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プロローグ:始まりと終わり

部屋は静まり返っていた。


天井まで届くほど高い木製の本棚には、長い年月に蝕まれた古びた本が隙間なく並んでいる。

開け放たれた窓から冷たい風が忍び込むたび、積もった埃がゆっくりと宙を舞った。


静寂の中。


誰かの足音が、その沈黙を打ち破った。


タッ……タッ……タッ……


黒いローブを纏った人影が、古びた本棚の前で立ち止まる。


手袋に包まれた手が、本の背表紙を一冊ずつなぞっていく。


まるで、ずっと昔から自分を待ち続けていた何かを探しているかのように。


そして、ついに。


その手が、一冊の黒い本を引き抜いた。


ギギ……


本が棚から抜き取られると、溜まっていた埃が舞い上がる。


人影は何も言わず、暖炉のそばに置かれた木製の椅子へと歩いていった。


炎の光が、顔を覆う仮面の表面で揺らめいている。


人影は本を開いた。


パラ……


しばらくの間、ただそのページを見つめていた。


やがて。


その声が、静寂を破った。


「始まりにおいて……宇宙は、答えとして生まれたのではない」


人影は一瞬だけ顔を上げた。


まるで、その言葉の一つ一つが確実に誰かへ届くことを確かめるかのように。


「それは、問いとして生まれた」


「四方八方へと広がり続ける問い……まだ名前すら存在しなかった虚無を突き抜けていく、果てのない問いだ」


「宇宙のフィラメントと、闇の肉体を走る血管のように広がる銀河の網の中で、時間は自らの歴史を紡ぎ始めた」


「何十億年もの歳月が流れた」


「塵と光から、銀河超銀河団が生まれた」


「星団は集まり……離れ……そして互いに衝突した」


「それは、いかなる生命の理解をも遥かに超える時間の中で繰り返された、静かな舞踏だった」


「その中で、生命が生まれた」


「数千もの形で」


「文明が栄えた」


「文明が滅びた」


「そして、かつて天空を揺るがした名の数々も……やがて時の中へと消えていった」


人影は次のページをめくった。


パラ……


「なぜなら、どれほど偉大な光であろうとも……」


「……必ず、自らの黄昏を迎えるからだ」


「そして、その日が訪れた」


「宇宙が死の季節へと入った日が」


「トランペットの音は鳴らなかった」


「警告もなかった」


「ただ、破滅だけが……一つの世界から、また一つの世界へと、ゆっくり広がっていった」


ゴゴゴゴゴ……


まるでその言葉に応えるように、どこからともなく轟音が響いた。


「星々が消えた」


「銀河が沈黙した」


「そして、その時代を生み出した大半の生命が、時代そのものと共に消えていった」


「だが……」


「……すべてが滅びたわけではない」


「ほんの一握りの生命だけが、生き残った」


「彼らは最後の証人となった」


「死んだ世界の記憶を、その身に抱えて」


「二度と輝くことのない空の記憶を」


「今では記憶の中にしか存在しない文明の記憶を」


黒いローブの人影の視線が、ゆっくりと最後のページへ落ちる。


「銀河の海から……」


「……星々の集まりへ」


「……星々の集まりから……」


「……孤独な一つの太陽へ」


「……そして、その太陽から……」


「……一つの異星へ」


「……地球に似た、一つの惑星へ」


「そこで、すべてが終わった」


「そして、そこで……」


「……すべてが、もう一度始まった」


人影はゆっくりと本を閉じた。


パタン。


「なぜなら、破壊は……」


「……決して創造の敵ではない」


「その二つは、同じ旅路に存在する二つの側面に過ぎない」


「まだ誰かが覚えている限り」


「まだ誰かが生き残っている限り」


「世界は……」


「……必ず、再び生まれる道を見つける」


---


【石炭紀・15年|5月12日|12:22】


巨大な建造物の片隅で、小さな火花が弾けた。


ほんの数秒後。


炎は容赦なく広がり、鋼鉄とガラスで造られた壁を次々と呑み込んでいく。


巨大な建造物は、瞬く間に恐ろしい赤い海へと姿を変えた。


ドォォォン!!


一発のミサイルが建物の側面へ直撃する。


建物全体が激しく揺れた。


空では、数十機の戦闘ヘリが編隊を組んで旋回し、その間を戦闘機が黒煙を切り裂きながら飛び抜けていく。


「目標はまだ建物内部にいる!」


無線越しにオペレーターが叫んだ。


「全部隊、攻撃を続行! 一瞬たりとも隙を与えるな!」


「第二ミサイル、発射準備完了!」


ヒュオオオオッ!!


次のミサイルが空を切り裂いて飛翔する。


ドォォォン!!


再び爆発が建物を揺さぶり、コンクリートの破片が四方へと飛び散った。


その下では、無数の軍用車両が道路を埋め尽くしている。


サイレンが鳴り響く。


非常灯が赤く明滅する。


「煙が濃すぎる! 何も見えない!」


「アルファ、東側の入口から突入!」


「ブラボー、右側面を援護しろ!」


「目標を逃がすな!」


武装した兵士たちが、次々と建物内部へ突入していく。


だが、彼らを待っていたのは、血に染まった廊下だけだった。


仲間たちの死体が、そこら中に転がっている。


「……なんだ、これは」


「ここで何があった?」


「警戒しろ! まだ生きているぞ!」


煙の向こうから、足音が響く。


タッ……タッ……タッ……


瓦礫の向こうから、一人の女が姿を現した。


王族を思わせるローブを纏っている。


全身は傷だらけだった。


ローブの裾から血が滴り落ちている。


それでも、その瞳だけは鋭く輝いていた。


手に握られたレーザーソードも、まだ青白い光を放っている。


一人の兵士が慌てて銃を構えた。


「撃て!!」


銃弾の雨が廊下を埋め尽くす。


女が動いた。


一歩。


その瞬間、彼女の姿が視界から消えた。


「速すぎる……!」


ザンッ!!


青い閃光が走る。


一人の兵士が、自分の身体が斬り裂かれたことすら理解する暇もなく崩れ落ちた。


残りの兵士たちが恐怖に後ずさる。


「後ろだ!」


「司令官を守れ!」


女が再び踏み込む。


レーザーソードが一閃する。


銃を。


装甲を。


コンクリートの壁を。


すべてが一振りで切り裂かれた。


だが。


敵の数が多すぎた。


ドン!


一発の銃弾が、彼女の左腿を貫いた。


「っ……!」


身体のバランスを失い、女が倒れ込む。


ドン!


続く銃弾が腕を撃ち抜いた。


レーザーソードが手から離れ、遠くへと滑っていく。


そして、建物側面に開いた巨大な穴から外へ落ちていった。


女は歯を食いしばる。


荒い息を吐きながら、彼女は瓦礫の陰へと身体を引きずった。


銃弾が隠れ場所へ降り注ぐ。


ダダダダダダッ!!


コンクリートの破片が飛び散った。


女は一瞬だけ目を閉じた。


そして、すぐ近くに転がっている一本のバールに気づく。


迷うことなく、それを掴んだ。


「追い詰めたぞ! 進め!」


バールが飛んだ。


ヒュッ!


「うわあああっ!」


一人の兵士が、頭部をその重い鉄棒で殴られ、崩れ落ちる。


女はそのまま突進した。


片脚では、もはや身体を支えることすら難しい。


それでも無理やり身体を動かす。


倒れた兵士から銃を奪う。


ダダダダダダッ!!


銃声が廊下いっぱいに響き渡る。


一人。


また一人。


兵士たちが倒れていく。


そして、ついに。


静寂。


残ったのは、炎と煙。


そして、徐々に弱くなっていく女の呼吸だけだった。


女はゆっくりと瓦礫に背を預けて座り込んだ。


血にまみれた手で、ローブの内側を少しだけ開く。


そこには……


小さな赤ん坊が泣いていた。


「シーッ……」


女は優しく赤ん坊の頭を撫でる。


「ごめんね……お母さんを許して……」


赤ん坊の泣き声が、少しずつ弱くなっていく。


女が安堵の息を吐くよりも早く。


ブブブブブ……


機械的な唸り声が、部屋いっぱいに響き渡った。


煙の向こうから、戦闘用ドローンが姿を現す。


その照準が、瞬時に女の位置を捉えた。


女はすぐさま赤ん坊をローブの奥へ隠す。


「目標を発見」


ドローンが数メートル後退する。


銃口が展開した。


ダダダダダダッ!!


女は這うようにして銃弾を避ける。


周囲のコンクリートが粉々に砕けていく。


震える手で銃を持ち上げる。


ドン! ドン! ドン!


しかし、ドローンはあまりにも速かった。


銃弾は壁を撃ち抜くだけだった。


反対に、ドローンの放った数発が女の身体を再び撃ち抜く。


女は赤ん坊を強く抱きしめた。


身体を回し、自分の身体で赤ん坊を覆う。


すべての弾丸が、赤ん坊より先に自分へ当たるように。


その時。


遠くから無線の声が響いた。


「全部隊へ通達! 増援到着まで三十秒!」


「目標を逃がすな!」


ドローンが攻撃モードを変更する。


機体の下部から、小型爆弾が一つ落下した。


ピッ……ピッ……


女の目が大きく見開かれる。


ドォォォォン!!


凄まじい爆発が床の一部を吹き飛ばした。


炎と粉塵が空間を埋め尽くす。


女の身体は瓦礫と共に吹き飛ばされた。


床に大きな亀裂が走る。


ミシミシミシ……


次の瞬間。


床が崩落した。


女はローブの中の赤ん坊を抱きしめたまま、果ての見えない暗闇へと落下していった。


そして、再び。


静寂が瓦礫を包み込んだ。


爆発音は徐々に消え。


その代わりに、静けさだけが残った。


女は苦労して目を開いた。


視界はまだぼやけている。


頭上からは、粉塵とコンクリートの破片が絶え間なく降り注いでいた。


「……っ」


女は小さく呻いた。


全身が傷だらけだった。


至るところから血が流れ、ローブの一部は焼け焦げている。


少しでも身体を動かそうとするたび、激痛が指先まで駆け抜けた。


荒い息を吐きながら、女は慌てて強く抱きしめていたローブの折り目を開いた。


そこには。


小さな赤ん坊がいた。


傷一つない。


それどころか。


赤ん坊は何も知らないかのように楽しそうに笑いながら、小さな手を振り回している。


「ふふ……」


女の顔に、ようやく薄い笑みが浮かんだ。


「よかった……」


温かな涙が頬を伝う。


それは痛みではなかった。


安堵の涙だった。


だが、その幸福は長く続かなかった。


ブブブブブ……


再び、暗い通路の奥から機械音が響いた。


白い光が瓦礫の隅々を照らしていく。


捜索用ドローンが次々と内部へ侵入してくる。


女はすぐにローブを閉じ、赤ん坊を胸元へできる限り近づけて隠した。


「私……行かなくちゃ……」


残された力を振り絞り、女は瓦礫と散乱した鉄骨の間を這うように進んだ。


血にまみれた手が床を掴み続ける。


呼吸は、一秒ごとに重くなっていく。


時折、ドローンのライトが数メートル先を横切った。


そのたびに、女は身体を完全に止める。


機械音が遠ざかる。


ようやく、また動き始める。


だが。


希望が見え始めた、その時だった。


ゴゴゴ……


足元の地面が、かすかに震えた。


女は動きを止める。


再び、震動。


今度は、さらに強い。


ゴゴゴゴゴ……


周囲の埃が落ち始める。


地面に小さな亀裂が走った。


次の揺れは、はるかに激しかった。


ドォン……!


瓦礫全体が激しく揺れる。


上から大きな岩が次々と落下する。


空中のドローンもバランスを失い、制御不能のまま回転し始めた。


女は通路の奥にある暗闇を見つめた。


その瞳が変わる。


「あれは……」


戦闘が始まってから初めて。


女の顔に恐怖が浮かんだ。


女は、もはや立つことさえ難しい身体を無理やり動かした。


残された力をすべて使い、瓦礫の間をよろめきながら走る。


コンクリートの塊の隙間を探し、身を隠せる場所を探し続ける。


地面の震動はさらに激しくなる。


ドン……ドン……ドン……


一つ一つの衝撃が、胸を直接叩いているようだった。


「もう少し……」


女は小さく呟きながら、赤ん坊を強く抱きしめた。


しかし。


その足が止まった。


舞い上がる粉塵の向こうから。


巨大な影が立ち上がった。


ズンッ!!


最後の轟音が、瓦礫の山全体を揺らした。


反応する暇すらなかった。


女の身体が突然、地面から持ち上げられる。


「っ……!」


巨大な金属の手が、女の身体を容易く掴み上げた。


その目の前に立っていたのは、数十メートルもの巨体を持つ戦闘用メカだった。


頭部から放たれる赤い光が、女の顔を捉える。


拡声器から、機械的な声が響いた。


「目標、確保」


短い沈黙。


そして、冷たい声が再び響く。


「降伏せよ」


「貴様の抵抗に成功する可能性は、もはや存在しない」


「その赤ん坊を引き渡せ」


女はゆっくりと顔を上げた。


口元から血が流れている。


それでも、その瞳には恐怖など一片もなかった。


「……嫌」


小さな声。


だが、はっきりとした拒絶だった。


メカは数秒間、沈黙した。


「これは最終警告である」


「赤ん坊を引き渡せ」


「これに応じれば、不必要な苦痛を伴う死は避けられる」


女は、むしろ赤ん坊をさらに強く抱きしめた。


「私は……誰にも……」


途切れ途切れの呼吸。


「……この子に、触れさせない」


再び、沈黙。


数秒後。


機械音声が響いた。


「確認」


「交渉、失敗」


次の瞬間。


巨大な金属の腕が振り抜かれた。


ドガァン!!


女の身体がコンクリートの壁へ叩きつけられ、無数の亀裂が走る。


息をつく暇もなく。


ドゴッ!!


今度は反対側の瓦礫へ叩きつけられた。


粉塵が舞い上がる。


骨の砕ける音が、かすかに響いた。


それでも。


そんな状態になってなお。


女の両腕は赤ん坊をローブの中で強く抱きしめ続けていた。


どんな衝撃からも、その小さな身体を守るために。


最後の一撃が瓦礫の中へ響き渡った。


女はコンクリートの破片に埋もれ、力なく倒れ込んだ。


粉塵がまだ空気中を漂っている。


メカが再び腕を振り上げた、その時。


「止まれ」


たった一言。


それだけで、巨大な機械はすべての動きを停止した。


「命令、受領」


金属の腕がゆっくりと下ろされる。


影に覆われた通路の奥から、規則正しい足音が聞こえてきた。


タッ……タッ……タッ……


黒いスーツを着た男が、闇の中から歩いてくる。


周囲で戦闘が続いているというのに、そのスーツには乱れ一つない。


薄い笑みを浮かべた顔。


その後ろには、武装した兵士たちが数人従っている。


次の瞬間。


数十個もの赤いレーザー照準が、女の身体を捉えた。


もう逃げ道はなかった。


男は女の目の前で立ち止まる。


「久しぶりだな……」


男は静かに言った。


「まさか、こんな姿で再会することになるとは思わなかった」


女はただ、憎悪に満ちた視線を返した。


男は小さく笑う。


「その目だ」


「私は、その目が恋しかったよ」


男は何の前触れもなく、女の手を掴んだ。


ゴキッ!


指の一本が折れた。


「っ……!」


女は唇を強く噛み、悲鳴を堪える。


男は笑顔のままだった。


「すまない」


「君がまだ痛みを感じられるのか、確かめたかっただけだ」


そして、男は女と目線が合う高さまでしゃがみ込む。


「私は戦うために来たわけではない」


「取引を持ってきた」


男の視線が、女が必死に抱きしめているローブへ向けられる。


「その赤ん坊を渡せ」


「そうすれば、すべてを平和的に終わらせよう」


「これ以上、血を流す必要はない」


女は赤ん坊をさらに強く抱きしめる。


「嫌」


短い答え。


だが、そこには一切の迷いがなかった。


男の笑みが、ゆっくりと消える。


「君は昔から変わらないな」


「本当に頑固だ」


男は小さく息を吐いた。


まるで本当に残念に思っているかのように。


「ならば……取引の内容を少し変更しよう」


その目が冷たく変わる。


「それでも拒否するなら……」


「……その赤ん坊を殺す」


「君の目の前でな」


廊下が静まり返った。


女は一度も瞬きをせず、男を見つめた。


「あの子は……このこととは何の関係もない」


「それなら……」


男は薄く笑った。


「その子を渡せ」


女はゆっくり首を横に振る。


「絶対に、嫌」


男は一瞬目を閉じた。


「残念だ」


ゆっくりと立ち上がる。


「本当は、すべてを……昔からの『知り合い』として終わらせたかったんだがな」


男の視線が再び女へ落ちる。


「最後の警告だ」


「私に逆らうな」


「そして、自分の能力を使おうなどと考えるな」


「それを止めるための手段は、すでに用意してある」


女は何も答えない。


恐怖もない。


迷いもない。


ただ、揺るがない決意だけがあった。


男は短く息を吐いた。


「ならば……」


「もう話すことはない」


ドガッ!!


強烈な蹴りが女の腹部を直撃する。


身体が瓦礫の上を数メートル引きずられた。


立ち上がる暇もない。


ドゴッ!


次の蹴りが脇腹を打つ。


さらに一発。


そして、もう一発。


打撃音が瓦礫の間に響き続ける。


それでも女は赤ん坊を必死に抱きしめ続けた。


どの衝撃からも、小さな身体を守るために。


男は表情一つ変えず、女を見下ろしていた。


「今になっても……」


「君は、自分より他人を守ることを選ぶのか」


一瞬の静寂。


ほとんど残っていない力を振り絞り、女が突然顔を上げる。


ドガッ!!


額が男の顔面へ激突した。


「ぐっ……!」


男が半歩よろめく。


鼻から流れた鮮血が、これまで汚れ一つなかった黒いスーツへ落ちた。


兵士たちが反射的に銃を構える。


「閣下!」


女は傷だらけの顔で、薄く笑った。


男は指先で鼻血を拭う。


赤い血を数秒見つめてから、静かに息を吐いた。


「……そういう答え方か」


怒鳴り声はない。


怒りもない。


ただ、冷たい声だけが場の空気をさらに凍らせた。


次の瞬間。


ドガッ!!


強烈な蹴りが女の顎を打ち抜く。


身体が宙を飛び、コンクリートの瓦礫の上を転がった。


口元から血が飛び散る。


それでも。


両腕はまだ赤ん坊を強く抱きしめていた。


男は少し乱れたスーツを整える。


「残念だ」


「せっかく機会を与えたのに」


男が片手を上げる。


「全部隊」


数十もの銃口が、女へ向けられた。


戦闘用ドローンも再び照準システムを起動する。


巨大なメカも標的をロックする。


機械音声が瓦礫の中へ響き渡る。


「標的、ロックオン」


男が最後の命令を下した。


「撃て」


「何も残すな」


「始末しろ」


次の瞬間。


ダダダダダダッ!!


四方八方から銃弾が飛び交った。


赤いレーザーが絶え間なく瓦礫を薙ぎ払う。


しかし。


銃弾の雨が女の身体へ届く、その直前。


女は小さな筒状の物体を床へ投げつけた。


プシューッ!!


白い煙が爆発的に広がり、数秒もしないうちに周囲を完全に覆い尽くした。


「何だ!?」


「視界が消えた!」


「サーマルスキャナーでも、この煙を透過できません!」


「撃ち続けろ!」


銃弾は濃い霧の中へ撃ち込まれ続ける。


ダダダダダダッ!!


しかし。


誰にも確かめることはできなかった。


標的がまだそこにいるのか。


それとも。


すでに煙の海の向こうへ消えたのか。


煙はまだ室内を満たしていた。


銃弾があらゆる場所へ降り注ぎ続ける。


ダダダダダダッ!!


レーザーの閃光が濃い煙を貫き、崩れかけた壁を次々と破壊していく。


その煙の向こうで、女は歯を食いしばっていた。


ほとんどすべての力を失った身体を引きずりながら、赤ん坊をローブの中で抱きしめ、ゆっくりと這って進む。


身体を動かすだけで激痛が走る。


それでも、声を漏らすことはできなかった。


頭上。


ドォン!!


メカの巨大な拳が床へ叩きつけられた。


亀裂が四方へ走る。


コンクリートの破片が周囲へ降り注ぐ。


女はすぐに転がってそれを避けた。


息をつく暇もなく。


ドォォン!!


別の爆発が再び室内を揺らした。


炎が広がり始める。


残された瓦礫を次々と呑み込んでいく。


遠くで、黒いスーツの男が煙の海を見つめていた。


表情は変わらない。


「……まだ見つからないのか?」


男が静かに尋ねる。


一人の兵士が唾を飲み込んだ。


「申し訳ありません、閣下。目標をスキャンできません」


男は一瞬だけ目を閉じた。


「ならば、ここを残しておく理由もない」


男はメカへ振り返る。


「この区域をすべて破壊しろ」


「一つも残すな」


メカは即座に両腕を持ち上げた。


肩部の装甲パネルが開く。


その内部から、大型爆弾の発射装置が姿を現した。


「命令、受領」


女の目が大きく見開かれる。


「そんな……」


周囲を見渡す。


逃げ道はない。


隠れる場所もない。


荒い息を吐きながら、女はまだ無傷に近いコンクリート片と鉄板を引きずり、即席の防壁を作った。


そして。


赤ん坊を可能な限り強く抱きしめる。


身体を丸める。


自分自身を、最後の盾にする。


その直後。


ヒュオオオオッ……


崩れた天井の向こうから、爆弾が次々と落下してくる。


ほんの一瞬だけ、静寂が訪れた。


そして。


ドォォォォォォォン!!


凄まじい爆発が建物全体を揺るがした。


衝撃波が残っていた壁を。


柱を。


床を。


すべて破壊していく。


炎が高々と舞い上がる。


瓦礫が、石の雨のように四方へ飛び散った。


巨大な建造物は、ついに完全な破壊へ屈した。


爆発の渦中で、女が作った即席の防壁も粉々に砕け散る。


女の身体はコンクリートの破片と共に激しく吹き飛ばされた。


「っ……!」


足元の地面が消える。


その先に残っていたのは、巨大な深淵だけだった。


女は両手で赤ん坊を強く抱きしめたまま。


暗闇へ落ちていった。


さらに深く。


さらに遠く。


その姿は、果てのないように見える深淵へと徐々に呑み込まれていく。


女の身体は暗闇の中を落下し続けた。


耳元では風が激しく唸り、周囲では崩壊した建物の瓦礫が次々と落下していく。


やがて。


女はゆっくりと目を開いた。


はるか頭上。


夜空が、果てしなく広がっている。


無数の星々が美しく瞬いていた。


まるで、先ほどまで戦争が起きていたことなど最初から存在しなかったかのように。


女は瞬きもせず、夜空を見つめた。


頬を、一筋の涙が伝う。


「……こんな終わり方は、嫌だった」


両腕が、赤ん坊をさらに強く抱きしめる。


彼女には分かっていた。


このまま落ち続ければ。


二人の身体は、地面へ激突した瞬間に砕け散る。


呼吸が、徐々に弱くなっていく。


それでも。


その瞳だけは、むしろ強くなっていった。


「ごめんね……お母さんを許して……」


残された力を振り絞り、女はローブの内側から小さな物体を取り出した。


そして。


迷うことなく、それを夜空へ投げた。


シュッ!!


小さな物体が高く舞い上がる。


次の瞬間。


その軌道が反転した。


凄まじい速度で、落下してくる。


女は避けなかった。


ただ、目を閉じた。


ザシュッ!!


物体が、女の身体を貫いた。


空中に血が飛び散る。


女の身体が激しく震える。


そして。


傷口から、何かが這い出してきた。


それは血ではなかった。


光でもなかった。


赤みを帯びた臓器の塊。


それらが蠢きながら互いに融合し、一つの巨大な生物へと形を変えていく。


やがて。


それは巨大なサソリを思わせる姿となった。


怪物が、二本の鋏をゆっくりと開く。


女は一秒たりとも迷わず、その腕の中へ赤ん坊を託した。


「……この子を、守って」


それが、彼女の唇から発せられた最後の言葉だった。


怪物は自らの身体で赤ん坊を包み込む。


数秒後。


ドォォォォォン!!


女の身体が、凄まじい勢いで谷底へ叩きつけられた。


衝撃波が周囲の岩を砕く。


だが、異形の生物は衝撃を受け止め、赤ん坊の小さな身体を無傷のまま守り抜いた。


再び、静寂。


怪物はゆっくりと赤ん坊を柔らかな地面へ下ろした。


赤ん坊の泣き声が、谷底いっぱいに響き渡る。


「うわぁ……うわぁ……」


怪物はゆっくりと尾を持ち上げる。


そして、極めて慎重な動きで、その先端を赤ん坊の頬へ触れた。


泣き声が、少しずつ弱くなっていく。


やがて。


小さな笑い声が響いた。


怪物は、しばらく動かなかった。


まるで、自分まで安堵したかのように。


やがて、その有機的な身体の奥から、特徴的なイギリス訛りを帯びた低い声が響いた。


「よく眠れ……小さき者よ……」


「オブザーバーが……お前の歩む道を見守らんことを……」


怪物の身体から、淡い光が漏れ始める。


少しずつ。


その有機的な身体が無数の光の粒へと分解されていく。


星屑のような光が、夜空へ舞い上がっていった。


やがて。


そこに残されたのは、小さな赤ん坊だけだった。


そして。


パキッ……


木の枝が折れる音が、森の奥から聞こえた。


誰かが。


こちらへ近づいている。


【プロローグ END】

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