本物
行也は膝をついたままずっと動かない。そして、銀色のマフラーの上に落ちた銀色の弓矢を呆然と見つめていた。そんな彼を呼ぶ音がする。
「行也、電話じゃ。」
「行也殿……。」
黒田と島津は行也に駆け寄り、彼の手を引っ張るが反応がない。とりあえず島津は電話を取った。
「もしもし。……光紀殿か。昨日はお疲れ様……それが……今日は色々あって行也殿はちょっと話が聞ける状態ではな……あ、大丈夫。命に別状は無いでござる。……急ぎでないなら明日でもよいでござるか? ……すまない。」
電話を切った島津は、行也を見上げて、また手を引っ張った。
「光紀殿が行也殿に話があると言ってたでござるよ。明日に変更してもらったでござるが。
……昼間からずっと弓矢を打ち続けたのだから、家に帰って休まないと……。」
相変わらずマネキンのように無表情で動かない行也。黒田はそんな彼の肩によじ登ると頬をひっぱたいた。
「しっかりせんか!
……城井にこの大地を守れと言われたじゃろ?
こんな所で呆けているヒマなどない! 家に帰って体を休め、敵に備えるのがお前のすべきことじゃ!」
行也は目を見開くと、涙ながらに頷いた。そして、銀色の矢と弓をそっと銀色のマフラーに包んだ。
「兄貴、先生、師匠、おせーよ!」
「お邪魔してます!」
行也が家に帰ると、行人、洋平、悠太、そして光紀と明智が食卓を囲んでいた。
「あ、洋平君、悠太君……。昨日は申し訳なかった。」
行也は二人に頭を下げると、光紀と明智に向き直った。
「みっちゃんも、明智さんも元気そうでよかった。」 再び悠太に視線を移し、喉から声を絞りだそうとする行也だが。行人はそんな彼に気が付かず、笑顔で言った。
「みっちゃんが夕飯に色々買ってきてくれたんだぜ。 黒豚丼と枕崎市のマグロ漬け丼とたんかんカレーと、紫芋のナンと……兄貴?」
「あ、ああ……。」
虚ろな目をする行也の肩を行人はおもいっきりぐらぐら揺すった。
「やっぱりクビになったのか。元気だせよ! 俺もバイトするから!」
行也は慌てて首を降った。
「お前は来年、受験だから駄目だ!
それに仕事が決まらなくても、失業保険を申請すれば何とか数ヵ月は食いつなげるって会社の人事の方と黒田先生に聞いたし……。」
「だから俺は就職するっつうの! まぁこの話は今度な。 とりあえず飯食おう!」
「ああ……。」
――あっという間に食べ終わった彼らは、試験勉強を再開した。ちなみに夕飯前までは、明智と光紀が勉強を教えていたのだと言う。
手伝いを申し出た光紀達を制し、行也は駅弁などのゴミや皿とコップを片付ける。その後は洗濯機と一緒に、心もぐるぐる回していた。
「悠太君に何て言えば……。」
行也の様子を見に来た黒田と島津。行也と同じように悩む島津に対し、黒田はあっさりと答えた。
「普通に弓矢になっちゃったと言うしかないじゃろ。」
「確かにそうでござるが! 黒田殿はいつも身も蓋も無いでござるよ!
今日は出かける前に釘を刺しておいて正解だったでござる。……行也殿。」
「はい。」
「この話は帰り際にすべきでござる。落ち込んで勉強に集中出来なくなるでござるからな……。」
その後。時刻は二十二時を回り、勉強会はお開きに。
行也は意を決し、鞄に教科書をしまう悠太に静かに話しかけた。
「悠太君。……実は、城井師範は弓矢になってしまって……。多分、師範は弓矢の精霊だったのだと思う。」
「マジで!?」
「……ゆ、弓矢の精霊ぃっスかァ!?」
あまりのトンでも話に大声で叫ぶ行人と悠太。洋平、光紀も口をぱっかりと開けた。四人は思考停止状態になり、ムンクの人物画の如く顔を歪めて微動だにしない。しかし少しして。彼らは黒田達をちらりと見ると、あぁ、と小さく頷いた。
「モモンガが喋る世の中だからありえなくないッスね……。」
行也は鞄から銀色のマフラーの包みを出し、そっとほどく。冷たい肌触りの銀色の弓矢が顔を出し、覗きこんだ悠太を写す。
「……もう怒られることもないけど……話せることもないんだ……。もっと色々話したかったな……。俺、スタイリストになるのが夢なんで……城井さんの服もコーディネートして見たかったな……。」
寂しそうに呟く彼に、行也は少し頷いて、口を開く。
「……師範は、悠太君に宜しくと仰っていたよ。」
「え?」
目に疑問符を浮かべる悠太。島津はそんな彼を見上げて言った。
「城井殿が寒そうだったから、拙者は悠太殿のマフラーを首に巻いた。その時に気に入ったみたいだったでござるよ。」
「そっか……。」
悠太は弓矢……城井に微笑むと、行也へいつもの元気な声で言った。
「このマフラー、城井さんに巻いておいて下さい!」「ありがとう。」
行也は、弓矢を再び銀のマフラーに包み、仏壇の前に置いた。仏壇といっても、漆も塗っていない小さくて粗末な物である。
しかし、山田兄弟にとってはとても大切なものであった。お金が無く、光紀の両親の申し出も断った為、仏壇がなかった山田家。それを見かねた悠太と洋平が、近所の仏壇屋に教わりながら作ってくれたものだからだ。
五人と三匹は、仏壇に手を合わせ、目をつぶった。
次の日。行也は仏壇に手を合わせると光紀に電話した。
「みっちゃん、昨日言っていた話って何? ……わかった。」
二匹に聞こえない場所に行くよう指示された行也は。PCを弄っている黒田、腹筋をしている島津から離れ、行人の部屋に入ってドアを閉めた。
「移動したよ。」
光紀は鉛の詰められたリュックを背負ったような、重い声で言った。
「……黒田さん達にとっては、アイデンティティーを揺るがす非常に辛い話だ。
どうやって彼らに打ち明けたらよいのか、人の心を察するのが苦手な私には解らない。特に島津さん、そしてある意味細川さんも繊細だから、聞いた後に早まった行動をしないか心配だ。」
行也には、迷路をぐるぐる回るネズミのように悩む光紀の心が音だけでなく、視覚的にも伝わってきた。彼は唾を呑み込んだ。
「……そんなに辛い話なの?」
「私だったら……。
『やってらんねー!』と叫び天文館のマルオガーデンの屋上で自転車を走らせてつば太郎の傘を振り回し新東京音頭を咽び泣きながら一晩歌い続けたくなる。それくらい頭が可笑しくなる話なのだ。
本題に入ろう。簡単に言うと彼らの体は兜のバックアップ。さまざまな植物、生物、そして動物の細胞が混ざっている体だ。
戦国武将の甲冑に残ったわずかな汗や皮脂、墓から出てきた骨、血判状から抽出したDNAだけならまだしも……さまざまな鉱物、植物だけでなく、イカとかの動物も混ざっている闇鍋のような体……。
常人だったら発狂するであろう。
幽斎博士は夏祭りが終わったら、色々事情を説明すると言っていた。
しかし彼の口から聞くのと私の口から聞くのと、どちらがよいのだろうか……。幽斎博士の方が黒田さん達の質問に答えられる。しかしこういうことは早く知っておいた方がよいか……。」
「か、兜と同じ? じゃあ造られた存在ということ? だけど先生も師匠も前世の記憶があるよ? 魂まで創れるものなのか?」
上ずった声で一生懸命情報の交通整理をする行也に、光紀は神経が知恵の輪のように絡まったような雰囲気で言う。
「……私も……よくわからない。ただ動物にウソの記憶を植え付けることは可能だ。昔の実験に成功事例がある。そもそも彼らの話は歴史を知っていれば出来るような話だ。」
行也は目を閉じて今までの黒田と島津との日々を振りかえる。一緒に戦ったこと。暮らしたこと。その時に二匹から聞いたことを。
『もし……ワシが本当の天才だったら……。』
行也の脳裏に、悔しそうに城井の話をした時の黒田の顔が浮かんだ。
「……俺には実際に経験したような話に聞こえたよ。悔しさも後悔も含めて……。」
行也も光紀も口を閉ざした。電波と電波が繋げる道に、疑問と困惑のもやがかかる。少しして、光紀は口を開いた。
「解った。これはお互いの持論ということにしよう。
……所で、仕事は見つかりそうか? 父の知り合いが鹿児島で料亭をやっている。少しお前達の家から遠いのが難点なのだが。父はお前さえ良かったら紹介すると言っていた。」
「ありがとう。でももう少し自分で探してみたいんだ。来年は行人が受験だから、なるべく俺が家事をやって、勉強に専念させたいし。」
「そうか。では見つからなかった場合は言ってくれ。私は、幽斎博士に頼まれて夏祭りの準備をすることになったから、これで失礼する。
それが終わったら帰りに寄ってもよいか? 多分夕方になると思うが、その時に私から彼らに話す。……やはり早めにこういうことは……。」
「……みっちゃん。」
「何だ?」
「俺が話すよ。」
光紀が何かを落とす音が、電話口から聞こえる。
「えェ? いや、お前には無理であろう。科学を志すものとして私が理路整然と説明をする。こういうことは第三者が冷静に話すべきなのだ。」
行也は静かに自分の考えを話した。
「俺の口から説明したいんだ。みっちゃんみたいに理論的には出来ないかも知れないけど……。
黒田先生も島津師匠も、俺と行人に真っ直ぐに寄り添ってくれる。泣いている時も、そばで話を聞いてくれた。励ましてくれた。
だから俺の口から話して、黒田先生と島津師匠の辛さを受け止めたい。」
数秒の後。光紀は口を開いた。
「解った。何かあったら電話をくれ。」
光紀の電話が終わり。行也は行人の部屋のドアを少しあけ、細長い隙間から二匹を見つめた。いつも通り島津は体を鍛えているし、黒田はケチ……倹約家である。
「島津殿。細川殿達ならまだしも、何故一緒に住んでいるワシらにまでお早うございますとメールを送るんじゃ? 口で言ったほうが早いじゃろ。返信しないと寂しそうな顔をするから非常にめんどくさい!」
呆れ顔の黒田に、島津は携帯を見せ、笑顔で答えた。
「メールを打つのが楽しくて仕方ないでござるよ。
特にこの顔文字とかいうものは、お互いの表情もわかって血の通うやりとりができるでござる。」
ため息をつく黒田を意に介せず、島津は携帯をじっと見つめて呟いた。
「……戦国時代にもこういう道具があれば……。遠征中に妻から一年間連絡がこないで不安になるという事態にはならなかったでござるのに。」
「携帯があったら、数日会えないだけで『連絡が来なくて心配です。貴方が夢に出てきました。』とかメールしちゃうんじゃろうな! いい年こいて恥ずかしい手紙を島津殿は書くからのぅ!」
黒田の言葉に、島津は手をバタバタさせて答えた。
「そ、それは連絡を寄越さない家族が心配になったからでござる!
遠い異国に居て、妻たちと会えなくて寂しかったからではない!
でも誤解されると困るから行也殿と行人殿には内緒でござるよ。 ……あっ。」
島津は小さく跳ねると、またいそいそとメールを打ち始めた。
「細川殿にさつま狂句の添削をしていただかないと。」
黒田はそんな彼に、ちゃぶ台をひっくり返す勢いで言った。
「あー! とにかく!
通信料が嵩むから控えていただきたい! 行也は失業しちゃったんじゃぞ。倹約すべきじゃ!」
「そうでござった! 拙者は何ということを!」
島津は慌てて電源を切り、ため息を吐いた。
「……家計を助けたいでござるが、細川殿のやっている内職は拙者には難しいでござる。かと言って大友殿のように経営アドバイザーも無理でござるし……。
はっ! ちょっと一枚いただくでござるよ。」
島津は、黒田がプリンターに挿していた広告を一枚引き抜いた。
「ペット俳優募集中! 早速電話でござるよ!」
黒田は首を振った。
「猫と犬だけじゃよ。」
「……。」
チラシを持ったままがっくりと座り込む島津だったが、行也の気配を感じて振り向いた。
「……あ、行也殿。光紀殿の電話は何だったでござるか? ちょっと元気がなかったから心配でござるよ。」
「みっちゃんは大丈夫です……。」
咄嗟に目を反らした行也だったが……。心配そうに彼を見上げる黒田と島津に目が合い、ギュッと拳を握って言った。
「黒田先生、島津師匠。お話があります。お二人にとってかなりショックで辛いことだと思いますが……。話しても宜しいでしょうか。」
首を捻って目を合わせる二匹。
「なんじゃ? 早く話してくれ。」
行也は深呼吸すると一気に言った。
「黒田先生と島津師匠の体は……。兜の一部です。そして戦国武将の魂とは……甲冑に染み付いた汗などから抽出した、それぞれの武将のDNAです。」
言葉を失う二匹。少しして、黒田はセピア色の眼差しで、言葉を淡々と連ねる。
「……そうか。まぁ、兜を修復する力があると気がついた時から、何となく兜と関係があることはわかっていたがの……。」
行也の目には、黒田がこの真実をわりと冷静に受け止められているように見えた。光紀から聞いた明智の態度と似ているからだ。
一瞬安堵した行也だが……黒田の目が揺れているのにはっとした。
「でも……本当に得体のしれない体じゃな! 兜みたいに変形しちゃったら困るのぅ! ハハハ!」
ちょっと上ずった声でぎこちなく笑い出す黒田。一方、島津は手にしていたチラシを落とし、真夜中の眼差しで低く呟いた。
「生まれ変わりではなく……死んだ島津義弘殿に色々なものを混ぜてコピーされた存在なら……拙者達の記憶は……DNAに染み付いた記憶なのでござるか…………それとも……」
「本物です!」
行也は身を乗り出し、錘が縫い止められたように項垂れた二匹の肩をガシッと掴んだ。
「今まで話してくれたこと全部! 本物だって信じています! 俺にとっての黒田官兵衛も島津義弘も、黒田先生と島津師匠だけです!」
二匹は、悲しみの重力に引っ張られたが如く苦しげに下がる行也の眉と目を見て、目を潤ませて頷いた。




