表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泥人形と呼ばれた令嬢、隣国の冷徹皇帝に「世界の至宝」として攫われる ~「無能」と捨てられた私が、実は世界を守る唯一の浄化術師だった件。~  作者: 西園寺ミオ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
52/52

番外編 第52話 後日談「靴下は、私が履かせる」(皇帝レオンハルト視点)

神になっても、変わらないものがひとつだけありました。

世界を手に入れた男が、それでも毎朝、膝をつく理由のお話です。

※本編完結後の番外編(後日談)です。神婚から、季節がひとつ巡った頃の帝都。


 神になっても、朝の作法は何ひとつ変わらなかった。


 寝台の縁に膝をつき、レオンハルトは絹の靴下を手に取る。侍女はいない。この儀式に他人の指が触れることを、彼は帝国の法よりも厳しく禁じていた。


「陛下。……もう、お一人で結構ですと、何度申し上げましたか」


 寝乱れた白銀の髪を肩に流したまま、エルセが困ったように笑う。真珠色の頬に朝日が滲んで、部屋の空気がひとりでに甘くなった。


「何度でも言え。何度でも聞き流す」


 レオンハルトは彼女の踵をそっと持ち上げ、足首から丁寧に絹を通していく。

 もっとも――そう、もっとも。

 この足はもう、冷えない。


 神妃となった彼女の肉体は、季節にも、石床の冷たさにも侵されない。冬の廊下を裸足で歩こうと、指の一本すら赤くならないだろう。つまりこの儀式は、とうに用を成していない。世界で最も無意味な政務だ。


 それでも彼は、毎朝、膝をつく。


 ――拾ったあの夜、この足が氷のように冷えていたからだ。


 泥と雨に沈み、爪先の色を失って、それでも誰にも助けを求めなかった娘。あの温度を、レオンハルトは未だに指先が覚えている。世界を作り替えても、その記憶だけは書き換える気がなかった。


「……陛下、また難しいお顔をなさっています」


「気のせいだ」


 嘘だった。

 絹を通し終えた指先の向こうで、彼女の爪が、朝日を薄く透かしている。神の肉体になるとは、そういうことだ。望んだのは自分で、隣に永遠を並べたのも自分で、それなのに、時折こうして胸の底が冷える。

 この女が、いつか自分の腕の中で光そのものになってしまいはしないかと。


 だから毎朝、履かせる。

 彼女が地に足をつけて立っていることを、この手で確かめるために。


   ◆


「――双星の絶対神が、朝から靴下屋を営んでいるのね」


 扉が開き、書類の束を抱えたシルヴィアが呆れ顔で入ってきた。返事も待たずに窓辺の椅子を引く辺り、この姉は世界が神域になろうと何ひとつ遠慮を覚えなかったらしい。


「姉上。ここは寝室だ」


「知っているわ。だから声をかけてから入ったでしょう」


「かけながら開けたのだろう」


「ふふ。エルセ、今日の報告も豊作よ。北の湖に精霊が住み着いた、南の畑が二度目の実りをつけた、それから――東の村で双子が生まれて、両方に貴方の名を付けたがっているそうよ」


「まあ……。それは、ご遠慮いただいたほうが」


 エルセが慌てて胸元を押さえる。『零の脈動』が、飼い主の照れに合わせて虹色に瞬いた。足元では精霊ルミエルが、レオンハルトの手からこぼれた絹のリボンを引きずって遊んでいる。

 平和だった。息をするのが退屈になるほどに。


   ◆


 午後、離宮の庭園でレオンハルトは足を止めた。


 虹色の薔薇アピリティアが咲き乱れる庭の、いちばん隅。日陰になる石壁の際に、エルセが膝をついて土を触っている。植えられていたのは、この庭にひと株だけの、何の変哲もない白い薔薇だった。


「……珍しい色を選んだな」


「はい」


 それだけだった。

 誰のために、とも、どこの庭を思い出したとも、彼女は言わない。ただ土を優しく撫でて、指先から一滴の光を落とした。


 レオンハルトは問わなかった。

 問えば、彼女は微笑んで答えるだろう。そして答えた瞬間に、その一株は「意味」になってしまう。この庭で唯一、意味を持たないまま咲いていていいものが、彼女には必要なのだと分かっていた。


 彼は振り返り、控えていた庭師にただ一言命じた。


「あの一株にだけは、誰も触れるな。……水も、私が遣る」


 庭師が深々と頭を下げる。エルセが小さく吹き出した。


「陛下は、独り占めが過ぎますわ」


「今更だな」


   ◆


 その夜。

 寝台に彼女を抱き込んだまま、レオンハルトは窓の外を一度だけ見た。


 遥か地平の彼方、世界の縁に、金色の門が薄く光っている。あれが開いてから、季節がひとつ巡った。門の向こうからは相変わらず、聞いたことのない精霊の歌が、風に乗って途切れ途切れに届いてくる。


 行こうと思えば、明日にでも行ける。

 新しい宇宙。新しい格差。跪かせるべき新しい何か。


「陛下。……あれが、気になりますか」


「いいや」


 レオンハルトは窓へ背を向け、腕の中の温度を確かめるように抱き直した。


「今夜は行かん。明日も、たぶん行かん」


「まあ。世界が待っておりますのに」


「待たせておけ」


 彼は彼女の額に唇を落とし、明日の朝もまた膝をつくのだと、当然のように考えていた。

 世界のすべてを手に入れた男が、それでも唯一、他人に譲らなかった仕事の話である。


番外編、お読みくださりありがとうございますわ!

神になっても、陛下の独占欲だけは一ミリも神々しくなりませんでしたわね。世界を作り替えた男が、朝いちばんにやることが靴下……私、書きながら扇子で顔を隠してしまいました。


エルセ様が庭の隅に植えた白い薔薇について、陛下は何も問いませんでした。

問わない優しさというものが、この人にもちゃんと育っているのですわ。あれが何の色だったのかは、第1話をもう一度お読みいただけたら、きっと分かっていただけるかと思います。


そして、世界の縁で開いたままの金色の門。

お二人がいつあちらへ発つのかは、まだ誰にも分かりませんわ。……今夜のところは、待たせておきましょう。


よろしければ【ブックマーク】と【ポイント評価(★★★★★)】を、そっと置いていってくださいませ。

皆様の応援が、明日の朝も陛下に膝をつかせる原動力になりますわ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ