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とにもかくにもこの好機を利用しない訳にはいきません。私は問題の木まで急いで向かいました。
犯罪をおかしているような面持ちでしたので、誰もいないと分かっていながらも、周囲の気配を必要以上に気にしていました。木の根本まで近づき、少女が座っていた場所の周辺の土に、不自然な箇所がないか調べると、やはり地面が柔らかい場所があり、少女はやはり何かを埋めていたのだと確信し、私は左手の人差し指を地面に突き立てて、土の柔らかさを図りました。手で掘れそうな柔らかさでした。できれば……道具が欲しい所でしたが、用意する方法もありませんでしたし、仕方がありませんでしたので、覚悟を決めて掘り始めました。
夕陽に照らされた木が、地面にゆらゆらと影を写し、まるで犯罪でも行っているようで、足や脇の下には生ぬるい冷や汗が吹き出し、どこからか誰かに見られているような気がしました。視線は土を掘れば掘るほど強くなり、マンションの窓や、木の上から無数の目が私をじっと凝視しているようで、恐怖と焦りと不安がこみ上げてきました。手の土が汗でドロドロになり、誰かを殺した血で真っ黒に汚れているような感覚すら覚えました。
それは夕陽が私の背徳的な心を冷酷に照らしていたからでしょうか。
それとも焦る心が見せた幻でしょうか。
しばらく土を掘っていると、ぐじゅりとした柔らかな感触が手に伝わりました。
瞬時に私は「これだ」と思いました。
手に力をこめると、ぐじゅりぐじゅりとした感触がさらに強くなります。私は手に掴んだものを、草木を引き抜くように持ち上げました。ぐじゅりと手に掴んだものの触感は、私を不安と不快と綯い交ぜにした気持ちにさせました。
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私は手に掴んだものを持ち上げ、それをまじまじと見つめました。持ったもの正体に気づいた瞬間、私はあっと悲鳴に近い声をあげて、持ち上げた手や体がぶるぶると震え、動くことができなくなってしまいました。
手にかざしたものは、新生児にもなっていない胎児の死体でした。何かを埋めていたと私が考えていたそれは、胎児の墓だったのでした。
私は一体何が埋まっていると考えていたのでしょう。少女が秘密にしている大切なものでも埋めているとでも考えていたのでしょうか。それとも、今、私が手にしている死体が埋まっているとどこかで思っていたのでしょうか。
木の根本に埋められていたのは、少女が身ごもった後、何らかの理由で死産をした赤子の死体でした。
気づけば夜空にはぽつぽつと星が出て、私が手にした胎児の亡骸をぼんやりと映しだしています。卑しい心を持った私は手を下ろすこともできず、かといって放り投げることもできず、その場で黙って動かずにいる事しかできませんでした。
誰かの視線をまた、今度ははっきりと感じ、私はその視線のする木の上を眺めました。木の枝にたくさんの何かが止まって、夜にギラギラと目が光らせてこちらをじっと見ています。すぐに無数の鳥だと気づきました。鳥たちは死んだ胎児の死を悼みながら、私の愚かな行いを静かに見届けていたのでしょう。夜や鳥が私の心に恐怖を浮かび上がらせ、恐ろしさに取り憑かれた私は、掘り返した墓へ元通りに埋葬しようとしました。
するとどうでしょう。墓の中の土に混じり小さな可愛らしいピンクの紙が、折りたたんで置いてあるのです。丁度埋められた胎児の下になっていたので、先ほどは気づかなかったのでしょう。
私は胎児を墓に置くと、自分の心を震え立たせて紙を拾いました。手にとってみると想像した通りそれは手紙で、柔らかい筆跡で文字が書かれていました。
“きみはコンクリートの上でそのまま冷たくなって死んでしまった
私はこんな所にお墓を作って、きみを運んであげることしかできなかった
きみの死を、私以外の誰が知ってるんだろう
きみの命が消えたことを誰が悲しんでくれるんだろう
そんなこと思ったら、私は涙が出てきてしまった
きみの事を忘れたくない、私は決して忘れない”
私はいけない事だと分かりながらも、逃げられない運命のように手紙を読んでいました。あの時、階段でじっと座っていた少女は、残酷な現実の中で死んでしまった胎児に手紙を書いていたのです。寂しく1人で誰にも知られずに横たわっていたであろう胎児に。
真っ黒なタールで汚れ死んだ心でも、人は涙が流れるものなのでしょう。読みながら私は涙を流しました。徐々に無様なほどの大粒の涙を流し、無様なほどに大きな声で泣いたのです。少女の優しさに心を打たれて、自分の愚かで卑しい自分の心に涙を流しました。手を見ると土ではない真っ黒な何かがこびりついています。私はまた手をかざしてみました。手に付いた真っ黒なものは、ポロポロと剥がれ落ちて、泣きはらした私の顔にくっつきました。剥がれ落ちていたのは、今となっては黒く変色した胎児の皮膚でした。濡れた顔に張り付いた羽のような皮膚を、私は一つ一つ剥がしながら、自分の鼓動が高鳴るのを感じていました。
私は手紙を墓に戻し土をかけると、少女の事を想いました。決して胎児の事を忘れない、君の事を忘れないと誓い、手から落ちた羽を拾うとその場を立ち去りました。




