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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
第二章
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37. 正真正銘の婚姻成立


 視界が悪い為、花嫁は花婿の元まで母親が手を引いて行くものだとのことだ。雪江もチタニアの手に手を重ねて婚儀の間に向かう。


「嫁に出す気持ちと嫁に貰う気持ちをいっぺんに味わえるなんて、あたしは世界一の果報者だよ」


 チタニアは充足感が抑えきれないように息を吐き出し、祭壇の前で待つワイアットの元に雪江を届けた。

 ワイアットは軍服着用のうえ、帯剣している。いつもと違うのは制帽を被り慶事を示す飾り紐が鞘に括られているくらいだが、空気まで引き締まっているように感じられた。三割増し格好良いと思うのは妻の欲目ではない筈だ。真紅の軍服は花嫁衣装と対になっているかのようで、雪江は少し照れ臭い。

 チタニアは一段下になっている席に座す男性の元に下りていった。ワイアットの父、ウォーレンだろう。雪江は初対面だが、ワイアットに似た顔の造りで直ぐに判った。皺の深い顔はよく日に焼けていて、持っている空気はワイアットより柔らかい。髪は白髪まじりの鈍色、目は朽葉色で、色彩も優しい。歳を感じさせないがっしりとした体躯がまた血筋を感じさせた。今日の為に新調してくれたと判る皺一つない濃紺のジャケットと白いトラウザーズは、着慣れない感じが堅苦しさを緩和していて親しみやすい。雪江が会釈をすると、微笑み返してくれた。チタニアや雪江の護衛達は扉付近に控えて式を見守ってくれている。

 ワイアットが目元のビーズを指で揺らし、雪江は視線を誘われた。


「余所見をするな」


 目が合うとワイアットは目元で笑んだ。

 祭壇には儀式を執り行う純白の法衣を纏った年配の神官がいて、一歩下がった場所に役所から派遣されてきた魔術師が控えている。彼らの背後の壁には、金糸雀色の衣を纏った豊満な女性が赤ん坊を抱いて微笑む宗教画がはめ込まれていた。大地母神マーゲライマだ。その両脇の立像は、水と土の精霊ともマーゲライマの御使いとも言われる、ヴェイシーとムルド。婚姻を司るのはこの御使いだという。更に立像の両脇には警備兵がひっそりと佇んでいた。

 ワイアットが役所の紋章がある魔法紙を神官に提出する。結婚証明書だ。神官は内容を確認し読み上げる。


「夫、ワイアット・スカイラー。本人証明を」

「はい」


 ワイアットが証明書の血判の場所に親指を合わせると、血判が数秒白く光って何事もなく血判に戻った。


「妻、ユキエ・カナモリ・スカイラー。この婚姻に虚偽がないことを認めますか」

「はい」


 ワイアットと同様のことを行うと、一度輝いた雪江の血判が沈黙する。


「立会人。異議がある者は起立を」


 ウォーレンもチタニアも、ゆったりと座したまま動かない。


「この婚姻に偽りがない事を認めます」


 神官が何事かを呟き、結婚証明書に手を翳した。その手が去った魔法紙の中央には、神殿の紋が浮き彫りされたように刻まれていた。魔術師が祝福の言葉をかけながら婚姻の腕輪を魔術で接合する。鳩のようだと思っていたこの鳥の意匠も、トゥヴィーだという。隙間が無くなり、寄り添う二羽が離れないように繋いでくれたような心地になって雪江がお礼をいうと、魔術師も微笑み返してくれた。


「指輪の交換を」


 神官がリングピローを二人の前に差し出した。雪江が事前に預けていたものだ。此方には馴染みのない風習だから取り入れてもらえるか心配だったが、過去にも同じことを頼んだテラテオス人がいたようで、快く引き受けてくれた。実の所、雪江は結婚指輪に特別な思い入れがあるわけではなかった。此方の腕輪と同様に抑止力程度の認識だったから、これに関してはワイアットの情緒をとやかく言えない。ただ、彼はこの指輪を殊の外大事にしてくれているようなので、それだけで価値のあるものだ。

 雪江の指輪はワイアットが扱うには小さい。落とさないように慎重に摘む様が微笑ましくて、雪江の顔がほころぶ。慣れない手つきで左の薬指に指輪が通され、厚い皮のかさついた感触が指を撫で過ぎた。思い入れはない筈なのに、じわりと雪江の胸の奥が熱くなる。彼の中にはない概念を、雪江の為に実行してくれているのだ。だがワイアットが早く寄越せとでも言うように左手を差し出すものだから、余韻を噛み締める間もなく雪江は小さく吹き出した。式で交換する為なのに、彼から指輪を回収した時の不服そうな顔を思い出して、可笑しくなってしまったのだ。

 ワイアットの手は雪江の片手では包み込めないくらい大きい。肉厚で硬い、鍛錬してきた者の手だ。事後ではあったが、この手で人の命を奪うのも見た。だが不思議と恐さはない。雪江を護ってくれる手だと知っているからだ。永遠の愛を象徴する指輪をその指に嵌める。ただの指輪に付加されたその意味を、信じている人はどれくらいいるのだろう。これは願いだ。今抱いている想いが永く続くように。永く想っていてもらえるように。人の心が移ろうものだと知っているから人々は願い、形にし、神に誓い、縛ろうとするのだと雪江は思う。

 ワイアットが薬指に通った指輪を握るように拳を作った。その満足そうな様が雪江を安心させる。その拳が尊いものであるかのように両手で包んで彼の目を見上げた。神に向かって宣誓を行うのが作法だと教えてもらったが、雪江は彼に直接願う。


「末長くよろしくお願いします」


 ワイアットが雪江を理解しきれていないと言うように、雪江も彼を理解しきっているわけではない。急がなくていいのだ。ゆっくり少しずつ、解ることが増えてゆく時間を過ごしていければ。そうしていく中でいつか、彼から言葉が貰えたらいいと思う。形式的な誓いの言葉として聞くよりも。

 作法と違うことに気付いたワイアットが片眉を上げたのは一瞬だ。次の瞬間には目元を緩めて微かに口端を上げた。


「生涯手放す気はない」


 彼の言葉は願いではない。誓いですらない。そこにある事実をただ口にしたように気負いのない素っ気なさだ。この人にはそんな器用さはない筈なのに、雪江が必要としているものを読み取っているのではないかと偶に思う。真っ直ぐ見下ろす瞳に一切の曇りがなくて、泣き笑いの形に雪江の顔が歪んだ。

 ワイアットが雪江を横抱きにして神官に目配せをする。儀式はこなしたとばかりの態度に神官が怪訝そうにしたのは数秒で、気を取り直したように咳払いをした。結婚成立の宣言が高らかに響く。

 

「マーゲライマの御使いヴェイシーとムルドの名の元に、この婚姻を祝福します。二人の門出に幸多からんことを」






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