夜の帳と、仮面の何でも屋
王立学園の寮は、貴族の子息令嬢たちが集う聖域だ。しかし、その高貴な空間で眠るレオナの瞳は、夜の闇に溶けるように深く冷徹な光を湛えていた。
学園の時計塔が深夜の二時を告げる。レオナは無言で寝台から起き上がり、鏡の前で自身の姿を整えた。漆黒のローブ、顔を覆う仮面のようなフード。そして、貴族の矜持を隠すための仮名――「ノア」。
「お嬢様、今夜も出られるのですね」
影からジークが現れる。彼もまた、夜の王都を歩くための黒衣を纏っていた。
「ええ。昼間のレオナとして学園で過ごすのは、演技の連続よ。正直、飽き飽きしているわ」
レオナは冷めた口調で言ったが、どこか楽しげでもあった。彼女にとって、昼のレオナが「枷」であるならば、夜のノアは「本来の自分を隠しつつ、能力を解放できる場所」だった。
二人は学園の隠し通路を抜け、王都の闇へと足を踏み入れた。
王都の下町は、昼間の華やかな貴族街とは似ても似つかない。泥と腐敗、そして微かな希望が混じり合う混沌の街。そこにある安酒場の地下に、彼らの秘密の拠点はあった。
看板に書かれた名は「何でも屋」。
扉を開けると、そこには生活の苦しさに喘ぐ者や、誰にも言えない秘密を抱えた者たちが列をなしている。
「次の方、どうぞ」
レオナの声は魔力で低く変調され、少女のものではなくなっていた。
最初の依頼は、魔法制御に悩む侯爵令嬢の秘密指導だった。彼女は学園ではエリートとして振る舞っているが、裏では自分の魔力の奔流を抑えられず、指先を凍傷にするほどの苦しみを抱えていた。
「……貴方の魔力回路は、親から受け継いだ『型』に縛られすぎている。今の貴方に必要なのは理論じゃない。今の貴方自身の魔力を、そのまま認めて解放することよ」
レオナは冷徹な指導を行いながら、彼女の魔力回路を指先でなぞる。一瞬の痛みの後、令嬢の凍傷が癒え、その指先から美しい淡雪のような魔法が放たれた。令嬢は涙を流して感謝したが、レオナは「代金は前払いよ」と事務的に告げるだけだった。
だが、その心の中には、微かな変化があった。
(……人の魔力を触れること。それはお母さんから教わった「破壊」の魔法とは違う。誰かを支えるための「調整」……これもまた、タスクの一つね)
深夜三時。次に舞い込んだのは、王都の路地裏で暗殺者に追われているという商人の護衛だった。
路地裏に追い詰められた商人に向かって、黒い影が躍り出る。だが、それはレオナの魔法の前では無力だった。
「……そこまでよ。これ以上近づけば、貴方の魔力回路ごと肉体を消滅させるわ」
レオナの声に宿る殺気に、暗殺者たちは震え上がり、霧のように消えていった。商人は命拾いし、震える手で金貨を差し出した。
「あ、ありがとう……あんたのような凄腕が、なぜこんな場所に……」
「金さえあれば、理由なんてどうでもいいでしょう」
レオナは金貨を受け取り、夜の帳の中へ消えた。
ジークが静かに後ろから従う。
「お嬢様、最近少しだけ……依頼人たちの将来まで気にかけられているようですが」
「勘違いしないで。優秀な依頼人は、また次も高額な報酬を払ってくれる。それだけの計算よ」
レオナはそう突き放したが、その横顔は夜風を受けて、昼間よりもずっと穏やかだった。
王都の闇で、レオナは知る。
この国がどれほど脆弱なシステムで守られ、そしてどれほど多くの人間が、そのシステムの陰で「市民代表」という名の希望を待っているかを。
レオナの手元には、さっきの暗殺者が落としていった、奇妙な紋章が刻まれた手紙が握られていた。
(市民代表……貴方たちが隠そうとしているものは、私が必ず掘り起こすわ)
レオナは、夜の王都という巨大な迷宮の中で、復讐という名のタスクを遂行し続けていた。




