始まりの惨劇⑤
地面に転がっていた化け物がゆっくりと首をもたげた。
首を傾げるような仕草だった。
「おまえは、なんで、生きている?」
「!?」
抑揚のない声からは感情は読めない。
眉一つ動かさず首を揺らす。
振り子のように揺れる首はあらぬ方向に曲がっている。
男は首を揺らしたまま、下半身だけを使って奇妙に立ち上がった。
見た目は同じ人間なのに、ぎこちない動作は人間のそれではなかった。
「おまえは、のどぶえを、喰い切ったはずだが、おまえは、なんで、生きているんだ?」
知らねえよ、天魔は呟く。
喋るなんて思ってもみなかった。
急に鼓動が早くなる。
これは、さっきまでの化け物達とは違うのか。
知能がある。
人間のように考えて、話す。
それだけでも厄介なのに、先ほどの蹴り。
確実に急所に入った。
人間か、それと同等の耐久性の生き物なら、まず首の骨が折れている。
それが、あれだけの蹴りを受けて首を明後日の方向に捻っていても、この化け物は大したダメージを負っているようには見えない。
冷や汗が背中を伝った。
天魔は右の拳を握り直す。
左手には短剣。
右の前拳と蹴り、それでこの化け物にどれだけダメージを与えられるか。
消耗戦は避けたい。
相手がどんな生物か解らないのでは、一瞬の隙を決定打にするしかない。
左手には、加藤の短剣を握っていた。
これで喉を裂く。
作り物のゾンビ映画でしか見たことがないが、化け物の急所と言えば首だ。
さっき加藤がしていたように、首を狙って、首と胴体を切り離すこと。
それくらいしか思い付かない。
睫を伝って汗が右目に入る。
僅かに滲みて目を瞑った瞬間、白い男はぐにゃりと腕を伸ばして掴み掛かってきた。
「あっぶね.....!」
また喉元を狙ったのか、半身回転して避けた天魔は下がった反動を利用して男の顔面に思い切り拳を叩き込む。
男の足元が僅かによろめいた隙を狙って足払いをかける。
そのまま男の体を地面に沈め、首元に短刀を突き付ける。
が、大きく首を振るった男に、短刀はじゃりっと地面に突き刺さった。
短刀を抜こうと気を取られた一瞬で、腹を思い切り蹴り込まれる。
「いっで・・・・!」
後ろに吹っ飛んだ。
茂みのなかに背中から突っ込む。
肩甲骨の方を強か打って転がった。
折れてはいないが、直ぐには立ち上がれない。
「くっそ・・・・・!」
視線だけは残して、兎に角体を捻って右へ転がる。
そのすぐ横を化け物の拳が掠めた。
間一髪で避けて、そのまま横へ転がり続ける。
と、捩って半身を起こしたところで右肩に激痛が走った。
ゴキリと嫌な感覚がして、肩が後ろにずれた。
「ぃ゛っ・・・あぁ!」
起き上がろうとしたところを踏みつけられた。
振り払おうともがくけれど腕に力が入らない。
腕が抜けたと解った。
千切れてはいないが、まるで棒切れのように役に立たない。腕が持ち上がらない。
「は、な、せ、よなあぁぁぁ!」
咆哮して大きく左腕を振るう。
「邪魔すんなくそがあ!」
じたばたと足掻く。
踏まれた肩が縫い止められたように体が動かない。
無表情に見下ろす化け物がぐいっと顔を下ろした。
まだ、と思った。
目を剥いた化け物の大きく開いた口が目の前まで迫ったのが見えた。
今だ。
「死んどけくそがぁ!」
左手を化け物の喉元に突き立てる。そのまま渾身の力で左に引き裂いた。
「ぅうるぁぁぁぁあ!!!!!!!!」
勢い良く吹き出す血で視界が隠れた。
一瞬喉を抑えた化け物が仰け反るのが見えた。
駄目だ。手応えで解った。浅い。致命傷じゃない!
「ぃぎぁゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!」
巨大な鳥のような声で化け物が吼えた。
不味い、そう思った瞬間だった。
ぐんっと音を立てて化け物の顔が胸元へ喰らい付く。
死ぬ!と恐怖が体を固めた。
一瞬判断が遅れる。瞬きをするよりも血塗れの顔面が胸へと襲い掛かる方が早い。
反射で身を固めた。
そのくらいしか出来ない。間に合わない、死ぬ。
「ぁがぁぁあぁぁ!?」
が、ぐしゃりと言う音と共に顎を崩したのは化け物の方だった。
眇めた目を開いた天魔の前で化け物がのたうつ。
下顎が完全に潰れて血を吹いている。
「退けくそ!!!!!!!」
思い切り蹴り込んだ。
水風船を踏み割るような感触がして、化け物が後ろへ吹っ飛ぶ。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
吹き飛んだ化け物が地面で身を捩っている。
起き上がってそのまま体制を立て直した天魔は化け物へ駆け寄る。
けりを付ける。馬乗りになろうとした時だった。
「離れぇ!」
怒号で体に制動が掛かる。
つんのめって縺れかけた足先で化け物の爪が大きく弧を描いた。
「っぶね!」
体制を崩して尻餅を付きかける。
声のお陰で何とか避けたが体制が悪い。
重心が崩れている。直ぐには立ち上がれない。
奇声を発してめちゃめちゃに振るう爪が紙一枚分で目の前にあった。
避けられない!
「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク!」
ぶんっと風を切る音がして、目の前で暴れ狂っていた化け物の腕が千切れて空へ飛んだ。
「ぎいぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!!!!」
潰れた断末魔を吐いて化け物がのたうつ。
天魔が振り返るよりも一歩早く、駆け抜けた影が激昂する化け物へと足を踏み出す。
次の瞬きで風よりも早く大きく腕を振るった。
「サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン!」
それは、化け物の首へ吸い込まれるように伸びて喰い込んだ、黒い警棒。
速さに重さを纏った強烈な一撃は、化け物の首を深々とへし折って行く。
ベキィッと尾を引くような嫌な音がして、化け物の首が胴から離れた。
千切れて転がった首は、真っ白な顔が造形も解らない程に血で汚れている。
天魔はその大きく目を見張った顔が転がっていくのをスローモーションのように見詰めた。
「.......あ。」
「大丈夫か!?山崎!」
動かなくなった化け物の体の横でへたり込んだ天魔を覗き込む顔に見覚えがあった。
「お、まえ、さっきの・・・。」
「怪我は!?生きとんのやな!?」
しゃがれた声が上擦っている。
折角の美形が、解らない程険しく歪んでいる。
「え、あ、うん・・・。生きとる・・。」
呟いた途端、ガッと頭を絞めつけられた。
それが抱き締められたんだと気付くまで暫くかかって、気付いたらぎしぎしに強張っていた体から力が抜けると同時に、ぽろぽろと涙が溢れた。
「・・・・良かった!」
「・・・・・・・・・・うん・・・・良かっ・・・。」
そこまでしか声にはならなかった。
鼻の奥がつんとして、ぎゅっと目を瞑る。
目蓋の裏には加藤の死に様がこびりついていた。
ごめん、ごめん。
「・・・たすけ・・られなかった・・・。」
涙が次から次に溢れて、目蓋を越えていく。
耳許で嗚咽が聞こえた。
その声に引っ張られるように、天魔は声をあげて泣いた。
10年前のように、子供のように。
ただ大声で泣いた。
二人、泣くことしか出来なかった。
始まりの惨劇篇はここまででお仕舞いです。
シリアスかつアクション多めで、何が正解なんだと悪戦苦闘しました。
アクションを面白く、格好良く書ける作家さんってすげえ。
間って本当に大事よな。
作中に出てきたグールと呼ばれる存在ですが、喋れる知能持ちの奴はレベルが三段階くらい違うと思ってください。
加藤が弱かったと言うよりかは、単に知能持ちが強く、かつ個体数が少ないので退魔師の中でもあまり周知されていないって話です。