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242 次の日が忙しい時に限り何か起きる

 静寂というのはいいと思う時は多々ある。

 仕事をするときは特にそうだ。

 変な雑音に阻害されることなく、集中し作業に取り掛かれる。

 現代において仕事場で静寂という空間を確保するのはなかなか難しい。

 大手企業になればそれ相応に人が増え、人が増えるということになればその分だけ物音がする。

 物を動かす些細な音から、人同士の会話、あるいは遠くから聞こえる作業音と多岐にわたる。

 規模が変わって、中小企業でも似たようなものではないか。

 多い少ないは関係なく、静寂という空間が生まれるのは難しい。

 それこそ人気のない山でも風音や鳥の鳴き声と音というのは身近なものなのだ。

 本当に静かな空間を作るとしたら防音室でも作るしかないだろう。

 だが、その形成の難しさの割に合う静寂がもたらす効果は多々ある。

 一つは睡眠。

 静かな空間はより良い安眠を約束してくれる。

 一つは先ほども言った集中力の向上。

 他に意識を割かない分その作業に集中できる。

 一つはと他にも挙げることはできるが今は省略しよう。

 今は静寂について語りたいわけではない。

 では、その静寂が苦痛に感じるということもあるというのを経験した人はいるのではないだろうか。

 まぁ、こうやって長々と頭の中で語っているあたりでお察しかもしれないが。


「次郎様、お茶のおかわりはいかがでしょうか?」

「ええ、いただきます」


 その静寂の緊張で俺の胃はさっきからキリキリと悲鳴をあげている。

 あの主従問答の後、フシオ教官が最後にさらりと残した言葉によって気が重くなった夕食をどうにかかたずけた俺は、この時元室で用意された宿泊施設、それも監督官のプライベートエリアに足を踏み入れていた。

 俺一人では入ることを許されるわけもなく、当然同伴者はいる。

 まるでタイミングを計ったかのように食後にタッテさんが迎えに来て、初対面の女性に海堂は愕然とタッテさんと俺を交互に見て、北宮と南からまたかと女性関係に縁があるなとニヤつくを通り越して呆れられてしまった。

 俺もこの会社に入社してからなんだかんだで女性との縁はあるからそういった反応をされるのは仕方ないと思う。

 だが、先に言っておくが南たちのような表情をされるようなことは一切していない。

 けれども悲しいことに、教官たちから楽しんでこいとからかうように言われてしまい、勘違いに拍車がかかってしまった。

 不思議そうな表情で首を傾げるアメリアに北宮がいつものことよと説明している光景を見て、俺ってそんな風にみられているのかと悲しくなるが、女性関係を振り返ると否定できず、かつそれを嫌悪するどころか受け入れ、さらに頑張ろうと男としての本能に従っている時点で何を言ってもダメだろ。

 せめて、あとでその勘違いをどう解くか考えておかねばとここまでの流れを思い返し、連れてきた張本人であるタッテさんに食後のお茶のおかわりを貰いながら、対面に俺が座る上質なソファーと同じソファーに座りながら無表情でお茶を飲む監督官の姿を見る。


「……」

「……」


 先ほどからお茶を飲む音しか響かない。

 普段の監督官なら、雑談の一つや二つはさみ、そこからからかうなりいじるなり冗談の一つや二つ出てくる流れなのだが、タッテさんがそばにいるだけでこの反応。

 招かれて最初に挨拶してから一切会話らしい会話がない。

 おかげで俺自身も黙々とお茶を飲むだけで、時間が過ぎていく。

 そして、この場をセッティングしたタッテさんはと言うと。


「? なんでしょうか?」

「いえ」


 視線を合わせてもニコニコと笑うだけで、この場をセッティングしようとした時の積極さはどこに消えたのか、この場の空気を換えようとしない。

 あくまで静観の構えである。

 こんな緊張感のある静寂は正直勘弁願いたい。

 正直、昼間の疲れも相まって早く部屋に戻り布団にもぐりたい衝動に駆られている。


「……」

「……」


 さて、もう一度はっきりと言うぞ。

 沈黙が辛い。

 この場に来る前から嫌な予感はしていたが、その通りになるとは思いたくなかった。

 だが、幸いこの沈黙も耐えられないわけではない。

 このまま時間が過ぎ、このお茶を飲み終えれば、さすがにお暇できるはずという希望があるからだ。

 表情を崩さず、このままやり過ごせば当初の予定通り、被害を増やさず無難に終えられるはず。

 ただ。


「……」


 黙々とこの時間を過ごすしていいものかと疑問に思う部分もある。

 監督官との仲を聞かれれば悪くないとはこたえられる。

 気にもかけてもらえているし、仲がいいとももしかしたら言えるかもしれないが。

 確実にそうかと聞かれれば言葉に詰まるかもしれない。

 その理由として挙げられるのが、俺は彼女のことに関してあまりにも知らないことが多すぎるからだと答える。

 監督官との付き合いはこの会社に入社してからだ、なので知らないことが多いのは仕方ない。

 しかし思い返すと、彼女のことを知る機会などなかったのではないだろうか、と半ば決めつけて知ろうとする努力を怠ったのではと思う自分がいる。

 日常プライベートでの接点はほぼなく。

 仕事の時にたまに日常会話を交わす程度。

 俺の知る監督官はいつも仕事をしているイメージが強い。

 では、プライベートはどうなのだろう?

 俺の知りうる彼女のプライベートはフシオ教官の言葉とタッテさんの言葉のみ。

 それ以外は知らない。

 頭をよぎる言葉にふと好奇心がわいてきた。

 そしてその好奇心は俺に告げる。

 今回の機会はチャンスなのではと。

 そう思うと、行動の選択肢が増え思考に余裕が生まれてくる。

 先ほどよりも緊張感が薄れ、そっと監督官の方に視線を向ける余裕ができればおのずと彼女の方を見ることができる。

 俺よりも強く、長く魔王軍を支えてきた彼女のプライベート。

 変な異性に対する興味という意味ではなく、普通に趣味とかがあるのかあるとしたらどんな趣味かなどという素朴な疑問だ。

 教官二人も趣味はあると聞いている、なら彼女がどんなことをしているか程度は気になる。


「監督官」

「……なんだ?」


 だからだろう、自然と茶器を手元に置き、緊張感なく彼女を呼ぶことができた。

 そんな俺とは裏腹に、下手な会話をするなと釘をさすように間を置き彼女は返事をしてきた。

 鋭い視線はまっすぐに俺を見る。

 圧はあるが、敵意はないその視線は俺を怯ませるものではないのがわかり、ならばと軽い雑談程度はいいかと思う。


「いや、さっきから何も話さないのもどうかと思って」

「何か聞きたいことでもあるのか?」

「ええ、まぁ。冷静になれば、こうやってゆっくり話す機会なんて今までなかったですし」


 だからこそ、少し挑戦してみようと思う。

 一個人として聞くのが都合の悪いのなら、一人の部下として相手の前に立つ。

 どんな立場でここに座っているかはあやふやだが、それでも少し踏み込んでみよう。


「お互い、いや、もしかしたら監督官は自分のことはいろいろと知っているかもしれませんが、自分は監督官のことは何も知りませんので」

「……それを貴様が知ってどうするつもりだ。貴様もわかっているだろう。私と貴様は上司と部下、それ以上の関係ではない」

「それを言われたらそうですとしか言いようがないですね」


 表情を緩めることなく、淡々と話す監督官の言葉は正しい。

 監督官は俺のことを評価してくれているが、あくまでそれはダンジョンテスターの田中次郎として。

 決して男としての田中次郎を評価しているわけではない。

 だから彼女のプライベートに踏み込むという行為は、ある意味でしてはいけないことだ。

 スエラやメモリア、ヒミクという俺にはもったいないと言えるほどの女性たちと交際し、スエラとの間には子供がいる。

 スエラの子供が生まれたら彼女たちと式を挙げ、それ以上の関係にもなる。

 だから、必要以上にさらに異性と親密になるような行動は控えるべきだ。

 なのでこの先の言葉は告げず、再び沈黙を選ぶのが俺の社会人としての正解の選択だ。


「強いて言えば、なんとなくですね」

「……」


 だけど、頭では理解していても心では納得できず、男としてではなく部下として仲良くなるつもりで、ポツリと俺は言葉を紡いでいた。

 この先の関係をどうしたいかなんて考えていない。

 ただこのままでいいかと問われれば、ダメだと答える俺の気持ちが、さっきの言葉を紡いだだけ。


「っふ、なんとなくか、そんな理由で私のことを知ろうとしたやつなど貴様が初めてだ」


 それが良かったのだろうか、今まで張りつめていた監督官の表情が呆れの色もあるがほぐれ笑みを見せた。


「ええ、それ以外に理由が思いつかないもので、そういえば自分は監督官のこと何も知らないなぁって」

「嘘でないのが、また貴様らしいな。なるほど、そんな考えなしの質問なら確かになんとなくだ」

「否定できないのが辛いですけど、考え無しは勘弁してくださいよ」

「それ以外にあるのか?」

「オブラートに包むとか、ありません?」

「ないな」


 そこからの会話はいつも社内で交わしている雰囲気になっていた。

 俺の粗を監督官が指摘し、俺は苦笑しながら精進しますと言い、監督官は口元だけほころばせバッサリと切り捨てるような会話。


「厳しいですね」

「それが、私だ。貴様もわかっていてこんな会話をしているのだろう?」

「ええ、予測はしていましたよ」

「それがわかっていて、こんな会話を望むか、マゾか?」

「否定だけはさせていただきますよ」


 クツクツと笑う監督官と、重要な部分だけは否定し俺も俺でいつもの調子が出てきた。


「何が聞きたい?」

「?」

「貴様が振ってきた話題だろ。答えられる質問なら答えてやろう」


 今は気分がいいからなと言っているように、少しソファーに身を預けるように寄り掛かった監督官は一瞬虚を突かれた俺をおもしろそうに笑いながら眺めている。

 俺としては、てっきり流されてこのままの会話が続くものだと思っていた故、虚を突かれる形となった。

 ただまぁ、質問できるのなら質問させてもらおう。


「そうですね、なら…監督官は甘いものが好きなんですか?」

「なんだ、その質問は」

「いや、そういえば前にケーキを差し入れしたとき、ケーキ屋の店名知ってましたしこの前だってケーキを買ってこいって言われましたからね。だから、甘いものが好きなのかと」


 こちらとしては無難な質問をしたつもりだったのだが、監督官としては予想外だったようだ。

 仕事の質問でもしてくると予想していたのだろうか。

 今度は監督官が虚を突かれたかのように一瞬表情を崩した後に、俺の理由を聞きそういうことかと納得をし、呆れたように笑いながら答えてくれた。


「私とて女だ。甘いものは好む。特にこちらの世界の甘味は向こうにはない物ばかりだからな。飽きさせない」

「ちなみに、洋菓子と和菓子ならどっちが好きです?」

「どちらも好きだが、和菓子の方が私は好きだな。甘さがちょうどいい」

「どら焼きとかも食べるんですか?」

「食べたが、さっきから食の質問ばかりだな」

「共通の話題が、食べ物くらいしか思いつかないので」


 仕事以外で共通の話題となると自然と出てくるのが食べ物の話だった。

 フシオ教官と言った不死者ではない俺たちは食べなければ生きていけない身。

 ならば自然と食にも好みはできてくる。

 そこら辺を把握するのは今後、食事に行く際に役立つ。


「仕事の話があるだろう」

「定時を過ぎたらサラリーマンって生き物は仕事の話をしたくなくなるんですよ」


 それでもポロリと仕事の話が出てくるのがサラリーマンの悲しい性だとも言えば、監督官は口元を押さえつつも面白そうに笑う。


「クククク、そうか。なるほど」

「そんなに面白いですかね?」

「いやなに、私としてはこちらの世界のことを聞いてくるものだと思っていた。貴様からすれば魔法やこちらの技術についての話も選べただろうに、まさか甘味の話題が来るとは思ってなくてな。それを選ばなかった理由を聞けば上司に向かって仕事の話はしたくないときた」


 これを笑わずしてどうすると、楽しげに笑う監督官にそんなものですかねと俺は言うしかなかった。

 監督官の言う通り、魔法のことも聞けただろうが、さっきも言った通りすぐに思いついたのが食の話題だっただけだ。

 深い理由はなく、ただ無難な話題を振っただけだ。

 そして、サラリーマンのさがの話も本音。

 しかし、その話題の振り方が監督官には好ましく映ったようだ。


「もしかしたら、仕事に関わる魔法の話題をサラリーマンとしての本能が拒否したのかもしれませんね」

「時間外の仕事はしたくないと、か?」

「はい」

「なるほど、面白い発想だ」


 向こうの世界にはない発想に監督官は満足そうに頷き、これがきっかけで静寂は破れ、たびたび話題を転換しながらも時間は流れる。

 その会話の中には。


「へぇ、魔法ってそんなことにも使えるんですね」

「戦闘だけに使える技術の方が珍しい。もともとは生活を便利にする過程で生まれた物を軍の方で転用するケースの方が多いくらいだ」


 監督官の言っていた魔法に関する話題もあったが、その魔法もエアコンや電子レンジのような生活にかかわるような話題ばかり。

 仕事の話題と言うよりも、生活に便利な知恵的な話題が多い。


「どこも似たようなものなんですね」

「食事に関してもそうだ。日本のカレーはないがシチューはこちらにもある。ほかにも似たような料理はあるが、全体的に食文化に関しては我々の方が劣っているがな」

「いや、食事に関しては日本が異常に多国籍なだけですよ」


 異世界を行き来したことのある俺たちだからこそ出てくる会話。

 地球でありそうなことが異世界でも起き、似たような技術があると知り納得と理解を繰り返し、静かにタッテさんが注いでくれたお茶を口に含み、気づけばそれなりの時間が経っていた。


「次郎様、そろそろお休みになられた方が」

「もうそんな時間ですか」


 最初の緊張はどこに消えたのか。

 気づけばリラックスし、監督官との会話を楽しんでいて時間の経過を忘れ、タッテさんに指摘されこの時間が終わることを知る。

 残念だと思う気持ちがないわけではないが、それでも明日の研修に影響を出すわけにはいかないと、そっと茶器を置き、ゆっくりと立ち上がる。


「監督官、そろそろお暇します」

「そうだな、時間を取らせたな」

「いえ、自分も楽しみましたので」

「そうか、タッテ。玄関まで送れ」

「かしこまりました」


 そして、根掘り葉掘り聞くと息巻いていたタッテさんは終始沈黙を保ち、給仕に徹していた。

 そのことを疑問に思いつつタッテさんの先導に従い退出しようと思っていると。


「次郎」


 背後から監督官に呼び止められる。

 振り返り、呼ばれた方を見れば。


「暇なときで構わん。奴らだけではなくたまには私に付き合え」

「わかりました」


 奴らとは教官たちのことだろうなと思いつつ。

 俺は素直にうなずく。


「次郎様こちらです」

「はい」


 それ以上は何も言わず、監督官は行って良しとタッテさんに視線で合図し、俺はそのまま部屋を出る。


「……」

「……」


 その道のりの間、俺とタッテさんに会話はない。

 そして、監督官のプライベートエリアと共同空間の境である扉を開いたタッテさんは外まで俺を見送りに出る。


「本日はお時間をいただきありがとうございました」

「いえ」

「ふふ、私が何もあなたに聞かなかったのが不思議でしたか?」

「……顔に出てました?」


 ほんの少しの間。

 俺が聞くか聞かないか迷い、瞬時にこのまま帰ろうと思ったとタイミングにタッテさんは俺の疑問を指摘してきた。

 監督官と言い、タッテさんと言い。

 悪魔という生き物は、総じて相手の思考を読むのが得意らしい。

 驚くこともなくなってしまったが、苦笑しつつ一応表情に出ててたかと尋ねるも。



「いいえ、次郎様は表には出していませんでしたよ」


 笑顔で、俺の表情はいつも通りだと彼女は言った。

 ならばなぜだと思うと。


「メイドの嗜みです」


 彼女は笑顔でそう言い。

 そして最後に。


「お嬢様に楽しいひと時をありがとうございました」


 ゆっくりと頭を下げて、俺は彼女に監督官の息抜きの出汁にされたのだと知る。

 やられたとは思ったが上司の役に立ったのなら良いと割り切れる程度には俺も楽しんだ。


「そうですか」

「はい」


 ならば良しと、頭を上げたタッテさんに別れを告げ俺は部屋に戻る。


「質問せずとも、見せてくれましたから」


 そんなことを小さく言っていたことは気づかないふりをして。



 今日の一言

 何かが起きても、それは悪いことばかりではない。


今回は以上となります。

毎度の誤字の指摘やご感想ありがとうございます。

面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。

※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。

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 同年10月31日に電子書籍版も出ています。

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これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。

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