あなたと私の秘密です
「……夢、ですか」
「ええ。夢です。とっても怖い夢でしたね?」
「…………」
森は、先ほどまで魔物の咆哮が響き渡っていたと思えないほどに静まり返っている。あるのは風の音ばかりだ。青々と茂っていた樹木は見る影もなく、無惨に裂けた幹からは、摩擦で焦げた木の芳しい香りが漂っている。足元には砕けた岩石や折れた枝が散乱し、森の一角だけが、まるで別の世界に切り取られてしまったかのようだった。
(まあ……ほとんど私のせいなのだけど)
そんな惨状の真ん中で、私は場違いに可愛らしく微笑んでいた。
少し眉尻を下げ、瞳を潤ませ、唇の端をほんのわずかに持ち上げる。これだけで王宮の侍女たちはたちまち頬を緩め、兄様に至っては大抵のお願いを聞いてくれるのだ。十一年間、日々研究を重ねてきた自慢の笑顔。その威力は折り紙付きである。それなのに。
「殿下」
「なあに?」
「ひとまず、この剣を抜いていただいてもよろしいでしょうか」
言われて、私はちらりと右手に目をやった。
大木に深々と突き刺さった魔剣。すぐ傍らには、顔を引きつらせた騎士団長のアル。
その黒髪が数本、肩の防具に落ちている。
もしかして。
剣を突きつけながらお願いするのって、あんまり可愛くない?
すっかり忘れていた。今の私は、七歳の愛らしい王女様ではないのだった。
「……こほん。失礼」
冗談みたいな大剣を引き抜くと、薄くひび割れた幹から木屑がこぼれ、乾いた音を立てて足元へ落ちる。アルの肩が、ぴくりと跳ねた。
剣の軌道も、切っ先の角度も、寸分の狂いなく計算していた。彼を傷つけるつもりなど毛頭なかったとはいえ、怖がらせた事実に違いはない。私は小さく眉を下げてみせた。
「ごめんなさい。ちょっと驚かせちゃったね」
「……ちょっとですか」
「ちょっとよね?」
「…………ちょっと、ですか?」
むむむ。細かい男だ。
とりあえず魔剣を光の粒へと還元し、空いた両手をひらひらと振ってみせる。
「ほら、これでいい?」
「そういう問題ではなかったのですが。まぁ、一応」
アルは眉間を押さえ、深々と息を吐いた。
(……さて。どうしたものかな)
千年前には、それこそ数えきれないほどの窮地を切り抜けてきた。魔物の大群も、卑劣な罠も、絶望的な戦況にも諦めず知力を尽くした。勇気を以って踏み出せば大概のことはどうにかなったし、それが叶うだけの実力を私は備えていたと思う。
――けれど、今回ばかりは勝手が違う。
力任せに解決できないという点では、魔王より厄介かもしれない。
何しろ今目の前にいるのは、私が十一年間守り抜いてきた秘密を、たった一日で知ってしまった男なのだから。
***
「ところで、殿下」
「ん?」
「ほかの者たちは……」
「! そうだったわね、ちょっと待って」
倒れ伏した騎士たちは、いまだ誰一人として起き上がる気配がない。遠くには横倒しになった馬車の車輪が見え、その傍らには魔物の爪で抉られた地面が広がっている。
戦いの最中に確かめた限り、全員の命は繋がっていた。とはいえ、傷を負っていることに変わりはない。私は両手を胸の前で合わせ、指先へ魔力を巡らせた。
「《聖域治癒》」
足元から、淡い金色の光が広がっていく。それは複雑な幾何学模様を幾重にも描き、やがて森の一角を覆うほどの大きな魔法陣になった。先ほどまで漂っていた血と土の匂いに、清浄な魔力の気配が混ざる。光は倒れた騎士たちの身体へと降り注ぐと、砕けた骨を繋ぎ合わせ、深く裂けた傷口を塞いだ。失われた血液も、損なわれた魔力も、可能な限り元の状態へ戻してやる。全て夢だったと全員を言い包めるには無理があるから、服の汚れや擦り傷程度は容赦してもらうことにする。もちろん、馬車の中で気絶している侍女にも魔力を送った。可哀想に。怖い思いをさせてしまった。彼女はとても優しいから、目が覚めたらきっと私の身を案じるだろう。
(あとで、たくさんお礼を言わなくちゃ)
「……よしっ! これで全員無事!」
満足げに手を叩くと、魔法陣は音もなく消え去った。あとは意識が戻るのを待つだけだ。
「アルの傷ももう大丈、夫……?」
振り返った私は、思わず首を傾げた。
気高き騎士団長が、ぽかーーんと口を開けている。
「アル?」
「…………」
「おーーーい、アルー?」
「……セラフィーナ様、」
よかった、生きてた。
しかしその瞳は私を捉えることなく、自身の掌に落とされている。
「……治癒魔法というのは、ただ傷を塞げばいいというものではありません」
「え、どうしたの急に?」
「人体の構造を正しく理解し、傷んだ組織を正確に把握したうえで、適切な量の魔力を送り込まなければ、かえって肉体を損傷することになりかねません」
「も、もちろんそうね……?」
「高度な技術が必要だからこそ、通常治癒士は専門職とされているのです。……だというのに、あなたはこれだけの人数に同時にそれを施し、不自然が出ないよう擦り傷や打撲はわざと残し……」
あ、やっぱりバレてた。
「さらに驚くべきはあなたが振るった剣術と攻撃魔法……一人でその全てを完璧に担うなど、俺にはとても人間技とは思えません」
「…………」
「セラフィーナ殿下……貴女様は……」
彼は俯いて零したきり、口を閉ざしてしまった。
そもそも現代では治癒魔法を扱える魔術師が随分と減っていると聞く。千年前には軍の後方支援で日常的に使っていたものだというのに、時代の流れとは恐ろしい。
とまぁそんなことは置いておいて。
千年以上前の軍事情より、今この瞬間のほうが私にとっては窮地なのである。
「……殿下」
「は、はい」
騎士団長はゆっくりと首を擡げた。
端正な顔立ちには、困惑と警戒、そして隠しきれない驚愕が入り混じっていた。
「あなたは……何者ですか?」
そうだよね。
訊いちゃうよね。
思わず天を仰いだ。
青々とした空は、先ほどまでこの場所で魔物が暴れ回っていたことなど知らぬ顔で、どこまでも穏やかに広がっている。
――ああ、羨ましい。
私だって今頃は、ふかふかの寝台でお昼寝をしている予定だった。
この先のことだって、七歳のいたいけなお姫様として少なくとも三年――いや、私の演技なら向こう五年は怪しまれずぐうたらできたはずなのに。
私は嘆息して、近くの岩に腰を下ろした。
「……ええとね。すぐに信じて、とは言わないけど、」
さあ。
どこから説明したものか。
***
「つまり――殿下は千年前のかの伝説の勇者、その生まれ変わりでいらっしゃると」
「そうだよ」
「七歳の頃から肉体の成長が止まっているのは、病ではなく呪い」
「そうそう」
「そして、精神の成長まで止まっているというのは……」
「うん。嘘だよ」
「…………」
沈黙。
騎士団長の眉間に、みるみる深い皺が刻まれていく。
「……十一年間も?」
「十一年間も」
そう、十一年間だ。
思えば、まだ身体が成長していた頃より長い年月を、この演技に費やしてきた。
七歳の少女らしい仕草、言葉遣い、表情の作り方。
王宮医師の診察時には、理解力や判断力を年相応に抑えた。教育係の前では難しいことは分からないと偽り、何も覚えないのでは不自然だからと少しずつ新しいことを学ぶ姿も見せてきた。七歳の子どもが十一年間でどの程度の知識を得るのか、匙加減を見極めるためにわざわざ書庫で教育に関する文献を読み漁ったこともある。
もちろん、誰にも見つからないようにだ。
思い返せば、なかなかの苦労だった。
けれど、その甲斐あって今や私は、王宮中から愛される可憐な末っ子王女様。
努力というものは、やはり裏切らないのである。
「……甘やかされることへの執念が、すさまじいですね……」
「でしょ!?」
「褒めておりません」
「なんで!!?」
かつては世界の平和を守るために。
今は、私自身の幸せを守るために。
目標を定めたら、徹底的に努力する。
それが私という人間なのである。
「だって、考えてもみて。子どもってすごいんだよ? 可愛く甘えれば抱っこしてもらえるし、重たい荷物は持ってもらえるし、なんとお菓子のおまけまでついてくるの!」
「…………」
「それに、今世では兄様も父上も母上も、みーんな私に優しいんだもん。こんなに幸せなことってないと思わない?」
「……それは、そうかもしれませんが」
「でしょ!」
どうやら騎士団長も、少しずつ理解してきたようだ。
よしよし、良い兆候だ。
……しかし。
「ですが、殿下」
アルの声が、わずかに固く、低くなった。
「殿下の過去のご功績を思えば、今世で平穏を望まれることは理解できます。――ですが、殿下を案じている方々の気持ちまで、忘れてはなりません」
「…………」
「ご家族も、王宮の方々も、皆あなたの病を心から案じていらっしゃいます。ご自身が幸福でいらっしゃるのは結構ですが、そのために周囲を悲しませてよいわけではないでしょう」
「……そんなの、」
脳裏に、大好きな人たちの笑顔が浮かぶ。
(……そんなこと。言われなくたって、分かってるもん)
私は、思わず唇を尖らせていた。
「……アルのいじわる」
「はっ?」
「分かってる!分かってるもん!」
「で、殿下?」
私は膝を抱え、視線を落とした。
足の下、私の影の中に小さな白い花が咲いていた。
先ほどの戦闘で周囲の木々は無惨に倒れたというのに、どういうわけか、その花だけは踏み荒らされることもなく残っている。細い茎を風に揺らしながら、何事もなかったかのように。
そう。
私が守りたかったのは、こういうものだ。
世界というのは、決して大きなものばかりでできているわけではない。
名も知らぬ一輪の花。
誰かが何気なく浮かべる笑顔。
平和とは、それらが当たり前に存在していること。
かつて私が剣を振るったのは、そんなささやかな平穏を守るためだった。
そして今、私は願い焦がれていた平穏の中で生きている。
毎朝、ニーナが髪を結んでくれる。
兄様が私を抱き上げて、今日もいい子だねと笑ってくれる。
父上と母上は、毎日「愛している」と伝えてくれる。
どれも、千年前の私が手に入れられなかったもの。
そして、今の私が心から大切に思っているもの。
「……私ね、今の暮らしが――この人生が、大好きなの」
「…………」
「兄様も、父上も母上も、ニーナも、お城のみんなも。みんな優しくて、あったかくて……私、本当に幸せなんだよ」
もちろん、十一年間も周囲を欺いていることが褒められた行為だとは思っていない。
本当のことを知れば、きっと驚かれるだろう。
もしかしたら、兄様には怒られてしまうかもしれない。
「……だからね、ちゃんと決めてるの」
私は顔を上げた。
「本当に国や家族、王宮のみんなが窮地に立たされたときには、なりふり構わず守るって」
「……殿下」
「そうじゃなかったら、十一年の秘密を晒すようなこと……しなかったと思う」
正体が知られてしまうのは、困る。
勇者の再来が世に知れれば、きっと多くの人間が私に力を求めるだろう。
だって、千年前もそうだった。
守ってほしいと願う声に応え続けるうちに、いつしか誰もが、私が戦うことを当然だと思うようになっていた。
それを恨んだことはない。
私自身が選んだ道だったし、あのときの私は、誰かを守れる自分を誇らしく思っていたから。
――けれど。
一度果たした使命を、もう一度背負わなければならない理由はない。
そう思うことくらい、許されてもいいはずだ。だって私、頑張ったんだもん。
「……助けられる命を見過ごしてまで、幸せになりたいわけじゃないの」
「…………」
「見られちゃったのは初めてだけどね」
小さく笑ったら、アルはなぜだか傷付いたみたいな顔をした。そして、それ以上何も言わなかった。ただ、私を見つめる瞳から、先ほどまでの鋭い警戒が少しずつ薄れていく。代わりに浮かんだものが何なのか、私にはまだ分からない。けれど少なくとも、この人は私の話を笑い飛ばしたりしないらしい。
ややあって、アルは重々しい口を開いた。
「……わかりました」
「アル?」
「考えていたんです。あの魔物たちは、王宮騎士団長として日々鍛錬を重ねてきた自分ですら、まるで歯が立たなかった。それを、貴女はまるで息をするようにたった一人で殲滅してしまった。……あれほどの力を得るまでに、どれほど血のにじむような努力を積んできたのだろう、どれほど凄惨な戦いを経験してきたのだろうと」
「…………」
「千年前に世界を救ったという話が事実ならば、その人生は自分の想像など及びもしないものだったに違いない、と。そんな人生を一度やり遂げ、現代にまで語り継がれる偉業を成し遂げた貴女が、今世こそ穏やかに暮らしたいと願い、必死にその日常を守ろうとするのは当然のことでしょう」
「アル……」
「まあ、いささかやりすぎの感は否めませんが」
「……そこは言わなくてもよくない?」
せっかくいいことを言ってくれたと思ったのに!
私はじとりとアルを睨めつける。
――けれど。
胸の奥には、なんとも形容しがたい感情が残っていた。
過去の私は、たしかに本物の勇者だった。たくさんの人に感謝され、称えられ、時には神の使いだなどと大袈裟な名前で呼ばれたこともある。私の剣が魔物を斬り伏せれば歓声が上がり、戦いの終わりには花束や勲章が贈られた。
嬉しかった。幸せだった。誰かを救えたという事実は、どんな褒賞よりも誇らしいものだったから。
けれど――勝利を重ねるほどに、次の勝利を求める声が大きくなることを、誰かを守るために振るった剣を、いつしか下ろすことさえ難しくなっていたことを、これまで私は、誰かに話したことがあっただろうか。
なのに目の前の男は、ほんのわずかな時間私の剣を目にしただけで、その背後にあった長い年月まで想像しようとしてくれたのだ。
今の私かアルという騎士を信頼するには、充分すぎる理由だった。
「殿下?」
なんだ。
案外、真面目なだけの人じゃないのかもしれない。
ちっとも甘やかしてくれないし、融通も利かないし、少々説教くさいのが玉に瑕だけれど。
「何でもないよ。分かってもらえてよかった、って思ったの!」
「……何がです?」
「私が今の暮らしをどれだけ大切にしてるかってこと」
そっと目を伏せた。
白い花は、風に身を任せて自由に揺れている。
その瞬間――私はふと思い立った。
そうだ、この手があったぞ!!
どうしてこんな素晴らしいアイデアにたどりつかなかったのだろう!
「アル! これからは、ぜーーーんぶ貴方に手柄をなすり……あげられるようにするね!」
「…………」
おや、どうしてそんな顔をするの?
敵を全滅させたとしても、私が戦ったと言えるわけがないし、第一誰も信じない。それならば、王国に身を捧げる騎士団長の手柄になった方が余程いいではないか。
「……セラフィーナ様」
「なあに?」
「今、なすりつけるとおっしゃいませんでしたか?」
「言ってないよ?」
「…………」
「手柄をあげるって言ったの♡」
どうだ、騎士団長。
これほど好条件の提案はそうそうない筈だぞ。
今後、強大な魔物が現れようと、伝説級の魔獣が目を覚まそうと、私がこっそり片付けてしまえばいい。それらは全て、騎士団長アルヴィス・グランツの偉業として王宮や世間に伝わることだろう。
アルは名声と功績を手に入れ、私は誰にも知られずぬくぬくと暮らす。
なんとも素晴らしい、互いの利益が一致した持ちつ持たれつではないか!
「よかったね! ガンガン出世できるよ!」
「はぁ……殿下」
「ん?」
「俺は現在、王宮騎士団長という職を失う可能性について考えております」
「ええっ!? なんで!?」
アルは当然とばかりに嘆息する。こめかみをとんとんと叩くの苛立った時のくせだろうか。
「考えてもみてください。あれほどの魔物を俺一人で倒したなどと報告して、誰が信じるというのです。虚偽の報告は処罰の対象です」
「…………」
今回の魔物は、現代にとっては相当な脅威だったはずだ。現に、アルほどの剣士ですら、満身創痍になるまで追い詰められていたのだから。腕が立つとはいえ、一介の騎士が一人で殲滅したとなれば、さすがに不自然かもしれない。
「……じゃあ、アルが突然ものすごい力に目覚めたってことにする?」
「しません」
「伝説の魔剣を拾ったとか!」
「拾っておりません」
「実は神様に愛されていて、窮地に陥ったところで加護が……」
「殿下」
「……はぁい」
やっぱり融通の利かない男だ。
私がせっかく知恵を絞っているというのに。
(うーん……本格的に困ったぞ)
今回の襲撃は、間違いなく王宮にも報告される。ましてや被害に遭ったのは王族の馬車であり、現場の指揮を執っていたのは騎士団長本人だ。彼自身が事の顛末を訊ねられることは、火を見るより明らかである。
そこで私の存在が明るみに出れば……。
私はしばらく考え込んだあと、そっとアルの顔を覗き込んだ。
「……ねえ、アル」
「はい」
「お願い!私の秘密……守ってくれない?」
「…………」
アルはすぐには答えなかった。騎士団長としての責務と、仕えるべき相手である私の願い。そのどちらも軽々しく扱うつもりはないのだろう。
ややあって彼は、ゆっくりと口を開いた。
「……仕方がありません。承知いたしました」
「え!ほんと!?」
「はい。殿下の想いを知った今、俺には貴女の望む暮らしを守る責任があります。そのためならばできる限りのことをいたしましょう」
「やったぁ!」
「ただし」
この男の「ただし」は、あまりいい予感がしない。
「今回の事件を、すべてなかったことにはできません。王宮への報告は義務ですし、魔物の出現に関しては、今後のことを考えても看過できない事態です」
「……うん」
「幸い、ほかの騎士たちは殿下が剣を振るう姿を見ておりません。現場に残された痕跡については、強大な魔術による攻撃があったと報告するつもりです。少なくとも、それ自体は事実ですから」
「そうだけどぉ……今からでも根っこごと消しちゃダメ?」
「だめです」
「むむぅ……」
確かに、魔物が何らかの強力な術によって討伐されたことは、現場を調べれば容易に判明するだろう。誰の仕業かまでは、必ずしも特定できまい。
「でも、誰がやったのかって訊かれたら?」
「そのときは、可能な限り殿下の秘密を守る方法を考えます。ですが、あくまで"可能な限り”であることをご承知おきください」
「…………ちぇっ」
やっぱり全部は思いどおりにならないらしい。
「それから、殿下」
「うげ、まだあるの?」
「もちろん」
整った生真面目な容貌が近づいてくる。
アルは自然な動作で私の前に右膝をつくと、恭しく右手の指先をとった。
「今後このような事態が起こったときには、まず俺にご相談ください。お一人で危険を冒すことは厳禁です」
「……私、アルより強いんだけど」
「存じております」
「とっても強いんだよ?」
「身をもって思い知らされました」
「じゃあ、危険じゃないでしょ?」
「強いことと、危険がないことは別
きっぱりと言い切られてしまえばそれ以上イイ化され
「それに、殿下がご自身の力を隠し続けるおつもりなら、周囲の人間との連携も必要になる保かでしょう。俺にも、できることはあるはずです」
なんだろう。この男、少し変わっている。 私が最強勇者の生まれ変わりだと知って、驚かなかったわけではない。むしろ、先ほどから何度も度肝を抜かれている。
それなのに、今はもう私の力を問い詰めるより、これからどうするかを考えてくれているらしい。
「……分かった。じゃあ、改めてよろしくね、アル」
「はい。こちらこそよろしくお願いいたします。セラフィーナ殿下」
アルは恭しく頭を垂れ、私の指先に額を当てた。想像よりずっと人らしい体温だった。
***
「……ところで、アル」
「はい」
「あのね、これから二人きりのときは、普通にしててもいい?」
「普通、とは?」
「ええと……」
訊き返されて、少し考える。「フリ」をしているがゆえに、いつもなら我慢すること。
そう例えば、
「例えば、難しい本を読むとか!」
「ええ、構いません」
「知ってることを知らないふりしなくていい!わざわざ難しい問題を間違えなくてもいい!」
「もちろん」
「それから、お菓子を食べながらソファにごろーんってする!」
「……殿下」
「なあに?」
「年齢云々の前に、さすがにお行儀が悪いです」
「……むむ」
「むむ、ではありません」
「むむむ……」
前言撤回。やっぱりこの男、ちっとも甘くない。
生まれて初めて、身も心もぐうたらできると思ったのに!
咳払いをひとつして、アルは周囲を窺うように目配せをした。そろそろほかの護衛たちが目を覚まさないとも限らない。
「少なくとも、俺の前で無理に幼いふりをなさる必要はありません。殿下が本来どのような方でいらっしゃるかは、もう承知しておりますから」
私はふと口を閉ざした。
「……そ、っか」
もう、隠さなくていいんだ。 少なくとも、アルの前では。
誰かに見つからないよう書庫へ忍び込んだり、全部解ける問題集に空欄を作ったり。
そんな苦労をしなくて済むのは、ちょっと嬉しい。……いや、かなり嬉しいかもしれない。
何しろ私は、知識欲だって人一倍旺盛なのだ。それを十一年間もひた隠しにしてきたのである。そうだ、これからはアルと一緒に難解な魔術書を読み解くのもいいかもしれない。
……まあ、結局はお菓子を食べながらお昼寝したくなるのだろうけれど。
「……ふふっ」
「……殿下?」
「ううん、なんでもない!」
思わず口元が緩むのを止められない。秘密を知られてしまったことも、そう悪いことばかりではないような気がしてきた。
そのとき、不意に手の甲が淡く光った。視線を落とすと、先ほどまで大人の女性らしい形をしていた指先が、少しずつ短くなっている。細く伸びた腕も、すらりとした脚も。身体を包んでいた膨大な魔力が鎮まるのに合わせ、ゆっくりと元の姿へ戻り始めていた。
「……戻った!」
「そのようですね」
私は魔法で衣服の寸法を整えながら、ぴょんっと立ち上がった。
ふわふわのドレス。
小さな手足。
見慣れた、七歳の少女の身体。
うんうん。
やっぱり、こうでなくっちゃ。
「ねえ、アル!」
「はい」
私は満面の笑みを浮かべ、両手を大きく広げた。
「抱っこ♡」
「…………」
アルは私の顔と、周囲に転がる魔物の残骸を交互に見つめた。
「……セラフィーナ様」
「なあに?」
「先ほど、あれほどの魔物を相手に剣を振るっておられましたよね?」
「うん!」
「でしたら、ご自分で歩けるのではありませんか?」
「歩けるのと、歩きたいのは別なの!」
「…………」
「ねえ、アルぅ……お願い!」
きゅるりんっ。
今日一番の上目遣い。
少しだけ眉を下げ、両手を胸元に寄せる。
……どうだ!十一年間の集大成!
アルはしばらく私を見つめていた。
何か言いたげに唇が開き、しかし結局は無音のまま閉じてしまう。
そして。
「……今度だけですよ」
「やったぁ!!」
飛び上がる勢いで喜び、初めて差し出されたアルの腕に飛び込んだ。
やっぱり私の可愛さは天下一品なのだ!
……と、思ったら。
「怪我を治していただいたからには、ご恩に報いなければ」
「え、そっち?」
「そっち、とは」
「……別に」
ひょい、と身体が持ち上がる。視界が一段高くなり、木々の向こうに広がる青空が目に飛び込んできた。先ほどまで死闘が繰り広げられていた森には、少しずつ穏やかな時間が戻ってきている。
遠くで、一つ、また一つと人の目覚める気配がした。
***
意識を取り戻した騎士たちを連れ、私たちは王宮へ帰還した。
もちろん、私は何も知らないか弱い王女のふりをして。道中はニーナの膝の上で、これでもかというほど甘えて過ごした。ニーナは何度も私の無事を確かめ、そのたびにライトブラウンの瞳を潤ませながら、王宮に到着するまで私の髪を撫で続けた。
やがて馬車がひとつ、ふたつと揺れ、王宮の門をくぐったのだと分かった。見慣れた尖塔が空へ伸び、白い石造りの回廊には夕陽が差し込んでいる。
いつもと変わらない、私の大好きな景色。
「フィーナ!」
馬車から降りた私の耳に、聞き慣れた声が飛び込んできた。
「リオ兄様っ!」
私はぱっと顔を輝かせ、待ち構えていた兄様へ駆け寄った。その腕に飛び込むと、いつものように軽々と抱き上げられる。
「報告は受けている。大変だったね……怖い思いをしただろう?」
「うん……でもね、アルが守ってくれたの!」
兄様は、ほっとしたように頬を緩めた。
いつも穏やかな兄様だけれど、私を抱き締める手は普段より少しだけ強い。そっと、兄様の首に腕を回す。
「……兄様、だいすき」
「ああ、私もだ。お前が無事でよかった……」
兄様がこつん、と額を寄せてくれる。そのわた雲のように優しい笑顔につられて、私も頬を緩めた。
「ご苦労だったね、アルヴィス。詳しい報告は後ほど聞こう」
「……はっ」
私の後ろにぴたりとついていたアルが、きっかり四十五度で頭を下げた。
兄様の肩越しに、そっと彼へ視線を送る。
――お願いだから、ちゃんと秘密にしてよね?
アルは私の視線に気づくと、ほんのわずかに眉を寄せた。
……あ、また呆れてる。なんて――これからは、こんなふうに目配せするだけで意思疎通ができるようになるのかもしれない。
なんだかちょっと、秘密の仲間ができたみたいで楽しい。
「……ところで、フィーナ」
「なあに、兄様?」
「実は今日、神殿から少し変わった知らせが届いたんだ」
「……おしらせ?」
「ああ。なんでも、千年前の勇者が、この国に再び現れたらしい」
……。
…………。
私だけでなく、背後のアルからもピシリと緊張が走る気配が伝わってきた。
西風がいやに髪を攫う。
「……ゆうしゃ、さま?」
私はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
……無論、勇者が誰なのかは知っている。
なんなら本人である。
けれど、兄様はそんなこと知る由もない。
「ど、どうして?だって……ゆうしゃさまはずっとむかしの人なのでしょう?」
「そうだね。実は、神殿に神託が下ったそうなんだ」
「……しんたく?」
「ああ。神のお告げだよ。千年前に世界を救った勇者が、この国に再び現れた、と」
兄様はどこか複雑そうに目を細めた。世界が英雄を必要としている、その意味に思い至っているのだとすぐに知れた。
そっとアルに目配せをする。彼もまた、私を見つめている。
つい先ほど、誰にも知られずに守り抜こうと約束した、二人だけの秘密。
あの森で剣を取ったのは、十一年間で初めてのことだった。
そしてまさに今日、神託が下ったという。
……偶然?それとも――。
「普段穏やかな街道に魔物が現れたことも、無関係ではないかもしれない。さあ、中へお入り。医師に診てもらったら、私の部屋でゆっくり話そう」
兄様の胸に頬を寄せ、そっと瞼を伏せる。
――ねえ、神様。
まさか今さら、私に二度目の出番を用意したなんて、言わないよね?
ep.2 END




