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ACT 3:好奇心

「人間は、世界にはたった一つの空しか存在しないと、いつも信じている。」


「だが……」


「空とは、彼らが見ることのできる限界にすぎない。」


「その向こうには、人間の足では決して踏み入れることのできない、別の空間が広がっている。」


「石や大地、あるいは星から生まれたものではない場所。」


「それは、自らの方法で生きることを選んだ法則によって生まれた。」


「人々はそれを……」


「……次元と呼んだ。」


「それぞれの次元には、それぞれの時間がある。」


「それぞれの空間がある。」


「それぞれの生命があり……」


「……そして、それぞれの秘密がある。」


「文明を生み出す次元もある。」


「ただ虚無だけを残す次元もある。」


「そして……」


「……まだ存在を認められていない者の存在を拒絶する次元もある。」


「宇宙が初めて目を開いたその瞬間から、いったいいくつの次元が生まれたのか。」


「それを本当に知る者は、誰一人としていない。」


「なぜなら、一つの謎が解き明かされるたびに……」


「その奥には、必ず別の謎が待っているからだ。」


「それが宇宙というものだ。」


「宇宙は、決して何かを隠すことをやめない。」


「そして、この物語は……」


「……無数に存在する扉の一つを、今まさに開こうとしていた。」


【石炭紀|283年|7月15日|08:00】


ブライトホーン研究学院は、再び慌ただしい空気に包まれていた。


本塔に吊るされた巨大な時計が、ゆっくりと動く。


チーン……


チーン……


チーン……


机上のランプだけが照らす一室。


そこに、一人の眼鏡をかけた少女が一人で座っていた。


ペン先は、積み重ねられた書類の上を絶え間なく走っている。


静まり返った部屋には、インクが紙を擦る音だけが響いていた。


やがて……


一時間目の始業ベルが鳴る。


ディン……ドン……


最初の授業が始まった。


少女の手が書くのを止める。


ゆっくりと……


どこか不自然なほど大きな笑みが、その唇に浮かんだ。


しかし、それはほんの一瞬だった。


笑みは再び消える。


表情は、いつもの無表情へ戻った。


彼女は立ち上がる。


長いコートを整える。


数冊の本を手に取る。


そして、研究室を出ていった。


扉が開く。


数歩進んだところで……


「おはよう、レイヴン!」


清掃員の一人が手を振った。


「授業、頑張ってくださいね、レイヴン!」


「あとで研究室にも寄ってくださいね、レイヴン!」


「レイヴン教授!」


「おはようございます!」


「あっ、レイヴンが通った!」


「おはよう、レイヴン!」


あらゆる方向から声が飛んでくる。


学生。


教授。


研究員。


警備員。


そして、事務職員。


まるで建物中の全員が彼女を知っているかのようだった。


少女は薄い笑みだけを返す。


「おはよう。」


「頑張って。」


彼女の足取りは変わらない。


長い廊下を進み続け、やがて一つの教室の前で立ち止まった。


扉を開ける。


数十人の学生が一斉に立ち上がった。


「おはようございます、レイヴン教授!」


「おはよう。」


返事は短い。


「座って。」


学生たちは再び席に着いた。


彼女は本を机の上に置く。


「科学の教科書を開いて。」


「第十二章。」


紙をめくる音が一斉に教室を満たした。


「技術を理解する前に……」


「君たちは宇宙の基本法則を理解しなければならない。」


「なぜなら、技術とは……」


「……常に理解から生まれるものだからだ。」


教室の外……


一人の男が壁にもたれかかっていた。


手には数枚の書類。


彼は小さく笑う。


「昔と変わらないな……」


「……リオン。」


彼が扉をノックするより先に……


ドンッ!


突然、一発の弾丸が教室の扉を貫いた。


弾丸は、彼の顔のすぐ横を通り過ぎる。


ドガァン!


背後の壁に穴が開いた。


男はその場で凍りつく。


「……」


弾丸は外れた。


ありえないほど僅かな距離で。


教室の空気が一瞬にして静まり返る。


室内から、一人の少女の声が聞こえた。


落ち着いている。


そして、笑っている。


「教授。」


「盗み聞きするくらいなら……」


「入ってきたほうがいいですよ。」


扉がゆっくりと開く。


男は長いため息をついた。


「なかなかだな。」


「危うく休暇を申請するところだった。」


彼は教室へ入る。


数十人の学生が一斉に振り向いた。


教室の前には……


眼鏡をかけた少女が、何事もなかったかのように立っていた。


その大きな笑みが、ゆっくりと浮かび上がる。


右手には……


未だに一丁の拳銃が握られていた。


銃口からは、細い煙が立ち上っている。


コローラは小さく笑った。


「人の気配を読む能力……」


「……ますます恐ろしくなったな、リオン。」


少女は拳銃を軽く回してから、再びしまった。


笑みは消えない。


「言ったでしょう。」


「私の教室の外に、そんなに長く立っていないでください。」


「コローラ教授。」


コローラは学生たちを見る。


「分かった。」


「そのまま読んでいてくれ。」


そして教室の前にいる眼鏡の少女へ視線を戻す。


「リオン。」


「少し付き合ってくれるか?」


リオンは教室を見る。


そして、ゆっくりとうなずいた。


「みんな。」


「最後のページまで読んでいて。」


「逃げようとするなよ。」


数人の学生が一斉に答えた。


「はい、レイヴン教授!」


リオンとコローラは教室を出た。


扉がゆっくりと閉じる。


廊下は再び静まり返った。


コローラは、周囲に誰もいないことを確認してから立ち止まった。


いつもの穏やかな表情が、少しだけ真剣になる。


「任務だ。」


リオンが眉を上げる。


「任務?」


コローラはうなずいた。


「管理者からの直接命令だ。」


リオンが驚いた表情を浮かべる。


「管理者ヤリスから?」


「ああ。」


「かなり長い任務になる。」


「そして、おそらく……」


「……今日は戻ってこられない。」


リオンは首を傾げた。


「いったいどんな任務?」


コローラは薄いファイルを開いた。


中には、奇妙な形をした物体の写真が何枚か入っていた。


一部は技術装置のように見える。


しかし、別のものは……


説明することすら難しい。


「報告が入った。」


「本来なら決して流通してはいけない物品が……」


「……闇市場に出回っている。」


「誰が売っているのかを調べたい。」


「そして……」


「どこから来たのかもな。」


リオンの動きが数秒止まった。


その視線が変わる。


「……」


コローラはそれに気づいた。


「どうした?」


リオンはすぐに首を横に振る。


「何でもない。」


「何もないよ。」


しかし、その手は無意識に強く握り締められていた。


コローラはしばらく彼女を見つめた。


それ以上は聞かなかった。


「ふむ。」


「それなら……」


彼は小さな金属製の箱を差し出した。


「これは君に。」


リオンは受け取る。


「中身は?」


コローラは薄く笑った。


「できれば開ける必要がないことを願う。」


「保険だと思ってくれ。」


リオンは箱をくるくると回す。


「今開けたら?」


コローラは即答した。


「やめろ。」


声はとても穏やかだった。


しかし、リオンはその言葉だけで開けるのをやめた。


箱を鞄に入れる。


「それで……」


「私の授業は?」


コローラは自分を指差す。


「心配するな。」


「今日は俺が代わりにやる。」


リオンは小さく笑った。


「学生たち、驚くでしょうね。」


「もう慣れてるさ。」


コローラは肩をすくめる。


そして、ブライトホーンの次元の空を遠く見つめた。


数秒が過ぎる。


振り返ることなく、彼は静かに言った。


「リオン。」


「それとも……」


「……レイヴン。」


リオンも同じ方向を見る。


「何?」


コローラは薄く笑った。


「昔、ある人が俺に言った。」


「『好奇心こそ、文明が進歩し続ける理由だ』と。」


彼は一度言葉を止める。


「そして、その同じ人がこうも言った。」


「『好奇心こそ、多くの人間が死ぬ理由だ』と。」


リオンは眉をひそめる。


「意味が分からない。」


コローラは小さく笑った。


「俺にも分からない。」


「それに……」


「その忠告が……」


「……君にも当てはまるのか、俺には分からない。」


リオンはさらに困惑する。


「え?」


コローラは手を振った。


「忘れてくれ。」


「大事なのは……」


「好奇心を持ち続けることだ。」


「ただし……」


「すべての答えが、見つける価値のあるものだと思わないことだ。」


再び静寂が降りる。


なぜだろう……


その単純な言葉は、本来あるべき以上に重く感じられた。


廊下の端では、二人の人物が待っていた。


86が元気よく手を振る。


「リオン!」


「早く!」


「遅れるぞ!」


その隣では、スープラが両手をポケットに入れたまま静かに立っていた。


「長い旅になる。」


リオンはゆっくりとうなずく。


「分かった。」


彼女はコローラを離れ……


ブライトホーンの次元の端へ向かって歩き出した。


その一方で……


コローラはその場に立ち続けていた。


彼の視線は、リオンの姿が光の門の向こうへ消えるまで追い続けた。


そして、小さく息を吐く。


「……願わくば。」


「……今度こそ運命が、違う答えを選んでくれますように。」


しかし……


最後の言葉を聞いた者は、誰一人としていなかった。


ブライトホーンの次元の端……


限りなく白い空間が広がっている。


彼らの前には、古代文字の刻まれた巨大な石の円が一つだけあった。


86が小さく拍手する。


「よし!」


「次元を出る前の第一講義だ。」


スープラが円の中央へ歩く。


そしてリオンを見る。


「ブライトホーンに出入りする者は誰であれ……」


「自分にとって、本当に大切な物を一つ持っていなければならない。」


「その物が、自分とこの次元を繋ぐ錨になる。」


「それがなければ……」


「……戻ってくることはできない。」


リオンはゆっくりとうなずく。


「それで?」


スープラはポケットから古い金属製のコンパスを取り出した。


「これが俺のものだ。」


86も銀色の機械式ブレスレットを掲げる。


「これは俺の!」


リオンは鞄を開く。


そして、一冊の本と共に一本のペンを取り出した。


長い年月を感じさせる傷が刻まれたペン。


母親の形見だった。


86がちらりと見る。


「へえ……」


「ずいぶんシンプルだな。」


スープラが薄く笑う。


「錨の価値は……」


「……その形で決まるものではない。」


「それに込められた絆によって決まる。」


リオンはペンを強く握る。


「分かった。」


スープラはうなずく。


「では、覚えた呪文を唱えろ。」


86とスープラは、ゆっくりと呪文を唱え始めた。


空中の文字が光り始める。


小さな亀裂が生まれる。


しかし、その裂け目は非常にゆっくりとしか開かなかった。


リオンはしばらくそれを見つめる。


「……」


なぜだろう……


自分には同じことをする必要がない気がした。


一言も発することなく……


彼女はペンを持ち上げる。


そして、その先端を空中に走らせた。


ザァッ……


まるで空間そのものに文字を書いているかのように。


次の瞬間……


次元全体が震えた。


ゴゴゴゴゴゴゴ……!!


白い亀裂が空間を真っ二つに切り裂く。


次第に……


どんどん大きくなっていく。


やがて、高くそびえ立つ巨大な門へと変わった。


次元の風が激しく吹き荒れる。


86は数歩後退した。


「……はぁ?!」


普段は冷静なスープラさえも、目を見開いた。


「ありえない……」


周囲の門番たちが一斉に振り返る。


「あれは誰だ?」


「なんて大きさの門だ?」


「高位の呪文を唱えたのか?」


スープラはゆっくりと首を横に振った。


「……違う。」


「彼女は……」


「……呪文を一つも唱えていない。」


その場を静寂が包み込む。


86はリオンの手にあるペンを見る。


「すごい……」


「その物は……」


「……もう君と、とても強い絆を結んでいるんだ。」


スープラがゆっくりとうなずく。


「二人の関係は……」


「……もう、単なる所有者と物の関係じゃない。」


「まるで二人の親友が……」


「……互いの存在を覚えているようだ。」


リオンは数秒間、そのペンを見つめる。


小さな笑みが浮かぶ。


「そうなんだ……」


「父さん……」


「母さん……」


「ありがとう。」


86が開き続ける門を指差す。


「行こう!」


「閉じる前に!」


三人は門の中へ足を踏み入れる。


白い光が三人の身体を包む。


次の瞬間……


彼らは古い図書館の中央に現れた扉から出てきた。


次元の扉はゆっくりと閉じる。


そして、跡形もなく消えた。


リオンは大きく息を吸う。


空気。


本の匂い。


人間の足音。


彼女は窓の外を見る。


長い年月を経て……


初めて、現実の世界を再び目にした。


「……つまり。」


「これがブライトホーンの外の世界。」


笑みがゆっくりと広がる。


「なんだか……」


「……また戻ってこられて、嬉しいな。」


次元の扉は跡形もなく消えた。


リオンは後ろを振り返る。


「……消えた。」


何度か瞬きをする。


「さっきまであったのに。」


86は両手をポケットに入れる。


「説明されるのが嫌いな世界へ、ようこそ。」


三人は外へ歩き出した。


長い廊下を抜けると……


広大な景色が目の前に広がった。


高い天井。


巨大生物の化石。


数階分の高さまでそびえる円柱型水槽。


古代文明の彫像。


来館者たちが展示を楽しみながら行き交っている。


リオンは完全に釘付けになった。


「え……」


「これ……」


「アース市立博物館?!」


スープラはうなずく。


「そうだ。」


リオンは後ろを指差す。


「じゃあ……」


「ブライトホーンは、この博物館の図書館に繋がってるの?」


「ああ。」


「昔ここに来たことがある……」


「普通の図書館だと思ってた。」


86は笑う。


「だから簡単に結論を出すなって。」


「この世界では……」


「時々、扉はただの扉だ。」


「でも時には……」


「……帰り道になる。」


三人は大通りへ出た。


未来的な車両が空を行き交っている。


空中に浮かぶレールの上を列車が走る。


荷物を運ぶドローンが飛び交う。


巨大なホログラム広告が建物の側面を埋め尽くしている。


リオンは四方八方を見回し続ける。


「もし私がこの街に住んだら……」


「……毎日電柱にぶつかりそう。」


86が即答する。


「引っ越さなくていい。」


「ブライトホーンでもよくぶつかってるだろ。」


「えっ!」


スープラがリオンを見る。


「この世界は……」


「完全に論理で動いているわけではない。」


「いくつかのものは……」


「……意図的に狂ったまま放置されている。」


86がうなずく。


「だから……」


「変な組織を見かけても……」


「関わるな。」


「俺たちには関係ない。」


少し間を置いて……


「ただし……」


「……気になったなら別だ。」


リオンがすぐに振り向く。


「え?」


86は満面の笑みを浮かべる。


「知りたいだけなら……」


「……話は別だ。」


スープラはすぐにため息をついた。


「それが、お前がよく問題に巻き込まれる理由だ。」


86は笑った。


「好奇心は無料だからな。」


スープラは淡々と返す。


「代償は高い。」


しばらくして、三人は小さな屋台で足を止めた。


焼きたてのパンとコーヒーの香りが空気を満たしている。


86はすぐに座った。


「腹減った。」


リオンはパンを一口かじる。


「ちょっと考えてる。」


声を落とす。


「ところで……」


「お前たちは、どうやってこんな世界を知ったの?」


スープラは首を横に振る。


「俺は知らない。」


「両親も説明してくれなかった。」


「ただ……」


「『まだその時ではない』とだけ言われた。」


86は肩をすくめる。


「俺の家族も同じ。」


「知らなくていいって言われるほど……」


「もっと知りたくなる。」


リオンはゆっくりとうなずく。


「つまり……」


「お前たちも答えを探してるの?」


「ああ。」


86が笑う。


「好奇心を持つのは悪くない。」


スープラはコーヒーを一口飲む。


「その答えを受け入れる覚悟があるならな。」


朝食を終えると……


三人は自動タクシーを呼んだ。


車は運転手なしで停止する。


「ドアが開きます。」


柔らかなAIの声が響く。


「ようこそ。」


86はすぐに後部座席へ寝転がる。


「おお。」


「柔らかい。」


リオンはダッシュボードを見る。


「ハンドルがない?」


スープラが平然と答える。


「運転手がいないからな。」


リオンはフロントガラスへ顔を近づける。


「えっ……」


「じゃあ、車が機嫌悪くなったらどうするの?」


86が即答する。


「先にソフトウェアをアップデートする。」


リオンは笑う。


「それ、スマホじゃん。」


車が走り始める。


窓の外では……


アース市の姿が次々と変わっていく。


雲を突き抜けるガラス張りの高層ビルが並ぶビジネス街。


その次には、光る木々で埋め尽くされた公園地区。


さらに、さまざまな惑星の料理を扱う屋台が並ぶ商業地区。


時折、頭上を列車が走り抜ける。


時折、警察ドローンが巡回している。


リオンは窓に顔を貼り付けたままだった。


「うわ……」


「この街、終わりがないの?」


86が看板を指差す。


「それ、泣けるほど美味い米が食えるって噂のレストランだ。」


リオンは目を見開く。


「辛いの?」


「いや。」


「値段が。」


リオンは黙った。


「……」


「危うく笑うところだった。」


スープラが突然口を挟む。


「俺も一つ、冗談を言おう。」


86が振り向く。


「うわ。」


「覚悟しろ。」


スープラは小さく咳払いする。


「なぜ本はいつも落ち着いていると思う?」


リオンは首を横に振る。


「なぜ?」


「それは……」


「……すべての問題を閉じてしまったからだ。」


車内が完全に静まり返る。


車はそのまま走り続ける。


AIタクシーまで口を挟んだ。


「目的地まで、あと十二分です。」


86は窓の外へ顔を向ける。


「……」


「無理。」


スープラは無表情のままだった。


「俺のユーモアは高度すぎる。」


リオンは腹を抱えて笑い始める。


「ハハハハハ!」


「面白い!」


86は信じられないものを見るようにリオンを見た。


「マジで?」


リオンはまだ笑っている。


「なんでだろう……」


「おじさんみたいなジョーク、私にはめちゃくちゃ刺さる。」


スープラは薄く笑った。


「少なくとも……」


「一人の観客はいるようだ。」


タクシーは次の目的地へ向かって走り続ける。


その長い旅路を、車内に響くリオンの笑い声が少しだけ軽くしていた。


太陽がアース市の空の真上に昇った頃、三人を乗せたタクシーは錆びついた古い建物の前で止まった。


苔に覆われ始めた鉄門の上には、短い文字だけが記されている。


SITE 6 - ACE


リオンは眉を上げた。


「ここが目的地?」


スープラはゆっくりとうなずく。


「ああ。」


86は入口を指差しながら付け加えた。


「見た目に騙されるな。」


「危険なのは建物じゃない。」


「それは……」


「……中にいる連中だ。」


三人は階段を下り、長い間一般人の立ち入りが禁止されていた地下鉄駅へ向かった。


下へ進むほど……


空気は重くなる。


照明が薄暗く点滅する。


壁には落書きがびっしりと残っている。


かつての線路は、非常に広大な闇市場の通路へと変わっていた。


値段交渉の声。


怒鳴り声。


泣き声。


笑い声。


すべてが混ざり合っている。


リオンは周囲を見回す。


「人、多いね……」


スープラが小声で言う。


「話しすぎるな。」


「俺たちは観察するだけだ。」


「目立つな。」


リオンはうなずく。


86も小声で言った。


「もし誰かが喧嘩を売ってきたら……」


「笑え。」


「そのまま歩け。」


五歩も進まないうちに……


酔っぱらった男が三人の前を塞いだ。


「おい……」


「お前ら……」


「一杯どうだ……」


男が86を抱き寄せようとする。


86はすぐに避けた。


「すみません、お兄さん。」


「俺、酒アレルギーなんで。」


男は瞬きをする。


「……本気か?」


「ああ。」


「飲むと……」


「真面目になっちゃうんだ。」


酔っぱらいはすぐに後退した。


「うわ。」


「それは病気だ。」


三人は急いでその場を離れた。


少し進むと……


別の男が座り込みながら泣いていた。


「俺の人生は終わった……」


「くじに負けた……」


「冷蔵庫を売った……」


「そしたら家までなくなった……」


リオンが立ち止まる。


「……かわいそう。」


スープラは彼女の腕を引いた。


「やめろ。」


「立ち止まったら……」


「次はお前が相談に乗ることになる。」


三人は再び歩き出す。


数メートル進むと……


一人の商人が突然、何本もの腕時計を差し出してきた。


「兄ちゃん!」


「安い!」


「本物!」


「保証も……」


「……俺を信じてくれ。」


リオンは首を横に振る。


「いらないです。」


商人はすぐに商品を変えた。


「じゃあナイフ?」


「いらない。」


「手榴弾?」


「それもいらない。」


「サンダル?」


リオンは瞬きをする。


「飛躍しすぎじゃない……?」


86が小さく笑う。


その一方で……


一人のスリが、ゆっくりとスープラの鞄へ手を伸ばしていた。


触れる寸前……


スープラが振り返る。


「もう終わったか?」


スリはすぐに手を引っ込めた。


「……すみません。」


「反射的に。」


三人はようやく人混みを抜けた。


通路の端に……


一つの小さな露店があった。


三人の目を引いたのは、その店だった。


ガラスケースの上……


あり得ない形をした奇妙な物体が置かれていた。


その周囲の空間が、わずかに歪んでいるように見える。


リオンが近づく。


「すみません。」


「この物の値段は?」


カウンターの奥にいるローブ姿の人物が、平然と答える。


「一千九百万エース。」


「……」


リオン。


スープラ。


二人は同時に固まった。


「一千九百万!?」


店主はうなずいた。


「定価だ。」


スープラは冷静さを保とうとする。


「安くならないか?」


「ならない。」


「少しだけでも?」


「ならない。」


「学生割引は?」


「ない。」


店主は腕を組む。


「値段は変わらない。」


「買えないなら……」


「そこをどけ。」


「もっと金を持っている客がいくらでもいる。」


リオンはため息をついた。


「口まで辛口だね……。」


やがて、何人かの裕福そうな服装をした客が集まり始めた。


「二千万出す。」


「二千五百万。」


「三千万。」


「最高額を出した者が持って帰る。」


店主はローブの奥で大きく笑った。


「そうこなくちゃ。」


「ようやく面白くなってきた。」


86が不安そうになる。


「誰かに買われたら……」


「どうする?」


スープラは鞄を強く握った。


「失敗だ。」


しかし……


リオンは二人を見る。


ゆっくりと……


小声で言った。


「……逃げよう。」


86は眉をひそめる。


「は?」


スープラはすぐに理解した。


目が少し大きくなる。


「……分かった。」


リオンが小さく合図する。


「三……」


「二……」


「一。」


三人は一斉に振り返った。


「走れ!」


86はまだ理解していない。


「待て!」


「何から逃げるんだよ?!」


しかし、それでも走り出した。


背後では……


競売がさらに激しくなっていた。


「三千五百万!」


「四千万!」


「四千五百万!」


店主が両手を上げる。


「おめでとう!」


「この商品は正式に落札された!」


群衆が歓声を上げる。


最高額を出した買い手が満足そうに笑う。


店主が箱を渡す。


箱が開かれる。


その中に入っていたのは……


丁寧に装飾された……


ただの石だった。


「……」


「なんだ、これ?」


群衆が一斉に固まる。


店主は小さく笑った。


「お前たちは遅かった。」


彼はリオンたちが消えていった通路を指差す。


「本物は……」


「……さっきの三人が持っていった。」


「欲しいなら……」


「まず、あいつらを捕まえることだ。」


瞬間、場が騒然となった。


「何だと?!」


「追え!!」


数十人が一斉に走り出した。


その一方で……


ローブ姿の店主は薄く笑った。


「……面白い。」


そして振り返る。


まるで最初からそこにいなかったかのように……


彼は闇市場の人混みへ消えていった。


「走れ!!」


リオンが先頭を走る。


86とスープラがすぐ後ろを追う。


背後から……


数十人の怒鳴り声が響く。


「追え!」


「商品はあいつらが持っている!」


「逃がすな!!」


ドクッ! ドクッ! ドクッ! ドクッ!


足音が闇市場の通路全体に響き渡る。


86が後ろを見る。


「うわ!」


「多すぎる!」


スープラは冷静なままだった。


「慌てるな。」


「走り続けろ。」


突然……


ドガン!!


大柄な男が三人の目の前に着地し、鉄パイプを振り回した。


「止まれ!」


「ここは通さない!」


「じゃあ……」


リオンは横の露店からプラスチック椅子を取った。


ヒュッ!!


バキィ!!


椅子が男の頭で砕けた。


「……」


男はまだ立っている。


リオンは瞬きをした。


「頭、コンクリート?」


男は数秒後……


ドサッ!!


倒れた。


「ラグ……」


「ラグってから倒れた……」


三人は再び走り出した。



---


「いたぞ!!」


右側から……


五人が網を持って飛びかかってくる。


シュバッ!!


「捕まえろ!!」


リオンはすぐに伏せた。


網は、別の三人の追手を捕らえた。


「おい!」


「俺たち仲間だぞ!」


「人違いだ!」


86は笑った。


「スキル不足だな。」



---


息をつく暇もなく……


一人の老婆が突然立ちはだかった。


「若いの!」


「薬でも買わんかい!」


リオンは反射的に答える。


「いりません、おばあちゃん!」


「そのうち必要になる!」


「また今度!」


スープラはすぐにリオンの襟を掴む。


「走れ。」


「あ、そうだった。」



---


ドォン!!


誰かがゴミ箱を投げた。


リオンが飛び越える。


86が転がる。


スープラは一歩横へ動いただけ。


ゴミ箱は別の追手に直撃した。


バキィ!!


「痛っ!」



---


三人の男が棍棒を持って道を塞ぐ。


「商品を渡せ!」


86は笑った。


「いいぞ。」


彼は財布を投げた。


三人が一斉に飛びつく。


「財布!」


「俺のだ!」


その隙に……


リオン、86、スープラはすでに通り過ぎていた。


数秒後……


「え……」


「空っぽ。」


「……」


「騙された!!」



---


ドン!


誰かが三人へ向けて発砲した。


弾丸が広告板に当たる。


キン!


キン!


キン!


そして……


その弾丸は射手自身の頭に当たった。


ゴン!


「……」


「痛っ。」


その場で倒れた。


リオンがちらりと見る。


「物理法則がふざけてる。」



---


次の通路は、さらに狭かった。


突然……


四人が上から飛び降りてくる。


「うおおおお!!」


スープラが一歩前へ出る。


ドン!


肘。


バキ!


膝。


ドカ!


肩。


ズドン!


四人がドミノのように順番に倒れた。


86は口を開けたまま固まる。


「……」


「兄さん……」


「本当に人間?」


スープラは服を整える。


「たぶん。」



---


「囲め!!」


数十人の追手が再び現れた。


リオンは果物を積んだ台車を見る。


目が輝く。


「ふふ……」


「ちょっと借りるね、おじさん。」


「おい、待て!」


リオンは台車を押した。


ゴロゴロゴロ……


ゴゴゴゴ……


台車が通路を駆け下りていく。


ドン!


バキ!


ドカ!


ズドン!


人々が次々とぶつかる。


果物が空中へ飛び散る。


「頭に当たった!」


「それドリアンだぞ!!」


「誰がスイカ投げた?!」



---


三人は再び走る。


息が荒くなってくる。


86が前を指差す。


「行き止まり!」


「え?」


リオンが急停止する。


キィィィッ!!


しかしスープラは薄く笑った。


「違う。」


彼は上を指差す。


「あそこを通る。」


リオンが見上げる。


「パイプ?」


「そう。」


「でも……」


「登れ。」


「でも私……」


言い終わる前に……


86が背中を押した。


「行け!」


「待って、うわあああ!!」


ガシッ!


リオンはパイプにぶら下がることに成功した。


後ろからずっと追ってきていたスプートニクも、軽やかに障害物を飛び越えてついてくる。


追手たちが下へ到着する。


「ん?」


「どこへ行った?!」


リオンが上から手を振る。


「バイバイ!」


「おい、降りろ!!」


「嫌!」


数十人は怒りながら上を見上げることしかできない。


三人はパイプ網の上を走り、次の通路へ向かう。


リオンの手には……


あの謎の物体が、まだ強く握られていた。


そして、なぜだろう……


時間が経つほど……


その物体は、さらに強い光を放ち始めていた。


パイプの通路は、次第に狭くなっていく。


ギィ……


ギィ……


リオンが先頭を這って進む。


後ろでは86がずっと文句を言っていた。


「誰がこんな狭い道を作ったんだよ?!」


スープラが答える。


「たぶん、人間用じゃない。」


「……」


86は黙った。


数メートル進むと……


リオンの目に、上から差し込む光が見えた。


「お。」


「出口がある。」


彼女は頭上の鉄蓋を押す。


ギギギ……


「重い……」


86も手伝う。


「いけ!」


スープラも後ろから押す。


ドォォォン!!


鉄蓋が突然、高く跳ね上がった。


そのまま……


都市公園の中央へ落下する。


バァァン!!


食事をしていたテーブルが大きく揺れた。


グラスが次々と倒れる。


「きゃあ!」


「何だ?!」


「攻撃か?!」


きちんとした服装の公園レストランの客たちが、パニックになって一斉に立ち上がる。


何人かはフォークを落とした。


飲み物を吹き出す者までいる。


穴の中央から……


ゆっくりと三つの頭が現れる。


リオン。


86。


スープラ。


三人は互いに顔を見合わせる。


「……」


リオンが気まずそうに笑う。


「えへへ……」


「失礼しました。」


86は外へ出ながら服についた埃を払う。


「近道です。」


スープラは何事もなかったかのように襟を整える。


「食事中のところ、失礼した。」


再び静寂が訪れる。


一人の子供が三人を指差した。


「ママ。」


「地面の人。」


母親はすぐに子供の目を塞ぐ。


「見ちゃダメ。」


「きっとインフルエンサーよ。」


リオンは周囲を見回す。


公園から少し離れた場所に……


一隻の河川輸送船が停泊していた。


「あれ!」


「たぶん、あそこから逃げられる!」


三人は一斉に走り出した。


タッ! タッ! タッ!


後ろでは……


地下道の蓋が再び開く音がした。


「いたぞ!!」


「追え!!」


数十人の追手が地下から現れ始める。


リオンは船へ飛び乗る。


「おじさん!」


「今すぐ出してください!」


「お金なら払います!」


舵を握っていた長いローブ姿の船員が、ゆっくりとうなずく。


「……乗れ。」


それ以上何も言わず……


船のエンジンが始動した。


ヴゥゥゥン……


ゆっくりと船が岸を離れる。


追手たちは川岸で立ち止まるしかない。


「くそっ!」


「逃げられた!」


86は船の床に倒れ込む。


「助かった……」


「……命が。」


スープラは安堵の息を吐く。


「今のところはな。」


リオンは鞄を開く。


「ところで……」


「これ、いったい何?」


彼女は持っていた物体を取り出す。


物体はゆっくりと青白い光を放ち始める。


ブズズズ……


ウゥゥゥン……


86がすぐに起き上がる。


「それ……」


「光ってる?」


スープラもそれを観察する。


「おかしい。」


86が突然、自分の額を叩く。


「待て。」


「まさか……」


「俺たちが追われてたのって……」


「……その物を盗んだから?!」


リオンは何の疑いもなくうなずいた。


「うん。」


「だって、さっき私たちが取ったじゃん。」


86は頭を抱える。


「……」


「なんでそんなに平然としてるんだよ?!」


リオンは物体をひっくり返す。


「でも……」


「これ、ただの石じゃない?」


「光ってるだけ。」


スープラは首を横に振る。


「俺たちにも分からない。」


「ただ、その話を聞いたことがあるだけだ。」


「本物を見るのは初めてだ。」


船内に沈黙が広がる。


突然……


シュイィン!!


金属の閃光が猛烈な速さで走った。


シュレッ!!


剣の切っ先が、リオンの首から数センチのところで止まる。


全員が凍りつく。


86が立ち上がる。


「おい!」


スープラも反射的に武器へ手を伸ばす。


リオンはただ、その剣をまっすぐ見つめていた。


舵を取っていたローブ姿の船員が、ゆっくりと口を開く。


「坊や……」


「親から教わらなかったのか?」


「……盗みはいけないことだと。」


その声……


男のものではなかった。


女の声だった。


ゆっくりと……


彼女はフードを外す。


長い髪がほどける。


鋭い瞳。


薄いが自信に満ちた笑み。


彼女は片手で剣を回す。


「久しぶり。」


「それとも……」


「……正確には。」


「初めまして、かしら。」


彼女は優雅に少しだけ頭を下げる。


「自己紹介しましょう。」


「私の名前は……」


「ボス429。」


86は目を大きく見開く。


「さっきの店主?!」


ボス429はゆっくりとうなずく。


「その通り。」


彼女の視線が再びリオンへ向く。


「あなたたち三人……本当に面白い子たちね。」


「でも……」


「商品を盗んだ……」


「……買い手が受け取る前にね。」


「それは、あまり良い作法とは言えないわ。」


剣が再び持ち上げられる。


その金属の閃光が、リオンの手にある謎の石の光を反射する。


ボス429の笑みがゆっくりと広がる。


「さて……」


「返してくれる?」


「それとも……」


「……この旅を、もっと楽しいものにする?」


ボス429の剣は、未だにリオンの首へ向けられていた。


船上の空気が凍りつく。


誰も動かない。


しかし……


スープラの視線が突然、川の水面へ移った。


「……」


目がわずかに細くなる。


「聞け。」


86が眉をひそめる。


「何を?」


スープラは答えない。


ただ水面の下を遠く見つめている。


大きな影がいくつも、高速で通り過ぎていく。


シュオッ……


シュオッ……


リオンも覗き込む。


「あれ……」


「魚の群れ?」


スープラが短く答える。


「普通の魚じゃない。」


「バショウカジキだ。」


「掴まれ。」


「え?」


リオンが聞き返すより先に……


スープラはリオンと86の服の襟を掴んだ。


「伏せろ。」


「えっ?!」


ザブーン!!


三人は川へ飛び込んだ。


水しぶきが高く舞い上がる。


ボス429は目を見開く。


「……何?」


水面の下……


巨大なバショウカジキの群れが三人へ向かって高速で迫っていた。


長い吻は槍のよう。


大きく開いたヒレは、まるで帆のようだった。


スープラは手を伸ばす。


一匹の魚が、彼の目の前で止まる。


彼はゆっくりと、その頭を撫でる。


「力を借りるぞ。」


魚が小さな声を出す。


クルル……


まるで理解しているかのように。


スープラはすぐにその背へ乗る。


「乗れ!」


リオンはまだ呆然としている。


「はあ?!」


「魚に乗れるの?!」


86はすでに別の魚へ乗っていた。


「リオン!」


「質問しすぎ!」


リオンは慌てて一匹のバショウカジキへしがみつく。


「うわあああ!」


三人が乗ると……


シュイィィィッ!!


バショウカジキの群れが水中を突き抜ける。


速い。


あまりにも速い。


船の上では……


ボス429が小さく笑った。


「面白い。」


彼女はローブの下から長銃を取り出す。


「どこまで逃げられるか……見てみましょう。」


カチャッ……


彼女は銃を構える。


そして、水面へ向ける。


ドン!


ドン! ドン! ドン!


特殊な弾丸が水面を貫く。


ザブン!


ザブン!


ザブン!


長い泡の軌跡がリオンたちを追いかける。


リオンが後ろを見る。


「弾丸まで追ってくるの?!」


スープラは冷静だった。


彼は乗っている魚の頭を軽く叩く。


「避けろ。」


バショウカジキが即座に動く。


シュオッ!!


左へ。


ヒュッ!!


急上昇。


シャアアッ!!


そして再び潜る。


弾丸が一発ずつ外れていく。


ドォン!


川底の岩に命中する。


バキィ!


古い沈没船へ衝突する。


86が大声で笑う。


「ハハハ!」


「ざまあみろ!」


ボス429は目を細める。


「……すごい。」


「なら……」


「少し本気で遊びましょう。」


彼女は再び銃を構える。


水面の下では……


リオンがバショウカジキへ必死にしがみついていた。


「スープラ!」


「いったい何が起きてるの?!」


スープラは振り返らない。


視線はまっすぐ前を向いている。


「後で話す。」


「今止まったら……」


「……何も説明する時間すらなくなる。」


バショウカジキの群れは川を切り裂くように走り続ける。


一方、地上から放たれる弾丸は、執拗に三人を追い続けていた。


川の流れが激しくなる。


バショウカジキの群れが水面下を疾走する。


その上では……


ボス429の操る船が高速で水を切り裂いていた。


ヴルルルルル!!


リオンが上を見る。


「まだ追ってる!」


86が叫ぶ。


「あいつ、しつこすぎる!」


スープラが短く答える。


「集中しろ。」


「動き続けろ。」


リオンは父親から渡された拳銃を握る。


視線は甲板上のボス429の影を追っている。


「……見えた。」


彼女は拳銃を構える。


カチャッ!


息を吸う。


そして……


ドン!


弾丸が水面を貫く。


ザブン!!


ボス429はすぐに身体を傾ける。


シュッ!


弾丸は彼女のローブのフードだけを切り裂いた。


「惜しかった。」


ボス429は薄く笑う。


鉄製コンテナの裏へ転がり込む。


ドン!


「反応が速い……」


リオンが呟く。


ボス429が反撃する。


ドン! ドン! ドン!


弾丸が水面を叩く。


バシャァン!!


水柱が高く噴き上がる。


スープラがバショウカジキの頭を叩く。


「潜れ!」


シュオオオッ!!


三人はさらに深く潜る。


弾丸が彼らの頭上をかすめる。


86が緊張した笑いを漏らす。


「危うく串焼きになるところだった。」


リオンは数メートル離れた場所から再び水面へ顔を出す。


「よっ!」


拳銃を再び構える。


ドン!


ドン!


ボス429が船の手すりへ飛び乗る。


タッ!


そして空中で回転する。


ヒュッ!!


二発の弾丸が外れる。


ボス429は軽やかに着地した。


「狙いは悪くない。」


「でも……」


「まだ読めるわ。」


リオンは舌打ちする。


「チッ。」


ボス429が剣を掲げる。


一振り。


ザァァァッ!!


水面が真っ二つに裂ける。


巨大な水しぶきがリオンへ襲いかかる。


バシャァァン!!


「うわああ!」


リオンはバショウカジキから落ちそうになる。


幸い、ヒレにしがみついた。


86は自分の魚を旋回させる。


「リオン!」


「しっかり掴まれ!」


「掴まってるよ!」


スープラが前を指差す。


「まっすぐ行くな。」


「ジグザグだ。」


三匹のバショウカジキが不規則な動きを始める。


シュッ!


左。


ヒュッ!


右。


バシャッ!


水面から飛び出す。


ボス429が再び発砲する。


ドン! ドン! ドン! ドン!


弾丸が川面を叩く。


しかし……


魚たちは速すぎた。


一発も命中しない。


リオンは川の中央に大きな航行ブイを見つけた。


「考えがある。」


彼女は魚を近づける。


並んだ瞬間……


リオンは全力でブイを蹴った。


ドゴン!!


ブイが船へ向かって飛んでいく。


ボス429がそれを斬る。


シュッ!!


ブイが真っ二つになる。


しかし、金属片が飛び散った。


キン! キン! カン!


いくつかが船のフロントガラスに当たる。


ボス429の視界が一瞬遮られる。


「面白い。」


リオンはその隙を利用する。


「ドン! ドン! ドン!」


弾丸が船の手すりへ命中する。


ガン! ガン!


ボス429は煙突の陰へ隠れる。


「この子……」


「……学習が速いわね。」


86が笑いながら叫ぶ。


「もう一発!」


「あと少し!」


ボス429が遮蔽物から出る。


船の船首へ飛び移る。


風が彼女の髪をなびかせる。


剣がリオンへまっすぐ向けられる。


笑みがさらに大きくなる。


「それなら……」


「……今度は私の番ね。」


船のエンジンがさらに激しく唸る。


ヴルルルルルオオオオム!!


船が加速し、巨大な波を立てながら川を突き進む。


三匹のバショウカジキは水しぶきの間を縫うように走る。


追跡劇は、川面の上と水中を舞台にした高速の決闘へと変わっていた。


川幅が次第に狭くなる。


右と左に高い岩壁がそびえ立つ。


流れはさらに激しくなる。


スープラが前を見る。


「……くそ。」


86も顔を上げる。


「行き止まり!」


「違う。」


「正確には、動き回れる場所がない。」


バショウカジキの群れから自由に動ける空間がなくなっていく。


ボス429は船上から笑う。


「旅はここまでね。」


リオンは拳銃を構える。


ボス429も同じように構えた。


二人の銃口が互いに向けられる。


距離は数メートル。


誰も瞬きをしない。


誰も動かない。


そして……


ドン!!


ドン!!


ドン!!


ドン!!


銃火が川を照らす。


弾丸が互いにすれ違う。


キン!


ガン!


バシャァ!!


水しぶきが四方八方へ飛び散る。


リオンは引き金を引き続ける。


ドン! ドン! ドン!


ボス429も迷わず撃ち返す。


ドン! ドン! ドン!


スープラが叫ぶ。


「リオン!」


86も身を低くする。


「立つな!」


数秒間、激しい銃撃戦が続いた。


そして……


カチ……


リオンが引き金を引く。


音がしない。


「……」


ボス429も引き金を引く。


カチッ。


彼女は自分の銃を見る。


「弾切れ。」


リオンも拳銃を掲げる。


「こっちも。」


二人は互いを見つめる。


静寂。


聞こえるのは川の流れる音だけ。


突然……


背後から叫び声が響いた。


「あいつらだ!!」


「石を奪え!!」


数十人の追手が、小型ボートに乗って川へ現れた。


そのうちの一人が、円筒形の物体を掲げる。


リオンは眉をひそめる。


「あれ……」


スープラが目を見開く。


「爆弾だ。」


86が叫ぶ。


「やめろおおお!!」


男は笑った。


「俺たちが手に入れられないなら……」


「……誰にも渡さねえ!!」


安全ピンを引き抜く。


ギィィ……


ボス429が遠くからそれを見る。


表情が変わる。


「馬鹿……。」


次の瞬間……


ドォォォォォォォォン!!


巨大な爆発が川全体を揺るがした。


水柱が数十メートルの高さまで吹き上がる。


衝撃波が船を襲う。


バショウカジキを襲う。


そして、そこにいる全員を飲み込む。


バシャァァァァン!!


リオンは魚の背から吹き飛ばされた。


「うわああああ!!」


86も流れに巻き込まれる。


「グブッ!!」


スープラは渦に逆らって泳ごうとする。


しかし、流れが強すぎた。


ボス429は歯を食いしばる。


「チッ。」


彼女は腰の金属製チューブを取り出す。


そしてボタンを押す。


ピッ。


空から……


轟音が響く。


ヴヴヴヴヴヴヴヴ!!


巨大な影が川の上を横切る。


巨大な金属製の翼を持つ、プテラノドンに似た機械生物が急降下してきた。


目が赤く光っている。


エンジンが唸る。


シュラァァァァク!!


ボス429が高く跳ぶ。


その機械生物が正確に彼女を捕らえる。


一瞬の動きで……


ボス429が手を伸ばす。


沈みかけていたリオンの服の襟を掴む。


ガシッ!!


「捕まえた。」


リオンは反応する暇すらなかった。


身体がそのまま空中へ引き上げられる。


「えっ?!」


「離してええええ!!」


機械のプテラノドンが翼を羽ばたかせる。


ゴォォォォォッ!!


数秒もしないうちに……


彼らは川の遥か上空へ移動していた。


その一方で……


86は激しく咳き込んでいた。


「ゴホッ、ゴホッ!!」


「水、多すぎる!!」


スープラも息を切らしながら水面へ顔を出す。


「リオン……」


二人は同時に空を見上げる。


青空の中……


金属製のプテラノドンのシルエットが遠ざかっていく。


その爪には……


リオンが暴れながら叫んでいた。


「スープラァァァ!!」


「86ぃぃぃ!!」


「助けてぇぇぇぇ!!」


86は目を見開いたまま、空を指差す。


「……」


「彼女……」


「……誘拐された。」


スープラは長いため息をついた。


「そうだ。」


「……またな。」


【ACT 3 END】

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