訪れる。(後半)
男らしく腕を組み、仁王立ちで豪快に笑う龍族の王子の横で、八幡が小さく溜息をつき、璃宮が困ったように「みゃう。」と鳴いた。
「しかし、王子様とは。どうしてそうなりました?」
「いえ、どのような立場の方かを説明するのに、ちょっと……」
笑いながらも溢れてきた涙を隠すためか、顔を両手で覆った上司に代わり、随伴の部下に問われて、不味かったと反省する。
「いや、良いんだ。確かに俺も兄貴や鉄火みたいだったら良かったんだけどな。
現実は非情だし、別に俺、自分の顔が嫌いなわけでもないし、」
顔を抑えてブツブツ誰かに言い訳を初めた客人の前に、瑞宮がおずおずと出て鳴いた。
『じゃあ、おじちゃんが、竜堂家の偉い人なの?
間違えちゃって、ごめんなさい。』
「ん、ああ、良いって良いって。」
『おじさん、ごめんなさい。』
『間違えちゃって、ごめんなさい。』
瑞宮に続いて、陸晶と逸信も申し訳なさそうに頭を下げ、その下の弟たちも一緒になってみゃうみゃうと鳴いた。
幸い、子供の誤りを根に持つ相手ではなく、笑って許される。
「いいよ、いいよ。それより、ちゃんと謝れてお利口だな。」
膝を折り、視線を併せた竜堂家の跡継に頭を撫でられて、瑞宮はくすぐったそうにみゃうと鳴き、尻尾をくねらせた。
『あと、いらっしゃい。ゆっくりしていってね!』
「おう、ありがとうな。」
改めて、頭をこすり付け、歓迎の意を示す子獅子達に無骨な龍族の王子は笑い、こちらを見上げた。
「あと、前から言ってるが、山口さんも“様”はやめてくれ。
くすぐったくていけねえや。」
「そう言われましても。」
敬語も止めてほしいという、どこでも無礼講な上司に、付き人が困った顔で調整に入る。
「難しいですよね。
ただ、こういう方ですので、無理のない範囲でお願いします。」
「わかりました。」
来る度に恒例となっているやり取りであり、子獅子たちに敬語は続かないし、使えない以上、腹をくくらねばならない。
では失礼しますと、改めて頭を下げる。
「しかし小日向殿、今日は如何用でいらっしゃった?」
一先ず、敬称を改めるがどうも時代錯誤で座りが悪い。
かと言って、“さん”では気安く思え、他に適当な敬称も思いつかない。
水都とうちの神社は主従関係ではないが、龍族である勇殿は勿論、随伴の小日向殿も若そうな見かけと異なり、自分よりも数十年以上長く生きている。
高位の龍はそれこそ神に等しい存在とも言え、対等にと言われても非情に話し辛いのだ。
必要以上に平伏するわけにもいかないからこそ、余計に難しい。
逆の立場ながら似たようなことを感じるのか、随伴の青年も苦笑する。
「こう言ってはなんですが本当に、近くを通るので、顔を見に伺っただけなのです。」
なのでお構いなく、すぐに帰りますと言う彼の横で、上司は子獅子たちを相手に何か話していたが、突然、大きな声を出した。
「瑞宮? お前、ミジュか? ミミ太か?
大きくなったなぁ!!」
『おじちゃん、ボクを知ってるの?』
急に見知っていることを伝えられた瑞宮は、困惑した様子で尻尾を垂らし、首を傾げた。
『御免ね、ボク、覚えてないよ。』
「いいって、いいって。お前がほんのちびちゃん、そこにいる子達より小さかった頃に会ったきりだからなあ。」
知っている子獅子を見つけて上機嫌の勇殿は、赤ん坊を高い高いをするように瑞宮を持ち上げ、それから抱きしめて頬ずりした。
「ちょっと見ないうちに、もう、こんなに大きくなっちゃったんだなー
あのちっちゃくて、可愛かったミミ太が!
でも、このふにふにのお腹は健在だな!」
『おじちゃん、くすぐったいよー』
腹を揉まれた瑞宮は困った様子で耳を伏せた。
ただ、失礼のないようにとの言いつけからか、されるがままに大人しくしている。
自分からすれば、大きなお兄ちゃんが赤ちゃん扱いされるのを見て、巳壱が眼を真ん丸にして鳴いた。
『みみ兄、みいちより、ちっちゃかったの?』
『うそだあー』
『テンちゃんのが、かわいいよ!』
燦馳も口をぽかんと開けて驚き、天祥はなんか違うところで怒っている。
「こっちのは、今年生まれた子か? 小さいなあ。」
現在の小さい子獅子たちに興味が移ったのか、勇殿は瑞宮を降ろし、巳壱の喉を指でくすぐった。
降ろされた瑞宮は満更でもなかったのか、恥ずかしかったのか、難しい顔でわざとらしくブルブルと身体を振るい、毛並みを直した。
それを逸信と陸晶がからかう。
『ミミ兄、可愛かったって。』
『瑞宮、ちっちゃくて可愛かったって。』
『うるさいなぁ!』
ブンブンと前足を振る瑞宮から、二匹ともきゃっきゃ笑いながら逃げ回り、そのままプロレスが始まる。
ころころ転がる弟たちに、璃宮が混ざりたそうにもぞもぞし始め、子供っぽいと八幡に叩かれた。
「ちっさくて、かわいいなあ。
しかし、やっぱり、白いのだけなのか。」
勇殿に耳の後ろをくすぐられ、前足をバタバタさせながら、巳壱が首を横に振った。
『ううん。とよいちと、むいちゃんは、あおいよ。』
霊獣にもいろいろな種類がある中、うちの神社は御神体の分身型。
生まれるのは基本白い獅子だが、稀に青い毛並みも出る。
この場にいない二匹がそうだと巳壱は言い、それを補足するように燦馳が尻尾を揺らした。
『とよいちは、じん兄ちゃんのところ。むいちゃんは、おひるね。』
言い終わると同時に大きなあくびをし、燦馳はそのまま地に伏せてしまった。
『ぼくも、ねむたい。』
『みいちも、ねむちゃい。』
言われて思い出したのか、挨拶が終わって緊張の糸が切れたのか、悲しげに巳壱も鳴き、ゴシゴシと前足で顔を拭った。
そう言えば、この二匹はそろそろスタミナ切れだった。
社務所の子供部屋に戻したほうが良いだろう。
「すみません、取ってつけたようで申し訳ないですが、どうぞ、こちらへ。」
「いや、お構いなく。それより、俺がこの子らを運ぼう。」
座り込んだ二匹を連れて移動しようとすると、龍族の王子が自分が運ぶと申し出てくれた。
そんなことはさせられないと断るも、随伴の青年に押し止められる。
「いいんです、当人がやりたいだけなんですから。」
その言葉通り、勇殿は眠そうな子獅子を抱えて嬉しそうだったので、恐縮ではあるがお願いすることにし、瑞宮達のプロレスに体格差から混ざれず、不貞腐れていた天祥にも声を掛ける。
「ほら、天祥、お前もおいで。」
『テンちゃん、別に、眠かぁないよ!』
即座に子獅子は拒否の念を送ってきたが、こういう時に効果的な言い方がある。
「ちゃんとお昼寝しないと、大きくなれないぞ。」
自分が小さいせいで遊びに混ざず、不貞腐れている今なら、効果は抜群だ。
子獅子は不満げにフーと唸ったが、大人しく着いてきた。
その後に璃宮が続き、八幡が瑞宮たちを呼ぶ。
『ほら、皆、いくよ!』
慌ててプロレスを止めて瑞宮たちが走り寄ってくるのを、勇殿が止めた。
「いや、ちょっと話したら、すぐ帰るしな。
わざわざ大人の話に付き合うこたぁない。このまま遊んでな。」
『でも……』
『おじちゃん、帰っちゃうの?』
『遊んで、くんないの?』
言い淀んだ八幡の横で、瑞宮がつまらなそうに鳴き、逸信も悲しげに耳を伏せた。
そして八幡に遊びのおねだりはお行儀悪いと注意され、更に耳をピッタリと頭にくっつけ、尻尾を垂らした。
寂しそうな子獅子たちに竜堂家の御三男は少し考えるような素振りをし、随伴の青年に声をかけた。
「そうだな、政司。お前、ちょっと相手をしてやってくれ。」
「はっ。かしこまりました。」
下の名前で呼ばれた青年は即座に従い、許可を求めてこちらに視線を送ってきた。
「山口殿、構いませんか?」
「いや、子供とは言え、付き合うとなると、結構ハードなこともありますが、こちらこそ構いませんか?」
「若輩者ですが、まあ、何とか頑張ってみましょう。」
恐縮のままに受け答えれば、にこやかに了承された。
腰に履いた刀を僅かに持ち直して微笑む小日向殿は、どれだけ優男に見えても竜堂家の跡目の随伴であり、このような質問自体が失礼であったかもしれない。
「では、何をしましょうか?」
問われた子獅子たちが大喜びする。
『お兄ちゃんが遊んでくれるの?』
『ボール! ボール遊びしようよ!』
素直にはしゃぐ瑞宮と逸信の横で、陸晶が物言いたげな視線を送ってくるのに、大丈夫だと頷く。
横を見れば、璃宮がますます落ち着きをなくし、八幡も険しい顔になっている。
「璃宮、八幡、お前らも一緒に遊んでもらえ。」
『いいの!?』
『じいちゃん、でも……』
ぱっと顔色が明るくなった璃宮と、嬉しそうながらも不安そうな八幡にも、頷いてやる。
「いいから。瑞宮たちが迷惑かけないように、見張っといてくれな。」
『わかった!』
『ボール! 向こうの広場に行ってボール遊びしようよ!』
許可が出た途端、璃宮より先に八幡がすっ飛んでいった。
責任感から気張っていたようだが、八幡もまだ鬣の生えていない子供だ。
『ねえ、兄ちゃん、打ち返しは? 打ち返しはあり?』
「何でも良いですよ。」
『やった! 人間用のバットはこっちだよ!』
ぴょんぴょん跳ねながら、瑞宮が道具置き場へ小日向殿を連れて行く。
後のことはおまかせすることにして、勇殿を社務所に案内する。
社務所につくと、縁側から上がり込んだ天祥はさっさと子供部屋に向かい、自分のダンボールの中に入って、くるりと丸くなってしまった。
意地を張っても、やはり眠かったらしい。
降ろされた巳壱と燦馳も早々に箱の中に潜り込み、丸くなる。
代わりに別の箱がゴトゴトと揺れ、蒼い子獅子が顔を出した。
『じいちゃん、おかえり。』
「おう、無比刀。お客さんだぞ、ご挨拶しな。」
『こんにちは、いらっしゃい、おやすみなさい。』
出てくるのかと思えば、流れるように挨拶を済ませ、無比刀は首を引っ込めてしまった。
おそらく、まだ寝るつもりだろう。
うちの獅子はネコ科だけにマイペースなのが多いが、無比刀はまだ幼いながら、その辺、郡を抜いている気がする。
もう少し、大きくなったら緩和されるだろうかと不安を押し留め、お茶の準備をする。
「いや、しかし、今日は済まなかったな。急に。」
「いえ、こちらこそ、
加賀見から近々いらっしゃると聞いていたにも関わらず、何の準備も出来ておりませんで。」
「いやー あいつもなあ。
何ていうか、生真面目なくせに不真面目と言うか、あてにならないところがあるし…」
簡単な社交辞令の後、カオスとはよく言ったものだと勇殿は呟く。
そのまま、それよりと本題に入った。
短気に思えるほど単刀直入な彼の性格は、嫌いではない。
「今日はな、三峰にいく途中なんだが、山口さんは聞いてるか?」
「何をです?」
ここより遠くない、北西の山奥にある神社の名前に首を傾げる。
山犬、すなわち狼を眷属とするあの神社は、人型も取れる霊獣の性質上、周囲から派遣される神職がおらず、宮司兼任の霊獣頭は付き合いが良い方ではないため、若干閉鎖的だ。
うちの神社は仕事で関わりのある方だが、それ以外は時節柄の挨拶、大きなイベントでもなければ連絡を取っていない。何か有ったのであろうか。
聞き返すのに、何も伝わっていないことを理解して、龍族の御三男は難しい顔で腕を組んだ。
「久方ぶりに、眷属の霊獣が生まれたらしいんだ。」
「ほう、そりゃめでたい!」
獅子と狼の性質など違いはあれど、三峰の霊獣もうちと同じく、御神体の分身型。
神域が大きい分、うちより多くてもおかしくないのに、何故か何年も新しい霊獣が生まれていない。
今や、元々の眷属である霊獣がたったの2匹。別の神社、水都の水照宮から迎え入れたのが1匹。合計3匹の神使しかいない。
少し前はもう一人、狗賓がいたのだが、諸事情により外に出て、まだ帰ってきていない。
うちの神社より遥かに広い神域を、周囲の補佐もなしに問題なく管理できるほど優秀な霊獣には頭が下がるが、それにしたって数が少なすぎる。
三峰が閉鎖的なのは、他との連携を取る余裕がないのも少なからず影響しているはずで、即時の解決にはつながらずとも、霊獣の数は増えるのは喜ばしい。
竜堂家の御三男は何故、顔色を悪くしているのか。
「シズの奴が、偉い可愛がって、目に入れても痛くない有様らしいんだが、それはそれとして。」
あの性格の悪い彼奴がと霊獣頭兼宮司に若干悪態をつきながら、勇殿はわずかに首を横に振り、深い溜息を付く。
「如何にも三峰の眷属らしい黒毛の雌で、大層利発とのことだが、どうも身体が相当弱いらしくてな。
歩くこともままならず、寝付いてばかりらしい。」
「それは……」
「口にしたくもないが、もしかしたら、そう長くないかもしれんそうだ。」
故に誕生を公にしていないらしい。
竜堂家の御三男の顔色が悪い理由を理解し、自分もそのまま俯いてしまう。
霊獣は普通の獣より数段賢く、只人にはない力を持っている。だが、病や怪我に倒れることがないわけではなく、身体の弱いものもいる。そして子供は子供である。
もしも天祥が、若しくは巳壱や燦馳、いや、どの子であっても、子獅子がそんな状態であったら。
うちの霊獣も常に万全な状況で生まれるわけではないため、その哀れさは想像に難くない。
「何とか、ならないもんなんでしょうか……」
なるのであれば、三峰の者がどうにかしているはずだ。
承知していても人は願うことを止められず、それは優しさと呼ぶのか、弱さと呼ぶべきか。世の非情から逃れる術をどうしても探してしまい、一つ思いついて、罪深さに頭を振る。
竜堂家の次期当主はその罪を見抜いた。
「今、加賀見のことを考えたろう?」
返事が出来ないのが肯定となる。
「勿論分かってるだろうが、彼奴に頼むのは禁じ手だ。
そもそも、本来は伝達係を頼むことだって、よくねえんだ。」
あの蒼い眼の魔物に対する三文律を知らぬはずがなかろうと言われる。
怒らせてはならない、逆らってはならない、頼んではならない。
加賀見は魔物だ。人は疎か、龍や鳳凰ですら恐れ慄く化物で、一度荒ぶれば抑え、鎮めることは難しいという。
そのくせ、姿も言動も只人にしか見えず、不可能を可能にすると言われるほど、他に類を見ない巧妙で精密な術を状況に合わせて組み合わせ、荒事だろうと難事であろうとあっさり解決する。
移動魔法を始めとして、何かと器用なあの魔物であれば、何とかできるのではないか。あの人の良さであれば、頼めばなんとかしてくれるのではないか。一度だけ。たった一度だけで良い。
それは彼の魔物を知れば一度どころか、幾度も浮かび上がる誘惑であろう。
だが、その考えは誤りであり傲慢だと、統制者として同じ誘惑を知るからこそ、龍族の王子は言う。
「彼奴を見て、そんなことを思い始めたなら、すぐにでも彼奴から離れることを考えなきゃいけねえ。
そいつは己ならず周囲を巻き込み、理を歪め、破滅と破壊を呼ぶ。それに、」
たった一つの願いは二つとなり、3つ4つと無限に増えていく。多大な欲望は魔物を怒らせ、得た以上を失うことに繋がる。
また、超絶的な存在が好き勝手に働ければ、世の均衡を崩し、壊す。
何よりと人の姿をした龍族は首を横に振る。
「彼奴とて、どれだけ器用ではあっても万能じゃねえ。
出来ることもあれば、出来ないこともある。
常に代償なく動けるとも限らない。」
そう、如何に器用と言えど、全知全能、絶対的で完全な存在であるはずもなく、背負える荷には限りがある。
同情や好意を踏み台に、首を絞めてでも協力しろと迫る権利が誰にあろうか。
溜息で同意を示せば、勇殿はふんと鼻を鳴らし、釈然としていない様子で話を続けた。
「ま、そういうわけで、こっちからは頼めねえが、向こうから手を貸してくれるんなら、借りちゃいけねえってわけでもねえ。
だから動いてくれりゃあ、しめたもんなんだが、今回はどうも話が妙でな。
繰り返しになるが山口さんは三峰の話、加賀見から何も聞いてないんだよな?」
「ええ、初耳です。」
「やはりか。」
再度の確認に頷けば、竜堂家の御三男はますます不可解そうに眉根を寄せた。
「何か、あったのですか?」
三峰が禁じ手とされる加賀見への協力要請を求め、争いにでも発展したか。
逆に魔物のほうが勝手な動きをして、周囲の困惑を呼んだか。
あのプライド高く、他の干渉を嫌う三峰の霊獣頭が、そんな悪手を取るとは思えず、勇殿の話しぶりからしても後者であろう。
ただ、うちの神社に情報が伝わっていないことがどう関わってくるのか。
「彼奴が隠すような問題でも起こっているのですか?」
「いや、隠し事なんて大袈裟なもんじゃねえよ。
当の社が公にしていないことを勝手に言い広めるってんも、良いことじゃねえしな。」
そういう意味じゃ、俺がこうして山口さんに喋っちまってるのも、よくねえんだがと言い訳しながら、勇殿は頭を掻いた。
「今日、俺が来たのを含め、ことが加賀見の様子が変だってところから始まってるんだよ。
ほら彼奴、伝令係だから三峰にも行くし、新しい霊獣が生まれたことも知っていて当然なわけだが、子供の具合が悪いなんて、何かと騒ぎそうだろ? けどな。」
この場にいない伝達係の職務や性格を交え、まるで怪談でもするように声を潜めて、それは伝えられた。
「その新しい子をひと目見たっきり、一切近寄ろうとしないんだとよ。」
どう思うと聞かれるが、推測される答えはそう多くはない。
「つまり、関わりたくない、どうにもできないってことなんでしょうな。」
幸い実感したことはないが、彼の魔物は意外と非情で、一度決めれば如何な存在であろうと簡単に見捨て、手を汚すことも厭うていないと言われている。
かと言って情に流され、己の分を超えた無理をしないわけでもない。
今回は正に無茶をしそうな案件だ。
加賀見は子供好きで知られ、また、他所では黒犬と呼ばれるほど犬や狼族とは親密とも聞く。
興味本位で動き、割と好き勝手暴れる性格だけに、何かしら改善可能であれば、仮に三峰が拒否しようと黙ってはいまい。
そうしないのは純粋に、如何にも出来ないからであろう。
先の長くないものに付き合って、面倒事を抱えたくないのかもしれない。
見解を述べれば、勇殿は大きく頷いた。
「確かに、そうなんだろうけどな。
ただ、それならきっぱり、そう言うだろ。
けどよ、どうにも不明瞭で不可解な態度を取るばかりで、うんともすんとも言わねえらしいんだ。
病状とか様子を伝えようとしても耳を塞ぐくせに、小まめに顔を出したり、高価な薬とか持ってくる。
はっきりしなくて気持ちが悪いと、三峰の次男坊が俺んところに相談に来たんだよ。」
「ああ、ヒサ君が。」
三峰に属する二匹の霊獣のうち、宮司も務める兄の方は人型に化ければ女神も恥じ入る美貌と併せ、気難しいことで有名だが、
瓜二つの弟は比較的人懐っこく、普通の少年と変わらない。
兄に相談しても相手にされず、水都へお使いに出た際、顔見知りの勇殿の所へ来たらしい。
併せて、新しい妹が生まれたことも伝わり、現状に至ったそうだ。
興味がなく、耳を塞ぐほど関わりたくないのであれば、まめに立ち寄り、薬を持ってきたりはしまい。
何らかの対応が可能であれば、自ら申し出るはずで、仮に断られても気にしなかろうし、動きたければ勝手に動くだろう。
加賀見の性格からしても、普段の言動からしても妙な話だ。
状況はわかったが、首を傾げるばかりで言えることはなく、龍族の王子も居心地が悪そうに身じろぎした。
「しかし、相談されても心当たりはねえし、部外者の俺らが口を挟めることでもねえし。
ただ、三峰に新しい子が生まれたと知ったからには、挨拶がてら顔を見に行こうと思ってな。」
通常、霊獣が生まれる度に祝うことはないが、かの神社は規模と事情が事情だけに、仮にも統率する者として様子を見ておきたいのだという。
「その際に三峰への通り道に近い、うちにも寄られたと。」
「まあ、そうなんだが。」
流れに納得して相槌を打てば、勇殿は腕を組んで顔を傾け、若干心配そうにこちらを見つめた。
そして、自覚していなかった不自然を指摘される。
「加賀見の奴、ここのところ、かなりの頻度でお宅にもお邪魔してるんだろ。
なにか、あったかのかと思って。」
確かに言われてみれば、以前は年に数回の程度であったのに、ここのところ、半月に一度は顔を出す。
ただ、毎度水都で受けた伝令を携えており、おかしなことはないはずだ。
「単に、仕事が増えたのかと思っていたんですが。」
「逆だよ。彼奴がちょくちょく来るから、これ幸いと伝令も頼んでるんだよ。」
素直な認識を述べれば苦笑された。
仕事のついでではなく、仕事がついでだと言うのは彼奴らしい。
元々、フラフラと大した理由なく顔を出すこともあれば、賢く、子供を傷つけることのない霊獣は遊び相手に最適だからと、幼い娘やその守護者を連れて、遊びに来ることもある。
だから、回数など気にもしていなかった。
心当たりがないのが伝わったのか、竜堂家の御三男殿は興ざめしたように眉尻を下げたが、直ぐに気を取り直し、真面目な顔つきになった。
「東北の方には結構な頻度で彷徨いているから、単に移動範囲を広げただけなのかもしれんが、時期が時期だったんでな。
もし、何かあれば直ぐに相談してくれ。
出来ることがあれば、協力しよう。」
「ありがとうございます。」
頭は下げたが気が重い。
普段が普段だけに忘れていたが、加賀見はただ、訪問回数が増えただけで水都の管理者が気にするような存在だった。
三峰の件と併せ、自分が知らないだけで何かはあるのであろう。
さて、訪問の回数が増えたのは何時からであったか。
彼奴のことだから、何を思ってのことか、聞けばあっさり教えてくれるような気もする。
しかし、誰しも思うところや、公に話したくないことの一つや二つ、あるものだ。
話が一区切り着いたところで、そろそろお暇すると勇殿は立ち上がった。
「政司と瑞宮たちは、何処かな?」
「恐らく参道を降りた先の、広場だと思います。」
大人の獅子たちが使う近接の村の広場まで、見送りがてら案内する。
案の定、いつもの広場で瑞宮たちは大はしゃぎしていた。
正確には数匹大人の獅子も混ざって大騒ぎしていた。
ボールが稲妻のように飛んでいく。
「このっ! 簡単に抜かせませんよ!」
小日向殿が普段見せない表情で白球を打ち返す。
打ち返されたボールは100m先右斜めへ飛んでいくが、そこには八幡が待ち構えている。
『えいっ!』
前足で上手にボールを叩き落とし、そのまま手前の兄獅子、陸奥まで転がす。
『ムツ兄ちゃん! 決めちゃえ!』
がうっと八幡が吠え、無言のまま陸奥が受け取ったボールを前足で叩き上げ、テニスプレーヤーのスマッシュのように、落ちてくるところを打ち付ける。
再びボールは小日向殿めがけて砲弾の様に飛んでいき、竜堂家の随伴は刀の代わりにバットをふるい、打ち返す。
その先には今度は我が神社の筆頭獅子五十嵐が待ち構えていてと、小日向殿が優れた剣士であるが故に、打ち合いは何時までも終わりそうにない。
ほんの十数分でどうしてこうなった。
豪速球のラリーを前に、大きな声で勇殿が部下を呼ぶ。
「政司ー もう、行くぞー!」
「あっ、少々お待ちください、勇様!
今、この猫共を大人しくさせますので!」
丁寧ながらもうちの獅子を猫呼ばわりするあたり、だいぶムキになり、気が立っていると見られる。
「あれ、どういうルール?」
「ざっくり言うと、ボールが自分より後ろに行ったら駄目なんですよ。」
聞かれて簡単に説明する。
現在のフォーメーションからして、小日向殿が仮想敵役として、集中攻撃を食らっているらしい。
楽しそうな獅子たちと真剣な表情でバットを振るう部下に、勇殿は首を傾げた。
「時間があれば、俺も混ざるんだがな。
三峰に行くって連絡しちゃったし、すっぽかしたら怒られるだろうなあ。」
「たぶん、怒られるどころじゃすまないと思いますよ。」
三峰の霊獣頭は気難しく、口煩い。
遅刻は疎か、すっぽかしなどしたら、自分から約束しておいて、何事だと手厳しく責められるだろう。
数分待って、龍族の王子は強制的に部下を広場から引っ張り出し、三峰へ向かっていった。
弾丸のようなボールが行き交う中に、割って入れるのは流石だ。
『おじちゃん、またねー!』
「おう、またなー」
『お兄ちゃんも、また遊ぼうねー!』
「次は直ぐ地面に沈めてやりますから、
首洗って待っていなさい猫共が!」
遊んでもらって大満足の子獅子たちは、ぴょんこぴょんこ跳ねながら客人を見送った。
龍族の方々も何度も振り返り、手を降ってくれる。
短いながらも、楽しんでいただけたのだろうか。
どうせ来るなら加賀見にしても、彼らにしても、楽しい理由からであればいい。
そんな思いを胸に空を仰ぐ。
なにせ、見た目がどれだけ普通でも、只人ではない者がキレているのは、見ているだけでちょっと怖いのだ。