敵は父ではなかった件(3)
その後チタニアとウォーレンが自宅に青毛馬を返しに来てくれたが、ワイアットは頑として家の中には入れず、雪江も外に出してもらえなかった。ワイアットの広い背中で玄関が開かないように押さえつけているのだ。取り次いだエアロンまで中に入れられて、一種の厳戒態勢である。耳を澄ませると玄関越しに聞こえる声はチタニアのもので、ワイアットがだんまりを決め込んでいるのが目に浮かぶようだ。彼は兄弟から雪江を護りたいのだ。それは雪江の希望にも沿うが、物別れのまま遠く離れてしまうのは良くない。まさかとは思うが、ワイアットが勘当されてしまわないかとはらはらする。此方では雪江が過激だと思うことが容易に起こりがちなのだ。
「それはないんじゃないですかね。するとしても奥様を手中に収めてからでは」
「な、尚悪い。なんで母親と息子の間で争奪戦が起こってるんですか」
雪江が不安をそのまま口にするとコスタスが訂正してくれたが、何も解決しなかった。図式のおかしさに雪江はがくりと項垂れる。
「その場合は旦那様の親と言えど誘拐犯として対処していいんだよな」
「ああ」
ナレシュが確認しエアロンが頷く声が聞こえて、雪江の背に冷や汗が流れた。窓から外に出て話に加わることは可能だが、万一を考えてやめておいた方が良いだろう。仲良くしたい義母相手に実力行使など、取り返しがつかないことになる予感しかない。長い話になることも予測される。牧場には息子達が残っているとはいえそう長いこと空けてはいられないらしく、チタニア達は次の日の早朝には出発することになっている。雪江は手紙を書くことにした。直ぐには理解してもらえないかもしれないが、此方の事情を知っておいてもらった方が良い。
この街で知り合った多くの人がいること、此方の常識もそれらの人々に少しずつ教わっていること、仕事のこと、ワイアットがいない間もやる事があって充実した生活を送っていること、ワイアットとの関係を大事にしていきたいこと。短かったがチタニアと過ごした時間が楽しかったことや、これからも手紙を出すことも書いた。
それらのことを書き終えてもまだ玄関は固く閉じられていた。
「ワット、お義母さんに手紙を書いたの。渡してくれる?」
ノックして暫く待つが、動きがない。
「お願い。ここに居たいって伝える手紙だから」
数十秒の間を置いて隙間が開いた。手紙を差し入れると直ぐに閉まる。雪江は少しの間は変化がないか待っていたが、玄関に居ても無為に時間が過ぎそうなので台所に移動した。夕食の準備でもしようとエプロンを身につけていると、ワイアットが戻ってきて背後から抱き上げられた。
「お義母さん達は?」
「帰った」
居間の長椅子に座ったワイアットの膝に乗せられ、腕の中に閉じ込められる。雪江の肩に顔を埋めるワイアットは、見なくても疲れているのが判った。雪江が労るように頭を撫でると長い溜め息が吐き出される。
「納得してくれたの?」
「わからんが、帰ったから良い」
良くはない。だがワイアットでは太刀打ちできないのだと、今日だけで雪江は理解した。彼は口より行動の人なのだ。この分だとチタニアが諦めておらず実害が出た場合、雪江共々失踪も有り得るのではと思い至って遠い目になった。それが嫌なら雪江がなんとかするしかないだろう。チタニアは押しは強いし己の欲望への正直さが際立っていた気はするが、悪意を向けられたわけではないし、嫌な人ではなかった。常識が違うことも知っているのだから、善意が善意として実らないことがあることもいずれは理解してもらえるのではないかと思う。
「手紙を出して少しずつ解ってもらえるようにするね」
ワイアットの頭に頬擦りをすると、呻き声が聞こえた。
「……すまん」
不甲斐ないと思っているのだろう。自分の手に余った上に雪江の手を煩わせることへの悔しさだと解って、雪江は意気消沈する様を可愛らしく感じる。同時に温かい気持ちになった。
「ちゃんと夫婦みたい」
「夫婦だが?」
ワイアットが不可解げに頭を上げた。声には不服さが滲んでいる。
「そうなんだけど。今までずっとしてもらうばかりだったから。私にも漸くワットの助けになれることができたなって」
振り返り見たワイアットの顔はまだ不思議そうで、不機嫌でもある。環境も安全も金銭も全て彼が与えるのが当たり前の感覚のようだから、どうしてそれが『ちゃんと夫婦』に繋がるのか解りにくいのかもしれない。
「足りないところを補い合って、助け合う夫婦に憧れてたの」
雪江にとっての夫婦とはそういうものだ。補い合えるなら足りないことも悪い事ばかりではない。
「……そうか」
二度三度瞬く間を置いて、ワイアットの目元が緩んだ。気持ちが楽になったのなら雪江も嬉しい。ワイアットの身体に背を預けて微笑み返した。
「そういえば。結局お義父さんとは一言も喋ってない」
「それはいいんだ」
途端にぴしゃりと切り捨てられて、雪江の口から気の抜けた笑いが漏れた。




