退魔師達のありふれた学校生活
整和二年。京都市紫野。
鳥辺野瞬は胃が痛かった。
もう何度目の話だろう。
目の前で意気揚々と、同じ話を延々繰り返す学年主任の三笠善治郎には悟られないように、またひっそりとため息を圧し殺した。
熱血が過ぎる。
鳥辺野は三笠に対していつもそう思っている。
六十近くなっても良く笑い良く怒り、大きな声ではきはきと話すその姿はまさに教師の鏡といったところだが、三笠はとにかく人の話を聞かないのだ。
その上話が長い。
言いたいことを延々と話し続けるものだから、こっちが合いの手を入れる隙すらない。
仕方がないので、今日も出来るだけ目を細めて焦点を合わせないようにして、ぼんやりと世界を歪めて遊んでいる。
これは鳥辺野が退屈をやり過ごす方法として、ここ、今宮高校に入学して以来人知れず編み出したつまらない技だ。
決して飽きているとは悟られず、それでいて面倒を回避する為の技。
微笑みを浮かべているように見れれば尚良し。
三笠は機嫌を損ねると面倒なのだ。
「よおーしよしよし!ほなこれで、次の評議会もばっちりやなあ!お前は年の割にしっかりしとるんやから、あんな天方のろくでなしに負けとったらあかんでえ!」
三笠が太い眉を盛大にあげて笑う。
まるで仁王が高笑いしているかのようなその風貌に、鳥辺野は心底げんなりしてしまった。
期待されている、可愛がって貰っている。
それは有り難いことなのだが、如何せん期待が重すぎるのだ。
自分の実力なんて自分が一番知っている。
良く言ったところで中の上、何をやっても平均の少し上を行く人生を送ってきた鳥辺野にとって、凡人にはない特別な才能があるような言われっぷりは尻の座りが悪いのだ。
器用貧乏の自覚は大いにある。
他の教員達の視線も相まって、入学早々あまり目立ちたくないのが本心だった。
それなのに、これだ。
しかもほぼ毎日である。
何かにつけて職員室に呼ばれては、評議会までに成績をあげろ、実績をあげろとせっつかれる。その上延々と終わらない実の無い話。
なので入学以来、鳥辺野は胃薬とお友達だ。
保健室にも良く行くので校医の高山とも随分と仲良くなった。
「大体、今時の退魔師は皆腑抜けとんねん!もうちっと鍛練ってものを積まんとあかん!その点お前は、よーやっとる!」
そんなことを考えていたのはちっともばれなかったようで、気を良くした三笠はばしばしと鳥辺野の背中を叩いて解放した。
壁にかかった時計をちらりと見上げると、もうすぐ学年集会が始まる時間だ。
「三笠先生、ほんなら自分、体育館行きますねー。」
ありがとうございましたと一礼してから、満足そうな三笠に別れを告げて、早足で職員室を出る。
「鳥っちゃーん!やっと終わったんやー!記録新!なんと、職員室入ってから出るまで、三十七分!」
職員室を出てすぐの廊下で座っていた級友の猿山日之出が、大きくジャンプしてガッツポーズをとる。
「何のはなしー?」
「・・・・・いつもとおんなじや。天才天方佑省に、凡人様が勝てやって。」
猿山は猿そっくりな顔をきゅっとすぼませて目を丸くした。
「えぇー。無理やーん!天方って広島のやろー?あれ人間ちゃうでー、化け物やろー!」
鳥辺野の顔の前で大きく手を振る猿山に、こちらも大きく頷く。
三笠は、その化け物相手に、互角に戦えどころか勝てと仰る。
「・・・・・無理やわ。」
胃が痛い。
二人体育館へ向かいながら、どちらともなく足を早める。
走るわけには行かないが、そろそろ急がないと皆が集まり終わった体育館に、こそ泥よろしく忍び足で入っていく憂き目にあう。
鳥辺野が本日何度目かのため息を盛大に吐く横で、猿山はきゃらきゃらと笑った。
「まあ祓戸のエースは鳥っちゃんやから、どら焼き先生も期待してんのやろー。うっし、俺も頑張って二年の先輩らには勝ってみせるわー!ファイトーおー!」
「誰がエースやねん。猿は単純でええなあ・・・・。」
心底純粋に出た言葉である。
自分には全くそのようには思えない。
鍛練を怠っているとは思わないし、自分の本性が不真面目であるとは思わないが、この場合、そういった事は関係ないのだ。
この祓戸において、ひいては対魔の世界においては、ただ生まれ持った才能こそが全てである。
そして自分は他に比べて大した才は持って生まれなかった。
鳥辺野はそう自覚している。
妬みや僻みは好きではないが、口調は自然とぼやきが混じる。
「広島の天方兄妹に、東京の剣持に、大阪の破魔に、福岡の白、四国の藤岡、富山の神保に青森の土嶺か・・・・・。」
「あっはは!ほんま俺らの世代、化け物ばっかりやんー!」
同世代だけでも、全国にはこれだけの才あると鳴らす者がいるのだ。
その上、ここは京都だ。
数多ある寺社が護ってきた退魔の血は現代にも受け継がれ、更には平安の時代より脈々と受け継がれてきた陰陽道、その、本場でもある。
全国で尤も退魔師の多い府県、それが京都だ。
必然として退魔師のレベルも高く、府内だけでも全国的に通用する者は多数いる。
「冗談や無いわ、ほんま。京都かて自分より上がなんぼでもおんのに。」
「ほんでも九条んところのボンボンは広島に編入したまんまなんやろー?ほしたら、やっぱり祓戸のエースは鳥っちゃんやん!だって、鳥っちゃんかてめっちゃ古い寺の子やん!」
「古い寺なんか京都にはなんぼでもあるわ。うちは別に退魔師の血筋ちゃうし・・・・。たまたまうちの寺には御神体があって、たまたまその寺の子供の自分が霊力を持って生まれたってだけの事で。由緒ある血筋言うんやったら、それこそ九条やら倉橋やら今井やら、あのレベルやろ。うちなんか一緒に並べられたら恥かくわ。」
ここ京都には、遡れば平安の昔から退魔の道を歩んできた家柄や一門、その末裔がごろごろと残っている。
その昔、明治の神仏分離令を境に、全国的に見れば退魔という生業は一気に衰退の一途を辿り、それだけではなく、呪い、卜い、魔除けの風習までもが加速度的に絶滅して行った。
鰯の頭も信心からと言うが、それでも魔除けは魔除けであり、民間からそれらすら失われるということは、退魔の伝統も全て失われる事と等しい。
が、しかし、ここ京都だけは、じり貧ではあるが呪術が、退魔の術がまだ活きている。
それは、現代にも名を残すような、古の退魔師の末裔達の功績に他ならない。
そういう意味でも、勿論実力の上でも、格が違うとしか言い様のないお家柄というのは存在するのだ。
例えば、日本における退魔の筆頭である九条家。
陰陽道の達人と誉れ高い、かの有名な安倍晴明を開祖に持つ安倍家の流れを組み、陰陽道宗家である土御門家の分家にあたる倉橋家。
木曽義仲に仕えた武将、今井兼平を祖に持ち、女武者と呼ばれた巴御前を輩出した武勇の誉れ高い今井家。
この三つの家には鳥辺野や猿山と同じ年頃の嫡子がおり、九条清鷹、倉橋泰鳳、今井怜央菜と言えば京都中の退魔師の中でも一目置かれる存在である。
家柄は勿論、その才能も同世代の中では抜きん出たものがある。
「そういえば、今井さんとこの跡取りってうちの夜間に通ってるってほんまー?何で全日制にせんとわざわざ夜間なんやろ?」
猿山は後ろ向きでスキップするという器用な事をしながら尋ねる。
転ぶなよ、と一応釘を指しておいて鳥辺野は答えた。
「うちより偏差値の高い高校に通うためらしいで。」
「えー!うちかて京都ん中やったら結構頭ええ方やで!?」
案の定猿山はつんのめりかけた。
自分で言うのも何だが、今宮高校といえば京都の公立高校の中では偏差値上位五番目までに入る、そこそこの進学校である。
鳥辺野も中学時代には結構勉強したし、今宮高校を第一志望に目指して受験する学生も大勢いる。
事実、祓戸がある為に今宮高校を受験しようと決めた鳥辺野や猿山のような学生にとっては、今宮高校の偏差値の高さは割りと大きな壁になっていた。
そのため、志望校判定テストでどうしても偏差値が足りないという学生は、全日制の受験は諦めて、どこか他の高校なりに通いながら今宮高校の夜間単位制を利用するという手を使うことになる。
今宮高校夜間部単位制コースというのは、簡単にいえば、祓戸の為だけのコースである。
正式名称を日本霊術学院京都校という、対「異種」に特化した人間育成の為の機関で、年齢に関係なく志しさえあれば誰でも入学することが出来る、どちらかというと単位制の専門学校のようなシステムになっている。
民間に知られている訳ではないが、その実今宮高校の主体は日本霊術学院の方であり、そこにくっつくような形で全日制の昼間部が高校の体をとったのは戦後のことだ。
なので、一般京都府民にとっては今宮高校は新しく出来た公立高校、という認識になっている。
実際に祓戸なんてものを知らない大多数の学生からすれば、今宮高校は普通の公立高校であり、夜間部単位制コースなんてものを夕方からやっているんだな、といった程度の感覚である。
それにしても、退魔の道を進む学生からすれば今宮高校は唯一の高校でしかも進学校なので、偏差値が全く届かないというなら仕方ないが、そうじゃなければあえて夜間部に入るというのもおかしな話だ。
猿山が驚くのも無理はない。
鳥辺野も初めて三笠から聞いたときには驚いた。
「今井家嫡子の一人娘は、京都一の進学校に通ってるらしいで。」
「はあ!?」
神は二物も三物も与えたようである。
聞けば多分、全国的にも誰もが知っているであろう京都で最難関とされる私立高校、今井怜央菜が通っているのはそこである。
つまり、今宮高校の偏差値では満足できなかった為、あえて夜間部単位制コースを利用することにした、ということだそうだ。
贅沢な話ではある、が、鳥辺野からすればご苦労な事だ。
鳥辺野ならば、そんなに賢ければきっと退魔師の道には進んでいない。
昼間は普通の高校、夜は夜間の学校の二足のわらじをはくなんて、由緒あるお家柄に生まれつくというのも結構な災難やなあというのが本音だった。
猿山も同じようなことを考えていたのか、
「賢い人間の考えはることはようわからんわ。」
と何やら拝んでいる。
有難い生き仏さんを二人で拝み終えたところで、体育館の扉に着いた。
重い鉄の扉はもうぴっちりと閉まっており、中からは何やら先生達の話が遠く聞こえてくる。
ああ、やってもうた。
鳥辺野はまたため息をつきながら、暗澹たる気持ちで、いつもより重い扉を出来るだけゆっくりゆっくりと開けたのだった。
地元で負け知らず......って、心踊るフレーズよなって、話。




