれば、その選択肢を取れるようにするのがベストだ。

 幸いにして稼ぎはある。

 豪邸を立てるのは難しいが、広めの家くらいなら建てられる。

 通帳の残高を計算し、今後子供が増えるのなら貸家から一軒家に変えるタイミングとしてはいいのかもしれない。


「ただ、通勤を考えると………スエラはどう思う?」

「悪くない考えだとは思いますが、そうですね」


 しかし、問題は考えれば考えるほど浮かんでくる。

 生活基盤を移すということで出てくる弊害。

 主に通勤だ。

 これは俺だけではなく、一緒に住むであろうエヴィア、メモリア、ヒミク、スエラにも適用される。

 日本で住居を探すのは魔素的な要素で論外。

 ならばスエラたちの世界になるが、そこで住居を探したとして移動通勤距離が馬鹿みたいに遠くなっては話にならない。

 マイットさんたちの思いを無駄にしないという気持ちをきっかけに考えてみたが、それはそれとして、持ち家というのは男として憧れる。

 無計画に家を買うのは当然ダメだが、彼女たちと相談しながら考えるのなら問題はない。

 俺の考えに賛同するかのように彼女は何かいい方法がないか考え始め。


「でしたら、社内に整備中の住宅施設を今度一緒に見に行きましょうか?」

「………驚けばいいのか? そんなものがあるのかと」


 土地を買うと思っていたら社内に住宅施設があるとスエラは言ってきた。

 日本語的におかしい文面になっているが、俺の心の中ではああ、あるのかというむしろ納得の気持ちでいっぱいだ。


「慣れてきましたね」

「むしろ、建築物に関して言うのならダンジョンだからの一言で済ませられそうだ」


 俺のリアクションにクスリと一回笑ってから解決案を出してくれたスエラはその住宅施設というのを説明し始める。


「ダンジョンテスターの方々にも様々な方がいますからね。マンションやアパートのような家ではなく一軒家を希望される方もいますし。魔王軍の中でも希望する方はいますから、そのための施設ですね」


 いつものように説明してくる彼女の声に頷き続きを促す。


「現在は、三つほど住宅施設が存在してまして、そのうちの二つは入居可能です。と言っても片方は私たちのような異世界から来た種族がメインになっています、なので自然とダンジョンテスターの方はもう片方という形で落ち着きます」


 三つも住宅街を作ろうとしているのかとツッコミは入れない。

 作るということは需要があるということ、こんな感じの観光施設を作るノリできっと住宅街も作るのだろうと納得することにする。


「まぁ、俺はそこらへん気にしないが、どちらかと言えば俺たちは魔王軍の社員が入る住宅街のほうになるのでは?」

「そうですね、私たちの場合はそっちになりそうです。なので、そちらのほうの説明をしますね」


 休みの日に住居の内覧に行くのはよくあることだが、こんな遊覧船に乗りながら新居の相談をする日がくるとは思わなかった。が、それはそれで面白いので良い。

 精霊たちが操船する船の上、そんな場所でスエラが説明する。

 のんびりと新しい家の話をするのは楽しい。

 異世界特有のと言えばおかしいかもしれない。

 日本にも富裕層向きの住宅街があれば庶民用の住宅街もある。

 住居の大きさによって区画整理され、地価は非常に安いので建築費だけでいいとのこと。


「いっそのこと、その住宅街に武家屋敷でも建ててみるか?」

「それはライドウ様がやってますね」

「教官がか、似合うな」


 そしていざそんな話をすればどんな感じの家がいいかの話になる。

 日本人として大きい家となれば、武家屋敷みたいな古風な感じになる。

 ただまぁ、それはあくまでイメージであって普通に館といった感じの家もあれば、現代建築技術をふんだんに盛り込んだ家だってあるだろう。

 俺とスエラの意見だけではなく、メモリア、ヒミク、エヴィアの意見も必要だ。

 ただこの場にいるのは俺とスエラだけ。


「スエラはどんな家に住みたい?」

「今の部屋もいいですけど、樹をつかった家に住みたいですね。やはり昔から住んでいたこともあってそちらのほうが落ち着きそうです」

「なるほど、種族の問題も考えないとな」


 にこやかに穏やかに、将来どんな家に住みたいかと交わる意見は、ただただ楽しく。

 ゆっくりと時間が過ぎていく。

 しかし、時間はあっという間に過ぎ去り、語り足りないと思っているときに腹の音が時間の経過を教えてくれる。


「昼食にしましょう」

「ああ」


 俺の腹の音を契機に互いに笑い合い、ヒミクの用意してくれた弁当を味わい。

 またその話の続きをする。

 のんびりと湖の上を流れながら。



 今日の一言

 普段経験しないことを経験できるのは良いことだ。


毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。

面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。

※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。

 2018年10月18日に発売しました。

 同年10月31日に電子書籍版も出ています。

 また12月19日に二巻が発売されております。

 2019年2月20日に第三巻が発売されました。

 内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。

 新刊の方も是非ともお願いします!!


講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズが連載されております。

そちらも楽しんでいただければ幸いです。


これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。

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