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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
第二章
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35. 羞恥心は頑張っている


「…機嫌。直った?」


 雪江がワイアットの青毛馬に揺られながら恐る恐る後ろを見上げると、眉間の皺に苦悩の色を残したままワイアットが唸った。


「………すまん。ただの嫉妬だ。痛むか」

「…大丈夫」


 正直な白状に驚いて、雪江はまじまじとワイアットの顔を見る。布越しの上に甘噛みだったので痛くはない。痕もついていないだろう。唐突過ぎて訳がわからなかったし、嫉妬の表現としてはどうかと思うが。


「チャニングさんとは何もないよ?」

「それでも他の男がお前を喜ばせているのは面白くはない」

「え、あ、ええと、仕事が嬉しいんだけどね…? 認められたって事だし」


 嫉妬する程愛されているのかと思うと雪江は嬉しいが、仕事に嫉妬されるのは少し困る。こういった違いは此方の人間には難しいものなのか、悩ましいところだ。何せ家族経営以外の現場で若い女性は働かない。


「俺は初めからお前を認めている」


 張り合うように口にするあたり、理解できているか怪しい。まだ少し機嫌はよろしくないようだ。


「うん。ありがとう。嬉しい」


 雪江は言葉だけでは足りない分を伝えるように、寄りかかってワイアットの胸に側頭部を擦り付ける。ワイアットはその頭を撫で、溜まっている感情を吐き出すかのように呼気を抜いた。


「俺はお前を孤独にしているか」

「え?」


 雪江は話の繋がりが見えなくて、見上げようとしたがワイアットの手が乗ったままでそれは叶わない。


「…どうしたの、急に」

「急ではない。ずっと考えていた。お前の言っていることは俺には難しくて解らないことが多い」

「それは……生きてきた環境も違うんだから、そういうものじゃないかな。私も直ぐに理解できないことはいっぱいあるよ」


 だからおあいこなのではと暗に含めたが、ワイアットは頷かない。


「俺の世界は此処で、家族も健在だ。古くからの友人もいる。だがお前が無条件に頼っていいのは俺だけだ。なのに俺はお前の言うことの半分も解ってやれていない」


 雪江は考え込んだ。つまり、良き理解者になれないから寂しい思いをさせているのではないかということか。確かに、解ってもらえないのは寂しい。沈黙が続くことに不安を覚えたのか、ワイアットの手が鞍の縁に乗っている雪江の手を握り込んだ。


「…ふふ」


 雪江は擽ったい気持ちになって、小さく笑う。


「なんだ」

「ごめん、嬉しくなっちゃって」


 雪江が振り仰ぐと、ワイアットは不可解そうに眉間に皺を寄せていた。


「だって、ずっと考えてくれてたんでしょう? 解らなくても、解ろうとし続けてくれるなら孤独にはならないんじゃないかな。そうしてくれているうちは、見限られてないってことだもの」

「……そういうものか」


 ワイアットは呑み込めていないような声音だ。


「そういうもの」


 雪江は握る力が弱くなったワイアットの手を、両手で包み込んで言葉を重ねた。




 領主の屋敷へと続く道の途中に、小さな広場がある。馬首を巡らせてやって来た方向を見ると、緩やかな丘の中程からタザナの街を見下ろす形になった。雪江が街を一望したいとお願いしたのだ。

 赤銅色の屋根を持つ似たような形の建物が並ぶ中、円柱状の大きな劇場や尖塔を持つ建物は目立つ。先程出て来たケスクス劇場、役所や憲兵隊本部、時計塔といった主要な建物の他、トコ・プルウィットのある方向や、檳榔館がある歓楽街の方向を教えてもらう。

 雪江が暮らしている街だ。


「式はあそこで挙げる」


 ワイアットが指し示した街外れの森に、ぽっかり開いた空間がある。石灰岩の色をそのまま活かした大きな建物の丸屋根が覗いていた。


「えっと……大地母神マーゲライマ?」


 確かそんな名前の神様を祀っている神殿だ。


「出会いを求める男性がこぞってお祈りに行くから人気スポットになっているという…」


 雪江は大地母神や神殿という名称で、ついおごそかなものを期待してしまっていたが、縁結びで人気の神社のような気軽さらしい。否、事態は深刻だから本気度は違うのだろう。本来は多産や豊穣の神なのだが、何代か前の王がマーゲライマに女児出生率上昇を願い、民衆も出産祈願と同時に縁を結べるように願って、それが縁結びへと転じていったという。


「よく知っているな」

「後援会で知り合った人達がね、色々教えてくれるの。ワットもお祈りに行ったりしてた?」

「子供の頃に一度。地元の神殿に兄弟揃って連れていかれたことがある」

「……御利益、あるのかな…」


 女児出生率が下降の一途を辿っているということは、国で一番偉い人の願いも聞き届けてもらえていないのだ。多産を司っているだけなのに、性別を願われて神様も困ったのかもしれない。しかも今は縁結びまで願われている。神様も大変だなと雪江はしみじみした。


「それは判らないが、俺はお前を貰えた」

「………多分神様関係ないね」


 他動的なたった一度きりの祈願で、その後自主的に願いに行っていないのだからワイアットの信仰心は言わずもがなだ。少なくとも縁結びは信じていないのだろう。


「何にしても承認してもらえればそれでいい」


 ワイアットは何食わぬ顔で纏めた。結果を得られれば細かいことは気にしないのだ。婚姻は役所と神殿で二重認証になっているのだという。腕輪の接合が神殿で行われるのもその為だ。そこで不正が発覚すると神殿が女性を保護する仕組みになっている。雪江はこういったことにあまり興味のなさそうなワイアットが式をしたがるのが不思議だったが、それで得心がいった。雪江も式に夢を見ているわけではないが、それでも彼の情緒は死滅しているんじゃないかと偶に思う。可笑しくなってしまってくすくすと笑うと、ワイアットが片眉を上げた。


「機嫌がいいな」

「うん。今なら横恋慕されても言えそう」


 ワイアットは横恋慕の単語に不快げに眉を寄せかけて、直ぐに思い至ったように眉を開く。


「…手を出すな、か?」

「うん。だって、ワットはきっと、私じゃなきゃ駄目だもの」


 世の女性は多少の差こそあれ、色恋には甘い言葉や愛情表現を好むものだ。雪江調べだが。彼のように女心を解しない即物的な示し方をされ続けたら、いずれ不満が募るのじゃないかと思う。雪江とて全く欲していないわけではないし、困ることもあるものの、それを愛おしくも思うのだ。欲していた自信とは少し違うが、足掛かりの一つに触れたようで気持ちがふわふわしている。


「今更か」


 一種傲慢な雪江の発言に、ワイアットは頬を緩めたかと思うと雪江の顎を掴んで振り向かせた。雪江は声を発する隙もなく唇に食いつかれて仰け反る。仰け反ってもそこには彼の身体があり、逃げ道は初めからなかった。雪江がぐったりするまで口内を蹂躙して、漸く顔をあげたワイアットの目にはすっかり熱が灯っている。


「………そ…そろそろ……てぃーぴーおー……覚えて…」


 雪江は涙目だ。ワイアットは言葉の意味を解しかねたように首を傾げたが、言いたい事の方向性は解ったのだろう、頷いた。


「大丈夫だ。続きは帰ってからにする」


 何も大丈夫ではない。距離まで空けて空気に徹する護衛達の心情を思いやってほしい。彼らはひょっとしたら慣れてしまったかもしれないが、雪江は慣れたら終わりだと思っている。

 ワイアットは雪江に手早くローブのフードを被せて上気している顔を隠し、上機嫌で馬首を巡らせた。






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