27. 転ばぬ先の杖
「作為的なものを感じるね。君がなかなか落ちないから、妻を失って傷心のところにつけ込むパターンにでも入るのかな。だとしたら、まだはっきり断っていないこの段階から仕掛けるのは巧妙だね」
雪江襲撃の原因がフェレールの可能性があるのではと報告すると、セオドアは中隊長室の椅子の背凭れに凭れて腕を組んで、思索を巡らせる。
「ではもう捕らえても?」
「まだ推測だよ。君、限界早くないかい」
執務机を挟んで休めの姿勢で立つワイアットは、セオドアの困った顔に渋面を返す。妻の安全がかかっているのだから当然だと言いたい。セオドアにしたところで、同じ立場であったなら限界は早まるのではないかと思う。
「妻に危害が及んでいます。人員を回してください」
「表立って警護することはできないよ。勘付かれたら逃げられる。それは君も解るだろう?」
あっさりと躱されれば、ワイアットは言い募ることはできない。因果関係もはっきりしていなければ、要人の妻でもないのだ。無茶な要求だということも解っている。だから仕方ないと納得はするが、それで雪江を失ったらと逸る気持ちが収まるわけではない。
「不審な人物は張らせよう。早急にフェレール夫人との繋がりを探らせるから、もう少し辛抱してくれないかな」
口を引き結んで執務机を睨んでいるワイアットに、セオドアが宥めるような声をかけた。
「では魔道具の貸与許可を願います」
「うん? どれかな」
「測位釦を」
セオドアはふむ、と頷き未満の息を吐き、組んだ腕を指先で叩きながら暫し考え込む。
「…そうだな、民間人の協力ということにはなるか。いいよ、もしもの時は此方で場所を突き止めよう」
ワイアットの帰宅を迎えた玄関で挨拶もそこそこに銀釦を手渡されて、雪江は何度も瞬いた。位置情報を発する魔道具だから、暫くの間肌身離さず持ち歩くよう言われたのだ。
「ありがとう。GPSみたいなものかな。こっちにもあるんだね」
「じーぴーえす?」
「うん、この釦みたいな機能のことを向こうではそう言うの」
雪江は怖い目にあった後なので新しい守護魔術は素直に受け取っていて、釦も同様に受け取りはしたものの、疑問がある。
「でも、高かったんじゃないの?」
誘拐の備えとして最適なものを、今になっての入手は不自然だ。庶民の手が届かないくらい高価なものだからなのではと思うと、雪江の問う声が恐る恐るになる。
「心配するな。これは軍からの貸与だ」
「えっ」
雪江は絶句した。民間人への軍需品の貸与がどういう位置づけなのか雪江には解らないが、それはつまり、民間には出回っていないということを示してはいないだろうか。
「そ、そんなもの、私が持ってていいの? というか…」
雪江の取り戻した声が少し震えていた。ごくりと唾を飲み込む。
「もしかして私、相当危ないの?」
ワイアットは顔を歪ませた。大きな手を雪江の後頭部に回し、そのまま胸に引き寄せる。
「すまん。俺の所為かもしれないんだ」
ワイアットにしては珍しい、はっきりしない物言いだ。おそらくこれは、彼の様子をおかしくさせた仕事の関係だと雪江は当たりをつけた。ならば詳細は望めない。
「じゃあ、やっぱり……外出は控えた方が良いのかな」
二度の襲撃がユマラテアドの日常だというのなら、もっと対策を練った上で雪江も日常生活を続けるつもりだった。だが此方でも特殊な状況であるというのなら、その限りではない。無謀を通すと護衛が不要な怪我をする。
「そうして欲しいんだが」
ワイアットの歯切れの悪い言葉の後が、暫く続かない。雪江は顔を上げたいが、大きな片手一つで身動ぎもできなかった。
「……が?」
「主要な用事には出ていい」
雪江がそっと促すと、言葉とは裏腹に声音に苦渋が滲んでいて、力強く抱き込む両手が決して本意ではないのだと雄弁に語っている。この状況でワイアットが言うとは思えない台詞と様子から導き出されることは一つだ。
「え、…と。私にも、なにか役割があるってこと?」
返事の代わりにぎりぎりと体を締め上げられた。
「まっ、っ…! 苦、し…死、死ぬ…!」
雪江が必死に背中を二度叩いたところで締め付けが緩む。ワイアットはたっぷりと苦味のある溜め息をついた。
「あの襲撃はおかしい。主犯を誘き出して根絶する」
雪江は成る程餌だと理解して、もしかして測位釦貸与との交換条件にでもされたのだろうかと思考が脳裏を掠める。だがワイアットと軍との間でどんな取り決めが行われたにしても、雪江が関与できることではない。ならば雪江が優先すべきことは目の前の夫のこと。
「…もし攫われたら、また助けに来てくれる?」
「当たり前だ」
「じゃあ、頑張るね。ワットの役に立ててるみたいで嬉しい」
どうあっても危険な目に遭うのなら、役に立つことを喜ぶことにした。雪江はワイアットの顔を見上げて微笑んで見せる。彼に不甲斐ないと言わせないように。
護衛達も交えた話し合いの結果、外出頻度は減らさないことになった。急に減っては怪しまれるし、誘き寄せたいのだから機会は多くていい。そこで雪江も二度の襲撃が通常と異なっていたことを知らされた。軍から人員が回されるが、不審人物を捕捉する為に潜む諜報部の者で、警護は今まで通り自前で行うとのことだ。雪江は頑張るとは言ったが、怖くないわけではない。護身術訓練に力が入り、外出時も気が張りっぱなしだ。そんな雪江の様子にネヘミヤが気付かないわけがなく、頻りに心配するので襲撃にあったことだけ伝えた。
「それいつ? 怪我はなかったの?」
ケスクス劇場のボックス席。雪江と並んで座っているネヘミヤの目が心なしか鋭くなった。
「四日前。この通りピンピンしてる。護衛が優秀だから」
雪江が感謝を込めて振り仰ぐと、直ぐ後ろに控えているコスタスが微笑みで応える。
「それは……良かった。良かったけど。……なんで旦那、私に連絡よこさないの。なんか聞いてない?」
「旦那様は『この件でお前の出番はない』と。他の用事にも付き添うと言い出したら止めるように言われている」
ネヘミヤの問いはコスタスに向けられ、用意されていたと判る答えが返った。
「はぁ?」
ネヘミヤの声が低くなった。彼は目を丸くした雪江をちらりと見ると、にっこり微笑んで立ち上がる。
「ちょっと席外すね」
言うや否やネヘミヤはコスタスの腕を掴んで扉まで下がる。ボックス席はそう広くはないが、開演前の観客席はざわめいているので、声を落とせば内緒話は届きにくい。
「どういうことだよ。そこは同行願うとこでしょ。私が一緒の方がユキエちゃんは心強い筈だよ」
顔を近付けて凄むネヘミヤに、コスタスは首を振った。
「俺達としても護り難いから同行は拒否する。お前の護衛を信用していない。自宮して、お前を置いてでも奥様を護るというなら考えるが?」
「それは…」
ネヘミヤは悔しげに言葉を詰まらせ、直ぐに視線を強くした。
「っつーか。またあると思ってんだよね? あんたらの警戒値いつもより高いのなんなの?」
「短期間に二度だ。執拗に標的にされてる可能性は当然考える」
「……本当にそれだけ?」
「他に何があるんだ」
ネヘミヤは少しの偽りも見逃すまいと探る目をし、コスタスは少しも動じず見返す。
「…二人とも、そろそろ劇始まるよ?」
少しはらはらしながら見守っていた雪江が躊躇いがちに助け舟を出す。コスタスへの助け舟だ。心配は嬉しいが、共にいる時に襲われればネヘミヤも相当酷い目に遭うだろうから巻き込みたくない。雪江よりは狡猾かもしれないが、公娼だって弱い立場なのだ。理由は異なっても、ネヘミヤの同行拒否はスカイラー家の総意なのである。




