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「足、どうした」
ミシャの背中に訊ねると、ぴくりと大きく跳ねた。
それからの動きがひどく緩慢になる。
なにかを考えながら行動しているみたいに。
クロトからは見えないが、対面に座るラケシスとアトロポスにはミシャの表情が見えたらしかった。
怪訝そうにミシャの顔を眺め、ふたりの視線がクロトに移る。
その目が合図だった。
──なにかを隠している、と。
3人はほぼ同時に立ち上がってミシャに詰め寄った。
ミシャはナフキンを掴んで、まるで身を守るみたいに胸に抱えている。
ミシャの目は怯えきって震えていた。
クロトは違和感を口にした。
「君はいつも走っただろう。いつも、いち早く指示どおりに動こうとしていた。俺が今すぐしてほしいことを指示したのに歩くなんてあり得ない。足をどうした?」
「こ、これは、その」
「屋敷の中での出来事じゃない。そうだろう」
「おい、隠してたって意味ねえだろ。ちゃんと言えよ」
「そうだよ。ねえ──」
アトロポスがミシャの腕を引いた。
ひ、とミシャが息を呑んだ。
恐怖心からかと思ったが、違う。
痛みだ。
猛烈な痛みが走ったに違いなかった。
怪我だ。
「脱がせ。手当てする」
ラケシスとアトロポスはクロトの言うとおりに動いた。
そうしてほとんど抵抗するいとまもなく下着姿にさせられたミシャの華奢な体は、およそ美しいというにはほど遠かった。
左足、左脇腹、左腕、左肩。
真新しい擦過。濃い打撲痕。ひどい鬱血。
3人が言葉を失っていると、ミシャが謝罪した。
「申し訳ありません、実はお買い物に失敗してしまって──」
「それだけでこんなふうにならねぇだろ! ちゃんと説明しろよ!」
「ごめんね、僕、お外に行きたくないんだ。でも、ひとりにしてごめんね」
ふたりが声を掛けているのに、ミシャはそのラケシスとアトロポスではなく、怯えた顔でクロトを見つめた。
まるで、出て行けとは言ってくれるなと祈るように。
「なにがあった」
クロトが問うと、ようやくミシャは真実を語った。
家具店に着いたこと、しかし店主に激高されたこと、押し倒されたことを。
「体当たりされただけでこんなになるわけねえだろ!」
ラケシスが怒鳴る。
だが、ミシャはそれ以上を言おうとしなかった。
「そのときにドアを壊してしまって、修理代を……すみません、領収書は貰えず……」
「強盗と一緒じゃねえか……!」
ラケシスが吐き捨てる。
アトロポスは責任の一端を感じているのかもしれない。唇を引き結び、ミシャの怪我を見つめて触れるか触れないかの仕草で撫でている。
ふと、アトロポスが呟いた。
「なんで、左半身だけ?」
確かに。
身を捩ったり、振り払おうとすれば左右どちらにも傷は付きそうだ。押し倒されたときの受け身にしては、打撲の形がおかしい。なんだか、もう少し形あるもので殴られたような妙な痣だ。
「抵抗しなかったのか?」
「……すぐに帰ってきたものですから」
「ああ、そう」
まだなにかを隠している。
クロトはラケシスに目配せした。
ラケシスは最初、その視線の意味を計りかねていたようだ。じっと自分の瞳に似た吊り目を見つめると、なんとか意図が伝わった。
やるか──というような鈍い動きだった。
しかしクロトよりも恵まれたその身体で、素早く腕を大きく振り被ってみせたのだ。
意図を知らぬものからすれば、それは殴りかからんとする行為そのものだった。
ミシャが反射的に頭を守る。
「ストップ。」
ミシャの姿勢。
身を縮こませ、守るこの体勢。
左半身だけが顕になるこの瞬間。
足と腕と脇腹を一度に負傷するのは、このときだ。
そして妙な痣の形。
ミシャの瞳がほんの少し揺れたその先に、台車があった。
クロトは目眩を覚えた。
まさか、そんなことが?
「あれか?」
顎で示す。
察したのか、ラケシスが手で顔を覆って天を仰いだのが視界の端に移る。怒っているのだ。
我が家は他人の不幸を呼び寄せる。
しかし、他人の不幸を望んだことはほとんどない。
不幸なんてなくなり、薄らいでいけばモイラは普通のモイラに戻る。
ましてや、たったの数日でも健気にモイラ公爵家のために働いてくれている女の子の不幸などこの家族の誰が望むのだろうか?
誰も相手にしてくれない。
誰も触れてくれない。
誰も想ってくれない。
そんな中で懸命に向き合おうとしてくれている彼女の不幸を望むものがどこにいる?
ラケシスは怒っている。
クロトも、もちろん気の弱いアトロポスも。
クロトは確かめた。
「あれで殴られたのか」
「い、いえ、殴られたというほどでは……」
今さらになって恥ずかしくなったのか、服を胸に抱えて露出を隠そうとしている。
「へえ。モイラ公爵家も衰退したものだ。
──いいのか? あんたのお気に入りがやられたぞ」
クロトは虚空に向かって呟く。
そこに蔓延るなにかに向かって呟いたのだった。
忌々しくも、なぜかモイラから離れない腹立たしい神。
偶然と呼ぶにはあまりにも強大なその力を今使わずしていつ使うのか。
「あの、これは私の失敗なんです、モイラ公爵家のせいではなくて、本当にいつも私こんな失敗ばかりで皆に迷惑しかかけないんです。だから、あのまだ働けます──」
「わかってる。疫病の神は人を不幸にさせるのに他人は使わない。これは神の御業ではないとわかってる。あんたに神の影響があったわけじゃない。出て行けとは言わないよ」
言うと、ミシャはようやく安堵の声を漏らした。
怪我をするよりも、下着姿にされるよりも、ここを追い出されることのほうが恐ろしいようだ。
本当に変な子。
出て行こうとする人間しかいなかったのに、この子は出て行こうとしない。むしろ、いさせてくれと願う血族以外の子。
「気にするな。うちの神は、一族に手を上げる輩を最も嫌う。あんたを傷付けたやつは、勝手に不幸になる」
言うと、ミシャはなんだか嬉しそうに「一族」と呟いた。
「ラケシス、ミシャを俺の部屋に運んでくれ。薬を塗る」




